人々との楽しい出会い・・・

    急がず、焦らずゆっくりと~~

神戸、メリケンパーク周辺・・

2007-10-30 23:29:00 | 旅、
「にっぽん丸船上昼食会」に参加・・

「にっぽん丸」ドルフインズクラブ主催の昼食会が神戸港中突提停泊中の「にっぽん丸」船上で行われ参加いたしました。
11時45分から昼食、「にっぽん丸」特製のフランス料理のフルコースと豪華版です。お船の碇は、上げられず停泊したままです・・
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その後、京都の老舗京菓子「末富」さんのご主人によるお菓子作りの実演と京菓子の魅力や京菓子にまつわるお話しなど聞かせて頂きその後美味しいお菓子とお茶を戴きます。
「深山しぐれ」と名付けられた生菓子と「お船」を表した主菓子・・
「深山しぐれ」は、三色に分けられた色合いですが、季節の様子に応じ紅色を増やしたり、雪の時期などは、真っ白の色目で表されるそうです。
「船」を表した主菓子も横に三本の焼き目をいれ船の窓やデッキに似せ下方には少し水色を配し海の水を表したものです。
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メリケンパークや周辺の港の様子・・
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植物園 花壇のお花・・

2007-10-26 23:10:25 | お花
植物園花壇のお花達
北大路通りからの正門を入ると花壇には、綺麗なお花がイッパイ咲き乱れていました。左手には、丸いお屋根の温室・・黄色いマリーゴールドやカンナのお花もみえます・・
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噴水の水が太陽に照らされ,噴水が空に向かって上がる毎に水しぶきから薄っすらと虹が見られ、爽やかな雰囲気が漂っていました。
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植物園、子福桜

2007-10-23 22:43:10 | お花
植物園への並木道
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この樹齢数十年の楠木の並木道を抜けると植物園の入口が有ります。木々も少しずつ色付きはじめていました。
今時、サクラのお花が咲いていてびっくりです・・

子福桜
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このサクラは、秋と春二度咲く珍しい八重咲きサクラだそうです・・
咲き始め白色で、徐々に淡い色合いと成り落花するそうです。特に秋咲く花は、小さくて、花柄も短く、次つぎと咲き、雌しべが二つ有るので、種子が二つ出来る事も有り(子供が沢山)と言う意味で幸福~~子福桜と言われるそうです。今年秋の第一開花は、9月29日と記されていました。
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京都府立植物園 のコスモス・・

2007-10-19 14:50:44 | お花
植物園の秋風になびくコスモス・・
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昨日、久し振りに植物園に行って見ました。北山ゲートの直ぐ近く、ワイルドガーデンにコスモスのお花が風に揺れながら可愛い姿を見せてくれました。

今回、287個のプランターに植えられ、色々な種類のコスモス、今を盛りと咲き誇っていました。
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旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 その4

2007-10-17 00:00:11 | 神社、仏閣、名所、
大沢の池 名勝、平安時代
大覚寺の東に位置し,嵯峨天皇の離宮・嵯峨院の庭池で、日本最古の庭苑池・・
周囲約1kmの日本最古の人工林泉(林や泉水などの有る庭園)嵯峨天皇が、離宮嵯峨院の造営にあたって中国の「洞庭湖」を模して造られた事から「庭湖」とも呼ばれています。池の中には、、天神島、菊ヵ島と庭湖石が有ります
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月の名所としても知られ中秋の名月に催される「観月の夕べ」は嵯峨天皇の頃より始ったといわれています。
名月の下、今も大沢池には、大陸風の龍頭鷁首(りゅうとうげきす)の船を浮かべ琴の音が流れるなか、満月法会、供花などの「観月の夕べ」が王朝絵巻さながらに繰り広げられます。
ちなみに、大沢の池は、奈良の猿沢の池、滋賀の石山寺と共に日本三大名月鑑賞地とされています。

観月台
五大堂の東側大沢の池の畔に観月台が有ります。水面を渡る爽やかな風をとらえながら、風光明媚な池の周りの景色を楽しむ事が出来ます。
又、お堂の中は写経道場にも成っていて私もしばしの間,雑念を払い写経をさせて戴きました。(堂内は撮影禁止の為其の様子は、写す事が出来ませんでした。)
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望雲亭池の畔に有る茶室
お茶席、その名は、嵯峨天皇が空海(弘法大師)と茶を楽しんだ後、山に帰る空海に対して、別れを惜しんで詠んだ漢詩に由来すると言われています。

池の東北に有る名古曽の滝・・百人一首で有名な大納言藤原公任の「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなお聞こえけれ」に詠まれた名古曽滝は、古くからの名所で、近年発掘調査成果に基づき遣水が復元整備され「大沢池 名古曽滝跡」として国の名勝に指定されました。
名古曽の滝には、今回残念ながら行けませんでした。次回にでも機会が有れば訪れようと思って居ります。

旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 その3

2007-10-13 13:54:42 | 神社、仏閣、名所、
五大堂(大覚寺の本堂)
江戸時代中期(18世紀末、天明年間(1781~89)に再建されたと言われます。木造入母屋造り瓦葺日本最古の林泉。
大沢の池の畔に佇んでいて、嵯峨天皇が天下泰平・五穀豊穣を祈念して建てられたものだそうです。
五大明王像、制作年代が平安末期の最も古い一組(重文)金剛夜叉明王像と軍茶利明王像安元2年(1176)後白河法皇の御所で仏師明円により造像されたものです。
不動明王像と軍茶利明王像(重文)は、京都博物館に寄託され他の3体は、明円作の五大明王像と共に収蔵庫に安置されています。

