人々との楽しい出会い・・・

    急がず、焦らずゆっくりと~~

瑠璃光院・・1 (京都、八瀬大原)

2007-11-29 17:26:27 | 神社、仏閣、名所、
瑠璃光院・・
比叡山の麓、高野川の畔静寂な場所に素晴らしい紅葉に包まれ山門が姿を見せ、石段を登り山門をくぐりますと苔むした山路地のお庭・・石段を登りつめ石橋を渡ると素敵なお玄関が姿を見せてくれました。

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壬申の乱で背中に矢傷を負われた大海人皇子(天武天皇)が「八瀬の釜風呂」で傷を癒されてより、平安貴族や武士たちに「やすらぎ」の郷と愛されて来たそうです。本願寺歴代門跡もしばし訪れたと記されています。
明治の元勲、三条実美公は、庵に「喜鶴亭」と名付けられました。
その後、大正末期から昭和の初めにかけて、一万二千坪の敷地に延べ240坪の数奇屋造りに大改造自然を借景とした名庭園を造営。
囲碁本因坊位の対戦場と成った事等も知られて居ります。
建築には、京数寄屋造り名人と称される中村外二、築庭は、佐野藤右衛門一統の作と伝えられています。(冊子より参考)
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瑠璃のお庭の見える二階書院から眺める周りの山々の紅葉景色です。

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八瀬、比叡山麓、近辺りの紅葉

2007-11-25 17:49:33 | 日記
八瀬比叡山麓,近辺の紅葉・・
瑠璃光院を訪れる為、叡山電車に乗り終点の八瀬比叡山口まで出かけました。寒くて、少々冷え込む気候と成りましたが高野川沿いの樹木がとっても綺麗に紅葉し、素敵な景色を眺めながら川沿いを下りました。

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もみじの真如堂

2007-11-22 00:02:50 | 神社、仏閣、名所、
真如堂(真正極楽寺)
本尊は、阿弥陀如来、一条天皇の勅願寺と成りやがて、天台宗の巨刹として、荘厳な伽藍を誇りますが、応仁の乱の兵火で一切の諸堂を失い、足利義政の寄進で、文明16年(1484)今の地に再建されました。
享保2年(1717)再建の本堂は、京都市内の天台宗本堂として最大規模を誇る重要文化財です。「もみじの真如堂」とも言われて居ります。
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真如堂お十夜
十夜続けての念仏を唱える「お十夜」が15日に真如堂で結願を迎えお練大法要が営まれ、山伏や晴れ着のお稚児さん、僧侶らが境内の紅葉したモミジの下を練り歩きました。
お十夜は、約550年前、伊勢守貞国が家督を継ぎ、室町幕府の執権職につく事が出来たお礼として本尊の阿弥陀如来に十日間、念仏を唱えたのが始まりとされているそうです(京都新聞より抜粋)
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「もみじの真如堂」
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御苑内にある 拾翠亭(旧九条家) 茶室

2007-11-17 21:48:47 | 神社、仏閣、名所、
拾翠亭(しゅうすいてい)(旧九条家遺構)茶室
京都御苑、堺町御門から入ると直ぐ左手に旧九条邸跡に、九条邸の遺構で、今から約二百年程前の江戸時後期に建てられたと伝えられています。
当時の五摂家の一つ九条家の別邸として、主に茶会や歌会等の社交の場として利用されたそうです。
九条家は、藤原鎌足を遠祖とする藤原北家の流れを汲み、摂政関白の要職に就いた人が多かったと言われます。
数奇屋風の書院造りで、二層から成り外側には、縁高欄と言われる手すりが施されています。
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江戸後期に建てられたものと言われる、貴族建築の特徴の寝殿造りの面影を残した数奇屋造りの建物です。前面に広がる池(九条池)と共に当時の貴族の生活の面影を今に伝えています。

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以前の九条家の邸宅は明治の初めに、取り壊され現在40坪余りの「拾酔亭」のみが残されています。
現存する貴族の茶室としては、数少ない中の一つで貴重な文化遺産だそうです。
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お茶室の裏に回ると南天の実や葉が真っ赤に紅葉していました。其の直ぐ側には、素敵な蹲が其の脇に黄色いツワブキのお花が一輪・・ 小さな可愛いホトトギスも咲き誇っていました。

