窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

人気Youtuberになるまでと、今後の飛躍ー第166回YMS

2024年07月11日 | YMS情報


 7月10日、NATULUCK関内セルテ 801にて、第166回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。3月から始まった「比較的若手シリーズ」の最終回、本当の若手、人気Youtuber、TikToker「金持ち一家」の永斗志善様にご登壇いただきました。



 テーマは、「発達障害が拓いたYouTube JAPANトップクリエイターへの道 〜生意気小僧を添えて〜」。2024年7月現在、YouTubeチャンネル登録者数215万人、TikTokフォロワー72万人。昨年度8月実績で再生数日本ランキング5位、登録者増加ランキング4位、総視聴数25.7億回(現在30億回に達しているそうです)を誇る5人組Youtuber「金持ち一家」になるまでの生い立ちと、SNS動画クリエイターとして成功するまでの紆余曲折、そしてこれからの展望についてお話しいただきました。

1.クリエイターとしての礎を築いた子供時代

 志善さんは東京吉祥寺生まれ。いわゆる発達障害と目される子供で、教室でじっとしていられず、気に入らないことがあるとすぐ癇癪を起す、興味のあることには飛びつくけれども、そうでないことはたとえ必要とされていてもやらない、そんなタイプだったそうです。父親は非常に躾の厳しい方でしたが、とにかく子供の好奇心を満たしてくれました。例えば、家族でキャンプに行っても、皿から匙から全て現地で手作り、食材も捕まえたものがなければ食べられないというような、徹底ぶりでした。その代わり、そこから子供は多くの知恵を吸収したことと思います。

 しかし、その父親が小学校6年生の時に他界。荒れた生活を送るようになります。比較的学業成績の良い中学校に通っていましたが、同世代の子供とは話が合わず、学校にも行かなくなり、話し相手は専ら大人に。受験も望めないので、高校は底辺私立校へ進学。絵に描いたような荒れた学校でしたが、ありえないようなことが日々起こる刺激的な環境で、居心地は良かったそうです。そのまま底辺の大学に進学しましたが、12単位しか取れず、卒業は絶望的に。そんな時、母親から舞台演劇をやらないか、という話が来ます。「失敗したら悲惨だけれども、もし成功したら面白い」と考えて受諾。この考え方はその後の人生の選択においても受け継がれているように思います。

2.舞台演劇を経てYoutuberに

 舞台演劇の世界では1000人規模の舞台やディナーショーなどに携わり、やがて運営を仕切るようにもなります。しかし、能力が認められ、出世した結果起こりがちなジレンマですが、クリエイティブな仕事からデスクワーク中心に。幼少期のお話から分かるように、刺激をエネルギーに変えるタイプだけに、舞台の世界を離れます。しかし、離れてしまうと自分には再就職の武器になるような学歴も何もない。そこで、歌舞伎町の夜の世界に身を投じますが、嘘と裏切りの世界に人間不信に陥り、その世界からも離れます。しかし、その時に出会った、優秀だがやはりどこかおかしい仲間たちとYoutubeとTicktokを始めました。

3.解散の危機。試行錯誤の末、人気Youtuberへ

 とはいえ、最初はズブの素人。言い方は悪いかもしれませんが、いろいろと耳目を惹くような長時間の馬鹿げた動画のために、収益もないのに自腹で出費を重ねる日々が続きます。動画作成は思ったよりも難しく、お金は出ていくけれども再生回数が伸びず。

 そんな日々が2年半も続いた結果、ついに仲間内で解散の話が持ち上がります。話し合いの結果、「1月1日から3月15日までの間にTicktokの登録者数が3万人に届かなければ解散」ということになりました。個性が強すぎ、一枚岩とはお世辞にも言い難いグループでしたが、2年半も無収益で続けてこられたのは、Youtuberであることよりも、それが一緒にいる理由になるから、理由が欲しかったと志善さんは言います。

