まず私は、「一神教の限界を感じている」と最初に申し上げておきます。
さて最近のイスラム過激派を見ていると、次のような事が気になります。
- 一般住民に紛れ込んでテロを起こす。これはどこでも見られることで、罪のない住民が犯罪に巻き込まれるのか、それとも意図的にある種の住民がテロリストたちをかくまっているのか。
- 空港の検査態勢が不備なところを狙って、あるいは検査官を買収して、爆発物を機内へ持込み空中で爆発させる、という手口。これもかなり前から使われていた手口です。
- 今年になって急増した「中東や北アフリカ」からEUへの難民。「人道上」の理由から受け入れを表明した国もあり、EUでも国による割り当てを検討しているようですが、難民の中に紛れ込んでEUへ入り込み、そこでテロを起こすのが最近の傾向です。もちろん「人道上の理由」を変えないEUでしょうが、受け入れ人数などに制限が出てくることは、成り行きでしょう。
- ということは、EUが「人道」的観点から受け入れた難民政策でしたが、これを逆用されたとも言えます。
- 言い替えると、「人道上」を逆用した「イスラム過激派」という構図が見えてきます。ISとしては「人道上」という欺瞞を利用してキリスト教国を攻撃したのでしょう。
- どういう受け入れ条件に落ち着くのか、まだ不明ですが、宗教色を減らしてまで統合が可能になったEUの「人道」を踏みにじったイスラム過激派の「非道」ぶりにどう対応するか、これからの問題となるでしょう。
最初に言いましたように、私は「一神教の限界」をひしひしと感じています。
もちろん、共産主義も「他を許さない」という意味で、一神教の範疇に入ります。
共産主義と反共産主義の戦いが繰り広げられました。ソ連が崩壊して「冷戦構造が崩れた」という人がいますが、私としては、まだまだ共産主義を標榜する国がたくさんみられる、と思います。言わなくてもお分かりのように、中国やロシアですね。
もちろん誰でも「非共産主義国がすべて正しい」などとは決して考えていませんが、それにしても、独裁国家・共産主義国家のあまりにもひどい弾圧には我慢できない、と思う人が多いのも、事実でしょう。
単一と思われるキリスト教ですが
歴史を少しかじる程度でも、その様々な流派・派閥が、幾多の醜い戦争を引き起こしてきました。
さらに同じ宗教だと思われていたイスラム教でも
たくさんの血を流す争いが絶えません。
今ではなりを潜めていますが
もともと、寛容とされる仏教でも、排他的な組織が昔からあり、まるで一神教そのものと思われる宗派があります。
こういう世の中にあって
こういった宗教・共産主義などに一切触れないまま、ただ「平和」を唱えることが、はたして「平和的」なのでしょうか。
「宗教・共産主義」などに触れてしまうと、必ず反対勢力から「反発される」からでしょうが、だからといって「決して宗教・共産主義などに触れないのが正しい」とも言えないでしょう。
何もしなければ平和を勝ち取れるはず、そういう信仰もあるでしょうが、それを逆手に取る人がいますね。いやそんなことはない、そういう人でも真心が通じるはず、という信仰も大切です。しかしそんなのがうまくいくのは物語の世界だけなのかも
実際の世の中は、自分の利益だけしか考えない人が,あまりにも多すぎるのです。
世の中の「悪行」や「悪人」を、見て見ぬふりをすることも大切でしょう。
しかし、性悪説に踏みとどまれとは言いませんが、あまりにも根性が悪いと思われる人も、これまた多いのです。
何もせず、ただ「平和・平和」を唱えていたらそれで「平和」が達成されるものではなさそうです。むしろ「人類の叡智」を考えると、「平和は勝ち取るもの」と考えたほうが自然で、その上でどう行動するかを考えるのがよろしいかと、愚考する次第です。
中華の独善、イスラムの不寛容、ヨーロッパの傲慢、などに目をつぶらないよう、心から祈っております。
そして、どう自分が対応するか、それを考えたいのです。