人々との楽しい出会い・・・

    急がず、焦らずゆっくりと~~

京都 西本願寺、書院前庭の唐門・・

2010-12-17 13:54:00 | 神社、仏閣、名所、



御影堂奥に有る書院は寛永七年(1630)頃の造営で国宝です
南側の対面所と背後の白書院から成り白書院は公的な門主との対面の間。
対面所・白書院とも畳を一部上げることで能舞台に転化できるそうです。
門主の執務所である黒書院と殿廊とも国宝指定されています
(残念な事に建物の外のみ書院内は見る事が出来ません)
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大玄関門と大玄関・・

大玄関門
第二十代、廣如上人の弘化四年(1847)に新築されたもので左右に門番屋を持つ重厚な門で
江戸幕府では十万石以上の大名家の格式に準じたものだそうです
寺院でありながら武家時代の遺風を偲ぶ建築様式です。
重厚な雰囲気の大玄関門・・

大玄関
公式の行事などに際し来客迎える折に使用される。大玄関の創建年代については、
宝暦十年(1760)の親鸞聖人五百回忌の時にその姿を見る事が出来るので
この時期少し前に創建されたものと思われます
公式な来客の時のみ使用される「大玄関」・・

唐門(国宝)

桃山様式の建築。元御影堂の門で元和四年(1618)現在地に移築され彫刻を飾る等で
改造され、日暮門と呼ばれ伏見城の遺構と伝承をもつものだそうです
見事な彫刻、彩色で華麗な姿を見せる「唐門」・・       

「唐門」に施された色鮮やかな見事な彫り物・・        
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西本願寺の大イチョウ・・

2010-12-12 22:13:13 | 神社、仏閣、名所、



西本願寺のイチョウ・・
浄土真宗本願寺派の本山正式には「龍谷山本願寺」といいます。
浄土真宗は、鎌倉時代の中頃に親鸞聖人(1173~1263)によって開かれました。
境内の彼方此方に大きなイチョウの木が植えられ日の光を浴び見事な黄金色に輝いて居ました。

御影堂門・・

       
御影堂門をくぐりますと見事なイチョウの木が・・
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(マウスオンで2枚の画像を・・)
  
御影堂・・(重要文化財)
内陣中央に、親鸞聖人の御真影(木像)が安置されていることから御影堂と称します。
御影堂は、1636(寛永13年)に創建され南北に62m、高さ29mで外陣には、
441枚の畳を敷き1200名を超える人が一度に参拝出来るそうです
227本の柱で、約11万5千枚の瓦の屋根を支える世界最大級の木造建築物です。
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阿弥陀堂・・(重要文化財)
本願寺の本堂で、内陣中央に阿弥陀如来堂が安置されています。
インド、中国、日本のお七高僧、法然上人聖徳太子の影像を奉献しています。
現在の阿弥陀堂は、1760(宝暦10年)に再建され東西42m南北45m高さ25mで外陣には、
285枚の畳を敷き800人を超える人が一度に参拝できるそうです。

境内にそびえる大イチョウ・・・(京都市指定の保存樹)
古くから火災時の類焼を防止する防火樹の役目を果たしているそうです
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青空に映えるイチョウの葉がトッテモ綺麗です・・(マウスオンで2枚の画像を・・)

大イチョウの下・・見事な黄色い絨毯の上に一羽のハトが・・
落ち葉の上で気持ちよさそうな鳩さん・・               境内の南東に位置する「飛雲閣」(国宝)・・画像は有りません(外からの撮影も不可能です)
三層柿葺の楼閣建築で聚楽第の移築と伝えられる見事な傑作建築ですが
普段拝観は出来ません先日の特別拝観のを見逃してしまい残念でした  
        


比叡山麓の紅葉・・

2010-12-08 11:38:24 | 神社、仏閣、名所、



比叡山麓の紅葉・・
京都の紅葉もソロソロ彼方此方では、散りモミジと成りました今年最後の紅葉風景を・・

叡電を降り直ぐ前に広がる「高野川」沿いの景色をマウスオンクリックで3枚の画像を・・
       
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少し山手に向かい「比叡山ケーブルカー」の乗り場付近、山裾の紅葉は
平地とは、又異なり見事な朱色に混じり黄葉、青葉との
美しいコントラストを楽しむ事が出来ました。
        
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(京都の紅葉に長々とお付き合い頂き有難うございました。)
        
        
        


