カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

ウクライナ問題

2014年06月30日 12時26分04秒 | 海外

 

ウクライナの問題も

 

ヨーロッパの歴史がわかっていないと本質に迫れそうにありません。

ただし歴史事実として残っている多くのことがらが、勝者の視点だけから書かれているのではないかという疑問を忘れることなく歴史に向き合うことが大切。

つまり歴史を知るのに必要なのは、2~3冊の歴史書を読めばいいという簡単な作業ではだめで、複数の視点で無数の資料を理解することなんでしょう。だからいとも簡単に歴史を断定的にとらえる人には注意したほうがいいと言えます。わかりやすいことが危ないとは、罪なものですね(笑)。

 

ただしいくら過去の歴史がどうだったとしても、現在の枠組みを平気で壊してもいいという根拠にはなりません。

第二次大戦後の秩序を破壊しているのが中国やロシアの為政者であるのに、かれらは自分たちの誤りを無視して常に相手のほうが「第二次大戦後の秩序を破壊している」と言い続けています。これには注意しなければなりません。この両者にとっては、歴史を主観的にゆがめるのが当たり前で、決して客観性が見られないことに注目しておきましょう。

 

今回の引用は、フランスのルモンド誌から。

 

この件について欧米メディアに見られる決まり文句を集めてみれば――ウクライナ危機の問題が始まってからだけでなく15年前から続いており――このけばけばしい色の伝説は、一般読者が今日のロシア連邦の政策について心に抱くものとほぼ同じだ。このように全くネガティブな認識は戯画化され、染みついた伝統の域にまで至っている。

こうしたネガティブな認識は、ロシアの文化の全体主義的で「虚偽の」心理的威迫を強調する分析に基づくこともあり(原注2)、またヨシフ・スターリンからウラジーミル・プーチンに至るまで一貫している継続性に基づくとされることもある。フランスの論説記者やアメリカの新保守主義のシンクタンクから好まれる発想である(原注3)こうした発想はルネサンス時代のヨーロッパ人の旅行記にまで遡ることができるもので、そのなかでもうすでに、「粗野な」ロシア人と凶暴な古代スキタイ人との間には類似性があるなどと書かれている(原注4)。
仏LeMONDEdiplomatique(2014年4月号より)

 

このなかでスキタイ人とは、2800年も前に今のウクライナあたりに住んでいた人のことらしく、複雑ですね。ほとんどの人にとって自分の国の歴史で精一杯、とても全世界の歴史を理解できるとは思いません。言い方を変えると、十分に理解できると思っている人には、きっと批判力が欠けている、すなわち少なくとも双方からの視点を欠いている、と思われます。

ただし付け加えておきたいのは、東欧諸国とちがい「粗野」なロシアから遠く離れているフランスには、ロシアの「粗野」さを理解する力が欠けているようで、しかも国旗デザインまで似せてしっぽを振っているロシアに対してフランス人にはあまり強い嫌露・反露の感情がないようです。Wikipediaによれば、フランス国旗は1794年、ロシア国旗は1993年に、それぞれ制定しています。

不思議なことにこれら3国が2014FIFA_WC(ブラジル)本大会に出場しており、ロシア以外は予選を突破し、しかもフランスとオランダは決勝トーナメントで勝っていて準々決勝進出を決めております。

Wikipediaが十分に信頼できるかどうか分りませんが、一応この点を理解した上で引用しておきます。

 

スキタイ(Scythae, Skythai)は紀元前8世紀~紀元前3世紀にかけて、ウクライナを中心に活動していた遊牧騎馬民族および遊牧国家。スキュタイ、スキュティア人、スキティア人ともいい、その地をスキュティア、スキティアと呼ぶ。「スキタイ」は古代ギリシア人によってこの地域の諸部族をまとめて指す際に使われた呼称でもあり、スキタイが滅んだ後も遊牧騎馬民族の代名詞として「スキタイ」の名は使われ続けた。:2014年06月29日 Wikipedia 「スキタイ」

 

スキタイ語(スキタイご)とは、紀元前8世紀から紀元前1世紀頃、現代のウクライナで用いられた言語。比較言語学的分類において、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスが当時のスキタイ語を記録した語彙や文法から、東インド・イラン語派の一言語だと広く考えられている。スキタイはギリシャ系(カッリピダイ人)、遊牧系(王族スキタイ人、遊牧スキタイ人、別種のスキタイ人)、農耕系(農耕スキタイ人、農民スキタイ人)の3つのスキタイに大きく分けられる。:2014年06月29日 Wikipedia 「スキタイ語」


ウクライナは、東ヨーロッパの国。東にロシア連邦、西にハンガリーやポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北にベラルーシ、南に黒海を挟みトルコが位置している。

歴史的・文化的には中央・東ヨーロッパの国々との関係も深い。キエフ大公国が13世紀にモンゴル帝国に滅ぼされた後は独自の国家を持たず、諸侯はリトアニア大公国やポーランド王国に属していた。17世紀から18世紀の間にはウクライナ・コサックの国家が興亡し、その後ロシア帝国の支配下に入った。第一次世界大戦後に独立を宣言するも、ロシア内戦を赤軍が制したことで、ソビエト連邦内の構成国となった。1991年ソ連崩壊に伴い独立した。

16世紀以来「ヨーロッパの穀倉」地帯として知られ、19世紀以後産業の中心地帯として大きく発展している。天然資源に恵まれ、鉄鉱石や石炭など資源立地指向の鉄鋼業を中心として重化学工業が発達している。:2014年06月29日 Wikipedia

 

こうした長い歪みの上で人は生活しています。しかし過去が歪んでいたから、現在もその歪みの延長上にあっていい、とは言えません。

以上は、決して「ロシアや中国の横暴を認める」意図から記したことではないことを、念のために申し上げておきます。

 

さて、ご参考になりましたでしょうか。

加筆修正:2014/07/01 03:40