都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「伊東深水展」 平塚市美術館
平塚市美術館
「開館20周年記念展 伊東深水-時代の目撃者」
10/22-11/27
近代日本画の巨匠、伊東深水(1898-1972)の画業を展観します。平塚市美術館で開催中の「伊東深水 時代の目撃者」へ行って来ました。
伊東深水といえば、師の鏑木清方、そして京都の上村松園と並び、言わば美人画の三巨頭として挙げられますが、今回の展覧会ではむしろ風俗画家としての側面に着目し、その業績を辿っています。
「鏡獅子」(1934年)
出品は本画、版画、スケッチを合わせて計100点です。回顧展としては申し分のない内容でした。
1898年に深川で生まれ、活字工として働きながら絵を描いていた深水は次第に頭角を表し、13歳になってから鏑木清方の門をたたきます。
展示もその頃、僅か14歳の時の作品から始まりました。
街中で腰掛ける新聞売りを描いた「新聞売子」(1912)からは、精緻な籠の描き込みをはじめ、早くも深水の完成された画力を見ることが出来るのではないでしょうか。このように深水は当初、労働者や貧困層の生き様を写すことに大きな関心を寄せていました。
初期の頃の作品を楽しめるのもこうした回顧展ならではのことです。
縦長の構図に釣り人を収めた「寒鮒釣り」(大正時代初期)は、寒々しいグレーの水辺をはじめ、セピア色の空など、どこか物悲しい風情を漂わせています。
「乳しぼる家」(1916年) 福島県立美術館寄託
また「乳しぼる家」(1916)など、後に鮮やかな色彩を駆使した『カラリスト深水』からは想像もつかないような静まり返った情景も、深水の知られざる一面を見せる一枚でした。
新版画の深水もまた魅力的です。深水は当時、一つ芸術運動であった新版画の制作に取り組み、全部で147点の作品を残しました。
今回はそのうちの20点ほどが紹介されていますが、主題も風景に人物と多様です。
半身をさらけ出し、鏡を見ながら眉に墨を入れる女性を描いた「眉墨」(1928)こそ、これぞ深水といえるような艶やかさを感じますが、羽子板を下から振り上げる様を表した「追羽根」(1938)の動的な構図には強く感心させられました。
そして時に官能的とさえ言える深水の美人画ですが、その最たる例として挙げておきたいのが、「髪」(1949)です。
髪を梳く二人の女性が描かれていますが、その右側の女性は頭を逆さにしながら上半身をあらわにしている為、乳房が大きく垂れ下がっています。
同じような髪梳き、また半裸の女性を描いた美人画は数多くありますが、これほどエロティックなものはないかもしれません。
また後方からの視点で、独特なフェティシズムを感じさせるのが、「宵」(1933)です。 涼しげな白い浴衣を纏った女性がこちらに背中を向けて寝る姿が描かれています。画面の一部にかかる簾の透け表現もまた見事ですが、あたかも鑑賞者が覗き見をしているかのような構図も印象的でした。
「皇紀二千六百二年婦女図(一部)」(1942年) 株式会社大和証券グループ本社
今回、深水の新出の作品が2、3点ほど出ていますが、とりわけ目立つのは「皇紀二千六百二年婦女図」(1942)と「海風」(1942)です。
タイトルが示すように、ともに国威発揚を意識させるような大作ですが、前者に登場する女性には深水が戦時下において考案したという服が着せられています。
「海風」(1942年)
また風に向かい指を示す女性の立ち姿を表した「海風」は、深水が志向した「力の芸術」を体現した作品と言えるのかもしれません。その迫力は圧倒的でした。
なお戦時下において深水は海軍情報要員として1943年、南方、主にインドネシアへと赴きます。そこで現地の人々を訪ね歩き、その風俗を約400枚ほどスケッチに残したそうですが、展示でも一部が紹介されていました。
さて浮世絵とは浮世を示すもの、すなわち現代を描くものであると考えた深水は、当時の最先端の社会を臆することなく日本画で描き出します。
