人々との楽しい出会い・・・

    急がず、焦らずゆっくりと~~

高桐院 その2

2007-08-27 18:14:55 | 神社、仏閣、名所、
高桐院・・茶室「鳳来」と墓所「無双」
本堂の上間にある茶室「鳳来」は、細川護立候の命名で、裏千家円能斉好みとされていて、其の前庭にある蹲は、袈裟形の手水鉢で、加藤清正が、朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰り三斉公に贈られたものと伝えられています。
三斉公は、熊本と江戸参勤交代に持ち歩き八十歳の時、此方に収められたそうです。
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茶室「鳳来」の様子をご覧下さい・・

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客殿の奥には、細川家代々の墓所が有りました。
石灯籠が、三斉公とガラシャ夫人(明智光秀の娘)の墓塔です。これは、もともと利久秘蔵の灯篭でしたが、豊臣秀吉と三斉公の二人から請われ、利久はわざわざ裏面三分の一を欠いて秀吉の請けを退けましたが、後に利久切腹の際、改めて三斉公に遺贈された物だそうです。墓塔銘は「無双」と言い別名「欠灯篭」とも言われさらに蕨手、灯口、横が欠けているのは、後日、完全を忌む公自身が欠いたと言う記録が残っているそうです。

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墓所の入口の前に三斉公のお墓参り時に使用の井戸が有りました。奥に有るのは、三斉公とガラシャ夫人のお墓「無双」です。
右手奥には、細川家歴代のご当主の墓石がずらりと並んでいました。

※ 明日よりチョッと出かけますので3、4日お休みさせて戴きますが、帰りましたら又、お伺いさせて戴きますのでヨロシクお願い致します。

高桐院・・(大徳寺、塔頭) その1・・

2007-08-22 01:08:37 | 神社、仏閣、名所、
高桐院(こうとういん)
江戸時代初期、慶長6年(1601)武将で茶人として「利久七哲」の一人と言われた細川忠興(三斉)が父藤考(幽斉)の菩提所として、幽斉の弟玉甫紹を開祖として建立した大徳寺の塔頭で、細川家の菩提所です。
三斉は、茶人として利久七哲の一人と言われる名手で、此方の書院は、利久邸を移築した物だそうです。

表門から鍵の手にの先に、苔むす唐門を望み自然石の敷石道が続くきます。

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本堂南庭は、江戸時代初期の造園、四季折々の自然の風雅を生かしたお庭が有りました。
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市バスの中で珍しくお坊さんを見かけました、チョッと失礼して一枚撮らせて戴きました。

大文字の送り火・・

2007-08-17 18:37:17 | 行事
五山の送り火
8月16日の夜、午後8時、京都盆地を囲む山々に炎の文字が浮かび上がりました。


この絵は、遠く正面に見える大文字山の昨日の午後2時過ぎの様子です・・
この頃には、徐々に火床には、ご祈祷を済ませた護摩木等も組まれ着々と準備が施されている時間です・

お盆にお迎えをしたお精霊を送る行事・・が16日の夜京都市内で行われました。
京都の夏を彩る風物詩とされている送り火は午後8時、東山如意ケ嶽の「大文字」に火が灯され、続いて松ヶ崎西山、東山の「妙法」、西賀茂船山の「船形」、大文字山の「左大文字」、上嵯峨仙翁寺山の「鳥居形」と順次点火が進み8時20分を過ぎる頃には、京都盆地を囲む山々に炎の文字が浮かび上がり盛夏の夜空を炎で焦がしました。
歓声を上げる人々や、先祖の霊のお見送りに手を合わせる人等色々な模様が見られました。


その昔は、鴨川の床で、お盃に「大」の字を映し其れを飲み干すと無病息災で居られる等粋人達の間で言い伝えられていたようです・・
「昨年8月13日~17日に拙い投稿文ですが、夫々の大文字の説明を入れて居りますのでお宜しければご覧下さい」・・
(大文字の「大」の画像京都新聞さんの掲載をお借り致しました。)

