人々との楽しい出会い・・・

    急がず、焦らずゆっくりと~~

仁和寺(旧お室御所)~世界文化遺産・・その4

2006-10-31 20:43:01 | 神社、仏閣、名所、
今日は、

黒書院・・門跡の公式対面所に用いられる建物です。

明治の大火後新しく、花園に有った旧安井門跡のの寝殿を移築改造し建てられ内部の襖絵は、昭和12年に堂本印象により描かれたもの・・

この日は、残念なことに映画撮影の為室内の撮影は、出来ませんでした。

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マウスオンの後クリックして下さい


霊明殿・・桧皮葺きのやねのうえに見事な宝珠が、飾られているのが特徴です。

霊明殿には、歴代の門跡の尊牌が安置され、本尊は薬師如来です。
ちなみに歴代天皇の御霊もお祀りされているそうです。

近江文磨公の直筆の「霊明殿の書」が掛かりこの書を認められた後、終戦となりその数日後に自害されたと聞きました。

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マウスオンの後クリックして下さい


北庭の中央に「心字の池」が有ります奥の築山に茶室が置かれその背後に五重塔が望め、江戸中期に造られ、現在の震殿再建時に修復されました。

木立の間から見る「飛濤亭」は、光格天皇遺愛のお茶室で江戸末期に建てられたものだそうです。

通常のお茶室と違い「にじり口」と呼ばれる入口は無く、貴人口が設けられ(天皇がお茶室にお入りになるため、腰を屈める事無く平常の姿勢で出入り出来る様に作られていた)いました。

「遼廓亭」は、天保年間に尾形光琳の自邸を移築したと伝承され「如庵」様式で霊明殿の奥に位置します。

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マウスオンの後クリックして下さい。

ここは、おまけです

この日、黒書院を貸切り、時代劇の撮影をしていました。内緒でチョコッとシャッターを・・・

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此方は、マウスオンのみです。


仁和寺(旧お室御所)~世界文化遺産・・・その3

2006-10-26 18:52:39 | 神社、仏閣、名所、
今日は、   仁和寺

御室御殿内の案内

御殿・・宸殿を中心にして、左に白書院、黒書院があり、下方に白砂と杉松の簡素ではあるが、御殿に相応しい南庭があります。左近の「桜」右近の「橘」が、植えられています。
仁和寺再興の際(江戸初期)、京都御所の常御殿を移築したものですが、明治二十年火災の為焼失、その後明治から大正に掛けて、当時の最高の材と技術をもって建築されました。

宸殿・・仁和寺御殿の中心的な建物で、白書院、黒書院とは、廊下で結ばれ宮殿風造りに成っています。内部は、一の間、二の間、三の間の三室が中心、内部の襖絵に描かれた山水、花鳥、風俗画は、宮中絵師の原在泉の筆です。
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              マウスオンして頂きますとアニメが始ります
               宸殿内の「五枚の襖絵」がご覧いただけます

白書院・・門跡の非公式対面所、内部の襖絵は、昭和12年に福永晴帆画伯の四季の松が題材と成っています。

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                マウスオン・クリックして下さい

庭園・・宸殿の全面に広がる白川砂と杉松に淡彩の世界が開けます

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                マウスオン・クリックして下さい。

白書院から見た北庭の景色、勅使門、少し色付いた左近の桜、木立越しに二王門も見えます





仁和寺(旧お室御所)・・世界文化遺産~その2

2006-10-24 00:13:08 | 神社、仏閣、名所、
   仁和寺

仁和寺境内の国宝、重文の伽藍がそびえる・・
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二王門、重文 hspace="5">中門、重文 hspace="5">五重塔、重文 hspace="5">国宝、金堂 hspace="5">鐘楼、重文 hspace="5">観音堂、重文 hspace="5">御影堂、重文 hspace="5">経堂、重文 hspace="5">
  重厚な『二王門』を抜けると・・・参道が真っ直ぐに続いています。朱色の『中門』がありました・・・ 右手に『五重塔』、左手には、名勝『お室桜』です。  国宝の『金堂』が、気品ある姿を見せてくれます。    その左手には、重要文化財の『鐘楼』         そして重要文化財の『観音堂』            重要文化財の『御影堂』          その右手には重要文化財の『経堂』等の建物が建ち並びます・・   <
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写真にマウスを当てて頂くと説明文が出ます・・ id=ab

仁和寺の伽藍は、応仁の乱の戦火を受け、応仁2年(1468年)にその大部分を焼失しました。
現在の伽藍の殆どは、江戸初期の寛永年間に第21代覚深法親王が、徳川家光の寄進を得て再建されたものです。