 さて、背水の陣となり、2年半の反省から自分たちに長編動画は向かないと判断し、短編のノンバーバル(サイレントではないけれども、台詞より動きで魅せる)動画に切り替えます。動画を幾つか拝見しましたが、舞台の経験も大いに生きているのではないかと拝察します。短編動画を仮投稿として次々にリリース。その中から反応の良かった動画とそこそこに終わった動画を比較し、反応が伸びた要因と思われるものを次の動画に反映させました。しかし、それが必ずしも正解とは限らず、本当に何の変哲もないことが思いがけず成功要因になったりすることがあるということでした。そんな試行錯誤を繰り返し、約束の1月1日から新アカウントで再出発。結果は何と、3日で登録者数2万人達成という快挙でした。その後、100万回再生を超えた動画2回、約束の3月15日には登録者数10万人を突破、1年後には50万人に達していました。

 その頃、Youtubeにショート動画の機能が誕生し、TickTokの動画をYoutubeにも展開するようになります。最初は伸び悩みましたが、ある時一つの動画がヒットすると、その他の動画も伸び、トータルで再生回数1億回を超え、YoutubeのJapanランキングに名を連ねるまでに。

4.これから

 ノンバーバルの動画は言語に依らないため、年齢、性別、国境の壁を超えます。志善さんらの動画は、日本を越え、すでに東南アジアを中心に多くのファンを獲得しています。先日、第162回YMSで講師を務めていただいた海老名栄人さんとカンボジアに行った際、現地で多くの「動画を見ています」という人がいたそうです。

 さらに、培ってきた経験とノウハウを生かし、企業によるSNSを活用したプロモーションのコンサルテーションも行っています。その特徴は、企画から動画作成に至るまで、外部委託せず一気通貫して自ら行うという点です。言われてみればそうなのですが、再生回数という点では、SNSは効果測定がハッキリしていますし、無責任なことをすれば、本業の方が大打撃を被ってしまいます。そうした厳しさを担保に、自分たちを使って欲しいということでした。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

過去のセミナーレポートはこちら
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いろいろあって、また来たくなる生パスタの店ー凜じろう(近江八幡)

2024年07月11日 | 食べ歩きデータベース


 6月25日の夜は、以前ご紹介したひつまぶし「炭櫓」の向かいにある自家製生パスタとチーズケーキのお店「凛じろう」。炭櫓に行った際に目に留まり、次の機会に行こうと考えていたところです。

 ペペロンチーノ系、トマト系、クリーム系などのジャンルに様々な創作パスタが豊富に揃い、どれにしようか本当に決めかねました。迷いに迷い、「店長の大好物」と書いてあった「なめたけおろしとツナのレモンペペ」にしたのですが、この頃には胃の具合もほぼよくなり、大盛を頼みました。さっぱりとして、とても良い香りの割にニンニクはきつくなく、あっという間に完食。因みにレギュラーサイズのパスタが120gで大盛はその1.5倍とのことですので、180gあることになります。しっかり食べたい方には大盛がおすすめ。

 以下、その他のパスタをいくつかご紹介。本当にごく一部です。



 あさりと湯葉としめじの豆乳クリームソース。



 チョリソとまいたけのピリ辛トマトソース(大盛)。



 ナスとモッツレラチーズのトマトソース。モッツレラチーズが丸ごとのっています。



 海の幸のトマトソース(大盛)。



 生麩とエビの山椒マヨネーズ(大盛)。

 どれも美味しそうで、他の人の分まで食べてしまいたいくらいでした。また来たいですが、そうそうは来られないのが残念。

凜じろう



滋賀県近江八幡市音羽町26



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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4回101球、如何せん-日本プロ野球2024 横浜vsヤクルト13回戦

2024年07月10日 | スポーツ観戦記


 7月3日、2日連続で横浜スタジアムに横浜vsヤクルト(13回戦)を観戦しました。



 横浜の先発は、6月14日の西武戦以来の登板となる、濱口選手。ここまで1勝2敗。防御率はこの試合終了時点で2.67とさほど悪くないのですが、何しろ球数が多く、投球回あたり与四球・被安打数合計(WHIP)も1.52ととにかく高い(1位の戸郷投手は0.87)。したがって、リズムの悪い投球が目立つのが難点です。残念ながら、久しぶりの登板となったこの日も、それを絵に描いたような内容になってしまいました。



