ここでは「公には」多様性がなく言論の自由さえみられない沖縄が、その点で中国・韓国そっくりであることを述べています。
中国では「多様性を弾圧で禁じ」、韓国では「多様性を社会が禁じ」、という違いがありますが、沖縄では「多様性を社会と奇妙な法律論が禁じ」ているような気がします。
しかし私は、そんな「異論を認めようとしないで多数派に従おうとしている」沖縄県民にさえ、幸あれと祈らずにはいられません。
尤も、それが思考停止を招きますが(笑)。
- 癒しの地域が、何でも適当に済ませる腐敗の地かも知れず
- 学力が高い地域なのに、自殺率も高い地域なのかも。
社会の規律は、強すぎても、弱すぎても、うまくいかないようです。
沖縄・八重山日報編集長が沖縄2紙を痛烈批判 「移設が道徳悪だと言わんばかり」:2016.2.13
やや古い1年半前の記事ですが
石垣島の「八重山日報」編集長が、沖縄那覇市の2紙「沖縄タイムス・琉球新報」を「移設が道徳的な悪だと言わんばかりのスタンスで、冷静な議論ができていない」と述べたとのこと。
別にこの人が言わなくても、沖縄に住んでいる「健全な懐疑心をもった人」ならば、沖縄2紙が「冷静な議論ができず、自らキャンペーンをはる宗教集団だ」という程度のことなら分っていました(笑)。
私の個人的な「報道姿勢」観では
新聞社というのは
取材をもとにして多様な考えを紹介し、あからさまには自分で結論を出さずに、判断は読者に委ねるべきだ
と思うのですが、沖縄2紙の場合
「自らキャンペーンをはって何かを言おうとする」
習性があるようです。
もしも
沖縄の2紙が「反論をことごとく否定し、社会を一色に染めようとするのが沖縄流のやり方だ」
と主張すると仮定するなら
中国が「反論をことごとく否定し、弾圧を加えるのがアジア流のやり方だ」とするのと同じで、普通のまともな人には受け入れられないでしょう。
八重山日報編集長仲新城が
「オール沖縄は虚構。オール革新だ」というのは私の感性にもあっております。
沖縄が少数派を差別・糾弾し、一色に塗りたがる風潮をもって「オール沖縄」とするのでは、これは北朝鮮のマスゲームに憧れて一色に染まりたがる韓国そっくりではないでしょうか。
そういえば当ブログ「沖縄の醜聞 26」で「All沖縄」ではなく「Oar沖縄」だと揶揄したことがありました。「全沖縄」で一色に染まりたがり多様性・民主主義を否定するだけの「船の櫂(オール)沖縄」ではないか、というものでした(笑)。
たしかに
- 反米・反日の姿勢でも、沖縄と韓国は同じですし
- 対中国の姿勢でも、あれほど経済制裁されているのに「証拠がないから」と一言も言えない韓国ですし、中国共産党に招かれて何も言えずに「ただニコニコするだけ」で一言も中国の横暴について語れない翁長沖縄知事。
似てますね。私の結論は・・・・・・
翁長沖縄 ≒ 韓国
論理ではなく、集団による個人的な「善悪判断」でものごとを語る両者が、これからの世の中を動かすことはあり得ず「瀬戸際外交・バランサーの役割」などには限界が見えており、すでに幻想なのでしょう。
さてさて、皆様はどう思われますか。