人々との楽しい出会い・・・

    急がず、焦らずゆっくりと~~

京都、東福寺の紅葉・・

2010-11-26 16:55:40 | 神社、仏閣、名所、



東福寺・・
25の塔頭が取り巻く中に壮大な伽藍を並べる臨済宗東福寺派大本山・・
広い境内には、仏殿と法堂を兼ねた本堂、禅堂、室町時代の東司いずれも重要文化財と
国宝の日本最古の三門が建ち並んでいます(東福寺につきましては・又後日に・・)
境内を流れる渓谷に架かる通天橋は、京都随一のモミジの名所です・・
今回も其の通天橋から眺める見事に紅葉したモミジや其の周辺に繰り広げられる見事な錦秋をご覧ください。
雨に煙るモミジの向こうに「通天橋」が・・       
(見事な紅葉が見られ・・朱色に染めた木々の向こうには「通天橋」が・・)

出掛けました日は曇りのち雨・・雨降りならお客さんも少ないかな??と思い出掛けましたが・・
予想に反し凄い人波が続きます。皆さん傘を挿しながらのモミジ狩り・・
雨に洗われ一段と紅色が冴えます・・

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サムネイルにマウスを・・(タグはnon_nonさまにお借り致しました。有難うございます)




銀閣寺(慈照寺)・・

2010-11-20 17:08:29 | 神社、仏閣、名所、



銀閣寺(慈照寺)
足利8代将軍善政が、祖父義満の北山殿(金閣)に倣って造営した
東山山荘を禅刹に改めた処、高さ5mも有る銀閣寺垣、
白砂を盛った銀砂灘と円錐形の向月台、其の奥に銀閣(国宝)見事な光景が広がります・・
参道と銀閣寺垣・・
白砂の参道の左右には、石垣その上に銀閣寺垣其の上には椿を中心とした生垣右側には椿二段の生垣が連なります・・
マウスオンの2枚目には、松の枝が降りかかる向こうに唐門が・・・唐門の向こうには銀沙灘(ぎんしゃだん)へ
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(マウスオンで2枚の画像を・・)

観音殿(銀閣)「国宝」と閣上の鳳凰・・
閣上にある青銅の鳳凰は東面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けています
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(マウスオンで2枚の画像を・・)
向月台と段形の広々とした銀沙灘には縁取りが有り
表面には太い線で力強い砂紋画描かれています。
花頭窓から見る展望所麓の紅葉・・
東球堂(国宝)・・内部に阿弥陀仏と義政像を安置されています
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(サムネイルにマウスオンを・・)
展望所からの眺め・・
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(サムネイルにマウスを・・タグはnon_nonさまにお借り致しました。有難うございます)
今年は随分遅れている紅葉ですが・・真っ赤に紅葉したモミジを見付けました。マウスオンでご覧下さい
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雨にけむる光悦寺・・

2010-11-12 15:26:08 | 神社、仏閣、名所、



雨にけむる光悦寺
鷹ヶ峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を見下ろす景勝の地に有り、
元和元年(1615)徳川家康公が本阿弥光悦翁に野屋敷として与えた土地で、
光悦はそこに一族縁者を始め種々の工芸に携わる多くの職人と共に住居を構え
光悦翁を中心とする工芸集落を営みました。
光悦翁が茶道に於いても一流、吉田織部や有田有楽斎にも教えを受け、
千宗旦とも深く交わり茶道の奥義を極めた。(冊子参照・・)
庭内には三つ巴亭や大虚庵等お茶室も点在し、
光悦寺垣(臥牛垣)ともいわれる特徴のある垣根が余りにも有名です

此の緑のトンネルも程なくなると真っ赤なトンネルへと~~
庭園へと通じる石畳・・紅葉が始まると紅色に変身です・・

雨に煙る庭園・・
光悦寺垣(臥牛垣)ともいわれる特徴のある垣が余りにも有名です・・
光悦垣の周りは少しずつ紅葉が・・お茶室の周辺の楓もマダマダ青葉でした
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(サムネイルにマウスを・・タグはnon_nonさまにお借り致しました。有難うございます)