 まず立ち上がり。先頭の山田選手をわずか2球でサードゴロに仕留めたのは良かったのですが、つづく西川選手に、詰まりながらもセンター前に運ばれます。



 宮本選手をピッチャーゴロに討ち取り、2死としますが、村上選手に早くも四球を与え、2死2塁・1塁。しかし、サンタナ選手は牧選手のファインプレーによるセカンドゴロで無失点。1回に要した球数23。濱口投手の今シーズンの平均が17.9であることを考えるとやはり多いですが、それでもこの試合ではまだマシな方だったのです。



 一方、ヤクルトの先発は昨年プロ初勝利を挙げた4年目の山野投手。その立ち上がりから、横浜打線が襲い掛かります。



 まず先頭の桑原選手が、前日の試合を再現するかのような、ライトライン際に落ちる二塁打で出塁。



 前日の試合猛打賞の渡会選手には死球。



 オースティン選手は痛烈なサードライナーに倒れますが、4番の牧選手がど真ん中のスライダーをレフトスタンドへ。どうしてど真ん中に入るスライダーを2球続けたのか分かりませんが、とにかく早くも3点を先制。まだ1死でしたが、宮﨑選手と佐野選手は凡退、0vs3で初回を終えます。



 ところが、この勢いを濱口投手の投球が帳消しにしてしまうのです。2回表、早々に2ストライクに追い込みながら、長岡選手にセンター前ヒット。



 不振でこの日打順を7番に下げたオスナ選手の時に、フォークボールがワンバウンドする隙にすかさず盗塁。伊藤(光)捕手の肩も狙われていたように思います。



 そのオスナ選手はレフトフライに倒れますが、松本選手がカウント2-2から何と8球ファウルで粘った末、13球目をレフト前に運びます。1死3塁・1塁。そして、山野投手。カウント1-1、浅い回とはいえ、スクイズは十分考えられたはずですが、これをあっさり決められ、1点を返されます。



 そして山田選手にも3球ファウルで粘られているうちに四球。つづく西川選手は浅いセンターフライ(これも桑原選手の守備力に救われたように見えましたが)に討ち取り、1点で食い止めますが、この時点で球数は早くも63球。つまり、2回表だけで40球を投じたことになります。この試合、最終的に勝ち越しを許したのは9回の森原投手でしたが、観戦していて、ターニングポイントは2回表にあったように感じました。つまり、早くも流れはヤクルトに傾いていたのです。



 3回表。先頭の宮本選手をピッチャーゴロに討ち取るも、次の村上選手にはセンターに弾き返されます。



 サンタナ選手にはレフトに2塁打を浴び、1死3塁・2塁。そして、長岡選手セカンドゴロの間に村上選手が生還。2vs3。この回は15球で終えました。ここまで78球。



 4回表。先頭の松本選手に四球。



 山野投手は送りバント失敗だったのですが、つづく山田選手の打席の時に伊藤捕手のパスボールで2塁に進塁します。山田選手はフルカウントから7球目で三振。2死までこぎつけたと思ったら、西川選手にまたも四球。



 宮本選手をセンターフライに討ち取り、無失点で終えましたが、4回表で球数は何と101球に達しました。四球、パスボール、四球…。



 一方、打線も2回以降は4回佐野選手の2塁打のみ。追いつかれるのは時間の問題だったのです。



 横浜は5回表、2番手のディアス投手が気合の入った投球を見せます。これに打線が応えて欲しかった…。



 6回、7回は京山投手が登板。



 7回表、先頭の山田選手を四球で歩かせてします。



 西川選手のバントで1死2塁となったところで、横浜は4番手坂本投手が登板。



 宮本選手を三振に討ち取り2死までこぎつけましたが、村上選手に打たれてしまいました。ついに同点。



 横浜は結局7回まで山野投手に手も足も出ず、初回と4回の計4安打に終わりました。さらに2番手の大西投手の前に8回裏も三者凡退。



 こうも打てなければ、勝てるわけもなく。仮に延長戦に入っていたとしても結果は恐らく同じだったでしょう。9回表、横浜は6番手で抑えの森原投手が登板。山田選手をショートゴロ、西川選手を三振と順調に2死まで来たのですが、



