都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「藤原道長展」 京都国立博物館
京都国立博物館(京都市東山区茶屋町527)
「藤原道長展 金峯山埋経一千年記念」
4/24-5/27
京都国立博物館で開催中の「藤原道長展」へ行ってきました。展示は、道長の系譜を簡単に追いながら、今からちょうど一千年前に行われた「金峯山参詣」に焦点を当てたものになっています。日記、仏画、彫刻など、計120点の品々にて構成された展覧会です。
さて早速、その「金峯山参詣」とは何ぞやということですが、これは当時の貴族が極めて重視していた宗教行事の一つで、京より遥か南、吉野よりもさらに奥へ入った金峯山(*1)へお参りするというものだったのだそうです。ちなみに金峯山は現在でも修験道の聖地で、いわゆる「女人禁制」の戒律を残す日本唯一の山としても知られています。道長はその参詣を1007年、42歳の時に実行しました。(貴族でも一生に一度のイベントだったそうです。)この展覧会ではそんな参詣の流れを、金峯山より出土した品々などで紹介します。
江戸・元禄年間に当地より出土した「金剛経筒」が重要です。これは道長自筆の経典をおさめた金属製の筒で、表面には約500字の願文が彫られています。さすがに腐食している部分もあり、中の紺紙金地の経は半分程度しか読めなくなっていますが、残された金の輝きは、往時の道長の権勢も伝えているのではないでしょうか。ところでこの経典は、道長が弥勒(*2)の現れる56億7千万年後へ残すために記したものです。現在の我々が途方もなく広い宇宙を思う感覚で、道長は仏の世界を認識していたのかもしれません。
参詣の様子は「御堂関白記」にも記されています。ところで道長と言うと、あまりにも有名になり過ぎた「この世をば~」の和歌に象徴される、華美を好んだ、どこか奔放で剛胆なイメージさえ持っていますが、この日記を見る限りでは必ずしもそうだとは言えないようです。筆跡こそ確かにダイナミックなものでしたが、参詣のための宿についても事細かに口をはさんでいます。もしかしたらそこに性格も出ている、としてしまうのは危険でしょうか。
道長が発願した唯一の仏像「不動明王坐像」は圧倒的(高さ約2.6メートル)です。弁髪は左肩へ蛇のうねるように流れ、剣を持っていたであろう右手は力強く握られています。ちなみにこの仏像は、道長が法性寺(ほっしょうじ。藤原家の氏寺)へ安置するために作らせたものです。最盛期の法性寺は、境内が東福寺より稲荷山まで及ぶという壮大なものでしたが、今では見る影もなく衰退しています。まさに盛者必衰です。
その他、「石山寺縁起絵巻」などにも見入りました。色鮮やかな衣に身を纏った道長一行の者たちが、石山寺へと向う部分が描かれています。行列を見ながら笑っている見物人などは見事です。生き生きと表現されていました。
ちらしはかなり地味ですが、さすがに内容は充実しています。今月27日までの開催です。(5/12)
*1 現在の奈良県天川村、山上ケ岳。標高1719メートル。(地図)
*2 仏教の仏菩薩の一人。釈迦の入滅した56億7千万年後の未来に姿を現すとされている。
「藤原道長展 金峯山埋経一千年記念」
4/24-5/27
京都国立博物館で開催中の「藤原道長展」へ行ってきました。展示は、道長の系譜を簡単に追いながら、今からちょうど一千年前に行われた「金峯山参詣」に焦点を当てたものになっています。日記、仏画、彫刻など、計120点の品々にて構成された展覧会です。
さて早速、その「金峯山参詣」とは何ぞやということですが、これは当時の貴族が極めて重視していた宗教行事の一つで、京より遥か南、吉野よりもさらに奥へ入った金峯山(*1)へお参りするというものだったのだそうです。ちなみに金峯山は現在でも修験道の聖地で、いわゆる「女人禁制」の戒律を残す日本唯一の山としても知られています。道長はその参詣を1007年、42歳の時に実行しました。(貴族でも一生に一度のイベントだったそうです。)この展覧会ではそんな参詣の流れを、金峯山より出土した品々などで紹介します。