京都御苑の樹木・・

2007-11-15 21:48:08 | 神社、仏閣、名所、
京都御苑
京都市内の中心部に有って深い緑に包まれた京都御苑は、東西700m南北約1,300mの長方形で、この内京都御所や大宮、仙洞御所等を除いた約63haっが「国民公園」として終日解放されています。
苑内には、約5万本の樹木が育成され建礼門前に広がる松林、楠、欅、榎、銀杏などの巨木や梅、桃,桜など多彩な樹木が四季折々に御苑を彩ります。
蛤御門や堺町御門、かつての公家屋敷の茶室、拾翠亭など歴史を偲ばせる遺構も多く残されています。
御苑内の樹木・・

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今年の紅葉は、少し遅い様で黄葉が多く見られましたが、赤く紅葉の始った木も処どころで見る事が出来ました。







京都御所 秋の一般公開 ・・3

2007-11-13 00:00:25 | 神社、仏閣、名所、
御常御殿
室町時代以降、天皇が日常のお住まいとして使用された御殿で、内部は、15室からなる書院造りの建物、この御殿から北側は、奥向きの御殿と言われるそうです。
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御常御殿の内部の障壁画もご覧下さい。
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御常御殿の障壁画・・1
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御三間
御常御殿の西に「御三間」が有ります。三つの間は、同時に用いられ「涅槃会」「茅輪」「七夕」「お目出度事御盃」などが此処で行われます

御三間の障壁画
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総て拝観し終わる頃には、御殿のお屋根に綺麗な夕日が差し松の緑も一段と輝いて見えました。 京都御所,秋季公開に長々とお付合い戴き有難うございました。



京都御所、秋の一般公開 ・・・2

2007-11-10 22:04:26 | 神社、仏閣、名所、
小御所
皇太子の元服式や立太子礼など儀式にの用いられましたが、慶応三年十二月の「王政復古」の大号令が発せられた夜の「小御所会議」は此処で行われたそうです
(小御所は、1954年(昭和29年)に焼失、昭和33年に復元されました。)

東遊びの展示が有りました。古くは、東国の民間舞踊だったものが、平安時代(神事)に宮中に取り入れられたもので、今でも下賀茂、上賀茂神社では、葵祭りに奉されます。

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蹴鞠の庭
小御所と御学問所の間の四角の庭。現在でも国賓などが御所にお出での時は、蹴鞠が行われるそうです。


御学問所
室町時代から御学問所は、清涼殿の一画に有ったのですが、家康の慶長の造営時に建てられたようです。必ずしも学問の為の御殿ではなく、月次の和歌御会などにも使われたそうです。


今回は、お部屋内の障壁画等を沢山目にする事が出来ました。
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御内庭
御常御殿の東庭を「御内庭」(ごないてい)と言い「御池庭」との境は、塀で区切られています。(表と奥を厳然と分けたものです。
石橋や燈篭、庭石を配し奥に茶室「錦台」が有ります。
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御涼所
東に面して五室有り、夏を涼しく過ごす為に風通しが良い様に工夫され、御殿は、東向きに建てられていました。
此方より中には入れずお部屋の様子などは、見る事が出来ません・・

京都御所、秋の一般公開・・・1

2007-11-08 16:22:06 | 神社、仏閣、名所、
京都御所、秋の一般公開・・
秋季一般公開が10月31日から11月4日まで行われました。
今回のテーマーは、「宮中の舞」で「東遊び」や「五節の舞」など宮中ゆかりの舞を人形で表現されていました。
私の出掛けたのは、最終日の日曜日で、観光バスなどで遠くからのお客さん等で大賑わいの日でした。

建礼門
京都御所は、六つのご門を持っていますが、南側の築地(ついじ)に有るのがこの建礼門です。天皇陛下のみが用いられますが外国の元首も此処をお入りになるそうです。
建礼門から一直線上に承明門、ご門を入ると南前庭、紫宸殿と一直線に続きます。

築地(ついじ)
御所を取り巻く長い土塀は、「築地」と呼ばれ江戸時代の中頃、白い五本の横筋の形式に定まったと言われています。(清流の流れる水路を超え一歩でも足を掛けると防犯ブザーがピイーと鳴りビックリさせられます)

