人々との楽しい出会い・・・

    急がず、焦らずゆっくりと~~

東福寺、塔頭 芬陀院(ふんだいん)「雪舟寺」

2009-01-31 13:27:34 | 神社、仏閣、名所、
秋のモミジの時期には、賑わっていた山内も今では、静寂に包まれ静かな雰囲気の中、山内を歩みますと中門近くに芬陀院のご門が見えます・・
東福寺には、25寺院の塔頭が山内の彼方此方に建ち並んでいます・・

芬陀院ふんだいん(雪舟寺)
東福寺の塔頭で元享年間(1321~1324)に時の関白一条経通公が父の追善のために創建、開山は、定山祖禅、火災により一時衰退しましたが元禄年間(1688~1704)に一条兼輝により再建されました。
水墨画で有名な雪舟等揚禅師が東福寺へ参る時には必ず此方に身を寄せ、方丈の南庭は寛政年間(1460~66)雪舟作庭と言われています。
芬陀院の山門、水墨画で有名な「雪舟寺」です・・

南庭・・鶴亀の庭、雪舟作庭と言われ、苔地の中に鶴島と亀島の石組が有るのが特徴・・鶴島は昭和十四年(1939)に復元されました。

東庭・・重森三玲作の枯山水庭園、書院の背後には、関白一条昭良好みの茶室「図南亭」が有ります。

建物・・元禄4年(1691)と宝暦年間(1751~1763)の二度火災に合い、桃園天皇の中宮恭礼門院の御殿の一棟を賜り移築、その後明治32年(1899)に改築されました( 冊子参照)
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綺麗に掃き清められた境内,門を入ると長い石畳が続きます・・
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京都御所、秋季公開・・

2009-01-26 21:25:10 | 行事
京都御所「建礼門」
御所の南側の築地に有る「建礼門」御所の正門です。天皇陛下のみが用いられますが、外国からの元首もここからお入りに成ります。
見事な風格の建礼門・・御所の正門です

少々時期を逸しましたが昨年秋の一般公開の様子をご覧頂ければ幸せです

今回、源氏物語千年紀にちなみ、「内裏、いづれの御時にか・・」をテーマに源氏物語の名場面を江戸初期の画家、狩野尚信が描き、京都御所に伝わる屏風「源氏の図」の公開や物語の中で描かれた貴族の遊びなどを人形で再現されていました。
「和琴」日本が起源の弦楽器で、日本古来の歌謡である、国風歌舞などの演奏に用いられます・・
源氏の着衣は、直衣(のうし)玉鬘の着衣は、五衣、小袿、長袴です

「絵合わせ」
左右に分かれ絵などを出し合い優劣を競い合いするそうです

「囲碁」
古くは大宝律令(701年)の中で奈良時代には打たれて居たようで正倉院に基盤が収められているそうです。平安時代には貴族のたしなみとして好まれ「源氏物語」や「枕草子」等の作品にもしばし囲碁の描写が登場します

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車寄せには「加茂臨時祭の図」が飾られていました
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「源氏の図」
江戸の初期の画家、狩野尚信の作
「左隻の屏風」
左隻の屏風「源氏の図」・・

左上の図(松風)、中央の図(明石)、右端の図(須磨)

下左の図(賢木)、中央の図(夕顔)、右端の図(空蝉)

「右隻の屏風」
右隻の屏風「源氏の図」・・
左上の図 「玉鬘」(九州から上洛の図)、右端の図 「玉鬘」(初瀬詣の図)

下左の図(初音)、中央の図(花宴)、右端の図(紅葉賀)
(画像が不鮮明なためお見苦しい事お許し下さい・・)

京都、金閣寺(鹿苑寺)・・世界文化遺産

2009-01-21 15:07:56 | 神社、仏閣、名所、
雪が少しチラついた日に金閣寺まで出かけてみましたが・・今回も残念ながら雪景色の金閣寺を撮る事は出来ませんでした・

鏡湖池に映える煌びやかな舎利殿(金閣)・・

金閣寺(鹿苑寺)世界文化遺産

臨済宗相国寺派に属する禅寺、鹿苑の名は、お釈迦さまが初めて説法された処の地名鹿野苑にちなんだ開基、(創設者)足利義満が法号鹿苑院殿によるものです
この地は鎌倉時代応永4年(1397)西園寺公経の別荘を譲り受け、山荘北山殿を作りました。金閣を中心とした庭園、建築は極楽浄土をこの世に現わしたと言われ明国との貿易を盛んにし文化の発展に貢献した所で、この時代の文化を「北山文化」と言います。義満の死後、遺言通り夢想国師を初代の住職として、義満の法号から二字取り「鹿苑寺」と名付けられたそうです。

金閣寺舎利殿(金閣)

第一層だけは白木で、第二、第三層は内外とも全部金箔押しです
一層は、寝殿造りで法水院
二層は、武家造りで潮音洞
三層は、禅宗仏殿造りで、究竟項と呼ばれ中には仏舎利をお祭りして有ります(ご遺骨)(冊子を参照させて頂きました。)

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唐門の直ぐ右手に堂々とした風格の見事な庫裏が・・
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黒門を出ると左手に大北山が、毎年お盆の時期に行われる「五山の送り火」其の一つの「左大字」が直ぐ目の前に・・大北山の斜面にくっきりと表れる大の文字、火床も確り見る事が出来ました・・

大北山の斜面に描かれた「大」の字・・

京都の花街(かがい)上七軒の新春

2009-01-17 20:24:42 | 神社、仏閣、名所、
新春の花街(かがい)上七軒(かみひちけん)の街並みの様子・・
室町期(文安元年,1444年)の北野天満宮修造の際、北野天満宮の残木を使って東門前に「七軒の水茶屋」を建て天満宮へ参詣する人々の休憩所と成った事が始まりで、京都最古の茶屋の始まりと言われています・・

