「吉原治良展」 東京国立近代美術館 7/22

東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園3-1
「生誕100年記念 吉原治良展」
6/13-7/30



巨大な「円」の作品でも有名な具体派の画家、吉原治良(1905-1972)の大回顧展です。「円」だけではない吉原の画業を約190点の作品で概観します。「魚の画家」からアンフォルメル、そして「円」へ。その道筋が丁寧に示される展覧会でした。



私も吉原には「円」のイメージしかなかったので、彼があれほど多様な画風を見せていたことにまず驚かされます。初期の静物画における魚の存在感。窓辺に魚を置いた「燈台の見える窓辺の静物」(1928)や、水槽の中の魚を描いた「水族館」(1928)からは、その特異な、まるで干物のような魚の表現に目を奪われました。とても生気を欠いた魚たちの表情。同じく魚を描いた作品でも、水彩にて美しく表現した「スイゾクカン」シリーズとは対照的です。こちらは吉原の手がけた唯一の絵本と言うことですが、私には油彩の魚よりも魅力的に見えました。

「他人の影響があり過ぎる。」という藤田嗣治の言葉によって前衛画家への道を歩み始めた吉原は、早くも1930年代の頃から抽象画を描き始めます。この時期の作品では「窓」と呼ばれる作品と、いくつかのコラージュに惹かれました。また、この後にも見られる鮮やかなブルーの感触は、初期の静物画などでも出てきた色遣いに通じます。ただ、このような繊細な色の妙味は、晩年の「円」などでは殆ど見られません。彼のアンフォルメル期以前の色に少し惹かれていたので、この変化は少し残念にも思いました。



最後の「円」の印象が強烈だからでしょうか。吉原が具体へと進んでいく過程の作品には心に残るものがあまりありませんでした。もしかしたら私はいわゆる具体派を苦手としているか、もしくは見慣れていないだけなのかもしれません。一連の作品からは、彼が「具体」へどう取り組んでいき、さらにはどう表現するかという格闘の熱い痕跡こそ見られますが、結果として生まれた作品に惹かれるものが少ないのです。その意味で、最後の「円」は特別なモニュメントになっているのかと思います。あたかも具体を通り越して生まれたような「円」の美感は、ちょうどもの派を通り越して創作を続ける李禹煥の生み出したそれと似ている。新たな表現への格闘の道筋をなるべく消し去り、その場にどっしりと構える「円」の静けさ。そこでは、創作の緊張感よりも作品の静謐感が勝っています。ここに、アンフォルメル期以降にて初めて大きく感じられた吉原の魅力がありました。

具体派は関西主導の芸術運動だったということで、このリーダー格であった吉原の大回顧展は関東では初めてのことなのだそうです。今月30日までの開催です。
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