人々との楽しい出会い・・・

    急がず、焦らずゆっくりと~~

京都府立植物園・・バラの園

2007-05-30 23:28:49 | お花
京都府立植物園へ
今、バラの花が見ごろと聞き行って参りました。午前中にと思い出掛けましたが、丁度日曜日、大勢の家族ずれや絵画教室の子供達が一心に写生をする姿が多く見られました。
この日も良いお天気、太陽の下では、30度を超える暑い一日に成りました。
洋風バラ園には、300品種種大よそ2000株のの薔薇の花が植えられて。居るそうです。

バラ園の素敵なアーチには、真っ赤なつるバラが咲いていました。
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バラ園の中には色とりどりのバラの花が今を盛りと咲き乱れ芳しい香りが漂っていました。
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ゴールドバニー
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マダマダ沢山のバラが咲いておりましたが、その中のほんの一部を見て戴きました。もう少し上手に撮れればイイのですが・・
(サムネイルにマウスを当てて下さい。) タグは、non_non様よりお借り致しました。




大徳寺山内塔頭その2・・龍源院

2007-05-27 01:19:30 | 神社、仏閣、名所、
龍源院
大徳寺南派の法源地本院として、大徳寺中最も古いお寺です
今より500年前、文亀2年(1502)大徳寺の開山、大灯国師より八代の法孫東渓宗牧禅師を開祖として、能登の領主畠山義元公、大友義長公らが創建されました。
方丈、玄関、表門は創建当時のもので重文として室町時代最古の方丈建築物です。
表門(重要文化財)室町時代の建立、四脚門切り妻造り、檜皮葺き
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方丈前庭園
方丈を中心として南庭、北庭、東の壺石庭、開祖堂前庭、と庫裏南軒先の各種庭園が有ります。
方丈前庭「一枝坦(いっしだん)」には曽て七百有余年を経た中国の山茶花”楊貴妃”という老木が昭和55年春に樹齢に付きて枯れ、その後現在住の喝堂和尚が禅院特有の枯山水庭を創案し蓬莱山形式の庭園、庭の中央右よりの石組が蓬莱山を現し右隅の石組が鶴島、左の丸い苔山が亀島、白い砂が大海原を現している。
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方丈
仏像は、釈迦如来座像(鎌倉時代(1250)行心作、重要文化財
襖絵・・龍と波の図、江戸初期の南画(筆者不明)
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庫裏の書院南軒先に有る阿吽の石庭(滹沱底こだてい)
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礼の間
和尚と修行僧が一衆和合、公式の香礼等を為す所、昔は大名のお供の控え室でした。襖絵は室町時代等春筆の列仙の図。

檀那の間
檀家と和尚が談話、親しくし合う間。

上間(衣鉢閣)
衣鉢と言うのは、出家僧の最も大切な三衣(袈裟の事で五条、七条、九条の袈裟)と鉄鉢(食器)で、その衣鉢を蔵する所。日常起居する居間。室銘「狸窟}

開祖堂
開祖東渓禅師の塔所、南北朝、鎌倉、室町時代の様式の粋を取り入れた昭和唐様木造建築の代表作です。

竜吟庭
方丈の北庭、室町時代特有の三尊石組みから成る須弥山形式の枯山水庭園。相阿弥作と伝えられています。杉苔は大海原を現し石組みは陸地を現す。中央に高く突出する石が須谷山、石の前にある丸い板石を遥拝石と言いこの理想に一歩でも近づこうとする信心の現われです

東滴壺
方丈の東にある有名な坪庭、我が国で最も小さく底知れぬ深淵に吸い込まれそうな感じのする格式高い石庭だそうです(谷間にポッリ、ポッリと落ちる水滴が集り谷川となり大河となる。散りも積もれば山となるの喩の通り・・・)

