老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

Ma May 通り

2009-08-16 01:52:54 | カーブ
ハノイの通りはワリとまっすぐなのが多いのだが、その中にところどころ曲がった道があって、それらが隠し味的に街の奥深さというか、終わらない感じのようなものをカモシ出している気がして、で、かつてY字路ばっかりを絵に描いて、その二つの分かれた道の先にあるものとか、あるいは、二つの道が合流するその1点から、ワレワレはどこから来たのかと思い巡らさせる、そのように道を単に道としてではなく、もっとメタフィジカルな、時間と空間が一緒になった川のようなものとして表現した横尾忠則センセにならって絵にしていこうと思いついてこれが第1作。別にクソ暑いなか、道端でイーゼル立ててかいたわけじゃない。

マーマイ(Ma May)通りは前にも書いたが古い民家を保存して公開しているのがあったり、西欧人の旅行者が集まるカフェがあったりして、旧市街の中では比較的洗練された感じがする通りで、西のほうからHang Buom通りを、この前書いたBit Tet Ongloiの先に進んでいくと南のほうに緩いカーブで90度曲がったところがあり、その先にそういう文化的な雰囲気が広がっていく。その手前がこの風景。カーブの先に少しだけ別の世界が広がっている感じが伝わってくる?ような、こないような。
実際は通りにはヒトがウジャウジャいてそのすき間をバイクの群れが走り抜けていくのだが、そういうモノが一切なかったらどんなだろうと思って絵にはかかなかった。あえてそういうモノを消している。時間と空間の流れの中でヒトやバイクは形を持たず電気信号のように瞬間移動していて、1000年の歴史を持った街だけが実在として陽の光を受けている、、ジブンで解説するのもなんだが。


こんなことを始めたのも毎日イロイロ疲れることばかりで、アドレナリンが2リットルくらい出まくっている感じで、それが絵をかいている間は忘れることができるんじゃないかと思ったから。治療のようなもの。次はもう少し、、犬くらいかいてもいいか。

とうがらし屋

2009-08-14 23:24:49 | ベトナム
長い1週間が終わったかと思ったらあしたもシゴトで土曜出勤は7週連続。ま、たいしたことはない。コッチで1日遅れで配達されるニッケイ新聞のきのうの第1面にベトナム新幹線のことが出ていて、マジかよ、みたいな。この街も確実に変わっていく。いつか東京みたいな薄っぺらな建物で埋め尽くされるとしても、食べるものが変わらないかぎりこの臭いは簡単には消えない。東京も臭いところは本当に臭い。東京フォーラムの皇居側とか、いつもヘドロの臭いが漂っている。

ニッポンが休みで、ヒマつぶしでメールを送ってくるヤツがいないのはありがたい。今日はこっちのスタッフに3日間好きな日に休みをあげるから休みな、と言ったら、そんなことが世の中にあり得るのか、みたいな顔してびっくりしていたが、来月からジゴク的な忙しさが始まるのでその前の最後の休み、みたいな。あしたから青雲高校の野球部コーチになる前の日の星一徹的心境。ワタシ的には月末に選挙と芝居で帰る。

写真はこの前散歩したハノイ旧市街で一番大きなドンスアン市場の、場外、っていうか、別に場内も普通に入れるのだが、外の通り沿いにテント張って店を開いている内の一軒。とうがらしとかニンニクとかショウガとか、そういうものを籠に入れて並べて売っている。とうがらしは3種類。どれくらい辛いものかは不明。とうがらしにこんなに種類があるのも知らなかったし。

週刊誌

2009-08-13 17:38:53 | 風景
きのうは朝8時からオザシキ3件。ほとほとツカレタ。夜にニッポンからの出張者を送り帰して、カレ等はあしたからボン休みだと。何ソレ? コッチにはおボンもないし9月の5連休!?とかもないし、、なにしろ元日と旧正月の休みを除くと祝日は年に4日しかないからひたすらカレンダーどおり。ニッポンの休みの多さはハタから見ると異常なくらいだが、実態はそれだけジブンの判断で休めない不自由なクニというだけかもしれないけど。

で、眠くて9時頃寝たら夜中の1時に目がさめて、もうこれは朝の5時まで眠れないパターンだと思って出張者が置いて帰った週刊ブンシュンと週刊アサヒを家で見ていたら一番印象に残った記事はブンシュンのオカダ奈々チヤンが今でも十分かわゆいという話。中3の時にヒトツバシ大学の学園祭でオカダ奈々チヤンとわずか50cmの距離ですれ違って、その瞬間に思いっきり息を吸い込んだことを覚えている。50歳でかわゆいってどんな感じかと。

