人々との楽しい出会い・・・

    急がず、焦らずゆっくりと~~

相国寺(しょうこくじ)・・・(臨済宗相国寺派大本山)その1

2007-04-28 17:17:48 | 神社、仏閣、名所、
相国寺(臨済宗相国寺派の大本山)相国寺承天禅寺。 本尊は、釈迦如来・・

室町幕府三大将軍足利義満が、後小松天皇の勅命を受け、約10年の歳月を費やし明徳三年(1392)に完成ました。夢窓国師を勧請開山として、建立された相国寺は天龍寺に次いで京都五山の2位に列せられました。

その後、応仁の乱の戦火により諸堂は焼失、度重なる災禍にも拘らず、禅宗行政の中心地として多くの高僧を輩出、室町時代の禅文化に貢献しました。

戦国時代、豊臣家の外護を受け、慶長十年(1605)豊臣秀頼が現在の法堂を建立、同じく十四年には、徳川家康も三門を寄進しました。

その他の堂塔も再建したのですが、天明八年(1788)の大火で法堂、浴室などが焼失、文化四年(1807)、桃園天皇皇后恭礼門院旧殿の下賜を受け開山塔として建立され、方丈、庫裏も完備され壮大な旧観を複するに至りました。

現在は、金閣寺、銀閣寺を始め九十余ヵ寺を数える末寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山です。

「総門と並び立派な勅使門」が有ります。
境内に入ると左目前に広がる赤松の松林・・その手前に勅使門から続く放生池が見えます。
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相国寺総門・・
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参道を進むと右手に「鐘楼」・・
洪音楼とも言われ天保14年(1545)に再建された「袴腰付鐘楼」と言われ大型のものは、現在有数です。


「法堂」・・松林の奥に法堂が有りました。
慶長10年(1605)豊臣秀頼の寄進によって5回目の再建になり、我が国法堂建築の最古のものです。正面28,72m、側面22,80mです。
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「庫裏(香積院)」
禅寺の庫裏は、切り妻妻入りで、大きい破風や壁面が特に印象的です。

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後、方丈は法堂の北、お堀に囲まれた中に南面して建つ大建築で、東は庫裏に続き、文化4年(1807)再建され、桁行25M、梁間16M、ほうじょうとしては、大規模な建築です
境内には、本坊の諸伽藍の他に、10余りの塔頭が山内に有ります。

        所在地   京都市上京区今出川通り烏丸東入相国寺門前町701
          拝観冊子などを参考に引用させて戴きました。





知恩院の方丈庭園と七不思議・・

2007-04-24 00:55:00 | 神社、仏閣、名所、
知恩院の方丈庭園
寛永18年(1641)玉淵坊により作庭されたと伝えられる池泉回遊式の庭園が、大方丈、小方丈の脇に有りました。その奥の山亭庭園へと続きます。
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山亭庭園
知恩院で一番高い所に有り古都の町並みが一望出来、四季折々の遠景が楽しめるのですが、残念なことに春霞でぼんやりした町並みが見え広がっていました。
庭園の奥深い一角、権現堂の側にひっそりと千姫のお墓も有りました。

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知恩院の七不思議と言われるものが有ります

「鴬張り廊下」・・歩くと鶯の鳴声に似たキュッキュッと音が出て、静かに歩くほど音が出曲者の侵入を防ぐ事が出来る。

「瓜生石」・・昔、石から瓜のつるが伸び一夜の内に花が咲き瓜が実ったと言われ、二条城に続く抜け道の入り口とか言われています。

「大杓子」・・方丈入口の廊下の梁に有り重さ30kも有る大杓子。三好青海入道が、大阪夏の陣の時にこの杓子を持ち暴れまわったとか・・ご飯をすくってふるまったとか言われています

