「川瀬巴水 - 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 - 」 大田区立郷土博物館

大田区立郷土博物館(大田区南馬込5-11-13
「川瀬巴水 - 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 - 」
10/21-12/2



ゆかりの地で見る巴水版画の味わいもまた格別です。巴水が生涯の大半を過ごしたという大田区内、郷土博物館で開催中の「川瀬巴水」展へ行ってきました。ちなみに入場料は無料です。

ニューオータニ美術館での回顧展以来、巴水作品の登場機会が増えているように感じられますが、そのような中でもこの展覧会の価値はいささかも損なわれることがありません。と言うのもここ大田では、あまり他では紹介されない版画の下絵、つまりは肉筆の水彩作品がいくつも展示されているのです。多くの作品において、巴水の息遣いをそのままに残す水彩と、完成形である版画が隣り合わせになって置かれています。それらの見比べをじっくりと楽しむことが出来ました。

 
 
刷りの行程を分かり易く示すため、墨摺から完成までを9枚に分けて描いたという「木版畫順序摺 墅火止平林寺」も版画制作の理解を深めてくれます。これはあくまでも教示用ということで、実際の刷りの過程を再現したものではありませんが、それでもモノクロから陰影、さらには空の青が入り光の表現が加わり、最後には紅葉の朱が交じる過程を分かり易く見ることが出来ました。そしてもう一点、興味深いのは、『半下絵と色差』として紹介される「雨之夕暮」です。雨に濡れた長野山中の夕暮れを描いた水彩の下絵と、色の版を指定した何枚もの色差(*1)が一緒に紹介されています。まさに巴水の制作の道程をリアルに見る一点と言えそうです。

 

下絵としてではなく、独立した肉筆水彩画として描かれた「森ヶ崎の雪晴之夕」も、素朴な風情が詩心を誘います。光景は版画の「森ヶ崎之夕陽」でもお馴染みのものですが、この雪景はそれらとは別に、おそらくは特別に注文された作品としてただ一点だけ水彩にて表されたのだそうです。弱々しい光の差し込む冬空の元、しっとりと雪に濡れた川辺の雰囲気が何とも牧歌的でした。この儚さ、寂しさも巴水の魅力の一つです。



団扇絵の「巴水団扇絵十二景」も挙げたい作品です。そもそも巴水が団扇絵を描いていたことすら知りませんでしたが、七里ケ浜、それに奈良猿沢や十和田などの水辺が、淡い色調にて美しく表現されています。また団扇絵の一枚より、藍色に深い夜に染まる「姫路城」も印象に残りました。靡く雲に対峙して、威風堂々とその姿を披露しています。

巴水は鏑木清方門下として美人画にも自信を持っていたそうですが、大判の版画として唯一だという「ゆく春」も艶やかな一枚です。ふと手を髪にやるようなその控えめな仕草に、清方というよりも親交の厚かった深水の画風を見る思いがします。また、縦横1メートル四方はあろうかという屏風「お稽古」(仮題)も、『巴水=風景版画』のイメージを覆す作品かもしれません。三味線の稽古に勤しむ和装の女性が、斜め上から覗き込むかのようにして描かれていました。

大田区立郷土博物館は、浅草線の終点である西馬込駅より歩いて約10分程度の所にあります。(ほぼ一本道ですが、駅からの進入路が少し分かりにくいかもしれません。地図を持たれた方が確実です。)市民センターのようなつくりなので会場に趣きを求めるわけにはいきませんが、展示自体の充実ぶりや、図版というよりも資料として価値のある図録など、ご当地の画家巴水への愛情と自負を感じられるような展覧会でした。



もちろん巴水ファンには必見の展示です。12月2日まで開催されています。(11/25)

*1 いろざし。色を指定するため、墨線だけの版下紙「校合摺」(きょうごうずり)の一枚毎に、それぞれの色の部分を朱や墨で塗りつぶすこと。
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