人々との楽しい出会い・・・

    急がず、焦らずゆっくりと~~

京都、白沙村荘(橋本関雪記念館)国の名勝指定

2006-11-27 23:04:16 | 神社、仏閣、名所、
白沙村荘(橋本関雪記念館)
大正5(1916)年、京都画壇で活躍していた日本画家。

約2200坪の庭園には、画伯が制作を行っていた52畳敷きの大画室(存古楼)
夫人の為に建てられた茶室倚翠亭、憩寂庵、問魚亭などが有ります。

庭園内の随所に関雪が、蒐集していた石造美術品が多数配置されていました。


銀閣寺に通じる道の右手に「白沙村荘」は、有りました。


<>

マウスオンして下さい。

入口に有る石碑と国東塔

石碑
『不許葷酒入山問』と有りました。(肉食、飲酒を禁じる寺の山門等に置かれるもので、関雪は、白沙村を一個の山としたようです。

国東塔
全高7メートルを越す塔で、鎌倉時代のもの。静御膳の供養塔と伝えられ国内現存の最大の国東塔だそうです。

芙蓉池の回りの紅葉・・


芙蓉池の回りに建つ関雪画伯の大画室も木々の間から見ることが出来ます。8枚のアニメでご覧下さい。

池の淵に建つお茶室・・

<>

マウスオンして下さい。

問魚亭
関雪が、画稿を練る時に等に使っていた草庵。茶事の待合としても使用されて今の姿に成ったそうです。

<>

マウスオンして下さい。

夫人の為に建てたお茶室『倚翠亭』と『憩寂庵』


お庭散策の後、記念館で沢山お作品を拝見し、帰路に着くためお庭に出てみるともうとっぷりと日が落ちていて広いお庭は、所々ライトアップされていました。

<>

マウスオンの後クリックして下さい。


白沙村荘 所在地 京都市左京区浄土寺石橋町37 tel(075)751-0448

京都、洛東の真如堂(真正極楽寺)

2006-11-25 00:55:21 | 神社、仏閣、名所、
11月24日夕方、京都洛東に有る「真如堂」への参道から見た東山の景色です。


真如堂
開基は、戒算(かいざん)上人、比叡山延暦寺の僧で、延暦寺常行堂に有った
阿弥陀如来像を三条院藤原詮子の離宮に移し安置したのが真如堂千年の歴史の起源、永観二年(984年)の事、洛東の古刹として名高い寺である

<>

マウスオンして下さい。

三重塔
江戸後期文化年間の再建、総じて装飾が控えめである

<>

マウスオンして下さい。


本堂は、元禄6年(1693)~享保2年(1717)にかけて再建された。柱間七間四面の単層入母屋造りです。

元三大師堂、天台宗中興の祖と言われる元三大師(慈恵大師良源)を安置して有ります(おみくじの発案者としても知られています)

境内の紅葉と共に7枚のアニメでご覧下さい。


境内の中にある茶店の周りの紅葉も真っ赤に色付いていました。

<>

マウスオンして下さい。


真如堂 所在地 京都市左京区浄土寺真如町82

銀閣寺(東山慈照寺)・・世界文化遺産・・その2

2006-11-20 17:20:48 | 神社、仏閣、名所、
花頭窓からの眺め
<>

マウスオンして下さい。

唐門の中の花頭窓から背景の山腹を眺めますと一つの額が出来上がります。

障子をうんと細く開け外を眺めますと「お床」に掛かった『短冊に』・・少し多く開けると『お軸』に早変わり大きく開くと『額の中の絵』に変わり・・

室町時代の御人達は、この様にして粋な楽しみを見出していたようです。

錦鏡池と東球堂


銀砂灘と方丈との間には、青松に囲まれた錦鏡池が有りました。

回遊式庭園で回遊する視点で散策者の目を楽しませてくれます。二つにくびれた池の中島には、「白鶴島」と「仙人州」と言う小さな島が有り、7つの石橋や4つの浮石等が見られました。

北端に有る東球堂は、入母屋造り桧皮葺きの書院建築で、正面には、桟唐戸、両脇には蓮子窓が有ります。

洗月泉

山麓に築かれた滝・・山から流れ落ちた水を、下段の錦鏡池へと導いています。

山腹への小路散策


8枚のアニメでご覧下さい。

山腹へと苑路を辿ってみました。途中で、「お茶の井、相君泉」と言う湧き水が有りました。義政はこの清水を汲んでお茶を点てたそうです。

長い石段を踏みしめながら銀閣寺の素敵な山腹散策も終わりを告げました。

(今より一週間くらい前の写真ですので山々は今頃は、もう真っ赤に紅葉が始まっている事と思います。)