あとはアサヒのホリエモンが電子マネー使ってますみたいなコラムの中で、チカンのえん罪が怖くて電車に乗らないとか書いてあって、さりげなく今も上告中の裁判が同じようなえん罪だと言いたいような雰囲気が伝わってくるあたり。同じく室井佑月サンのコラムは「しがみつく女」という題で、テレビのBPO、放送倫理・番組向上機構とかいう不気味な団体のことを書いている。最近はテレビの台風中継がなくなってつまらなくなったのはBPOのせいで、世の中のそういう自主規制の動きみたいなのは一体だれが何をしようとしているのか、みたいないかにもアサヒ的なコラム。

ブンシュンのほうは題名で一発笑いをとらずにいられないようなところがあって、近田はるおセンセのは「考えるヒット」で大宮エリーちゃんのは「生きるコント」。解説するとそれぞれ「考えるヒト」と「生きるヒント」をもじっている。内容的には近田センセのは相変わらずかなりギョーカイ的な音楽バナシで大宮えりーちゃんのは自己崩壊の過程を明るくさわやかに書いている。ほかに竹内久美子サンという「動物行動学研究家」がマイケルジャクソンの色白は病気か?みたいなはなしで若干興味深かった。

あとのほかの大部分はどうでもいいような記事ばかりで、週刊誌というのはいまさらながら中途半端なメディアだと、、もっとニンゲンのナマの欲望に迫るような、性ヨクでも食ヨクでも虐待ヨクでも、そういうところから選挙のこととかも突っ込んでほしいと思ったりして。名古屋のカワムラ市長がおもしろいのはそういう部分がいかにもハゲしそうに見えるからだと思うのだが。ソレに比べるとモリタ健作とか、まったくからっぽでなんの役にも立たないってブンシュンに書いてあったが突っ込みが全然足りない。

ジャックフルーツ売り

2009-08-12 01:04:27 | ベトナム
通りがかって見たときはてっきりドリアンだと思ったのだが、、家に帰って写真をよく見たらコレはジャックフルーツではないかと。どうして間違えたかと言えば、ドリアンってコッチではいくらでも道端で売っているので、それを皮をむいて、食べやすいようにして売ったりするおばさんがたまにはいてもいいんじゃないかと思ったから。とはいってもワタシ、ドリアンという、モノの本によれば玉ねぎの腐敗臭、あるいはジサツする気も失せる都市ガスの臭いに似ているという、想像もできないくらいクサイ食べ物を生まれてから一度も食べたことないから、思わず息を止めて写真を撮ってしまった。

においのクサイ、とはあえて言わず、強烈な食べ物と言えば、好きなヒトは青カビが生えていても平気で食べるチーズとか、鮨で魚を何ヶ月間も発酵させて、ほとんど腐ってるんじゃないかというのを食べる「鮒鮓」とか、あとはクサヤが名前通りクサイらしいがどれも食べたことがない。世の中にはヘンなヒトがいて、こういう発酵食品の臭さを機械で測って順位を付けたヒトがいて、ソレによればこんな感じ。チーズなんて臭いうちに入らないのか。。

納豆が野球部の練習後のストッキングより臭いかどうかは議論のあるところだと思うが、ドリアンは発酵食品以外の食べ物でいえば間違いなくベストテンに入るであろう。
すっかり話題がジャックフルーツからそれた。外見だけで臭いかどうかを判断してはいけない一つの例。

ロンビエン駅

2009-08-11 00:47:19 | ベトナム
日曜はクソ暑い中、半日市内を散歩。ニッポンからの出張者の付き合い。やってらんねー。。汗が2リットルくらい出て、顔が干物のように干からびた。
ただジブンの行きたい所だけいろいろまわって、おもしろかったのはこのロンビエン駅とそこから延びるロンビエン橋。ちょうど北のほうに行く列車が駅に入ってきたが駅のホームは3両分くらいしかなく、大部分の車両は駅の手前でひたすら待ってる感じ。というのもココはハノイ駅からすぐのところで、東京でいえば東京と有楽町くらいの位置関係にあるのでハノイ発の長距離列車に乗ってロンビエンで降りるひとはいないわけだから全然問題なし。

ロンビエン橋は1898年頃にフランス占領下で作られた。エッフェル塔のエッフェルが設計したという説もあるが定かではない。アメリカによる侵略戦争中は何度も爆撃を受けて破壊されたが、そのたびに修復されて今の形になっている。角々の鉄骨トラスが特徴的で近くで見ると錆が相当進んでいる。
そこを列車とバイクの群れがひっきりなしに通るのでいつ崩壊してもおかしくないと言われているが通行止めになる気配はない。人が歩く部分には暑さ3cmくらいの信じられないくらい薄っぺらいコンクリート板が敷いてあって、中に鉄筋、というか金網というか、そういう補強が入っているのは確認できたが、向こうから肥満の欧米人のカップルが来たときは、思わず同じ板に同時に乗らないよう気を付けた。

