カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

与那国町長選挙とイギリス国民投票(EU離脱)

2017年08月07日 13時16分06秒 | 社会

与那国町長選挙の結果です。

尤も石垣島在住の私には、与那国町長選挙の「選挙権」がないにもかかわらず3回も電話調査があり(いずれも留守電で出ず)「与那国町長選挙にいくかどうか」うるさいのでした(笑)。


与那国町長選挙(2017年08月06日)投票率92.93%

候補者  投票数 占有率
外間守吉   609    51.2%
糸数健一   581    48.8%
===========================
総数     1,190   100.0%
差          28     2.4%

:2017年8月6日 


1年ほど前のイギリス国民投票の結果です。 

イギリス国民投票2016年6月23日投票率 72.21%

     投票数      占有率%
離脱 17,410,742   51.89%
残留 16,141,241   48.11%
=============================

総数 33,578,016  100.00%
差    1,269,501    3.78%    

:Wikipedia 


これらをつぶさに見ると、与那国町長選挙も、イギリスの国民投票も、「51%-48%」なのです! 

与那国では継続方針に変わりがなさそうですが、イギリスの場合EU離脱という大変革が起りそうです。そしてこの両者の結果が「奇跡的に一致した」のです(笑)。

  • 町長選挙(保守同士)では現職外間が新人糸数に勝ち
  • イギリスの国民投票では、EU離脱派が残留派に勝った

のはご承知の通りです。

投票の差は、「28」と「126万

占有率で言えば共に「3%」の差でした。

そしてこの「3%」をどうとらえるかが分かれ目です。

  • 同じ「3%」ですが28票と126万票に違いがある←本当にそう?
  • 3%の解釈

①「僅差」「分断した」・・・・・・負けた陣営が言いそう

②「圧倒的な勝利」・・・・・・勝った陣営が言いそう

③作為的な解釈を入れずに、坦々と事実を報道する

え?、そういうお前はどちらがマシと思うか、ですか。

前者は視野狭窄症(しやきょうさくしょう)そのものですし、後者は先をみるだけの大言壮語ホラ吹きであり歩いているうちに足元の石ころで転んでしまいそうですから、私は両方ともイヤです(笑)。

これらから安易に何かを導き出そうとするのはいけませんが

沖縄のメディアを見ていると、どうしても報道する側に自らキャンペーンをはろうとする意図が見えてきます。これは「見え隠れする」の段階を越えて、自社にとって価値があると判断すれば、惜しげなくキャンペーンを展開するようです。 

こういう

「3%」から何らかの結論を出すのは読者であり、報道に携わる人が結論を出してはいけない

と私は思うのです。

しかしここ沖縄や朝鮮半島では「無知」で何も判断できない人のために報道する人が何かを判断してやらねばならないようです。

都道府県の中で、沖縄県の公立学校の学力が6年間も最下位を続けているのが何かを暗示しているとは思いませんか。

そしてこれが言論統制につながり多様性を欠く元となり、結局はその地域の人たちを萎縮させているのですね。

さてさて、皆様はどう思われますか。


お笑いと社会諷刺

2017年08月07日 08時05分50秒 | 笑い

なぜ、「笑い」と』をつけるのでしょうね。

代官様」「好み焼き」とは言うけれども、「総理大臣」「たこやき」とは言わないらしい・・・・・・。 

芸人も変わってきました。

  • かつては「社会諷刺漫才」で人気を得たのですが
  • やがてテレビ局に飼い慣らされて「社会諷刺をやめる」

かつてのお笑い芸人も年を重ねたため、「冠番組をもたせた安定収入」と引き替えに、権力に従順なテレビ局の言いなりになる可能性が十分にあります。いや「コメンテイター」として既にそうなっているかも知れません。

つまり

漫才・お笑いの分野が、芸能界にデビューし、そうして安定した収入を得るための「1段階」に堕した気がするのです。

をつけて「笑い」とすることで

伝統を大切にし権威を重んじ、よって権力に忠実な犬になろうとしているため、なのでしょうか(笑)。

どこかに

伝統・権威」を笑える社会諷刺があるからこそ伝統・権威」の価値が高まるとも言えます。

  • もしそれができないならば、政府による一方的なプロパガンダであり、中国・朝鮮半島などの単なる全体主義国家に成り下がることでしょう。
  • 改善することができないこれらの国では、指摘されたことには目をつぶり、ひたすら日本の欠点のみを取りあげることでしょうが、それ自体が全体主義国家の特徴なのでした(笑)。
  • これら全体主義国家がますます台頭すると、それに対抗しようとして近隣に位置する日本が「軍事国家・全体主義国家」に近づくのではないかと私は恐れています。
  • ここで大切なのは「日本が独自にそうなった」のではなく、近くに「国際法を守らない無法」な「全体主義国家」がいたためというところです。これら全体主義国家では、自分たちのせいで「日本が警戒」したことを隠したまま、「日本が軍国主義化した」としその国民は言論統制があるためそう信じざるをえませんが、これがまさにフェイク・ニュースそのものでした。

この「社会諷刺がなくなる」傾向は日本の社会システムの問題なのでしょうか。

例えば新聞記者の「サツ廻り」「番記者」などが社内的な出世階段の1つになっているようで、日本社会では「生涯記者」というのが存在しにくいのでしょう。

そのためでしょうが

何かの記者会見でも、「いい質問をするな」と思うことが少なく、どうしても「まだ決まっていない」ことに関するくだらない質問をして「それらを含めて今後検討してまいりたい」というどうでもいいような回答を引き出すことが多すぎるような気がします。

これでは「質問した意味」「回答した意味」がほとんどないと思うのです。

それは「質問が悪すぎるから」に尽きると思うのですが

どんな場所(そこにも価値の度合いを決めているのでしょう)で何回質問したか、それによってどのような回答を引き出したか、などが社内考査に使われるに及んで、ますますその度合いが強まりました。

これでは「風刺ある質問」など生まれるはずがありません。

生涯記者」には、もう少し余裕がありそうですね。 


この弊害をなくせる「はず」なのがインターネットでしたが・・・・・・

  • そのネット社会が無法状態になり
  • フェイク・ニュースが飛びかう「いびつな自由空間」

となりました。そのおかげかも知れませんが・・・・・・

  • 既存のメディアが流し続けてきた情報をあらためて考えると、本当らしく見えるものの、どこかでその報道社の「バイアスがかかったニュース」「何らかの解釈や判断が加わったニュース」になっているかも知れないことに、気がついている人がいます。
  • 皮肉なことですが、怪しげなインターネット上のフェイク・ニュースのおかげで、今までの通常新聞社の偏向さえわかってくたのですね。
  • やはり最終的には、無難な説かも知れませんが、「自分がどう考えるかで決まる」のではないか、と思い始めております。

もっとも私たち日本人は、そうとう昔から

中国・朝鮮半島が発するフェイク・ニュースに慣れていましたが、残念なことにそういった「ニセ情報を真実だと信じている日本人がいた」のでした(笑)。

さてさて、皆様はどう思われますか。