すでに「ウソ」に関しては、当ブログで
にて取り上げております。
製品の価格や日常的なウソ/事実を考えながら
- ウソは恥ずべきもの・・・・日本などの国
- ウソは生きる手段だ・・・・その他の地区
という現実をみていきましょう。
「ウソ」が「ウソ」だと見抜けないのは「バカ」だと思う国もあり、これは解明しておくべきことのようです。
「ウソ」は、よくないこと
宗教で禁じられたり推奨されたりします。
本人はそうは思ってないようですが、他人から見るとまさに宗教対立でした。
日本では、宗教ではないけれども「ウソはよくないこと」とされています。外国相手の場合、特にこれは強調されることが多いようで、韓国・中国とは大きく異なります。
「ウソ」は、許される
宗教で許されている、とする国もあります。
解釈の問題ですが、「神はお見通しだ」という前提で、この時ばかりは「お見逃しください」と祈るのでしょうか。
宗教がなくても、積極的に「潤滑油としてのウソ」を推奨している国があります。
「商品価格などあってないに等しい」いう国さえ見られます。つまり「相手により価格が異なる」のであり貧富の差は当然とする社会です。
現存する差別をそのまま認める国では「価格は、相手との駆け引きで決まり、品質では決まらない」のです。
品質で価格が決まる国では、差別が少ないのでしょう。パクリの朝鮮半島や中国は、論外だと言えます(日本臭排除の文在寅政権や、共産党員かどうかで差別する中国など)。そして文在寅は、その論外の国へ無批判に接近しており、これまた論外の国になり果てました。
簡潔にいえば、李朝に500年にわたって支配されてきた併合前の朝鮮半島の実態を、私たちは、あまりにも知らなすぎる。もっとも分かりやすい例でいえば、21世紀のこの時代にあって、大多数の国民が飢餓に苦しむ専制独裁国家を思い起こすとよい。
北朝鮮は李氏朝鮮のまさにクローンである。
戦後、日本時代の遺産をすべて壊し、元の姿に戻ったにすぎない。あの国が自主的に近代化を成し遂げられると考える人が、はたしているだろうか。
仮に今、日本が北朝鮮を併合して統治するとなれば、金一族を除く北朝鮮国民は、随喜の涙を流すに違いない。その北朝鮮に同情を示し、呼応して「反日・反米」を叫んでいるのが韓国であり、近年その傾向は強まる一方だ。何が本当で何がウソか、誰が味方で誰が敵か、ウソで固めた歴史観では、正当な判断力が養われるわけがない。
これは歴史で何度も繰り返された亡国のパターンであり、私は早くから「このままでは韓国は潰れる」と唱えてきたが、その危機がいよいよ近づいてきたことを感じずにはおられない。
いかにして真実を究明するか、本書を著わす理由はここにある。:崔基鎬(チェケイホ)「日韓併合」祥伝社 2007年7月30日初版第1刷(書いたのは2004年)
自分にとって不都合なら、勝手に「極右」と断定する韓国
言うことをよく聞く日本の野党を支持し、同一歩調をとる日本の野党としては、これに反対するどころか「無制限に同調し利用さえする」始末です。
この本を書いた著者でなくても
韓国の凋落・亡国は十分すぎるほど理解できます。
この本を書いたのが2004年らしく、盧武鉉の大統領在位が「2003-2008」でした(盧武鉉は2009/05に裏山で自殺)。
そのころ盧武鉉の下で働いていたのが今の大統領「文在寅」ですから、韓国はますます亡国に近づいていると言えます。
もしも崔基鎬(1923- )がいま元気ならば、「すでに韓国は亡んでいる」と断定するかも知れません。
崔基鎬を「嫌韓バカ」と称する人もいますが、そういう人に限っていかにも「情緒が不安定」です。
そんな人は
- 多様性を否定すると思われ「民主主義」とは縁がなく
- 自分と考えが異なるとバカ・アホを連呼したがり
- 半島でよく見られる「一色を好む」人で
- 日本で時たま見られる「激情型」の人なんでしょう
民主主義とは、この否定で
一色を好まず多様性を重んじ、意見が違っているだけで「バカ・アホ」と叫ばず、「激情型」でない人
が目指す制度のようです。
- 民主主義に縁がない人なら、一色を好み「バカ・アホ」を叫びながら激情に走るほうが、きっと楽なんでしょう。
- 財力で人を判断すべきではない、という好見本でした。
- 財力がない人の民主主義否定なら、「貧すれば鈍する」だろうから、私は理解できるほうです。
さてさて、皆様はどう思われますか。