比叡山麓の紅葉・・ 京都の紅葉もソロソロ彼方此方では、散りモミジと成りました今年最後の紅葉風景を・・ 叡電を降り直ぐ前に広がる「高野川」沿いの景色をマウスオンクリックで3枚の画像を・・ < 少し山手に向かい「比叡山ケーブルカー」の乗り場付近、山裾の紅葉は 平地とは、又異なり見事な朱色に混じり黄葉、青葉との 美しいコントラストを楽しむ事が出来ました。
サムネイルにマウスオンを・・(タグはnon_nonさまにお借り致しました。有難うございます) (京都の紅葉に長々とお付き合い頂き有難うございました。) |
東福寺・・ 25の塔頭が取り巻く中に壮大な伽藍を並べる臨済宗東福寺派大本山・・ 広い境内には、仏殿と法堂を兼ねた本堂、禅堂、室町時代の東司いずれも重要文化財と 国宝の日本最古の三門が建ち並んでいます(東福寺につきましては・又後日に・・) 境内を流れる渓谷に架かる通天橋は、京都随一のモミジの名所です・・ 今回も其の通天橋から眺める見事に紅葉したモミジや其の周辺に繰り広げられる見事な錦秋をご覧ください。 (見事な紅葉が見られ・・朱色に染めた木々の向こうには「通天橋」が・・) 出掛けました日は曇りのち雨・・雨降りならお客さんも少ないかな??と思い出掛けましたが・・ 予想に反し凄い人波が続きます。皆さん傘を挿しながらのモミジ狩り・・ 雨に洗われ一段と紅色が冴えます・・
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銀閣寺(慈照寺) 足利8代将軍善政が、祖父義満の北山殿(金閣)に倣って造営した 東山山荘を禅刹に改めた処、高さ5mも有る銀閣寺垣、 白砂を盛った銀砂灘と円錐形の向月台、其の奥に銀閣(国宝)見事な光景が広がります・・ 参道と銀閣寺垣・・ 白砂の参道の左右には、石垣その上に銀閣寺垣其の上には椿を中心とした生垣右側には椿二段の生垣が連なります・・ マウスオンの2枚目には、松の枝が降りかかる向こうに唐門が・・・唐門の向こうには銀沙灘(ぎんしゃだん)へ < (マウスオンで2枚の画像を・・) 観音殿(銀閣)「国宝」と閣上の鳳凰・・ 閣上にある青銅の鳳凰は東面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けています < (マウスオンで2枚の画像を・・) 向月台と段形の広々とした銀沙灘には縁取りが有り 表面には太い線で力強い砂紋画描かれています。 花頭窓から見る展望所麓の紅葉・・ 東球堂(国宝)・・内部に阿弥陀仏と義政像を安置されています
(サムネイルにマウスオンを・・) 展望所からの眺め・・
(サムネイルにマウスを・・タグはnon_nonさまにお借り致しました。有難うございます) 今年は随分遅れている紅葉ですが・・真っ赤に紅葉したモミジを見付けました。マウスオンでご覧下さい < |
雨にけむる光悦寺 鷹ヶ峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を見下ろす景勝の地に有り、 元和元年(1615)徳川家康公が本阿弥光悦翁に野屋敷として与えた土地で、 光悦はそこに一族縁者を始め種々の工芸に携わる多くの職人と共に住居を構え 光悦翁を中心とする工芸集落を営みました。 光悦翁が茶道に於いても一流、吉田織部や有田有楽斎にも教えを受け、 千宗旦とも深く交わり茶道の奥義を極めた。(冊子参照・・) 庭内には三つ巴亭や大虚庵等お茶室も点在し、 光悦寺垣(臥牛垣)ともいわれる特徴のある垣根が余りにも有名です 此の緑のトンネルも程なくなると真っ赤なトンネルへと~~ 雨に煙る庭園・・ 光悦寺垣(臥牛垣)ともいわれる特徴のある垣が余りにも有名です・・ 光悦垣の周りは少しずつ紅葉が・・お茶室の周辺の楓もマダマダ青葉でした