北野天満宮の「もみじ苑」・・

2010-12-01 13:18:40 | 神社、仏閣、名所、



北野天満宮、御土居の紅葉・・
菅原道真公を祀る全国の天満宮、天神社の総本社
天満宮の境内西側に天正19年豊太閤が京都の整備事業の一環で築いた史跡
「御土居」の一部が残存しており、紙屋川(往古、紙漉きの川として利用していた事で
その名を残しています)沿いに植えられたモミジが見事な紅葉を見せてくれました。
「鶯橋」(木製太鼓橋)の紅葉風景・・
朱色の「鶯橋」の下は紙屋川の流れが・・

御土居の下を流れる紙屋川其の畔には見事なモミジの紅葉が・・
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モミジ苑を後に神殿近くまで来ますと・・真っ黄色の大イチョウがお出迎えです

日の光を浴び黄金色に輝いていました・・       
        
        
      


京都、東福寺の紅葉・・

2010-11-26 16:55:40 | 神社、仏閣、名所、



東福寺・・
25の塔頭が取り巻く中に壮大な伽藍を並べる臨済宗東福寺派大本山・・
広い境内には、仏殿と法堂を兼ねた本堂、禅堂、室町時代の東司いずれも重要文化財と
国宝の日本最古の三門が建ち並んでいます(東福寺につきましては・又後日に・・)
境内を流れる渓谷に架かる通天橋は、京都随一のモミジの名所です・・
今回も其の通天橋から眺める見事に紅葉したモミジや其の周辺に繰り広げられる見事な錦秋をご覧ください。
雨に煙るモミジの向こうに「通天橋」が・・       
(見事な紅葉が見られ・・朱色に染めた木々の向こうには「通天橋」が・・)

出掛けました日は曇りのち雨・・雨降りならお客さんも少ないかな??と思い出掛けましたが・・
予想に反し凄い人波が続きます。皆さん傘を挿しながらのモミジ狩り・・
雨に洗われ一段と紅色が冴えます・・

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銀閣寺(慈照寺)・・

2010-11-20 17:08:29 | 神社、仏閣、名所、



銀閣寺(慈照寺)
足利8代将軍善政が、祖父義満の北山殿(金閣)に倣って造営した
東山山荘を禅刹に改めた処、高さ5mも有る銀閣寺垣、
白砂を盛った銀砂灘と円錐形の向月台、其の奥に銀閣(国宝)見事な光景が広がります・・
参道と銀閣寺垣・・
白砂の参道の左右には、石垣その上に銀閣寺垣其の上には椿を中心とした生垣右側には椿二段の生垣が連なります・・
マウスオンの2枚目には、松の枝が降りかかる向こうに唐門が・・・唐門の向こうには銀沙灘(ぎんしゃだん)へ
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(マウスオンで2枚の画像を・・)

観音殿(銀閣)「国宝」と閣上の鳳凰・・
閣上にある青銅の鳳凰は東面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けています
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(マウスオンで2枚の画像を・・)
向月台と段形の広々とした銀沙灘には縁取りが有り
表面には太い線で力強い砂紋画描かれています。
花頭窓から見る展望所麓の紅葉・・
東球堂(国宝)・・内部に阿弥陀仏と義政像を安置されています
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展望所からの眺め・・
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今年は随分遅れている紅葉ですが・・真っ赤に紅葉したモミジを見付けました。マウスオンでご覧下さい
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雨にけむる光悦寺・・

2010-11-12 15:26:08 | 神社、仏閣、名所、



雨にけむる光悦寺
鷹ヶ峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を見下ろす景勝の地に有り、
元和元年(1615)徳川家康公が本阿弥光悦翁に野屋敷として与えた土地で、
光悦はそこに一族縁者を始め種々の工芸に携わる多くの職人と共に住居を構え
光悦翁を中心とする工芸集落を営みました。
光悦翁が茶道に於いても一流、吉田織部や有田有楽斎にも教えを受け、
千宗旦とも深く交わり茶道の奥義を極めた。(冊子参照・・)
庭内には三つ巴亭や大虚庵等お茶室も点在し、
光悦寺垣(臥牛垣)ともいわれる特徴のある垣根が余りにも有名です

此の緑のトンネルも程なくなると真っ赤なトンネルへと~~
庭園へと通じる石畳・・紅葉が始まると紅色に変身です・・

雨に煙る庭園・・
光悦寺垣(臥牛垣)ともいわれる特徴のある垣が余りにも有名です・・
光悦垣の周りは少しずつ紅葉が・・お茶室の周辺の楓もマダマダ青葉でした
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少しずつ朱色に色ついた南天やモミジの葉先に雨雫が・・
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(サムネイルにマウスオンを・・)
選りによって小雨降る日の撮影と成りました。・・
朝夕の冷え込みが厳しく成った今日この頃・・モミジの紅葉も
幾分進んだ事と思われますが~~少し前の画像UPと成りました事お許し下さい