宝物
種子島銃、天正11年(1583)日本最古の種子島銃
碁盤及び碁筒、秀吉、家康が対局したと言う四方蒔絵の逸品で重要美術品

大徳寺山内塔頭・・・その1・・瑞峯院

2007-05-23 00:28:43 | 神社、仏閣、名所、
瑞峯院
室町時代の九州豊前豊後の領主でキリシタン大名で有名な大友宗麟公が天文4年(1535)菩提寺として創建。
唐門、表門ともに(重要文化財)室町時代の禅宗方丈建築の遺構を留めています。唐門表門ともに創建当時のものです。
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方丈の襖絵
朝鮮の金剛山を延べ、三十三間、大自然の雄大さを描かれています。
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方丈前の独坐庭
蓬莱山式庭園、中国の禅僧百丈禅師が「独坐大雄峰」と唱した禅語から名付けられたそうです。この枯山水は、蓬莱山の山岳から半島となり大海の荒波に揉まれながらも独坐している大自然の活動を現しているのだそうです。
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茶室、安勝軒
表千家惺斉宗匠の好みで、大徳寺山内唯一の逆勝手席です。
表三畳台目逆勝手、三畳角炉の席と成っています。お水屋の様子も少し拝見できました。(お部屋に入る事が出来ず外からなので部屋の様子が詳しく写す事が出来ませんでした。)
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他にも「餘慶庵」・・表千家八代目啐啄斉宗匠好みの席の写しで、六畳台目の席、次に八畳の下坐床の席、廊下を隔て四畳半向こう切りの席が有り「利久忌」に因み毎月二十八日には、お釜が、掛けられます。
その他にも「平成待庵」・・利久居士が、唯一残した。二畳の席、待庵が国賓として現存。両茶室とも拝見出来ませんでした。
閑眠庭
茶室「安勝軒」の前庭。庭の名前は、「閑眠高臥して青山に対す」の禅語から銘じられたそうです。
大友宗麟公が、晩年キリスト教を保護しフフランシスコ・ダビエルについて洗礼を受けキリシタン大名として知られ、石を十字架に組み万民の霊を弔っているのだそうです。

中庭の隅に今も使用されている井戸が有りました。側に可愛い椿のお花が・・咲いていました。
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大徳寺・(・臨済宗大徳寺派の大本山)・・その1

2007-05-20 12:52:30 | 神社、仏閣、名所、
大徳寺

大徳寺・・臨済宗大徳寺派の大本山。山号、龍宝山、本尊、釈迦如来、
元応元年(1319)大燈国師が開き、後醍醐天皇の勅願所と成り庇護を受けたが、対立した室町幕府足利義満に格下げされ、応仁の乱で。荒廃し、その後一休禅師が再興、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を盛大に挙行し、その菩提寺として、総見院を建立、それ以後武将による塔頭建立が相次ぎました。千利休の帰依を受けて以来、茶道との関わりが深く千家の菩提寺が有り殆どの塔頭に茶室が有り「大徳寺の茶面」と称されています。

伽藍
勅使門、三門。仏殿、法堂がほぼ一直線に並び中心伽藍の北、南、西に20ヵ所以上の塔頭寺院が建ち並んでいます。(残念なことにこの伽藍は、非公開の為外から見える範囲にしかご案内することが出来ません)

勅使門・・重要文化財
慶長年間(1596年~1614年)建立の御所の門を下賜され寛永17年(1640年)に移築されました。

三門・・重要文化財
2階建ての門、連歌氏宗長の寄進、享禄2年(1529)下層のみが竣工天正17(1589)千利休が上層(2階)を完成。利久は、上層に自身の木像を安置しました(門をくぐるものは、利久の下をくぐる事になり)これが豊臣秀吉の怒りを買い、秀吉はこの事を楯に利久に自決を迫ったと言います。



仏殿、法堂、ともに・・重要文化財
唐門・・国宝・・秀吉の聚楽第の遺構と伝えられ加齢な装飾彫刻と色彩を持つ桃山建築ですが伽藍奥深く目にすることは出来ませんでした・
仏殿の前に大徳寺が創建されたと同時期から植えられていたと言う「大イブキ」が今も勇壮な姿を見せていました。クリックの後、茂みの中にかいま見える法堂です
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伽藍の中の様子・・法堂から本坊へと続く渡り廊下と中庭の様子と・・伽藍横の参道です
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今回、見学することの出来なかった伽藍内の様子本当に残念でした。でも、千利休と大徳寺少しずつですが勉強することが出来良かったです。
次回は、大徳寺塔頭寺院の様子を少しずつご案内できればと思って居ります。

甲州西山温泉の旅・・

2007-05-16 22:41:01 | 旅、
甲州西山温泉への旅
姉達のお友達のお仲間に入れて頂き14日~15日の一泊旅行に出かけました。
総勢9名、サロンバスを1台チャーターしてのユッタリとした贅沢旅行です。
8時半京都を出発名神~中央自動車道~駒ヶ岳SAに差し掛かると左手に雪を頂いた駒ヶ岳がくっきりと浮かび上がりました。(高速道路の車窓からの為思うように撮ることが出来ませんが・・)

