ヨーロッパ関連で必ず出てくるのが「移民・難民」問題です。
移民40人乗せた救助船、イタリアで入港を強行 船長は逮捕:afp 2019年6月29日
こういったとき、間違いなくいるのが
- 移民難民支援に賛成する人
- 移民難民支援に反対する人
賛成する人たち
- 自分たちも移民ではないかと思っている人で、中東やアフリカからの難民でも、宗教差別なく受け入れたい考えのようです。
- そうは思ってない人でも、人道的な観点から、受け入れる必要があるし、これは自分たちの判断なのだ、とします。
反対する人たち
- 極端な右翼思想にとらわれ、自分たちの国を守り通そうとします。
- 普通の人でも、移民難民の人たちが奇妙な犯罪に走ることが多いのを知っていて、それを排除しようとします。
- また人は生まれ育った国で過ごすのが一番だとも考えています。
少し前までは、賛成する人が多かった国も徐々に変わり、今では反対する人が無視できない数になってきました。
この根本的な解決策ですが
一神教の排他性をなくすこと
これしかないでしょう。
私は「一神教をなくせ」とは言いません。
2000年前後も続いたユダヤ教・キリスト教・イスラム教を短期間でなくすことはできないでしょうが、これらが本質的にもっている「排他性」を度外視して考えることはできません。
宗教の繁栄には、この「排他性」が大きく関係しているのです。
もっとわかりやすく言うならば
「キリスト教は、イスラム教を締め出すことで繁栄」し
「イスラム教は、キリスト教を敵とみなすことで普及」した
のでしょう。
共存した時代もあった、というのは今の状況からみた「美化」か「それほど宗教が深化していなかった」からでしょう。
ですから
「なぜEUはキリスト教の仲良しクラブなのか」はこれからもずっとついて回ります。
また
「なぜ東南アジアでイスラム教が普及したのか」
「なぜイスラム教地域には比較的貧しい人が多いのか」
という問題があります。
そもそも
「なぜ同じ宗教なのに争いが多かったのか」がEU統一のきっかけだったと思われます。
この証拠として「トルコ」がなかなかEUに入れないなどがあげられます。ソ連崩壊であとから加盟申請したキリスト教国が先に加盟しております。
もしトルコがEUに入れば、初のイスラム教国の参加となりましたが、キリスト教徒を圧迫するなどがあり、EU基準からは認めることができなかったのでしょう。
そこに大きな問題があるのでした。
- EUは統一により「争いをなくした」のですが
- 新しく「非キリスト教圏」との争いを生んだ
これを宗教問題と言わずして何の問題なのでしょうか。
また
一神教のキリスト教ならではの考えでしょうが、シリアを空爆しておきながら、「最初は発生した難民を積極的に受け入れ」やがて「発生した難民受け入れを渋り始め、これを排除しようとする」、この豹変が、私としては不可解なのです。
「日本はなぜ受け入れないのか」と問う前に、旧植民地思考に関連したこの不可解に答える必要がありそうです。
さてさて、皆様はどう思われますか。