       
        


盛夏の仁和寺・・

2010-08-07 20:45:08 | 神社、仏閣、名所、


仁和寺・・
仁和4年(888)宇多天皇が創建され、
御所から移した金堂(国宝)や五重塔、御影堂観音堂(重文)等の伽藍が建ち並んでいます

木立の中に凛と聳え立つ五重塔・・
夏空に凛々しい姿の五重の塔・・
       
ふと振り返ると其処には威風堂々とした姿の二王門と境内の様子が・・
広い境内の向こうに見える堂々とした姿の二王門・・

夏木立の中に並ぶ幾つかの伽藍・・
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緑の木々に囲まれた中の金堂(国宝)
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金堂の前で出会った、修行僧さん達・・朝のお掃除に行かれるのか手に手にお掃除用具を・・
足早に通り過ぎて行かれました
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一枚目は、二王門前の仁王さまと・・柱の陰からお顔を出した中門前の仁王さま?かな?・・
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梅雨の晴れ間に見た、南禅寺三門と水路閣・・

2010-07-09 16:32:53 | 神社、仏閣、名所、


南禅寺三門と水路閣・・

臨済宗南禅寺派の本山・・
重要文化財の巨大な三門は、日本三大門の一つに数えられ
歌舞伎「楼門五三桐」の石川五右衛門の名セリフ「絶景かな」でお馴染みの三門・・
高さ22mの楼門、楼上には十六羅漢像等が安置され、
楼門に上がると京都市街が一望する事が出来まさに絶景かな~~です

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(マウスオンで2枚の画像を・・)
三門の向こうは、雨に洗われた鮮やかな緑が広がり此方も「絶景かな~」で~す
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(マウスオンで2枚の画像を・・)
法堂・・
幾多の火災に遭い焼失、現在の法堂は明治42年に再建されたものです・・
(応仁、文明の乱により焼失した伽藍の復興は、文明11年頃には法堂が完成しました。
その後、慶長11年に秀頼の寄進により改築された法堂は,
明治26年の火災によって焼失しました。)
三門の奥に凛とした姿で立つ「法堂」・・
水路閣・・
水路閣の上へと上がって見ました・・水路閣上から下を見下ろしますと人々が小さく・・・
水路閣の上から眺めますと下の人々が小さくうつります・・
水路閣の上小道から眺めますと・・
緑の木立の間を流れる琵琶湖から贈り物、等々と流れる涼やかな水の流れを見る事が出来ます・・
一寸不思議ですが・・京都の川はみんな南に向かって流れ落ちるのですが・・
此方、疎水だけは北へ北へと向かって流れ行きます・・
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(マウスオンで2枚の画像を・・)

疏水は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路・・
赤煉瓦のアーチを思わせる水路橋は、南禅寺境内を横切り、
今では、古刹の中に溶け込み一種の美を湛えている様です・・
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上賀茂の社家(西村家庭園)

2010-05-29 21:18:44 | 神社、仏閣、名所、


上賀茂の社家

江戸時代、上賀茂神社の社領は二千五百石と言われ、
神社の東側に流れる明神川沿いに立ち並ぶ上賀茂神社に仕えた神官たちのお屋敷です・・


今も昔の面影をとどめる、上賀茂神社へと続く明神川沿いの社家風景・・


西村家庭園(錦部家の旧宅庭園)京都市指定の名勝

明神川に架かる小さな石の橋を渡りご門をくぐると玄関に通じる小道の両脇には新緑の緑のお出迎えです・・
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(マウスオンで2枚の画像を・・)

錦部家は、現存する社家の中でも最も昔の面影をとどめる庭園が残っていて、
此の庭は養和元年(1181)上賀茂神社の神主が咲く庭したものと言われています。

明神川から庭園内に水を取り入れ「曲水の宴」のための小川の水とした後、
再び川に戻す云うこ工夫がされ又、神事の前の身を清めたゆかりの井戸・・
さらに神山(上賀茂神社のご神体山)の降臨石を形どった石組等、
神官たちの昔の生活垣間見る事が出来ました。
(家屋は、明治中期~後期にかけて建てられたものだそうです)
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家屋の裏に有るもう一つの庭園・・

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明神川から屋敷内庭園に取水された水は池を流れ清いまま元の川へ流し返す地域の決まりが有るそうです