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途中諏訪湖で昼食、姉のお友達のNさま差し入れの京料理屋さん特製の豪華版折詰め京懐石弁当に筍ご飯の笹巻おにぎりを戴きました。(余りに素敵で写真を撮るのを忘れ先に戴いてしまい残念です)

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韮崎インターから南アルプスの山並みをを車窓から眺めながら西山温泉に・・
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15日お宿を出発し途中清水市
清水次郎長の船宿「末広」
明治19年、次郎長が清水波止場に開業した船宿を復元したものです。次郎長の英語塾で英語を習っている様子もお人形で再現されていました。
(明治7年旧幕臣の新井幹が成就院に明徳舘、後の「清水小学校」と言う私塾を作りました。次郎長はその一角に英語塾を開いたと言うことです。次郎長自身は、無学でしたが早くから教育の必要性を感じ開塾したそうです。)

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高速道路沿いに素敵な茶畑が・・思わずシャッターを切りましたが動く車の中からでは、思うようには行きませんでした。
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大井川を渡り一路京都へと帰路につきました・・
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今回動くバスの中からの写真が多く少しお見苦しく申し訳御座いません。
期待していた富士山には、今回出会うことが出来ずトッテモ残念でしたが・・待望の旬の桜えびのお料理も本場で味わう事が出来トッテモ良かったです。

城南宮のお庭

2007-05-11 17:10:31 | 神社、仏閣、名所、
城南宮
平安遷都にあたり、都の南の国の守護神として創建されました。
平安時代の末、応徳3年(1086)に白河上皇が壮大な鳥羽殿を造営した時、鎮守杜として崇めたと言われています。
祭神は、国常立尊、大国主命、息長帯姫命・・・
熊野詣に先立ち道中の安全を祈って城南宮で身を清め出発すると言う慣わしと成り古くから方除けや度の安全を願う神として現在も信仰を深めています。
承久3年(1221)に、後鳥羽上皇が城南宮離宮の流鏑馬揃えと称し武士を集め承久の乱を起し、慶応4年(1868)正月城南宮に陣を構えた薩摩藩の大砲が鳴り響き鳥羽、伏見の戦いが始りました。

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マウスオンの後クリックして下さい。本殿は、平安時代後期の様式、流れ造りの本殿です

曲水の宴
狩衣や小袿と言った平安貴族の装束を身に付け歌人がせせらぎの辺に座り川上から童子が流す盃を歌人は流れて来るまでに和歌を短冊にしたた、盃を飲み干します。

歌会や宴、船遊びや競馬がしばしば行なわれ王朝文化が、繰り広げられ今も王朝風俗を再現する「曲水の宴」などが行なわれています。(今年も4月29日に行なわれたのですが残念ながら当日行く事が出来ませんでした。宴の様子は、屏風の絵をご覧に成って下さい。)


神苑、楽水苑のお庭
春の山、築山の一つで春の草木が咲きます。平安の庭、室町の庭、桃山の庭、離宮の庭と、五つのお庭に別れ夫々趣が異なりました。
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平安の庭の様子・・
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サムネイルにマウスを当ててください。タグは、non_nonさまにお借り致しました。(id,aa9,bb9)


京都、蹴上浄水場のツツジ・・

2007-05-08 00:43:21 | お花
京都東山、蹴上浄水場
蹴上浄水場は、日本最初の急速ろ過式浄水場として明治45年3月(1912)に竣工し、翌年4月から給水を開始した京都で最も古い浄水場です。
京都市民の飲み水を供給してくれる浄水場・・面積約111㎡
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蹴上浄水場のツツジ
毎年、今の季節に成ると浄水場の敷地内の斜面の回り植えられた約7000本のツツジやサツキが綺麗なお花を咲かせこの時期、4日間だけ一般公開されます。
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排水地横に黄色い「レンゲツツジ」が、一本咲いていました。その近くに可愛いタンポポと綿毛のタンポポが咲いていました。(マウスオンクリックして下さい。)
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今日の京都は、気温も28度、汗ばむ陽気に成りました。園内を回るのも大変・・・でも、水道局の粋な計らいで、冷たく冷えたッペットボトルのお水とPRうちわを戴き暑さも忘れ散策することが出来ました。
広い敷地内、大勢の人々が今を盛りと咲き誇るツツジのお花に見入っていました。急な斜面イッパイに咲き誇るツツジ、眼下には京都市内もよく眺められ久し振りに味わう清々しい気分に酔い知れる事が出来ました。