こんなクニだからいつ死んでもおかしくないような、、そういうスリルだけはある。

エビ・カニ・ハト

2009-08-08 10:46:25 | ベトナム
今頃のりぴーは世間という巨大な拷問に耐えながら、山奥のひなびた温泉に隠れ住んで風呂掃除でもしているかと思うと可哀そうでならない。
そのことがアタマを離れず食欲もないまま晩ご飯は旧市街の路地裏の、細く曲がりくねった、まさにロング・アンド・ワインディング・ロードを抜けてたどり着いた、知る人ぞ知る、ローカル・エビ・カニ料理の名店、Bit Tet Ongloi。

ハノイの旧市街を歩いていると道に面して何mおきくらいに幅1mくらいの口が開いていて、その先をのぞくと2、30mの路地が続いていることがある。果たしてコノ路地の先にはどんな世界が広がっているのかと思いながら、一人で入って生きて戻れなかったら困ると思って今まで入らずにいたのだが、今日のこの店がまさにそんな路地の先に、蛍光灯のカンバンだけが人々を誘うそういう店だった。
で、中に入ると入り口わきにおばさんが何人もいてハトを丸ごと揚げていたりカニを叩き潰していたりして、その先の空間には多くのヒトがうごめくようにテーブルを囲んでひたすらしゃべり、食べている。コレは25年前にベネツィアに行って、路地に迷い込んで一軒の店のようなところに入り込んだら、ソコの広間の大きなテーブルの上に羊が仰向けに寝かされて、白熱電球の下で3、4人の男たちが毛を刈っている、あの時のように、半分夢の中のような、これが現実かと思わず目をこすらずにいられなくなるようなアンリアルな光景だった。

で、最初に食べたのはこのエビとナマズのスープ。パンの揚げたのが浮かんでいる。パクチーの味が微妙に口の中で広がって絶妙。次にカニの辛いソースで炒めたのと茹でたの、1匹200,000ドン。あとはエビの茹でたのに塩とレモンを付けて食べるのと、ハトの丸揚げ。どちらも60~70,000ドン。ビールも飲んで一人200,000ドンでお釣りがくる。地元の人たちがワレワレのような侵入者をやさしく迎えてくれる。
場所はホアンキエム湖の北側、旧市街のド真ん中はMa May通りの先、Hang Buom通り51番地。この辺は植民地時代の侵略者及び戦争加害者の子孫である欧米人旅行者の群れが、牛のようにいい気になって歩いている。

Khazaana

2009-08-07 23:35:14 | ベトナム
ハノイでイチバンのインド料理屋。カザーナ、風穴?
といってもほかにたくさんあって、その中からキビシク比較検討した結果のイチバンではなく、ほかに目ぼしい店がない中でのイチバン。とはいえかなりレベルは高いと思った。それでも東京のアソコといい勝負、と言っては言い過ぎ。

注文したのはメニューの一番最後にのってた定食、ターリ。110,000ドン≒600円。ほかにランチだけのminiターリ75,000ドンというのもあったがminiは好きでも量的にターりなかったらどうしようかと思ってこっちにしたのが失敗。多すぎた。山盛りのライスにナンもついて、カレーは豆と鶏と羊の3種類にトウモロコシの甘いスープとヨーグルト。カレーもひとつひとつがそれだけで十分というくらいの量で、特に羊がウマかった。

店内は広くゆったりしている。サービスもまあまあ。なぜかニッポン人が半数を占めていた。
ホアンキエム湖の東側、ベトコンバンクタワーの真裏。


ところでノリピー、ワタシはひたすら逃げてほしい。山奥のヒナビタ温泉旅館の住み込みか何かになって、アタマにほおっかむりして、そこから白髪がそこはかとなくはみ出る感じで、とことん逃げてほしいと思うのでアル。

ブーゲンビリアの盆栽

2009-08-05 00:15:40 | ベトナム
日曜にアマゾンで買った本が予定より一日早く今日届いた。早い!便利!高い!!。配送料が3,000円くらいかかるのは高い。それと受け取るときに税金を100,000ドンとられた。まあ検閲で没収される心配もあったから高いとは思わない。実際中身はチェックされなかったようだ。アマゾンは古本も扱っているがソッチのほうは配送してもらえない。支払いのシステムが違っていてベトナムはまだその対象外。
内容的には予想通り作品集というよりは彫刻の写真集で、相手が彫刻ならそういうことになるのは当然と言えば当然。いまどきの美術館では味わえなかったであろう彫刻と空間の相互作用が写真からも伝わってきた。家に置く場所がないので会社に置いてきたが、やっぱり明日、持って帰ることに決めた。