二王門 左右に金剛力士を安置する事から二王門と呼ばれるそうです

五重塔 各層の屋根の大きさがほぼ同じという江戸期の特徴を示しています・

国宝「金堂」 仁和寺が、寛永年間に再興された時、京都御所の紫宸殿を移築し本殿としました。 本尊は、阿弥陀如来です。

鐘楼 仁和寺の鐘楼は、袴型をしている為に袴腰型と呼ばれ江戸時代を代表するものです。

御影堂 御所の清涼殿の古材を使用して造られた。御影堂には、真言宗の宗祖弘法大師空海の御尊像が祀られている。

経堂 八角輪蔵と呼ばれる回転式の書架があり中には、一切経が収められている。

観音堂 堂内には、須弥壇があり、十一面観世音菩薩などの諸像が祀られています。

樹高が低く遅咲きで有名な「お室桜」も現存するものは、この頃から植えられたものだそうです
仁和寺は、平成6年に「古都京都の文化財」としてユネスコの世界遺産に登録されました。

     横スクロールタグは「Sakuraの勉強室」様からお借り致しました。

仁和寺(旧御室御所)・・世界文化遺産~その1

2006-10-20 17:03:30 | 神社、仏閣、名所、
今日は、です。
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スライド①ボタン・二王門、阿吽の二王像、勅使門、中門、境内より二王門

スライドのボタン・・五重塔etc・・   (ボタンをクリックして下さい)

仁和寺の歴史

京都の西郊、北野、平野から嵯峨野にかけて一帯は、
平安時代初期から景勝地として多くの王朝貴族が別荘を構え
風雅を楽しんだ地で有りました。

「令義解」等の著者、右大臣清原夏野や嵯峨天皇の皇子、
左大臣源常らの別荘も仁和寺の近く双ヶ丘の麓地にあった。

仁和寺の創建は、平安時代、第58代光孝天皇が「西山御願寺」
として着工され、即位の時既に老齢近く、竣工を見る事無く崩御され、
ご意志を継がれ、第59代宇多天皇により仁和4年(888)に金堂が完成、
「西山御願寺」と呼ばれたが、後に仁和寺と称されました

宇多天皇は、在位10年の31歳で醍醐天皇に譲位され、
東寺の益信を戒師として出家、法皇として、仁和寺に室を営み
生涯を真言密教の修行に過ごされました。

又、仁和寺は、御室御所と敬称されています。
その後、歴代天皇の皇子が門跡(住職)の地位を継承し、
明治維新まで、門跡寺院の筆頭として仏教各宗を総括して来のです。

仁和寺の伽藍は、応仁の乱の戦火を受け、
応仁2年(1468)にその大部分が焼失し、現在の伽藍の殆どは、
江戸初期の寛永年間に、第21代覚深法親王が、徳川家光の寄進を得て
再建されたものです。

境内に有る、樹高が低く遅咲きで有名な「御室桜」も現存するものは、
この頃から植えられたのだそうです。

次回は、御室御所内、他のご案内です・・・

 ※クリックアルバムのタグは、熊子通信様よりお借り致しました。
 

白芙蓉とコスモス

2006-10-17 16:11:54 | 日記
今日は、日中は、暑いくらいのイイお天気です。

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マウスオンしてください。


秋の空に白い芙蓉の花が誇らしげに天を仰ぎ咲いていました。

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マウスオンクリックしてください

コスモスが綺麗です。ミツ蜂も蜜を吸いに来ていました。

アニメの女の子たちも自転車の籠にお花イッパイ摘みました。
     
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植物園、緑いっぱい・・

2006-10-15 22:22:41 | 日記
< 緑のコーナーで、ごゆっくりと・・・ <><

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   雨上がりの午後の植物園は、木立の緑がとっても、美しく映えていました。

   街路樹の並木を抜けると植物園の門が見えます・・

   中に入ると真っ赤なサルビアのお出迎え・・

   緑の小路を過ぎると大きな立派な噴水が・・朝顔のアーチも有ります

   森の木立の奥にひっそりと「水琴窟」すいきんくつが有りました。

   耳を澄ますと清々しい音色が響いてきます、トッテモ心が洗われいつの間にか
   緑の中に溶け込んでいました。

 「水琴窟」
   水琴窟のつくばいの水は、地中に逆さに埋められた「かめ」に流れ込み
   水滴音が反響し、地上に澄んだ音色を響かせます。

   (随分古びた竹の棒が置いてありその竹を耳にあてがい水の音色を聞きます)
    
    
   揺らぎ文字は「熊子通信様」よりお借り致しました。


植物園、のバラ園より

2006-10-13 22:22:54 | 日記
     


植物園、バラ園より
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大きな黄色の薔薇です。

赤い色のモンタナ

綺麗な色のキャリナー

少しバイオレットのかかったレディー

真っ白な大輪

ピンクの可愛い薔薇

黄色の可愛い薔薇

 
 前日来の雨にたたられ花弁が随分痛んでいます

 バラ園には、色々な薔薇が咲き乱れていました。

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先日、久し振りに雨上がりの後の「植物園」に行って参りました。
前日までの長雨の為、どのお花も花びらが相当ダメージを受けていましたが、
木々達は生き生きとして、綺麗な緑を見せてくれました。
(落葉樹はソロソロ紅葉の準備のようですが・・)
普段、のんびりと暮らしていると広い園内を3時間近く歩き回ると流石に
疲れます、でもいい森林浴が、出来たまには、イイモノデス・・