少しずつ朱色に色ついた南天やモミジの葉先に雨雫が・・
選りによって小雨降る日の撮影と成りました。・・ 朝夕の冷え込みが厳しく成った今日この頃・・モミジの紅葉も 幾分進んだ事と思われますが~~少し前の画像UPと成りました事お許し下さい |
仁和4年(888)宇多天皇が創建され、 御所から移した金堂(国宝)や五重塔、御影堂観音堂(重文)等の伽藍が建ち並んでいます 木立の中に凛と聳え立つ五重塔・・ ふと振り返ると其処には威風堂々とした姿の二王門と境内の様子が・・ 夏木立の中に並ぶ幾つかの伽藍・・
金堂の前で出会った、修行僧さん達・・朝のお掃除に行かれるのか手に手にお掃除用具を・・ 足早に通り過ぎて行かれました < マウスオンクリックで3枚の画像を・・ 一枚目は、二王門前の仁王さまと・・柱の陰からお顔を出した中門前の仁王さま?かな?・・ < マウスオンで2枚の画像を・・ |
臨済宗南禅寺派の本山・・ 重要文化財の巨大な三門は、日本三大門の一つに数えられ 歌舞伎「楼門五三桐」の石川五右衛門の名セリフ「絶景かな」でお馴染みの三門・・ 高さ22mの楼門、楼上には十六羅漢像等が安置され、 楼門に上がると京都市街が一望する事が出来まさに絶景かな~~です < (マウスオンで2枚の画像を・・) 三門の向こうは、雨に洗われた鮮やかな緑が広がり此方も「絶景かな~」で~す < (マウスオンで2枚の画像を・・) 法堂・・ 幾多の火災に遭い焼失、現在の法堂は明治42年に再建されたものです・・ (応仁、文明の乱により焼失した伽藍の復興は、文明11年頃には法堂が完成しました。 その後、慶長11年に秀頼の寄進により改築された法堂は, 明治26年の火災によって焼失しました。) 水路閣・・ 水路閣の上へと上がって見ました・・水路閣上から下を見下ろしますと人々が小さく・・・ 水路閣の上小道から眺めますと・・ 緑の木立の間を流れる琵琶湖から贈り物、等々と流れる涼やかな水の流れを見る事が出来ます・・ 一寸不思議ですが・・京都の川はみんな南に向かって流れ落ちるのですが・・ 此方、疎水だけは北へ北へと向かって流れ行きます・・ < (マウスオンで2枚の画像を・・) 疏水は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路・・ 赤煉瓦のアーチを思わせる水路橋は、南禅寺境内を横切り、 今では、古刹の中に溶け込み一種の美を湛えている様です・・
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江戸時代、上賀茂神社の社領は二千五百石と言われ、 神社の東側に流れる明神川沿いに立ち並ぶ上賀茂神社に仕えた神官たちのお屋敷です・・ 今も昔の面影をとどめる、上賀茂神社へと続く明神川沿いの社家風景・・ 西村家庭園(錦部家の旧宅庭園)京都市指定の名勝 明神川に架かる小さな石の橋を渡りご門をくぐると玄関に通じる小道の両脇には新緑の緑のお出迎えです・・ < (マウスオンで2枚の画像を・・) 錦部家は、現存する社家の中でも最も昔の面影をとどめる庭園が残っていて、 此の庭は養和元年(1181)上賀茂神社の神主が咲く庭したものと言われています。 明神川から庭園内に水を取り入れ「曲水の宴」のための小川の水とした後、 再び川に戻す云うこ工夫がされ又、神事の前の身を清めたゆかりの井戸・・ さらに神山(上賀茂神社のご神体山)の降臨石を形どった石組等、 神官たちの昔の生活垣間見る事が出来ました。 (家屋は、明治中期~後期にかけて建てられたものだそうです)
家屋の裏に有るもう一つの庭園・・
サムネイルにマウスオンを・・(タグは、non_nonさまにお借り致しました。有難うございます) 明神川から屋敷内庭園に取水された水は池を流れ清いまま元の川へ流し返す地域の決まりが有るそうです |