写真はそれとは関係なく、先週の土曜日に行ったショッピングセンターで売っていた盆栽。幹が立派で樹齢100年くらいはある。ブーゲンビリアはこっちのほうでもバルコニーから垂れ下がっていたりするのをよく見かけるが、枝はヨレヨレで木というよりは半分草のような感じのものが多い。それが盆栽になって、しかもきれいな花、というかコレは花ではなくガクだと思うが、そこはかとなくマンカイの風情で思わず買いたくなったがとんでもなく高かったので写真だけ撮って帰ってきた。ウン千万ドン、10万円は下らない。はっきり覚えてないくらい高い。ほかにもいろいろあったがどれも盆栽とはいえでかい。作りもワイルドで熱帯っぽいのが多かった。

コリー

2009-08-03 23:11:45 | ヒト
コラソン・アキノさんとは直接会ったことはないが出身地のマニラ北部のタルラック州で仕事をしたことがあって、その頃はもうラモスさんに代わっていたのだが、車でタルラックに入るといきなりとてつもなく広いサトウキビ畑の農場が広がっていて、一緒に行った人にココがアキノさんの実家だと教えてもらったことがある。

やっぱりとんでもないお金持ちのオジョーさんだったわけだが、あの忘れもしないマニラ空港でのベニグノ・アキノ氏暗殺の後、それが独裁者マルコスのシワザだというのは誰が見ても明らかで、選挙で不正までして当選しようとしたマルコスをフィリピンの民衆が立ち上がって軍までも味方につけて、マルコス夫妻はイメルダの歌声と何千足の靴を残してマラカニアン宮殿からヘリコプターで逃げていく。あれはサイゴン陥落とかルーマニアのチャウシェスク処刑と同じくらいの歴史的な大事件だったと今でも思うが、その後大統領としてフィリピンを潰れない程度に統治した。

マルコスの亡命を引き受けたアメリカのことをやはりよく思っていなかったのか、ピナツボ山が噴火してアメリカ軍の空軍基地が灰に埋まって使えなくなったのを機に駐留していたアメリカ軍を追いだしてアメリカによる精神的占領を終わらせた。
この点ニッポンはいまだ核爆弾を投下したアメリカに占領されていて、日米安保なんかいらないとでも言おうものなら、なぜかジミン党などの戦争愛好派からもアサヒ新聞などの戦争反対派からも袋叩きに合う。核に反対しながらも北チョーセンという仮想敵国の前でアメリカの核に守られていることを肯定するという自己矛盾から抜け出せない。そういう意味でコラソン・アキノさんの最大の功績は、とりあえずアト先考えずにフィリピンを真の独立に導いたことといえる。

政治的には次のラモスさんが国を一つにまとめたと思うが、ラモスさんとは飛行機で一度一緒になって、こっちがビジネスクラスでのんびりしていたのにそこにカーテンで仕切りを作って、その中で葉巻を吸っていたのがとんでもなく迷惑だった。
そんなこんなでこのベトナムもそうなんだがヒトの名前を道路とか空港とかにつけるのはなんとなくキモチ悪い気がするが、マニラのニノイ・アキノ国際空港には今でも亡霊が漂っているように感じる。

『夏の邸宅』

2009-08-02 21:57:49 | アート
先週に続いて貴重な休日。来週末はニッポンからの出張者の相手をしなきゃならないし、その次の土曜は一つ締め切りのがあって休めないだろうから、朝から今日こそはアレやってコレやってと考えつつ、外の40℃近い熱風の中に出ていく気にもならず、そうこうしているうちに夜になった。いわゆる引きこもり。

で、家にある飛行機の機内誌とかを見ていたらこの人のことが載っていて、前から好きだったのでアマゾンで作品集を探したらいろいろ出ていることがわかって、その上海外にも配送してくれることもわかったので注文してみた。明日発送して水曜には届くというから世の中便利になったもんだ。

この本は作品集というよりは去年、白金の都立庭園美術館で開かれた展覧会の記録のようなものらしい。舟越さんの彫刻は目に特徴があると思うが、機内誌にのっていたインタビューによれば目に大理石の目玉を最後に入れるのだが、それを入れる前のほうが好きだというようなことを言っている。最後の仕上げで木の地肌に薄く白い絵の具を塗って目の部分だけが黒く何もない、その状態のほうがニンゲンとしての表情が豊かに感じられるということらしい。目は口ほどにものを言うが目がないのはそれ以上に語っているというのはわかるような気がする。

それにしても背中から羽が生えていたりとか、なんかわけのわからないものが突き出ていたりして明らかにヘンなのだが見ていてココロが休まる。