高桐院・・茶室「鳳来」と墓所「無双」
本堂の上間にある茶室「鳳来」は、細川護立候の命名で、裏千家円能斉好みとされていて、其の前庭にある蹲は、袈裟形の手水鉢で、加藤清正が、朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰り三斉公に贈られたものと伝えられています。
三斉公は、熊本と江戸参勤交代に持ち歩き八十歳の時、此方に収められたそうです。
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茶室「鳳来」の様子をご覧下さい・・
<![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b8/5e8c81ad5ecc79dcb8628b7a6eda2aa3.jpg)
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マウスオン、クリック、Wクリック、マウスアウトで5枚の画像をご覧下さい。タグはnon_nonさまにお借り致しました。(id-hou1)
客殿の奥には、細川家代々の墓所が有りました。
石灯籠が、三斉公とガラシャ夫人(明智光秀の娘)の墓塔です。これは、もともと利久秘蔵の灯篭でしたが、豊臣秀吉と三斉公の二人から請われ、利久はわざわざ裏面三分の一を欠いて秀吉の請けを退けましたが、後に利久切腹の際、改めて三斉公に遺贈された物だそうです。墓塔銘は「無双」と言い別名「欠灯篭」とも言われさらに蕨手、灯口、横が欠けているのは、後日、完全を忌む公自身が欠いたと言う記録が残っているそうです。
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墓所の入口の前に三斉公のお墓参り時に使用の井戸が有りました。奥に有るのは、三斉公とガラシャ夫人のお墓「無双」です。
右手奥には、細川家歴代のご当主の墓石がずらりと並んでいました。
※ 明日よりチョッと出かけますので3、4日お休みさせて戴きますが、帰りましたら又、お伺いさせて戴きますのでヨロシクお願い致します。
本堂の上間にある茶室「鳳来」は、細川護立候の命名で、裏千家円能斉好みとされていて、其の前庭にある蹲は、袈裟形の手水鉢で、加藤清正が、朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰り三斉公に贈られたものと伝えられています。
三斉公は、熊本と江戸参勤交代に持ち歩き八十歳の時、此方に収められたそうです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b8/5e8c81ad5ecc79dcb8628b7a6eda2aa3.jpg)
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客殿の奥には、細川家代々の墓所が有りました。
石灯籠が、三斉公とガラシャ夫人(明智光秀の娘)の墓塔です。これは、もともと利久秘蔵の灯篭でしたが、豊臣秀吉と三斉公の二人から請われ、利久はわざわざ裏面三分の一を欠いて秀吉の請けを退けましたが、後に利久切腹の際、改めて三斉公に遺贈された物だそうです。墓塔銘は「無双」と言い別名「欠灯篭」とも言われさらに蕨手、灯口、横が欠けているのは、後日、完全を忌む公自身が欠いたと言う記録が残っているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/e8/d5c29e94dc1d07017ef2f3dace5e7818.jpg)
墓所の入口の前に三斉公のお墓参り時に使用の井戸が有りました。奥に有るのは、三斉公とガラシャ夫人のお墓「無双」です。
右手奥には、細川家歴代のご当主の墓石がずらりと並んでいました。
※ 明日よりチョッと出かけますので3、4日お休みさせて戴きますが、帰りましたら又、お伺いさせて戴きますのでヨロシクお願い致します。