洋装の女性が印象に深い「聞香」(1950)や、六曲一双の大画面に舞台の控え室で化粧などをする芸者を描いた「春宵(東おどり)」(1954)などからは、時にモダンである深水画の魅力を存分に味わうことが出来ました。
またモダン、時代への先どりという観点からは「黒いドレス」(1956)も忘れることが出来ません。
深水は洋画家から色面分割の手法などを学び、それを自作に取り込みましたが、この「黒いドレス」における極太の輪郭線はもとより、全体を覆う黄色がかった色彩の統一感は、明らかに日本画離れしています。思わずビュフェの絵画を思い出してしまいました。
「菊を活ける勅使河原霞女史」(1966年) 草月会
晩年の深水はより人間の内面性に向かい、背景を取り払って人の表情を巧みに切り取った肖像画を描きました。
「婦女潮干狩図」(1929年)
またともすると深水の美人画にはどこかアクの強さを見出すことがありますが、それは単に美しい女性の表面だけでなく、人間の内面も包み隠さずに描いた深水だからこそ成し遂げ得た表現なのかもしれません。
風俗画家としての側面を知ると、日頃慣れ親しんだ深水の美人画がまた一味も二味も異なって見えました。
ちなみに深水が画家を志したきっかけとして、速水御舟の作品を見て感動したことがあったからだそうです。
今回、深水の珍しい風景画が出ていますが、そこには確かに御舟の影響を見ることが出来ます。そうした部分も発見の一つでした。
11月27日までの開催です。おすすめします。
「開館20周年記念展 伊東深水-時代の目撃者」 平塚市美術館
会期:10月22日(土)~11月27日(日)
休館:月曜日
時間:9:30~17:00
住所:神奈川県平塚市西八幡1-3-3
交通:JR線平塚駅東口改札・北口4番バス乗り場より神奈川中央交通バス 「美術館入口」下車、徒歩1分。または「日産車体前」下車、徒歩5分。JR線平塚駅東口改札・北口、または西口から徒歩約20分。
「開館20周年記念展 伊東深水-時代の目撃者」
10/22-11/27
近代日本画の巨匠、伊東深水(1898-1972)の画業を展観します。平塚市美術館で開催中の「伊東深水 時代の目撃者」へ行って来ました。
伊東深水といえば、師の鏑木清方、そして京都の上村松園と並び、言わば美人画の三巨頭として挙げられますが、今回の展覧会ではむしろ風俗画家としての側面に着目し、その業績を辿っています。
「鏡獅子」(1934年)
出品は本画、版画、スケッチを合わせて計100点です。回顧展としては申し分のない内容でした。
1898年に深川で生まれ、活字工として働きながら絵を描いていた深水は次第に頭角を表し、13歳になってから鏑木清方の門をたたきます。
展示もその頃、僅か14歳の時の作品から始まりました。
街中で腰掛ける新聞売りを描いた「新聞売子」(1912)からは、精緻な籠の描き込みをはじめ、早くも深水の完成された画力を見ることが出来るのではないでしょうか。このように深水は当初、労働者や貧困層の生き様を写すことに大きな関心を寄せていました。
初期の頃の作品を楽しめるのもこうした回顧展ならではのことです。
縦長の構図に釣り人を収めた「寒鮒釣り」(大正時代初期)は、寒々しいグレーの水辺をはじめ、セピア色の空など、どこか物悲しい風情を漂わせています。
「乳しぼる家」(1916年) 福島県立美術館寄託
また「乳しぼる家」(1916)など、後に鮮やかな色彩を駆使した『カラリスト深水』からは想像もつかないような静まり返った情景も、深水の知られざる一面を見せる一枚でした。
新版画の深水もまた魅力的です。深水は当時、一つ芸術運動であった新版画の制作に取り組み、全部で147点の作品を残しました。
今回はそのうちの20点ほどが紹介されていますが、主題も風景に人物と多様です。
