たとえそれが、事実であろうとも、なかろうとも、誰にも醜聞があります。ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。必要な方のために出典も明示し、あればリンクも提示しています。
陽明学(ようめいがく)は、中国の明代に、王陽明がおこした儒教の一派で、孟子の性善説の系譜に連なる。・・・・・・
むしろ万人に平等に、そしてすでに良知が宿っていることを認めていこうとする。王陽明のある弟子の「満街これ聖人」(街には聖人が充ち満ちている)ということばは端的にこのことを表現していると言えよう。陽明学にあって聖人となれる可能性があるのは、読書人のみならず普通の庶民にも十分あるとされるのである。:Wikipedia「陽明学」
なるほど、そうでしたか。
「なぜ朝鮮王朝で陽明学が禁じられていたのか」が疑問でしたが、これで謎が解け、とてもうれピー(笑)。
- つまり引き続き「支配層(富の略奪)を保証してくれる身分制度」を維持するよう願ってきた朝鮮の両班たちは、「庶民を軽蔑することが身分制度の証明」と考えてきました。よって自分たちをさしおいて「庶民が聖人になれる」という陽明学の考えは許せなかったのでしょう。あくまでも両班の身分は平民(庶民)より上でなければならなかったのです。
- それに比べて日本では比較的「市民平等」の考えが発達していたようなので、「庶民が聖人になれる」という陽明学の考えは、受け入れやすかったのでしょう。
これが根本的な違いで、日本人が「身分制度撤廃」と受け止めたのに対して、朝鮮の両班たちは「身分を落とされた」と考え、今でも韓国社会を牛耳っている旧両班の子孫たちの中に「身分制度撤廃の恨み」が残っていると見るのが理にかなっているようです。
いま韓国人たちが「なぜ、しつこく過去を掘り起こすのか」も、「身分制度を廃止された」ことで説明できそうです。
決して想像だけの「それほど日本の統治はひどかった」とは言えないようです。朝鮮半島人を日本人と同等に考えることが間違いのもとでしょうか。
旧両班とその子孫たちは、自国の制度上の問題とは思わずに「日本人が自分たちを不幸へつき落とした」のであり、この不幸の責任は日本にある、と考えるようになりました。なるほど自分の利益のことだけしか念頭になく、朝鮮半島全体のことなどどうでもよかった、ということがよく分りますね。
アメリカと対比してみましょうか。
いいも悪いも移民がアメリカを強くしたのであり、大統領令で移民を制限しようとしたり、白人至上主義者たちを擁護しているとみなされる声明を出す、そこに米大統領トランプの根本的な間違いがみられます。
同様にいいも悪いも身分制度撤廃が今の強い韓国を成り立たせているはずであり、自分たちができなかった身分制度撤廃の恩恵を受けているはずの旧両班の子孫たちによる反日は「身分制度復活を願望して再び支配層になりたい」と主張しているのに等しく、そこに反日を叫ぶ両班子孫たちの根本的な間違いが見られます。
儒教汚染国に特有なんでしょうが
「自分には責任はなく、相手側に責任がある」といういつものパターンでした。「現状維持が最優先事項であり、自分たちは常に被害者である」が続く限り、「改善」して少しでもよくなることなど、あり得ないのでしょう。
旧両班の子孫たちが身分制度撤廃を恨んでいて反日なのに対し、旧平民の子孫たちが身分制度撤廃を喜んでいて、韓国では今でも「昼は反日・夜は親日」という入り組んだ情勢となっているらしい。
二項対立でしかものごとを考えられず、改善が禁じられ、多様性を拒んでいる限り、韓族の勘違いは永遠に輝き続けることでしょう。
「過去の掘り起こし」をみていると次のようなことを考えてしまいます。
いま韓国の社会や家庭内には、日本製がたくさん入り込んでいるようですが、100年後には「日本政府の強制性が認められる」となっていることでしょう(大笑)。100年前のぶり返しをみてそう感じました。
ただし100年後に、第18共和国(大韓民国:現在第6共和国)くらいにまでなっているか、別の名前の国名になって存続していると仮定しての話で、「無事に中国の1省」になっているかも知れませんね(笑)。いやそれ以前に中国共産党が崩壊している可能性のほうが高いでしょうか。
韓国で身分制度が廃止されたことを旧両班およびその子孫たちは
- 「楽園から地獄へ引き落とされた」・・・・・・身分制度の復活願望か
- 「それは本当なのか」と疑問をもてない・・・・・・これが多様性欠如
- 「日本が悪い」の風潮が自然に醸成・・・・・・これが事大主義と攘夷
典型的な差別主義者の思考ですね。
そして今
旧両班の子孫たちが韓国の政官財を握っていることから、「事後法」という新しい法律で過去を裁くという通常の国家ではまず想定していない制定で「近代国家」を装い、「旧日本に肩入れして儲けた人たち(親日派)の子孫の財産を今になって没取する」ということをしでかしました。
この韓国の旧両班の奇妙な「恨み」が消えない限り、永遠に反日は続くのです(大笑)。
これを現代の日本に当てはめると、次のようなことになるでしょうか。
日本の江戸時代はすばらしい時代だった。しかし外国によって身分制度が廃止されたため、徳川家とその子孫たちは「平民に格下げされ」、これを恨みに思っていた。
よって今でも政財界を牛耳っている徳川家とその子孫たちが、平成に入って新しく事後法なるものを制定し「外国にヨイショして儲けた人たちの財産を没収した」。徳川時代に身分制度によって保証されていた「しあわせ」が崩壊した外国に対する恨みは時代を超えて生き続けるのだった。
こういう視点にたてば
- 現在の韓国が、非法治国家である ←これはもちろんのこと
- 韓国で軍事政権から民政化してまだ20年強であり、何かにつけて全体主義的な色彩を濃くもっていることから、北朝鮮のマスゲームのように一色に染まることを願い、異論を決して許さず、民主主義に必須の多様性など理解できない ←今の韓国社会
- よって韓国が普通の民主国家になるのに、あと50年は必要 ←つらいのですが
などのことが、よくお分かりになると思うのです。
現在の韓国では
- 「身分制度のない社会」などあり得ない
- 「ある限られた身分の人だけが社会を治めることができる」とするため、韓国人では政治的意味合いが強い「平和賞」を除いて、画期的な発明などに与えられるノーベル賞とはまったく縁がない〔その1 その2 その3〕
と思うのです。
ただし念のために申し上げておきますが、日本でも
- 陽明学に取り憑きすぎた人たちの中には、そうとう危険な人もいたことを付け加えておかねばならないようです。
- この逆で、陽明学の一部分を取り入れただけでその人が「陽明学に取り憑かれた」などと言うべきではないのでしょう。
- これらは、今はやりの(しかし昔からあった)フェイク・ニュースとなって拡散することでしょう。
さてさて、皆様はどう思われますか。