意味がわからないまま歌っていた童謡。よく考えると、恐ろしい解釈もあるようです。歌詞に「地域差」があることは承知の上です。
あめふり
あめあめふれふれかあさんが じゃのめでおむかえうれしいな
ピッチピッチチャップチャップ ランランラン
かけましょかばんをかあさんの あとからゆこゆこかねがなる
ピッチピッチチャップチャップ ランランラン
あらあらあのこはずぶぬれだ やなぎのねかたでないている
ピッチピッチチャップチャップ ランランラン
かあさんぼくのをかしましょか きみきみこのかささしたまえ
ピッチピッチチャップチャップ ランランラン
ぼくならいいんだかあさんの おおきなじゃのめにはいってく
ピッチピッチチャップチャップ ランランラン
分りにくい言葉
やなぎのねかた:柳の根方(ねかた)=根のほう、根元(ねもと)
否定的な解釈
「柳の下で泣いている」とは奇妙で、母親の出迎えがないひとりぼっちの子を柳の木の下に見かけたのでしょうか。
自分の傘をその子に与え、自分は母親の大きな蛇の目傘に入って去って行き「自分はひとりぼっちではない」と差別化を図っているのかも知れません。
裕福な家の男の子が、見ず知らずでひとりぼっちで泣いていた柳の下の女の子に傘を与える光景を想像させます。
- 傘を与える行為は親切だと受け止める人が多いでしょうが、ますますその子を悲しませることでしょう。なぜなら、傘を与えてくれたこと自体は、短期的にはその場をしのぐありがたい行為ですが、「自分には母親がいない」ことを再確認させたのですから。
- 同じ子どもなのに、母親のいる子と事情があって母親のいない子を対比させております。
- 柳の下ということから、その女の子は亡霊だったのかも知れません。
肯定的な解釈
雨が降ったら母さんが出迎えてくれるので楽しみだという子どもらしさがあらわれています。
しかも下校の道すがら、女の子に傘をあたえるという善意も見せられたのですから、童謡としてはとてもすばらしいですね。
この「楽しさ」と「善意」が、童謡には必要なんですね。
さてさて、皆様はどう思われますか。