半身をさらけ出し、鏡を見ながら眉に墨を入れる女性を描いた「眉墨」(1928)こそ、これぞ深水といえるような艶やかさを感じますが、羽子板を下から振り上げる様を表した「追羽根」(1938)の動的な構図には強く感心させられました。
そして時に官能的とさえ言える深水の美人画ですが、その最たる例として挙げておきたいのが、「髪」(1949)です。
髪を梳く二人の女性が描かれていますが、その右側の女性は頭を逆さにしながら上半身をあらわにしている為、乳房が大きく垂れ下がっています。
同じような髪梳き、また半裸の女性を描いた美人画は数多くありますが、これほどエロティックなものはないかもしれません。
また後方からの視点で、独特なフェティシズムを感じさせるのが、「宵」(1933)です。 涼しげな白い浴衣を纏った女性がこちらに背中を向けて寝る姿が描かれています。画面の一部にかかる簾の透け表現もまた見事ですが、あたかも鑑賞者が覗き見をしているかのような構図も印象的でした。
「皇紀二千六百二年婦女図(一部)」(1942年) 株式会社大和証券グループ本社
今回、深水の新出の作品が2、3点ほど出ていますが、とりわけ目立つのは「皇紀二千六百二年婦女図」(1942)と「海風」(1942)です。
タイトルが示すように、ともに国威発揚を意識させるような大作ですが、前者に登場する女性には深水が戦時下において考案したという服が着せられています。
「海風」(1942年)
また風に向かい指を示す女性の立ち姿を表した「海風」は、深水が志向した「力の芸術」を体現した作品と言えるのかもしれません。その迫力は圧倒的でした。
なお戦時下において深水は海軍情報要員として1943年、南方、主にインドネシアへと赴きます。そこで現地の人々を訪ね歩き、その風俗を約400枚ほどスケッチに残したそうですが、展示でも一部が紹介されていました。
さて浮世絵とは浮世を示すもの、すなわち現代を描くものであると考えた深水は、当時の最先端の社会を臆することなく日本画で描き出します。
洋装の女性が印象に深い「聞香」(1950)や、六曲一双の大画面に舞台の控え室で化粧などをする芸者を描いた「春宵(東おどり)」(1954)などからは、時にモダンである深水画の魅力を存分に味わうことが出来ました。
またモダン、時代への先どりという観点からは「黒いドレス」(1956)も忘れることが出来ません。
深水は洋画家から色面分割の手法などを学び、それを自作に取り込みましたが、この「黒いドレス」における極太の輪郭線はもとより、全体を覆う黄色がかった色彩の統一感は、明らかに日本画離れしています。思わずビュフェの絵画を思い出してしまいました。
「菊を活ける勅使河原霞女史」(1966年) 草月会
晩年の深水はより人間の内面性に向かい、背景を取り払って人の表情を巧みに切り取った肖像画を描きました。
「婦女潮干狩図」(1929年)
またともすると深水の美人画にはどこかアクの強さを見出すことがありますが、それは単に美しい女性の表面だけでなく、人間の内面も包み隠さずに描いた深水だからこそ成し遂げ得た表現なのかもしれません。
風俗画家としての側面を知ると、日頃慣れ親しんだ深水の美人画がまた一味も二味も異なって見えました。
ちなみに深水が画家を志したきっかけとして、速水御舟の作品を見て感動したことがあったからだそうです。
今回、深水の珍しい風景画が出ていますが、そこには確かに御舟の影響を見ることが出来ます。そうした部分も発見の一つでした。
11月27日までの開催です。おすすめします。
「開館20周年記念展 伊東深水-時代の目撃者」 平塚市美術館
会期:10月22日(土)~11月27日(日)
休館:月曜日
時間:9:30~17:00
住所:神奈川県平塚市西八幡1-3-3
交通:JR線平塚駅東口改札・北口4番バス乗り場より神奈川中央交通バス 「美術館入口」下車、徒歩1分。または「日産車体前」下車、徒歩5分。JR線平塚駅東口改札・北口、または西口から徒歩約20分。
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