 宮本選手がセカンドへの内野安打で出塁。



 代走の並木選手が、村上選手3-0となったところですかさず盗塁。しかし、スライディングがオーバーランで、確か牧選手のフェイクのタッチだったと思うのですが、ベースに左手をついた際に肩を脱臼。そのまま退場となってしまいます。代走の代走は丸山選手。村上選手は結局申告敬遠で2死2塁・1塁。



 そして迎えたサンタナ選手。カウント1-2と追い込んだのですが、昨日から再三あったライトライン際への2塁打を打たれてしまいます。2者生還し、ついに5vs3とヤクルトが勝ち越し。



 最後は、木澤投手の前に、オースティン選手が1安打を返すのが精一杯。しかし、大勢は2回、遅くとも4回でほぼ決していた。僕はそのように感じました。

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近江商人屋敷を改装したお蕎麦屋さんー日野守貞(蒲生郡日野町)

2024年07月09日 | 食べ歩きデータベース


 6月25日のお昼は、近江商人屋敷を改装したお蕎麦屋さん、日野守貞へ行ってきました。日野は、蒲生家の転封後、まずは日野椀、そして後に薬の行商で栄えた日野商人の町。



 こちらは明治時代の呉服商の屋敷を改装したお店。訪れたそば処の他、ギャラリーやカフェなどもあります。



 店内2階には、「福地興兵衛(商店)」の看板がありますが、福地興兵衛は現在も日野に「福地製薬株式会社」として残っており、同社HPによると、昭和17年に「福地與兵衛(商店)の名称の下で、樺太・台湾・朝鮮・満州に対し直接輸出を行う」とあります。

 

 内装はラジオ、蓄音機などのアンティークがあり、大正末期から昭和初期の雰囲気です。以前ご紹介した、同じく古い邸宅を改装したお店「膳處漢ぽっちり」より、和のテイストが強いです。入口の際には五右衛門風呂もありました。業務で使われている電話も昔ながらのベルが鳴る黒電話で、雰囲気を大切にされています。



 さて、本当は冒頭の写真のひめいなりと天ぷら、蕎麦がセットになった「ひめ御膳」が目当てだったのですが、この日は朝から胃の調子が悪く、とても天ぷらは食べられなかったので、爽やかな酢橘そばにしました。お店で手打ちされた非常に細切りの蕎麦は固めに茹でてあり、それが冷たい蕎麦にしたためにさらに締まっています。のど越しが良く、とても美味しいです。量は少なめ。

 次回はぜひ「ひめ御膳」を。そして、もう少しゆっくり見物しようと思います。

石挽そば 守貞



滋賀県蒲生郡日野町村井1365



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磯子の星、三連勝!-日本プロ野球2024 横浜vsヤクルト12回戦

2024年07月08日 | スポーツ観戦記


 7月2日、横浜スタジアムに横浜vsヤクルト12回戦に行ってきました。前回観戦の5月22日の試合で広島に敗れた際、「シーズンの分水嶺となったかもしれません」と書きました。つまり、何とか首位と3.5ゲーム差の4位と何とか堪えていたものの、この敗戦によってズルズルと沈んで行ってしまうのではないかという予感がしたのです。結果はその後2勝3敗で5月を終え、6月に入り交流戦序盤は4連敗を含む2勝5敗、首位と5ゲーム差の5位に沈みました。さらに悪いことに、先発の中川(颯)投手、石田(健)投手が相次いで離脱。しかし、その非常事態で白羽の矢が立った、ドラフト5位ルーキーの石田(裕)投手がまさに救世主となります。

