人々との楽しい出会い・・・

    急がず、焦らずゆっくりと~~

鷹ヶ峰 常照寺とお花達・・

2009-09-29 17:19:43 | 神社、仏閣、名所、
常照寺(鷹ヶ峰壇林旧跡)
元和2年(1616)本阿弥光悦の土地寄進を受け、寛永4年(1627)その子光瑳の発願により日蓮宗総本山身延山久遠寺第21世寂照院日乾上人(じゃくしういんにちけんしょうにん)を招じて開創された山城六壇林(やましろろくだんんの一偉観「鷹峰壇林」の旧跡です。
かつては、多くの堂塔を誇る大きなお寺でしたが今では、其の面影もなく面影は留めず、赤門、本堂、庫裡、茶室が残っているだけでした吉野太夫が好んだと言う大丸窓(「吉野窓」)を配した遺芳庵や聚楽亭・・此処では毎月佳人を偲でお釜が掛けられるそうです)今も大夫を偲び植えられたという吉野桜が満開にな4月には毎年、太夫行列や供茶法要、茶会が今も行われ大賑わい致します。
吉野門(赤門)
朱塗りの「吉野門」

朱塗りの山門は、寛永三名妓天下随一の太夫と謳われた二代目の吉野太夫(灰屋紹益(はいやじょうえき)の妻)が自らの巨財を投じ朱塗りの山門を寄進したのが今も残る吉野門だそうです山門を入りますと右手に全国でも唯一の帯塚(おびづか)などが見られます。
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静かに佇む本堂の様子・
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鷹ヶ峰で出会ったお花達・・
<<赤い彼岸花が一輪・・

画像の上でクリックして下さい。画像は8枚です。(タグはnon_nonさまにお借り致しました)




京都洛北、鷹ガ峰・・源光庵・・

2009-09-24 19:57:05 | 神社、仏閣、名所、
鷹ヶ峰、源光庵(曹洞宗、鷹ヶ峰 寶樹林)
今より六百六十余年前の貞和二年(1346)臨済宗総本山大徳寺二代徹翁国師の開創により後、元禄七年(1694)曹洞宗の寺に改められました。
重層の山門、その奥に有る入母屋造りの本堂、本堂内部の天井は、伏見桃山城遺構の鳥居元忠一党が自刃した時の恨跡(血天井)が残っていました。
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マウスオンクリックで3枚の画像を・・

境内に入りますと見事な松の木、其の奥には元禄七年に創建されたという、立派な本堂が目に入ります。本堂裏の庭園は枯山水で北山を借景に四季を通じ趣が有りますが特に紅葉のシーズン窓越しに見る一面燃えるような庭園の趣は又、格別です。
本堂の窓越しに庭園を望む事の出来る、二つの窓・・
悟りの窓と名付けられた「丸窓」と迷いの窓と言う「角窓」が有ります・・
悟りの窓は、円型に「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現するそうです迷いの窓は角型に「人間の生涯」を象徴し生老病死の四苦八苦を表しているのだそうです。
何気なしに眺める花頭窓や格子窓の向こうのお庭の緑もトッテモ素敵でした。
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サムネイルにマウスオンお願いいたします(non_nonさま何時も有難うございます)

帰り際に、源光庵の奥さまから、「紅葉はまだ少し先に成りますが・・11月の末に成ると大勢のお客様がお見えに成りゆっくりご覧頂けないので、11月の中旬頃赤や黄色に色付いた頃のお庭も素敵ですからその頃もう一度お越しになれば如何ですか・・」とお優しいお誘いの言葉を頂きました・・


京都洛北、鷹ヶ峰・・光悦寺・・

2009-09-19 21:59:22 | 神社、仏閣、名所、
鷹ヶ峰、光悦寺
元和元年(1615)本阿弥光悦は、徳川家康から此の鷹ヶ峰に広大な土地を贈られ、そこに色々な工芸家を呼び集め光悦村(工芸集落)を形成しました。
本阿弥光悦は、本来刀剣の鑑定や研磨を業としていたそうですが、諸芸術にも長け書画、陶芸、茶道、作庭等素晴らしい作品を残し、家康の思想を受け止め桃山期から引き続き徳川幕府の御用絵師と成り、天下を謳歌した狩野派とは又違った柔軟さと深さのあると言われ光悦を飛躍台にし後に尾形光琳の様な芸術家も誕生したと言われています。光悦の没後、日慈(本法寺十二世)開山し寺と改め日蓮宗のお寺と成ったそうです

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御門から境内へと続く緑に包まれた石畳をマウスオンクリックで3枚の画像でご覧ください。

早々と色付き始めたお庭の様子・・
竹を編んだ「光悦垣」の有る境内は、山荘の面影を残し鷹ヶ峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を借景に「大虚庵」「三巴亭」「了寂軒」等7つのお茶室が彼方此方に点在し、境内に植えられた楓はもう色づき始め早くも秋の気配を漂わせていました。
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京の町家 川崎家住宅(紫織庵)

2009-09-15 17:26:27 | 神社、仏閣、名所、
川崎家住宅 (紫織庵・・)
新町通りに面した川崎家の全景

江戸時代後期、寛政、享和の時代、典薬まで昇進した荻野元凱がこの地で初めて医院を開業し、明治時代までその子孫の教育所として使用されて来ましたが、大正15年室町随一の豪商、4代目井上利助氏が最新のライト様式のモダンな洋間を加え新築し、川崎家の本宅兼迎賓館として使用されていました大正期に建てられた「大壁造」の町家です。
庭内は、日本近代建築の父と呼ばれた武田五一が設計した洋間や数寄屋の名工、上坂浅次郎が手掛けた茶室等贅を尽くした建物です・・
現在「京都市指定有形文化財及び京都府医学史研究会史跡」に指定されています。冊子参照・・