「三方正面向きのネコ」・・大方丈の廊下の杉戸に狩野尚信が描いたネコの絵は、どの方向から見ても見る人を正面から睨んで居る様に見えるそうです。

「抜け雀」・・狩野信政が描いた大方丈菊の間の襖絵、かつては、菊の上に雀が数羽書かれていたのですが何時の間にか何処かに飛び立ってしまったそうです。

「白木の棺」・・三門楼上に有る二つの棺、三門造営を命じられた棟梁の五味金衛門夫妻の木像が納められています。命がけで三門を造ったのですが予算超過の責任を取り自害したそうです

「忘れ傘」・・御影堂正面の軒裏に置かれた傘。御影堂建立時、この辺りに棲んでいた白狐が、居場所が無くなり居場所を戴いたお礼にこの傘を置いて寺を守る事を約束したなどといわれています。
(これ等は、冊子を参考にさせて戴きました。)

法堂から大方丈へ通じる廊下
方丈への廊下からが鴬張りと成りほんの一部公開されていました。
その奥に七不思議の説明文が写真と共に掲示されていました。パンフレットの写真を引用させて戴きました。
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『忘れ傘』と『瓜生石』以外は、非公開の為目にする事は、出来ませんでした。



知恩院(浄土宗総本山)と桜・・

2007-04-19 12:39:15 | 神社、仏閣、名所、
知恩院
浄土宗総本山・・山号は、華頂山(知恩院大谷寺)
本尊は、法然上人御影像。安政元年(1175)に法然上人が東山大谷の吉水に建てた坊舎が始りだそうです。天正三年(1575)に正親天皇の綸旨により浄土宗総本山と成りました。

三門・・・国宝
徳川秀忠により元和7年(1621)に建てられ、現存する二階建ての二重門としては最大のものです。楼上にはお釈迦様や羅漢様をお祀りして有ります。この三門は、高さ24m、幅50木造の門としては、世界最大級の門だそです。
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御影堂・・国宝
法然上人の御尊像を安置する御影堂は、徳川家光により寛永16年(1639)に再建されたもので、国宝に指定されています。堂内は、4千人が入れるくらい広々としています。
御影堂の廊下は、総て鴬張りで、廊下の天井には左甚五郎が、魔よけに置いたと言う忘れ傘が置かれていました。(知恩院を火災から守ると信じられているか・・)
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マウスオンして頂き御影堂の軒裏に置かれた傘がご覧戴けたでしょうか?

(向かって右から2っ目と3っ目の桟の間に傘の柄が、チョコッと見えているのですが・・)

知恩院の桜・・・
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三門の前に見事な桜が・・
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今から少し前に行った時の写真の為、今日では随分桜もハラハラと散り葉桜に成っているかと思いますが・・ご勘弁下さい。


平安神宮の桜・・

2007-04-15 23:26:43 | 神社、仏閣、名所、
平安神宮

祭神は桓武天皇、孝明天皇。日本文化の祖神をお祀りする平安神宮は、明治28年(1895)平安遷都1100年を記念して創建された神宮で、社殿は、平安京の正庁朝堂院の様式を模しています。

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赤い鳥居の奥に真っ赤な社殿が見えます。
参道の畔、近くに流れる疏水の両岸に沢山の桜が植えられ一面に素敵なお花を咲かせていました
正面に霞む東山、朝もやが掛かりうっすらとした姿を見せています。

平安神宮神苑
神苑は、社殿を囲み南、西、中、東の4つの庭で構成されその広さは、約1万坪を誇り明治を代表する回遊式庭園として国の名勝に指定されています。
苑内の紅枝垂れ桜や、寒緋桜、早咲きの赤実大島桜等が有名です。
また、苑内は四季折々のお花で彩られ夫々のシーズン毎に素敵な風情を見せてくれます。
神苑の桜をサムネイルでご覧下さい。
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栖鳳池に映る桜も風情が有りいいものです。紅枝垂れ越しに見る泰平閣や尚美舘、矢張り桜の季節は華やかでトッテモ素敵・・今年も素敵な桜を沢山咲かせてくれました。
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京都御所、春の特別拝観の様子