 地元横浜市磯子区出身、誕生日も僕の子供と2週間ほどしか違わない石田投手、何と初登板で圧倒的な力でパリーグの首位を独走し、ベイスターズも連敗しているソフトバンク相手に初勝利を納めます。チームはそこから怒涛の7連勝、その7勝目も石田投手が登板し、今度は100球以下の完封勝利(マダックス)を達成します。チームは6月を13勝8敗で乗り切り、首位と3ゲーム差の2位に浮上しました。石田投手の登場によって、チームの雰囲気が変わったのは、恐らく間違いないでしょう。



 その石田投手は6月16日に2勝目を挙げると、登録抹消。2軍でじっくりと調整期間をとり、この日3度目の先発登板に臨みました。既に人気もうなぎのぼり。注目の立ち上がりですが、先頭の丸山選手を何と三球三振に討ち取ります。続く宮本選手にはヒットを打たれましたが、後続を断ち上々の立ち上がり。



 一方、ヤクルトの先発は2年目の吉村投手。観戦していてもストレートの良い投手だと感じました。その吉村投手は渡会選手と牧選手にヒットを浴び、2死3塁・2塁のピンチを作りましたが、無失点で初回を終えました。



 試合が動いたのは2回裏。1死から山本選手が8球粘り、泳ぎながらもレフト前にヒットで出塁します。



 すると続く京田選手が、ライトのライン際ギリギリのところに落ちる二塁打を放ち、1死3塁・2塁。



 石田投手が三振に倒れ、2死となりますが、1番に返って桑原選手は死球。これで満塁。



 ここで第1打席もセンター前にヒットを放っている渡会選手が、今度はレフトライン際に2塁打を放ちます。これで走者2人が還り0vs2。



 4回裏。先頭の京田選手が7球粘ってセンター前にヒットを放ち、出塁します。



 石田投手は三振に倒れますが、続く桑原選手がまたもライトライン際に飛球。ライトの宮本選手がスライディングキャッチを試みますが、捕れず。これで1死2塁・1塁。



 すると、既に2安打を放っている渡会選手が、フォークボールを上手く掬い上げ、打球はライトへ。宮本選手が懸命に前進しますが、捕れず。ポトリと落ちた打球が右に逸れている間に、2塁走者の京田選手が生還。0vs3。



 続くオースティン選手は、真ん中からやや内側に入って来たツーシームを弾き返します。打球は詰まっていましたが、ショートの頭を越え、レフト前へ。2塁走者の桑原選手が還り、0vs4。



 まだ止まりません。牧選手はライトフライに倒れ2死となりますが、宮﨑選手が四球で満塁。すると、佐野選手がど真ん中のストレートを叩きつけます。またもライン際、一塁手の村上選手が飛びつきますが、捕れず。打球がライトファウルゾーンを転々とする間に、渡会選手、オースティン選手が生還。この回で一挙4点を挙げ、0vs6。なおも2死3塁・2塁のチャンスでしたが、山本選手は三振で追加点ならず。6点差とは言え、後ろがやや不安な今年のベイスターズ、とれるところで1点でも多く点は取っておきたいところでした。



 5回表。ここまで無失点に抑えてきた石田投手が、下位打線に捕まります。1死から中村選手が詰まりながらもライト前に運び、出塁します。続く代打西川選手には、フルカウントから四球。1死2塁・1塁。



 丸山選手はライトフライに討ち取り、2死までこぎつけたのですが、宮本選手に初球をライト前に弾き返され、2死満塁。



 そして、警戒しなければならないオスナ選手に真ん中やや低めのストレートをレフトへ運ばれ、2者生還。2vs6。それでも、この回は2点に留め、勝利投手の権利を得ました。



 さて、6回裏、ヤクルトは2番手として2018年ドラフト1位の清水投手が登板します。



 2点差に追い上げられた、大事な攻撃。8番からでしたが、この試合既に2安打を放っている京田選手が、三塁手村上選手の悪送球で出塁します。



 横浜は石田投手に替え、代打梶原選手を送ります。すると梶原選手は初球を叩き、レフトフェンス直撃の二塁打。無死3塁・2塁で上位打線に返るという大きなチャンスを迎えます。