無鄰庵

2007-08-15 15:53:09 | 神社、仏閣、名所、
無鄰庵(むりんあん)  明治、大正の元老、山形有朋の別荘
明治27年(1894)~29年(1896)に完成・・

明治36年4月21日、元老、山形有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の4人により、日露開戦直前の、我が国の外交方針を決める「無鄰庵会議」が開かれた部屋、が現在も当時の趣を残しています。
(部屋の壁一面に、江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られていました)
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庭園(3,135㎡)有朋が設計し小川治兵衛築いた池泉回遊式庭園(名勝)東山を借景に疏水の水を取り入れ三段の滝、芝生を配した池泉回遊式庭園です。

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書院造りの母屋と茶室(藪の内流)や無鄰庵会議が開かれた洋室等が有ります

大正11年(1951)83歳で有朋没後、昭和16(1941)に京都市に寄贈され26年に庭園が、明治時代の名園として国の「名勝」に指定されました。
近年建物の傷みが酷くなり、近じか補修が行われるそうです。

ご門を出ると無鄰庵のお向かいに「朝がゆ」で有名な料亭「瓢亭さん」の建物がみえます。トッテモ風情の有るお店構えです。(創業以来四百年の歴史を誇る京都でも有数の料亭です。)





智積院・・・

2007-08-09 00:01:53 | お花
お墓参りの帰りに智積院に寄ってみました。金堂の横にある蓮池の蓮は、今はもうお花も終わり大きな実を沢山付けていました。

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参道の彼方此方に可愛い桔梗が咲いていました。

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参道の緑も鮮やかに涼やかな風が吹き抜けます
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途中の道で、大きなお花を見つけました。トロロ葵の仲間かしら??それにしても大きな花びらは直径15㎝は、優に超えそうな位大きなお花をつけていました。(何方か、お花の名前お教えください)

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※ 昨年9月16日18日21日23日に智積院4回に渡り投稿して居りますのでご覧いただけると幸せです。

水の森公園の睡蓮

2007-08-05 23:45:02 | お花
みずの森公園
みずの森公園の睡蓮池


みずの森公園に咲いているた睡蓮のお花・・今年は、例年に比べまだお花が少ないようです。

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八朔(はっさく)の日の祗園町

2007-08-02 00:34:15 | 行事
八朔(はっさく)は、旧暦八月一日の事・・・

昔から穀物の豊かな実りを願い、商家等はこの日、日頃御世話に成っている本家やお得意先等に感謝を願ってあいさつ回りをする慣わしが有り、花街では今も「八朔」の日には、祇園街の芸舞妓さん達は、正装の黒紋付で、芸事のお師匠さん宅やお茶屋さんにご挨拶に回る「八朔」の恒例行事が今も続きこの日の午前中に行われました。
皆さん正装の晴れ着を着て「おめでとうさんどす。相変らずおたのもうします」と挨拶を交し労いの言葉を受けていました。
京都では、茶道や華道を始めお稽古事のお家元でも同じ様にこの行事が行われて居ると聞きます・・
昨今、市中では早く始るようになった「お中元」のしきたりも従来は、この日から始るのです。

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正装した若い芸妓さんと舞妓ちゃん。二枚目は、お姉さん芸妓さんは、訪問着の正装です。

正装した芸舞妓さん達が日頃のお礼にご挨拶に回る姿をサムネイルでご覧下さい。
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皆さんお揃いで「一力」さんへご挨拶に、後姿も艶やかに・・
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この日も蒸し暑い真夏日・・でも流石、芸舞妓さん達は涼しげなお顔で足早に次つぎとお茶屋さんや御世話に成った所へのご挨拶に回られていました。
この日は、何処に行っても、祗園町の中は朝早くから、大勢のカメラマンさんでごった返していました。
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