2007-04-10 19:07:52 | 神社、仏閣、名所、
京都御所、春の特別拝観

京都御所延暦13年(794)、桓武天皇による平安遷都から明治2年(1869)の東京奠都までの1075年の長い間、京都は皇域の地でした。
現在の御所は、烏丸通、今出川通、寺町通、丸太町通に囲まれ全域で、紫宸殿の有る京都御所と大宮御所、仙洞御所、京都御苑とが有ります。
光徳3年(1331)に光厳天皇が皇居と定めてから明治天皇が東京へ移るまでの約540年間続いた皇居です。

建礼門
南側の築地に有る建礼門で、御所の正門です。
天皇陛下のみが用いられ、外国からの元首も此処からお入りになります。



京都御所を取り巻いている長い土塀は、「築地」(ついじ)と呼ばれ江戸時代の中頃に五本の白い横線が入る筋塀の形式に定まったと言われています。




御車寄
昇殿を許された者が、正式に参内する時の玄関。



諸大夫の間
正式に参内した者の控えの間で身分に応じ異なる部屋に控える。
襖絵にちなみ「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と呼ばれたようです。
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新御車寄
1915年(大正4年)大正天皇の即位礼に建てられたもので、大正以降の天皇皇后両陛下の玄関だそうです


承明門から眺める紫宸殿


紫宸殿
京都御所の正殿で、即位礼や節会等の厳儀を行う所
中央に天皇の御座「高御座」と皇后の御座「御帖台」が置かれています。
明治天皇、大正天皇、昭和天皇、の即位礼が行なわれ、今上天皇の即位礼は、「高御座」と「御帖台」を東京に搬送し宮殿で行なわれました。
向かって右に「左近の桜」左に「右近の橘」が有り、前面には、白砂の南庭が、広がっています。
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清涼殿
平安時代、天皇が日常の御生活の場として使用された御殿で、入母屋桧皮葺きの震殿つくりです


小御所
主に皇太子の元服式や立太子礼に用いられたそうです。
昭和29年鴨川で打ち上げられた花火の落下により小御所を焼失、昭和33年に復元されました。
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御学問所
学問だけでなく、月次の和歌の会などにも使われたそうです。
小御所と御学問所の間に蹴鞠の庭も有りました。
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御池庭
回遊式庭園、前面には、州浜で、その中に船着への飛び石を置いています。
対岸には、樹木を配し苑路を廻りながら色々な景色を楽しむことが出来ます。
御池庭の直ぐ隣に「お涼み所」が有ります、此方は入口の処しか見学できませんでした。
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お常御殿
室町時代以降、天皇が日常のお住まいとして使用された御殿、内部は15室からなる書院造りの建物です。
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お茶御口切り
旧暦10月、初夏に摘んだ新茶を詰めた茶壷の封を切り、石臼で曳いた新茶を点てて献茶する行事。


御三間
お常御殿にあって日常の御座所、涅槃絵、茅輪、(夏越の祓へ)、七夕、御目出度事御盃等が此処で行なわれました。


今年は、春の一般公開は、四月四日から八日までの五日間行なわれました。
普段は、前もって申し込みをしないと拝見する事が出来ません。
今春のテーマは「御所の年中行事」と題してお正月の歌舞「踏歌節会」を始め「新茶御口切り」「七夕」などで、御所で江戸時代まで続けられていた催事が、実際の場所に人形を飾って再現されていました。
この日も満開の桜の下、大勢の人々と共に宮廷の雅な絵巻物を心行くまで堪能する事が出来ました。
一部、冊子を参考にさせて戴きました。


桜の素晴らしい 哲学の道

2007-04-06 21:15:48 | 神社、仏閣、名所、
哲学の道

若王子橋から銀閣寺橋までの約2kmの道程。琵琶湖疎水に沿ってつけられた散歩道です。
大正時代に活躍した。西田幾太郎や川上肇等の哲学者たちが散歩した事により名付けられたそうです。