現在内陣には、五大明王が整然とおられ、大威徳明王像、軍茶利明王像、不動明王像、降三世明王像、金剛夜叉明王像、何れも1975年(昭和50年)の造像です。

心経写経の根本道場大覚寺の本堂です。
残念な事にお庭には降りる事が出来ませんので、正面から写真を写すことは、出来ず側面からの絵に成りました。


御霊殿(安井堂)
江戸時代中期 木造入り母屋造瓦葺き
安井門跡蓮華光院の御影堂を明治4年に現地に移築、堂内の格子天井鏡板に花鳥などの絵があり折上の鏡天井には雲竜が描かれ後水尾天皇の等身大の僧形像を奉安されています。


霊明殿
江戸時代末期 木造方形造銅板葺
嵯峨天皇、後宇多法皇うを初めとする歴代門跡の尊碑を祀り合わせて嵯峨御所大覚寺に功労のあった人々を合祀しています。
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勅封心経殿
大正時代 14年(1925)後宇多法皇600年、後亀山天皇500年の御遠忌記念事業として、法隆寺の夢殿を模して再建されました。
殿内には、嵯峨天皇をはじめ後光厳・後花園・後奈良・正親町・光格天皇の勅封心経を奉安し薬師如来立像が奉伺されています。(何れも内部拝観は、出来ませんでした。)

貴賓殿(秩父宮御殿)
大覚寺寺号勅許1100年記念に際し、昭和46年10月秩父宮邸より下賜されました。
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霊明殿近くのお庭回りには、おおきなな百日紅の木に可愛いお花が咲き誇り一時の安らぎを戴きました。
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表門の少し右手に白壁の入口が見えます。

明智門(台所門)江戸時代
明智光秀が居城としていた亀山城の一部を移築したものだそうです・・門は、入口部分のみ素木で軒裏・窓は白壁の塗籠め、腰の部分は敷瓦を塗りこむ生子壁と成っています。
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明智陣屋(庫裏)江戸時代
門と同じく、亀山城の一部と伝えられています。切り妻部分を正面とし、其処に瓦葺唐破風造りの差掛屋根を設け、玄関とし内部は、天井を張らず、大寸の丸太で梁組され、西屋根に煙出しが設けられています・。


旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 その2

2007-10-09 17:19:11 | 神社、仏閣、名所、
御影堂(心経前殿)木造入母屋造り瓦葺
大正天皇即位式場に建てられた饗宴殿を式後賜ったものだそうです。大正14年(1952 )の建造。大覚寺に縁の有る皇室の尊碑を安置されています。


正寝殿 
重要文化財、桃山時代 木造入り母屋造り檜皮葺き
宸殿の北側に位置し、12の部屋を持つ書院造りで、各部屋絢爛豪華な襖絵で飾られ、上段の間は、後宇多天皇が院政を執られたところです。
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正寝殿と前横のお庭の風景です。(マウスオンして下さい。)

「冠の間」とお部屋の襖絵・・
僧である法皇が、お冠を傍に置かれた所から「お冠の間」とも呼ばれています
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野兎図と松鷹図
江戸中期、元禄時代 渡辺始興筆 重要文化財 正寝殿の腰障子12面に描かれ「四季花鳥図」と表裏に成って居るのですが残念な事にお部屋には、入れず「野兎図」しか見ることが出来ませんでした。
山水図や松鷹図、桃山時代 狩野山楽筆 重要文化財 等、沢山の障壁画が残されていました。
 
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村雨の廊下

建物の間を結ぶこの回廊は、縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている廊下を稲光に例え「村雨の廊下」と呼ばれています。
天井は、刀や槍を振り上げられない様に低く造られ床は「鴬張り」と成っていて外部からの怪しい侵入者が入り込めないように工夫されていました。
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旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 その1

2007-10-05 02:10:34 | 神社、仏閣、名所、
「旧嵯峨御所大覚寺門跡」と言い(真言宗大覚寺派の大本山)
嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部で天皇崩御の後、貞観十八年(876)に寺に改め大覚寺と名付けられました。
その後一時荒廃しましたが、徳治二年(1307)に後宇多天皇が、入寺し寺を復興すると共に大覚寺統を形成、以後持明院と皇位継承についって争い明徳三年(1392)南北両朝の講和会議が成立、日本で最も古い門跡寺院です。

門跡寺院とは天皇又は皇族が住職に就かれた時院の事です。遠く平安の昔、嵯峨天皇の離宮嵯峨院が建立され、弘法大師も幾度も立ち寄られたそうです。
その後、嵯峨天皇の皇女正子内親王(淳和天皇皇后)が清和天皇に上奏して大覚寺に改め、嵯峨天皇の孫に当る恒寂法親王が所代の住職に就かれました。
現在では、近畿36不動尊霊場の13番札所として、全国各地からの参拝者が訪れるそうです。又、心経写経の根本道場、いけばな嵯峨御流の総司所でも有ります
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大玄関・・
式台玄関の壁画は、狩野永徳による「松に山鳥の図」
(実際には、国宝の文化財、重要文化財、壁画、装飾が等総て収蔵庫に収められていて見る事が出来ません)
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宸殿・・
震殿は、江戸時代の初め延宝年間(1673~81)
後水尾天皇の中宮東福院和子(徳川二代将軍秀忠の娘)が使用した女御御所の宸殿を賜ったもので、入口の格子戸に蔀といい其の金具部分には、蝉の装飾がして有るそうです。前庭は、一面、白川砂が敷かれ大海を表し正面の「右に橘」「左近の桜」旧御所の名残をとどめています。
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宸殿と前庭・・
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震殿のお部屋は五つに分かれ正面牡丹の間は、格式が高く襖絵には、狩野山楽により描かれた牡丹、紅白梅、松、鶴等桃山美術の代表作です。
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