御車寄
拝殿を許された者だけが正式に参内する時の玄関です。
宣秋門を入る公家達は、門で履物を浅沓に履き替え参殿したそうです。但し「牛車の宣旨」を賜った貴顕に限り乗り物のままで車寄せまで乗りつける事が出来たそうです。
お玄関の内に置かれた衝立は、「岩に唐鳥の図」と示されていました。
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諸太夫の間
此方では、「和舞」(やまとまい)大嘗祭で演じられた歌舞で、大和地方(奈良県)の風俗舞が元に成っています。
陪従(楽人)の楽器の演奏や歌に合わせ四人の舞人が舞います・・
今日でも春日大社では「春日祭」に奉されているそうです。
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新御車寄
大正天皇の即位礼に際し、建てられたもので、大正以降の天皇皇后両陛下のお玄関でも有ります
此方で「五節舞」が展示されていました。
今日、宮中では、大嘗祭(即位後の初大嘗祭)の折に演じられるそうです。
この舞は、天武天皇が吉野宮で琴を弾いた時、天女が舞い降り其の袖を五回ひるがえしたと言う故事に因んでいるそうです。楽器の演奏と歌に合わせ五人又は四人の舞姫が舞いますが、今回は二体だけの展示でした。


月華門より見る紫宸殿の前庭と回廊の様子
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承明門
建礼門の内に有る天皇陛下の御専用の御門から見る紫宸殿の様子
(承明門の後方には、厳かな建礼門が控えていました。)


紫宸殿
即位礼など重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿です。大正、昭和天皇の即位もここで行われました。中央に天皇の御座「高御座」その東に皇后の御座「御帖台」が置かれています。今上天皇の即位礼の際には、東京の宮殿に運ばれ使用されました。
紫宸殿の前には、「左近の桜」「右近の橘」が有り前面に白砂の南庭が広がっています。
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清涼殿
平安時代天皇が日常の生活の場として使用された御殿、日常に使用される為内部は襖などの仕切りが多くなっています。
中央を母屋と言いご休息の御帖台が置かれ、手前の厚畳は、御座で「昼御座」と言われています。此方も紫宸殿と同じく寝殿造りと成っています。
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御池庭
池を中心とした回遊式庭園、前面に州浜を控え飛び石を配して船着に導く、右手にゆったりとした欅橋が架かり対岸の樹間の苑路を廻り景色を楽しむ事が出来るのです
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以前、UP致しました春の一般公開もご覧下さいませ・・


有馬温泉へ・・

2007-11-05 00:01:14 | 旅、
朝のメリケンパク周辺
朝日が海面に映えまだメリケンパーク周辺は少し靄がかかりかすんで見えます
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早々にチエックアウトの後、有馬温泉へ・・
六甲山の紅葉が楽しみ・・と思っていたのですが車は、新神戸トンネルへと・・15分間トンネル内をひた走りぬけ高速道路へ三宮から3,40分余りで・・と其処は、もう有馬温泉の入口でした。  (六甲の山々が見られずチョッと残念・・)
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ホテルの展望台から眺める有馬の山々・・・
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ホテルのお庭で見つけた真っ赤に紅葉したドウダンツツジ・・
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有馬温泉の街並み・・
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神戸メリケンパーク畔の夜景・・

2007-11-02 00:01:06 | 旅、
メリケンパークの夜景・・・
船上ディナーの後、神戸メリケンパーク・オリエンタルホテルで一泊です・・
この、オリエンタルホテルも神戸震災で大きな被害を受け、新しく建て替えられたそうです・・
お部屋のベランダから見るメリケンパークの夜景の素晴らしい事・・遠くには六甲山を見ることも出来ます。色とりどりの灯りが夜遅くまで、煌めいていました。
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日本で唯一のホテル灯台

ホテル14階のステーキハウス「オリエンタル」で夕食、此方のベランダの奥に有る、日本で唯一の「ホテル灯台」を見つけました。
14階のベランダの灯台に灯が入り港を照らし続け航行の安全を見守ります。

シェフのご好意でベランダに出させて頂き、かの有名な「ホテル灯台」を撮らせて戴きました・・お空にはまん丸のお月様も出ていて、之から瀬戸内海ワンナイト・クルーズに向け出港する「にっぽん丸」の無事を見守っているようです。
お船は、午後7時ジャストに乗船客を乗せ神戸港を出港・・静かに闇に包まれながら外海へと帆を進め、やがて闇の中に消えていきました。「ホテル灯台」もにっぽん丸の進路を確りと照らし続けていました。
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