玄関を入りますと右手に瀟洒な洋館が・・
武田五一がフランク・ロイド・ライトの建築を参考に設計し旧帝国ホテルと同じ外壁の石灰岩とタイルが貼られています(屋上は祇園祭の山鉾を見るための「鉾見台」が設えられていました。)
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マウスオンで建物の内部をご覧ください。

お座敷内の様子は、夏バージョン客間の見事な屏風など祇園祭の宵山「屏風祭り」のままの状態を再現され楽しむ事が出来ました。
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客間前庭の様子・・
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渡り廊下の奥には二棟の大きな蔵が・・廊下の下に地下道が有り家人や庭師さん達が座敷を通らず出入り出来る様に設えられていました.お蔵の中には、今お商売の商品が展示されて居ました
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(タグは、Sakuraさま、non_nonさまにお借りいたしました)

京の町家「無名舎」

2009-09-11 20:10:30 | 神社、仏閣、名所、
無名舎・・
1909年(明治42年)今から100年前に建設された。此のお宅は、当時白生地やとしての商いがなされ、表にはめられた親子格子の様子からもその当時のお商売が良くわかるそうです・・表には「ばったん床几」と言われる開閉自由な床几が設えられ当時は床几の上に商品を並べ、又、時には人々が其処へ腰をおろしおしゃべりを楽しんだそうです。
この格子は表から中の様子を窺い知ることができませんが・・中の店内からは表通りの様子が良く見えますので・・道行く人にとってはチョット困りものですね~~
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伝統的な町家風景・・
今も住宅として使用されている明治生まれの町家・・今回夏の設えをした室内を特別公開されました。(今月末まで公開されています)
「表屋造」の特徴である「中庭」や天井まで吹き抜けた構造で風を通す「通り庭」や当時のままのお台所等拝見する事が出来ました。
店庭に何気に植えられている「シュロ」は、風にそよぐ葉の様子を愛でながら涼を感じ涼しさを受け止めます。建具類はすべて風を通す涼やかな御簾や籐の障子、畳にはあじろの上敷きが敷き詰められ涼やかな演出がされていますが・・程なくすれば、それも取っ払われ冬の準備への建具変えが行われます・・
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店の間から見る店庭の緑が涼しげです・・
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通り庭・・
玄関から奥は奥く向きのお場所・・長い通り庭の片方には大きな井戸や水回りが有り、備え付けの大きな納戸や水屋・・吹き抜けの高い天井には、見事な梁や明り取りの天窓も見られました。
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マウスオンクリックで3枚の画像をご覧ください。
(タグはSakuraさま、non_nonさまにお借りいたしました。有難うございます)

拾翠亭庭園に咲く百日紅・・

2009-09-07 17:34:31 | 神社、仏閣、名所、
拾翠亭庭園に咲く百日紅・・
九条池広縁の前に広がる九条池は、東西約90m、南北約60mの緑の木々に囲れた江戸時代後期の築造でいけの中央には高倉橋が掛けられその奥には築山も見らま
す今の時期、きれいな百日紅のお花が咲き乱れ素敵な景色を見る事が出来ました。
九条池に掛かる高倉橋から眺める拾翠亭と庭園の様子・・
池の畔に佇む拾翠亭・・

百日紅とお庭の様子サムネイルでご覧下さい。
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九条池で遊ぶ可愛い一羽のアヒルさん・・変な処から口ばしが・・マウスオンお願いいたします・・(随分ブレブレですが~~余りに仕草が可愛いのでツイツイUPしてしまいました。お見苦しくってゴメンナサイ・・)

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拾翆亭 九条家遺構の茶室・・

2009-09-03 15:11:39 | 神社、仏閣、名所、
拾翆亭(茶室)
五摂家の一つ九条家跡に今も残る「拾翆亭」今から約二百年程前の江戸代後期に建てられたそうです。当時九条家の別邸として使用されお茶会や歌会等の社交場として利用されたそうです
一階は、十畳の広間の茶室と七畳半の控えの間、広間の北側の三畳中板の小間から成り、当時の公家方が、二つの茶室を行き来しながらお茶を楽しまれたもので貴族の茶時を知る上には、貴重なものだそうです
二階の外回りには、円高欄と言われる手摺が施され,邸の前に広がる「勾玉池」(九条池)や借景の東山を望むことが出来ました。沢山の百日紅が咲き誇り素晴らしい景色を見せてくれました。(一部冊子より参照させて頂きました)
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お庭から眺める「拾翆亭」の全景
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お茶室内の様子・・
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開け放たれた小窓覆い・・
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二階座敷
二間半四方のゆったりとしたお座敷、一階よりさらにくだけた床が設えられゆったりとした空間が広がり、外回りには、東、南、北の三方に縁高欄が有り眼下に広がる勾玉池や高倉橋、厳島神社、借景の東山を楽しむことが出来ました
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マウスオンクリックで3枚の画像を・・

二階座敷、東、南、北の三方に縁高欄が設えられた様子や、小窓の桟には「丁子七宝」の彫り物が・・ご覧頂ければ幸せです。(タグはSakuraさま、non_nonさまにお借りいたしました。)