 ところが、桑原選手、珍しく7球粘りましたが、あえなく三振。つづく猛打賞の渡会選手もキャッチャーフライに倒れ、あっという間に二死。それでも、つづくオースティン選手が四球で出塁し満塁となったのですが、牧選手がショートゴロで無得点。やはり、とれるところで取っておかないと…


 
 流れが相手に行ってしまうのです。6回表、横浜は2番手京山投手が登板。



 とにかく避けなければならないのは先頭打者の四球なのですが、ここまで良いところのなかったサンタナ選手を四球で歩かせてしまいます。



 すると、長岡選手がレフト前ヒットで出塁し、無死2塁・1塁。



 続く山田選手はショートゴロだったのですが、セカンド牧選手が1塁に悪送球。ボールがカメラマン席に入ってしまい、サンタナ選手が生還。山田選手は2塁へ。3vs6。



 さらに、中村選手がこの日3安打目となる、3塁手宮﨑選手強襲のヒットで出塁。2死3塁・2塁。



 ここで横浜は3番手坂本投手が登板。



 しかし、西川選手に犠牲フライを打たれ、4vs6の2点差に。



 6回裏、ヤクルトは3番手石山投手が登板。



 その石山投手を攻め、横浜は1死から佐野選手が何と10球目をレフト前に運び出塁。



 続く山本選手は一転して2球目ほぼ真ん中の球をレフトに弾き返し、1死2塁・1塁。



 京田選手は倒れますが、続く代打の戸柱選手が珍しい三振振り逃げで出塁。2死満塁とします。



 しかし、桑原選手、強烈な当たりではありましたが、初球をレフトフライ。またしても押し切れず。こんな具合で中盤は横浜が攻めながらも攻めきれず、その間にヤクルトがじりじりと追い上げる展開。

 終盤は両チームの投手が踏ん張り、結局このまま試合は4vs6で横浜が勝ちました。僕にとっても今季観戦初勝利。石田(裕)投手の初登板から3連勝は非常に嬉しいですが、とてもではありませんが、楽に観られたというような試合ではありませんでした。再三言うように、とれるところでとれないと、いくらチーム打率1位とは言っても、この先苦しいのではないかと思います。

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松阪牛のホルモンが食べられる唯一の店-たこやん(松阪)

2024年07月05日 | 食べ歩きデータベース


 6月24日の夜は、こちらも初めての松阪で焼肉でした。昭和29年創業の老舗「たこやん」さん。名前はたこ焼き屋のようですが、たこ焼きは出てきません。



 A4・A5ランクの松阪牛を七輪で焼くスタイル。

 

 上質のお肉はもちろんなのですが、このお店では新鮮な松阪牛のホルモンが食べられます。地元の方によれば、松阪牛のホルモンを出すのは、松阪でもこのお店だけになってしまったのではないかとのことでした。

焼肉 たこやん



三重県松阪市京町1区16-2



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野球を通じて学んだことー高木豊氏講演メモ

2024年07月04日 | 講演メモ


 7月2日、元横浜大洋ホエールズの内野手で野球解説者の高木豊氏のお話を拝聴する機会がありました。80年代に少年期を過ごした大洋ファンの僕にとって、高木選手はまさにヒーローでした。お話しの中にも出てきた、チームメイトのジム・パチョレックと首位打者を争った1990年シーズン、高木選手が6年にわたり対大洋戦14連勝を続けていた巨人の斎藤雅樹投手から9回逆転2ランを放った際には、余りにも嬉しくて、翌日のスポーツ新聞を各紙買い集めた思い出があります(2度目は1998年の日本一達成時)。冒頭の写真は、今でも持っている横浜大洋ホエールズの下敷き(1989年)で、上段左から2人目が高木選手です。前置きが長くなりましたが、ここでは、ご講演の中で印象に残ったことを思い出しながら取り上げたいと思います。