相国寺その3・・特別拝観、浴室

2007-05-05 17:18:34 | 神社、仏閣、名所、
浴室
浴室は、宣明(せんみょう)と呼ばれ、1400年頃創建された様で現在のものは、慶長初年(1596)に再建されたものです。平成14年6月に復元修復されました。
跋陀婆菩薩の言葉に「妙蝕宣明、成仏子住」(宣明とは明らかでハッキリしていると言う意味)この故事に習い禅宗寺院の浴室は、宣明と呼ばれ、跋陀婆菩薩をお守りしているそうです。
禅宗では、「威儀即仏法」と言い、日常の立ち振る舞い総てが、修行の場であり、修行の上で「心」と「体」の垢を落とすと言う意味で重要な役目を果たしています。
この宣明を称せられるのは、皇室、及び将軍家に限られ、足利義満が創建した相国寺の浴室も宣明と称されます。
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        浴室の全景と浴室内待合と脱衣所などです。(マウスオンの後クリックして下さい。)

浴室の内部や後方の釜のたきぐち等の説明図です・・・下のサムネイルの写真と見比べ参考にして下さい。

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浴室入口・・
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サムネイルにマウスを当ててください。たぐはnon_nonさまにお借り致しました。(yok,yoks)

入浴方法は、一度に6人位が一緒に入り、蒸気浴をしながら、ひしゃくで湯を取り、身体に注ぐ掛け湯式の入浴法を合わせて行なう方式だそうです。
瑞春院

帰り道、塔頭の瑞春院の前を通りました。『水上勉』の「雁の寺」のモデルに成ったお寺です。事前に予約が必要との事、モデルに成った上田萬秋の雁の襖絵、今尾景年の孔雀の襖絵などが拝見出来素敵な水琴窟や雲泉庭など色々拝見出来たのに・・と残念に思いながら帰路に付きました。

相国寺(臨済宗大本山)その2・・法堂と方丈・・

2007-05-01 22:13:17 | 神社、仏閣、名所、
法堂(重要文化財)
相国寺の中核分部は、本尊釈迦如来像を安置するこの法堂です。
桃山時代の遺構で我が国最古の法堂です。相国寺には、仏殿や金堂が存在せずこの法堂が仏殿を兼ねています。
入母屋造りの唐様建築で、本尊の釈迦如来及び脇侍は、運慶の作と言われています。
天井は、一面に板を張った鏡天井です。その中央に「蟠龍図」が描かれています
天井に描かれている「蟠龍図」は、狩野永徳の嫡男の光信の作です。
又この「蟠龍図」見る人が位置を変えても常にその方を向き八方睨みの龍とも言われ「蟠龍図」の下で手を叩くと、堂内にその音が響きカラカラと龍が鳴いた様にこだまして音が帰って来「鳴き龍」とも言われています。(冊子の写真を参考にさせて戴きました。)
残念なことに法堂の中は、撮影禁止の為カメラの持ち込みは出来ませんでした。
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方丈
方丈は、法堂の北に唐門をと塀に囲まれて建つ建つ方丈は東は、庫裏へと続いています。
文化4年(1807)に再建され襖絵や北側庭園は京都市指定の名勝に成っています。
方丈前庭庭園
白砂を引きつめた、禅の根本教え「本来無一物」(執着すべきものは一つも無い)を表しています。
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法堂から続く唐門です・・
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方丈内部
室中の間南北に3室ずつあり南中央の最も広い室中の間の中央に観音菩薩画像がかけられています。
「法華観音図}
観音菩薩の絵は、総て観音経の経文の文字で連ね細かい字で描かれ通常の線で描かれていません。
この画風を得意とした、江戸時代文化年間に活躍した「遠塵斉」の代表作です。(1734~1810)
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方丈内の襖絵
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方丈庭園北側
中央に谷が走り深山幽谷の雰囲気をあらわしているそうです。
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庫裏へと通じる廊下で素敵な[殿鐘]と[雲板]なるものを見つけました。
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[殿鐘]は、問答の時(ドアのノックの様に用いるのだそうです)
[雲板]は朝食の合図(禅寺では、朝食はお粥だそうです)