二条城(元離宮)・・世界遺産~~5

2006-10-10 23:16:15 | 神社、仏閣、名所、
今日は、

    西橋を出て帰路につきます。内堀と外堀の間の梅林を通り南中仕切り門を出て、

    桜の園,このあたりは、お花の時期に来ると良いでしょうね・・と思いながら・・

    桃山門へふと見ると赤トンボがベンチの隅で一休みしていました。

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       横スクロールは、Sakuraの勉強部屋様よりお借り致しました

二条城(元離宮)・・世界遺産~~4

2006-10-06 18:00:29 | 神社、仏閣、名所、
 今日は、

天守閣跡


天守閣跡地より東山を望む(手前には、御常御殿の屋根が見えます)


天守閣跡は、本丸御殿の西南角に有りました。


       この石段の上が天守閣跡です。
  
  
天守台、高さ21m、上敷地445平方m、この上に五層の天守閣が、寛永3年伏見城から移し建てられた。 寛延3年(江戸時代)災火により天守と共に焼失し、以後再建はされていません

この五層の天守閣には、御水尾天皇、大御所、将軍も登閣され、都の展望を楽しまれたという事です。


      天守閣跡より内堀、西橋を見た所です

本丸御殿を出て内堀あたりの景色です。

   
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マウスオン・アニメは、熊子通信様よりお借り致しました。

  (マウスをあてて戴きますとアニメが始ります。)

  堀の中は、御常御殿です。内堀の景色、色々です  

二条城(元離宮)・・世界遺産~~3

2006-10-03 22:17:25 | 神社、仏閣、名所、
   今日は

本丸御殿(公家住宅の貴重な遺構)

     
           皇女和宮様もお住まいだったと言う御常御殿         

1626年(寛永3年)徳川家光が、造営した本丸は、五層の天守閣と四棟の御殿で構成されていましたが落雷や大火により焼失、現在の本丸御殿は、明治の半ば京都御所内の元桂宮の御殿を移築したものです。
当主の日常生活に使われた御常御殿は、三階部分が主屋の上に乗っかった様な瀟洒な外観です。

この旧桂宮御殿は、京都御所に有った当時。仁徳天皇の皇女和宮が、14代将軍徳川家茂に嫁がれる前にお住まいに成っていたゆかりの建物です。
建物の主要分部に当る玄関、御書院、台所、雁の間、御常御殿の4棟が本丸に移築されたそうです

4棟夫々が廊下でつながっております。(廊下は、畳み敷き廊下で畳み縁は高貴な公家家の印しの朱の布で縁取られていました。)宮家の遺構としてほぼ完全な形で残されている唯一の建物で重要文化財に指定されています

御殿内は、狩野永岳、中島華陽、中島来章等、幕末の画壇を代表する人たちの障壁画が飾られ、各部屋には、趣向を凝らした床や棚などが設けられ、江戸時代末期の宮家の面影をとどめていました。

        
          内堀から東門より本丸櫓門へ(アニメでご覧下さい)

        
              本丸御殿車寄せ

玄関・・本丸御殿の公式の出入り口、屋根は、唐破風造り銅版葺き

玄関は、板張り絨毯敷き20畳と12畳の執事詰め所、左に内玄関、右に面談所二室、手前に一間半の大廊下、衝立は、岩上の鷹・・大原呑舟筆。

玄関を入ると御書院への大廊下で右側に殿上の間、公家の間が続く廊下は総て畳み廊下となり御書院に続く杉戸は、(桜に鶴、花車)八木奇峰筆、

御書院・・一の間14畳、二の間14畳、三の間21畳、表対面所。
     一の間は、二の間より一段高く黒漆塗りの框を入れて上段の間とし、天井は,各天井で壁は、金箔塗りで、違い棚の天袋は、「四季草花に錦花鳥」が描かれ、三の間の畳と西廊下の畳を上げると能舞台になり、そのため天井は、西側廊下と一体の造りで、敷居も畳と共に取り外しが出来る様に成っていました。

        
         御常御殿と前庭の様子(3階のお部屋が御座所です)
                (アニメでご覧下さい)

御常御殿・・一の間、奥御座所、松鶴の間とも言う
     皇女和宮が、桂宮家最後の淑宮が過ごされた歴史深い御殿です。
     狩野永岳が描いた松に鶴の障壁画が有る。12,5畳
     一階には、一の間~五の間、他に女官控え室など8部屋が有り
     二階には、3部屋
     三階には、控えの間、次の間、御座所の三室
     皇女和宮は、この御座所でお休みに成っていたそうです

 大正天皇が皇太子の時お出でに成りこのお部屋から、時期外れに(普通は、8月16日に灯す大文字の送り火を11月の某日に)特別に灯された大文字を、ご覧に成ったと言う事だそうです。

3階の御座所からは今も東山には、如意ヶ嶽の大文字山が眺められ、南の芝生の有るお庭からは今も昔のまま・・・今世、俗世界の景色は、見えず静かな当時のままの景色が残っていました。