少しずつ朱色に色ついた南天やモミジの葉先に雨雫が・・
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(サムネイルにマウスオンを・・)
選りによって小雨降る日の撮影と成りました。・・
朝夕の冷え込みが厳しく成った今日この頃・・モミジの紅葉も
幾分進んだ事と思われますが~~少し前の画像UPと成りました事お許し下さい

       
        


京都 時代祭、最終編・・

2010-11-06 17:29:08 | お祭り



平安時代・・
平安時代女人列
巴御前(木曽義仲の寵愛を受け、義仲没後尼と成ったと伝えられています)
巴御前の凛々しい馬上姿・・トッテモ素敵です~

常磐御前(源頼朝の婦人で、頼朝亡き後、三児を連れ六波羅へ名乗り出るところです。)
気丈に三児を連れ道を急ぐ常磐御前、後ろ姿に哀愁の影が・・
       
紫式部、清少納言、小野小町・・
紫式部は、藤原宣孝の妻で源氏物語の作者。(女官の略装・・)
清少納言は、清原元輔の女で、枕草子の著者(正装・・)
小野小町(小野良貞の女で才色共に優れた人・)
紫式部や清少納言、才女達の列・・

横笛・・(建礼門院の雑仕女で滝口の武士斎藤時頼と恋に落ち嵯峨へ時頼を訪ね行く姿(左上の画像です)
和気広虫・・(和気清麻呂公の姉で慈悲深く多くの孤児を養育した人)(右上の画像です)
下方は輿に揺られ幾百済王明信・・


延暦武官行進列(延暦時代)大将にあたる者は、蝦夷大将軍坂上田村麻呂を擬したものだそうです 


神幸列(おんさかき)を先頭に御鳳輩を中心とする神幸の本列
先の御鳳輩が孝明天皇、後の御鳳輩が桓武天皇で即ち御神祭が此の京都を御巡幸に成って
市民の安らかな様を親しくご覧に成るのであって、全各行列は、
此の御神祭におともをして行進するわけで本行列中、もっとも意義を持つ列です(冊子より参考)       


列の締めくくりに花を添えて下さった綺麗な「白川女」さん達を・・
        
        
京都時代祭・・
「明治維新から平安遷都まで「維新勤皇隊列」に始まり最終「神幸列」までの時代絵巻・・
1100年の時代装束に身を包んだ約2千人の行列・・
長々と拙い画像にお付き合頂きまして有難うございました。
        
        


京都 時代祭 其の三・・

2010-11-02 20:18:39 | お祭り



楠公上洛列(室町時代)・・
元弘3年、後醍醐天皇が壱岐から還幸された際、楠正成は
一族郎党を率いて鳳輦を兵庫に迎え、先駆として上洛しました。
その楠公一代を通じての盛事であった行列。

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(↑ マウスオンで2枚の画像を・・)

楠公上洛列の様子・・      
        
中世女人列 (鎌倉時代)
大原女(洛北大原の女人は古来薪、炭等を頭にのせ
京の町に売りに出る風習が有りました。之は室町時代末期の大原女の姿です。

桂女(洛西桂は、古来桂包みと言って女性が髪を白い布で包み、
着物を短く着た装束で、主としてアユと飴を京の町に売り歩いたそうです
京の街へ物売りに来る「大原女」と「桂女」の様子・・

淀君・・(豊太閤の側室で(浅井長政の娘)        
淀君さまの凛とした姿が素敵です・・ 

静御前・・(源義経の愛妾で白拍子でした。本列は白拍子の姿です。
藤原為家の室(阿仏尼)
白拍子姿も艶やかな静御前と旅姿の藤原為家の室・・

城南流鏑馬列(鎌倉時代)
承久3年後鳥羽天皇は朝威回復をはかられ、城南離宮での流鏑馬に託して
近畿十余国の武士を召された。
此の列は狩装束の射手の武士を中心としたものを表しているそうです
勇壮な出で立ちの流鏑馬列の皆さん・・
       
藤原公郷参列(藤原時代)
平安中期後、藤原氏の盛時における文武両様の姿をあらわしたもの、
これは夏の文様、形式等いずれも当代のものによっています。
藤原氏盛時の文武両様の様が良くあらわれています・・