1.普段やっていないことは出せない

 2003年、アテネ五輪アジア予選の初戦のことです。史上初めてプロ選手のみで代表が構成され、勝利が当然視される重圧の中、どうしても先取点が欲しい場面。先頭の松井選手が死球で出塁し、続く宮本選手には当然送りバントと選手も三塁コーチだった高木氏も思っていたのですが、長嶋監督からは一向にサインが出ません。訝しく思いながらも宮本選手はライト前にヒット。結果的に初回は無得点だったのですが、後の振り返りでなぜバントでなかったのかを聞かれた長嶋監督はこう答えたそうです、「打撃練習の中で、バントの占める割合は5%もない。極度に緊張している場面では、普段やっていることしかできない」。確かに、柄にもないことをやって失敗でもすれば、チームはさらに委縮してしまったかもしれません。「まずは選手の緊張を解くこと」を優先した長嶋監督の深謀遠慮でした。

2.「心の和」は、選手の技量と同じくらい重要

 つづく台湾戦。この試合では、壮行試合の時から不振に喘ぎ、チームとして17安打を放った中国戦でも4打数0安打(2四球)だった小笠原選手を3番から8番に下げました。その小笠原選手が第1打席、当たりは決して良くなかったものの、ついにセンター前へ落ちるヒットを放ちました。すると選手全員がベンチを飛び出して大騒ぎ。苦しむ小笠原選手を見ていたからこそですが、高木氏は「この1打でチームが一つになった」と言います。その結果、強敵台湾を相手に16安打、0vs9で勝利しました。小笠原選手は第3打席でもヒットを放ちました。翌韓国戦は6安打、2vs0でしたが、「負ける気はしなかった」というほど、心に余裕があったそうです。当初チームとしてまとまりがなく、壮行試合に敗れるほどでしたが、同じ力量でもチームに心の和があるかないかで、パフォーマンスは全く違ってくるということです。

3.共通点を見出す、間接的に褒める、イベントを使う

 高木氏がコーチとしてある選手とマンツーマンで練習していた時のこと。その選手は他人になかなか心を開かない性格でしたが、心掛けていたのは、①共通項を見出し、それを話題にする、②褒める時は第三者を通じて間接的に褒める、そして③(誕生日など)イベントを疎かにしないことだったそうです。因みにその選手はその後、チームの主力に成長しました。高木氏はYoutubeチャンネルでもゲストの話を引きだすのが上手だと感じますが、コーチ時代のやり方と通じるものがあるように思います。

4.「素直な心」こそすべて

 高木氏が、シーズン前半でスランプに陥っていた時のことです(打率2割6分で不振とおっしゃっている点から、高木選手がどれだけ一流だったかが窺えます)。体調は悪くないのに、なぜか打てない。そんな中、休みの日に何気なく剣道8段の昇段試験に挑む方のドキュメンタリーを見ていたそうです。その主人公は過去2度8段挑戦に失敗しており、今回が最後と決めていたそうです。そして技量ではなく、論文審査でいつも落とされていたとのことでした。3度目の挑戦で、その方は「今までは想像で論文を書いていた。自分の心で書いていなかった」と悟り、素直な気持ちで論文を書き上げたそうです。その時その方が、「自分の弱さを認め、素直な心で見れば相手の剣先が見えてくる」というような趣旨のことを発言した時、高木氏はハッと悟るところがあったそうです。気がつけば、寝転がっていた自分が正座してテレビを見ていたと。

 気づいたのは、選手として円熟し、チームの中心として富も名声も得た中で、知らず知らずのうちに人を見下すようになっていたということでした。毎年のように3割を打つ高木選手に、相手投手は当然弱点を研究し、そこを突いてくるわけですが、その苦手なゾーンに来た球ばかりを打ち返してやろうとしていたことに気づいたのでした。しかし、弱点は打てないからこそ弱点なので、その結果不振に陥っていたという訳です。

 そこで弱点は弱点として受け入れ、素直な心で見た時、相手投手も投げ損なうことはあるのではないかということに気づきました。ならば、投げ損ないの苦手ゾーンから外れた球を打てばいい。そうしてみると、投手というのは驚くほど投げ損なうということが分かったそうです。その球は苦手ゾーンを外れていますから、打てる確率は高まります。その結果、シーズン終了時に自己最高打率を残すことができたということでした(確か、.333だったのではないかと記憶しています)。