天正十五年(1587)豊臣秀吉の北野大茶湯の休憩所と成り、名物の御手洗団子を秀吉に献上した所大層喜ばれ、七軒茶屋に御手洗団子を商う事の特権を与えられました。其の時以来、上七軒では五つ団子の紋章を用いています
寛永年間に官許され、長らく「七軒茶屋」と呼ばれていましたが何時しか上七軒が通称と成ったとか・・言う事です。

京都の花街(かがい)は、最古の「上七軒」をはじめ「祇園甲部」「先斗町」「宮川町」「祇園東」の五つの花街が有り其々、今も芸舞妓さん達が素晴らしい芸をお座敷で披露されれいます。京都では、花街を「はなまち」とは、呼ばず「かがい」と言います。

新春の上七軒の街並みの様子・・

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静けさが漂う午前の花街(かがい)の様子・・
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偶然、四条通りでお買い物帰りの上七軒の舞妓ちゃんに出会い後姿を撮らせて頂きました。

偶然街中で出会った普段着の舞妓ちゃん・・


新春の元離宮、二条城・・・

2009-01-12 22:26:11 | 神社、仏閣、名所、
新春の二条城・・
東大手門の前に高さ3メートル余りの大きな「ジャンボ門松」が飾られて晴れやかなお正月ムード満点でした。

大手門前には大きな「ジャンボ門松が出迎えてくれました


今年も恒例の「庭園お正月公開」が行われ大勢のお客さんが庭園散策を楽しみます・・唯残念な事に此の期間は、二の丸御殿内の拝観は出来ません(普段は二の丸御殿の内部も拝観する事が出来ますが・・本丸御殿だけは特別拝観期間だけと制限が為されて居ます)

二の丸御殿内の大広間で1867年(慶応3年)15代徳川慶喜が諸大名を集め大政奉還を発表し徳川幕府の幕を閉じた歴史的な場所です

二の丸御殿庭園
慶長7年(1602)~8年頃家康時代二条城が造営された時、作庭されたもので小堀遠州の作と伝えられ、寛永3年(1626)後水尾天皇の行幸御殿が建てられた際に、主に大広間、黒書院、行幸御殿の三方向から鑑賞されるように設計されているそうです

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本丸御殿(特別拝観の時期以外は閉ざされ拝見する事は出来ません)
旧桂宮邸の御殿を、明治26年から27年にかけて本丸内に移築したものです。
 この旧桂宮御殿は京都御所にあった当時、仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍家茂に嫁がれる前、約1年8ヶ月にわたって住まわれた建物で、1854年(嘉永7年)内裏が炎上したときにも延焼を免れ、孝明天皇の仮皇居に使用された由緒深い建物です

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本丸内に建つ皇女和宮が14代将軍家茂に嫁がれる前お住まいだった御殿
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現在二条城には江戸時代につくられた二の丸庭園、明治時代の本丸庭園、昭和時代の清流園の3つの庭園があります。(冊子参照)
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祇園、甲部の始業式・・

2009-01-09 15:04:33 | 行事
花見小路は大賑わい~~

一月八日新春恒例の花街の始業式が祇園甲部の歌舞練場で行われました。新年を迎え芸舞妓さんが一堂に会し精進を誓う行事で、新年の挨拶の後、昨年の成績の良かった芸舞妓さんやお茶屋さんが表彰された後、最後に京舞井上流五世家元の「倭文」の舞が厳かに舞納められるそうです・・この日も早朝から大勢のカメラマンで埋め尽くされ大賑わいです。
芸舞妓さん達は、皆さん黒紋付きの正装で、お茶屋さんに挨拶の後・・大勢のカメラマンや行きかう車などの間をすり抜け歌舞練場へ急ぐ姿をちょっと失礼し撮らせて頂きました。(残念な事に歌舞練場内の様子は伺うことすら出来ません)

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祇園の中でも最も由緒のある「お茶屋」「一力亭」さん
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京都、北野天満宮

2009-01-06 21:06:56 | 神社、仏閣、名所、
北野天満宮へ初詣・・
今年は、丑年・・大小沢山の撫で牛さんが居る天神さんに初詣・・お正月も6日ともなりますと初詣の参拝客も随分少なくゆっくり参拝する事が出来ました。
学問の神、菅原道真公を祀る全国の天満宮、天神社の総本社、牛が同神社の神の使いとされるのは、菅原道真公が丑年生まれだからだそうです。境内のは撫で牛が約30体あるそうです・・
天満宮の牛の像は、総て横たわっていますが、之は道真公の遺体を運ぶ牛が座り込み動かなくなったと言う大宰府天満宮成立の故事にちなんだものだそうです
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ただ拝殿の欄間に有る彫刻の牛が唯一立ち上がる牛が有り、北野天満宮の七不思議の一つに数えられているそうです(京都新聞より参照)

拝殿上部に有る欄間、鈴の上部の部分・・

拝殿正面の欄間に彫られた七不思議の一つとされる「立ち上がる牛」の様子・・

後ろ足を立て立ち上がる牛の彫り物


新年のごあいさつ・・

2009-01-01 12:06:11 | 日記
輝かしき年の初め・・
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あけましておめでとうございます

皆様お健やかに新年をお迎えの事と存じます
昨年は、色々お世話に成り有難うございました。
本年も相い変わりませず宜しくお願い申し上げます

「はな」

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タグはSakuraさまよりお借り致しました、新年早々有難うございます