昨日、今が見ごろと聞きましたので、早速「哲学の道」に行って参りました。
「哲学の道の桜」サムネイルで、ごゆっくりご覧いただけましたら幸いです・・
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今を盛りと咲き乱れる桜・・
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哲学の道周辺は、大勢のお花見客でごった返す中桜の花が今を盛りと綺麗な姿を見せてくれます。途中ピンクのツツジも咲き色を添えていました。

12月5日投稿分の「哲学の道」もご覧いただければ幸せです。

南西諸島の旅(沖縄分)は、又後日UPさせて頂きますのでヨロシクお願い致します。



美ら海・南西諸島クルーズ その6

2007-04-05 19:20:25 | 旅、
宮古島 その2
西平安名崎から島の反対側の東平安名崎へ・・・

東平安名崎
宮古島の最東端に有り約2km、幅200mの青い海に細長く突き出した美しい岬。太平洋と東シナ海を一望できる景色は、「日本百景」にも選ばれています。
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途中、ブーゲンビリアの綺麗に咲いているジュース屋さんで100%生のマンゴージュースを戴きながら素敵なお花の観賞です・・・

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スターフルーツ(カットすると可愛い星の形が現れます。)
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来間島
来間島は宮古島の南西部に浮かぶ小さな島で、この島も宮古島と来間大橋と結ばれています。面積は約2.8km2で人口は200人足らず・・・
集落は一つでそこ以外はほとんどサトウキビ畑です。来間大橋・・1995年にできたばかりの橋だそうです・・
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お船に帰る時間迫って来ました。大急ぎ来間島大橋を渡り帰路にとつきました。



美ら海・南西諸島クルーズ その5

2007-04-01 12:35:31 | 旅、
3月15日 宮古島・・その1 

午前7時55分第2埠頭3号平良港入港です。気温24℃ 曇後晴れ4℃ 曇後晴れ

宮古島は、橋で結ばれた池間島、来間島、伊良部島、多良間島、水納島等からなる宮古諸島の中の一つだそうです。

これ等の島は、総て珊瑚に囲まれた美しい島です。

宮古島の中心地は、平たんな土地で山も川も有りません。

冬季の気温は、平均13,4℃位で夏季では、33℃そうです。
宮古島はアルカリ土壌の為「ハブ」は居なく、パインナップルは、酸性土でしか出来ない為、宮古では、作れないと聞きました。

今日のオプショナルは、バスでなく個人でタクシーを御願いしての観光です。
お船の中で朝食、昼食を早めに済まし12時過ぎ港で待つタクシーに・・・

西平安名崎(にしへんなざき)

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島の最西端&最北端にあるサンセットスポットの岬で、遠くに見える池間大橋の向こうには、池間島が、眺められました。直ぐ側の大神島・・神々が宿ると呼ばれ人口僅か40人だそうです。

「人頭税石」



1637年琉球王府は、先島(宮古、八重山)に人頭税制を施行しました。この石の高さに達すると税を賦課されます。1710年には、年齢(15歳~50歳)を基準とし税(男は穀物、女は織物)の賦課が行なわれたそうです。之も明治36年には、廃止されたそうです。

西平安名崎の近くに・・海水をくみ上げミネラルイッパイの雪塩製塩所を見学・・
工場の前庭にバナナの木が・・モンキーバナナがたわわに実を付けぶら下っています。

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近くに「アダン」と言う木が有り実が成っています。葉は、「アダンぞうり」として作られ売られていました。実は、人間は、食べませんが夜に成るとヤシガニが出て来てヤシガニが、食べるのだそうです・・

途中、国道筋に馬小屋が有り「宮古馬」が、草を食んでいました・・
(スマヌーマ)と言われ現在では、もう19頭余りしか居ないのだそうです
(道を通りかかった人々がわざわざ手を止め、馬小屋の近くに置いてある草の束を各自手にして馬に与えるそうです。地元の人々の優しさに感動いたしました。)

途中、道の両側にサトウキビ畑が見えます。(夏に植え付け春に収穫するそうです)

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次の観光地、東平安名崎(ひがしへんなざき)へと車を走らせました。