 現在、高木氏の3人の息子さんはいずれもプロサッカー選手として活躍されています。野球とサッカーで高木氏は当然子供たちに教えることはできないけれども、「絶対に偉くなるな、常に素直な心でいるように」と助言しているそうです。

 以上ですが、「野球を通じて学んだこと」とは、心のことだったと結論できると思います。講演会場でも高木氏は聴衆である我々の心を掴み、惹きつけるのが非常に上手だと感じました。少年時代からのファンだった僕などはなおさらです。

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B級グルメ「とんてき」を食べに-隆座(四日市)

2024年07月03日 | 食べ歩きデータベース


 6月24日、初めての四日市です。三重県自体も、35年前に修学旅行で伊勢神宮や姉妹校の鳥羽商船学校を訪問して以来かもしれません。その目的は、ただランチのため、ご当地グルメの「とんてき」を食べること。

「とんてき」はその名の通り、豚ロースのステーキ。こちら「隆座(たかくら)」さんは有名なようで、開店時間の11時に到着した時にはすでに並んでおり、駐車場もいっぱいでした。駅から離れているため、皆さん車で来られる割に駐車場が小さいので、この点は注意が必要です。

 とんかつも有名だそうですが、まずは「とんてき ロース シングル」から。ご飯は付けず、代わりにチーズをトッピングしました。ご覧の通り、山のように盛られたキャベツが目を惹きます。しかし、これでも普通の分量だそうで、かつては「キャベツタワー」というさらに山盛りのオプションがあったようです。昨今のキャベツ高騰の影響なのか、来店した時にそのオプションはありませんでした。

 それでもこれだけキャベツがあればさっぱりと食べられるかと思いきや、皿の底にとんてきを焼いた醤油と脂がたっぷりと溜まっているので、これを絡めることにより、十分な食べ応えのある一皿となります。さらに、ニンニクがゴロゴロ。しかし、十分火が通っているので、臭みもなくほくほくとして、昼でも安心して食べられます。

 これでも一番小さいサイズなので、物足りなく感じられる方は、セミダブルなどをどうぞ。

隆座



三重県四日市市赤堀2-6-8



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2024年6月アクセスランキング

2024年07月01日 | 人気記事ランキング


 7月はナカノ株式会社の創業月。1934年(昭和9年)に横浜市中区伊勢佐木町7丁目にて創業、90周年を迎えました。ここまで来られましたのも、皆さまの一方ならぬご支援の賜物と深く感謝申し上げます。

 さて、2024年6月にアクセスの多かった記事、トップ10です。前月に続き、6月もそこそこ更新することができました。その中で、6月も地元のお店の話題、「近くにできたハンバーグ屋さんに行ってきましたー万平食堂(吉野町)」が前月に続き個別記事でトップとなりました。お隣の「下町に咲いた素敵なイタリアンーオステリア 小川製麺所(吉野町)」も前月に続きランクインしています(9位→5位)。

 定番記事では、「Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子」が戻ってきました。

3位:「上田和男さんバーテンダー歴50年を祝う会」に参加してきました(2ヶ月連続)
4位:Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子(2ヶ月振り)
7位:久村俊英さんの超能力を目撃してきました(48ヶ月連続)

1 トップページ
2 近くにできたハンバーグ屋さんに行ってきましたー万平食堂(吉野町)
3 「上田和男さんバーテンダー歴50年を祝う会」に参加してきました
4 Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子
5 下町に咲いた素敵なイタリアンーオステリア 小川製麺所(吉野町)
6 今年も事例発表三本立てー第64回燮(やわらぎ)会①
7 久村俊英さんの超能力を目撃してきました
8 ランチで並ぶのも納得-芳すし(関内)
9 こちらは横浜の町中華ーCook Face(羽衣町)
10 くぼたとくぼたくぼたへいくー三代目くぼた(東神奈川)

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
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