江戸・元禄年間に当地より出土した「金剛経筒」が重要です。これは道長自筆の経典をおさめた金属製の筒で、表面には約500字の願文が彫られています。さすがに腐食している部分もあり、中の紺紙金地の経は半分程度しか読めなくなっていますが、残された金の輝きは、往時の道長の権勢も伝えているのではないでしょうか。ところでこの経典は、道長が弥勒(*2)の現れる56億7千万年後へ残すために記したものです。現在の我々が途方もなく広い宇宙を思う感覚で、道長は仏の世界を認識していたのかもしれません。
参詣の様子は「御堂関白記」にも記されています。ところで道長と言うと、あまりにも有名になり過ぎた「この世をば~」の和歌に象徴される、華美を好んだ、どこか奔放で剛胆なイメージさえ持っていますが、この日記を見る限りでは必ずしもそうだとは言えないようです。筆跡こそ確かにダイナミックなものでしたが、参詣のための宿についても事細かに口をはさんでいます。もしかしたらそこに性格も出ている、としてしまうのは危険でしょうか。
道長が発願した唯一の仏像「不動明王坐像」は圧倒的(高さ約2.6メートル)です。弁髪は左肩へ蛇のうねるように流れ、剣を持っていたであろう右手は力強く握られています。ちなみにこの仏像は、道長が法性寺(ほっしょうじ。藤原家の氏寺)へ安置するために作らせたものです。最盛期の法性寺は、境内が東福寺より稲荷山まで及ぶという壮大なものでしたが、今では見る影もなく衰退しています。まさに盛者必衰です。
その他、「石山寺縁起絵巻」などにも見入りました。色鮮やかな衣に身を纏った道長一行の者たちが、石山寺へと向う部分が描かれています。行列を見ながら笑っている見物人などは見事です。生き生きと表現されていました。
ちらしはかなり地味ですが、さすがに内容は充実しています。今月27日までの開催です。(5/12)
*1 現在の奈良県天川村、山上ケ岳。標高1719メートル。(地図)
*2 仏教の仏菩薩の一人。釈迦の入滅した56億7千万年後の未来に姿を現すとされている。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
« 「ペルジーノ... | 「丸紅コレク... » |
結局別の所に行って、諦めました(涙)。
仏像好きの私としては「不動明王坐像」を是非この目で見たい!
京都の国立博物館の常設も気になります。
実は「凄い」展示品を山ほど見てきたのだと
帰宅しあれこれ調べていて分ってきました。
コワいコワい。
奈良博もまた然り。やはり「地元」強いです。
こんばんは。コメントありがとうございます!
>「不動明王坐像」
記事では大きさのことに触れなかったのですが、
驚くほど巨大な仏様で驚きました。
道長自らの力を誇示する意味もあったかもしれませんね。
>京都の国立博物館の常設
若冲も一点出ておりました。
実はこの日、ここで道長と常設の若冲を見てから、
相国寺のプレビューに参加したのです。
見逃している京博の若冲展を見たかったと改めて思いました。
(時既に遅しというわけですが…。)
@takさん
こんばんは。今日は短い間でしたがどうもありがとうございました。
>「凄い」展示品を山ほど見てきた
そのようですね。
奈良博といい、
こちらでは見慣れない仏様に接することが出来たのが、
また大きな収穫でもありました。
まさに伝統の遺産ですね。
この展示と平等院で藤原美術が語れるのではと思えるくらいの内容でした。
形あるものはほぼ残っていないと思っていたので、不動明王と経筒はじっくりと見ました。
それにしても、遠足でよく行った平等院がそんなに貴重な遺構だったとはねえ。。。と今さら思いました。
立派な展覧会でしたよね。
実は見る前はさほど興味を持っていなかったのですが、
参詣の部分には特に惹かれました。
しかもその経典が残っているのには驚かされます。
>平等院がそんなに貴重な遺構だったとは
10円玉だけで騒いでいる場合ではありませんでした…。
次回、京博へ行く際には、
常設もじっくり楽しみたいものです。