帰り際、山門を出て坂を下って行くと、「車屋さん」を見かけすかさず一枚シャッターを・・
 
   銀閣寺  所在地、京都市左京区銀閣寺町2 tel(075)771-5725

銀閣寺(東山慈照寺)・・世界文化遺産・・その1

2006-11-18 22:30:54 | 神社、仏閣、名所、
銀閣寺(正式には、東山慈照寺と称し臨済宗相国寺派の別格地、室町幕府第八代将軍足利義政が山荘として建設。
義政の没後、遺命により夢想礎石を勧請開山とする禅刹となる。

東山殿は、義政公を中心に形成された東山文化の発祥地であり禅文化の結合を見る事が出来ます。

観音殿(銀閣)国宝

観音殿と呼ばれ二層から成り・・・
一層の心空殿は、書院造り風。
二層の潮音閣は、板壁に花頭窓をしつらえて、桟唐戸を設けた唐様仏殿の様式。
閣上にある金銅の鳳凰は、東面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けています



蟹真黒と呼ばれる石畳の道を行くと銀閣寺の総門です。



総門をくぐり、直角に曲がると直線と面で作り上げられた銀閣寺垣(割り竹を縦に並べられた垣)その上に椿を中心とした生垣が聳えています。お花の季節に成ると一面椿の紅色が映えます



庫裏の前庭の向うに瀟洒な作りの唐門があります。

<>

マウスオンの後クリックして下さい。


観音殿(銀閣)の手前には、白く輝く砂盛が有りました。

向月台
江戸初期、1615年(元和1)宮城丹波守豊盛が、荒れ果てた堂や庭の取り掛かった際、池に埋めてあった砂を掘り、盛り上げた事から砂盛が、始ったと言われています。



銀砂灘
高さは、35~40センチ、向月台に向かう先端は、波頭から舳先のようにかすかにせり上がっています。表面の砂紋は、波を表しています。



銀砂灘から観音堂(銀閣)、花頭窓や向月台を眺める景色・・・



      銀閣寺  所在地、京都市左京区銀閣寺町ー2 TELー(075)771ー5725

金閣寺(鹿苑寺)・・世界文化遺産・・その2

2006-11-15 21:48:47 | 神社、仏閣、名所、




方丈庭園には、江戸初期の作庭で、後水尾天皇お手植えの侘び助椿が有り,

義満が自分で植えたと言われる舟形をした「陸舟の松」の古木が有りますが残念な事に修復中で裏側の少しだけしか見ることが出来ませんでした。



金閣の後ろを進むと、義満が御茶ノ水に使ったと言われる「銀河泉」等が有りそして、「龍門の滝」滝の前に「鯉魚石」と言う石が据えられています。




山路を登っていくと・・・

<>

マウスオンして頂くと山上から微かに舎利殿の屋根が、見えます

山上に茶室が有りました。

<>

マウスオンして下さい。

この茶室は、1624年(寛永元年)江戸時代の茶道家、金森宗和により造られたもので、夕日に映える景色が殊に佳と言う事から「夕佳亭」と名付けられた。

数奇屋造りで、茶室正面の床柱が有名な「南天床柱」で、右側の三角棚が「萩の違い棚」、その真ん中の古木が「鶯宿梅」です。

茶室を下っていくと不動堂が有りました。



不動堂は、天正年間に浮田中納言秀家が再建したものです。本尊の石不動明王は、弘法大師と伝えられています。


急な長い石段を降り家路にと着きました。

金閣寺(鹿苑寺)・・世界文化遺産・・その1

2006-11-13 22:40:57 | 神社、仏閣、名所、
金閣、鹿苑寺

臨済宗相国寺派に属する禅寺です。鹿苑の名は、お釈迦様が、初めて説法された所の地名鹿野苑に因んだ開基足利義満の法号鹿苑院殿によるものです。

<>

マウスオンの後クリックして下さい。

黒門をくぐり木立の中を進むと右手に鐘楼や舟形石の(一文字蹲)等が有りやがて総門へと続きます。


一文字つくばいです

昭和25年不慮の火災により焼失、その後再建され現在の至っています。

(昭和62年に塗り替えられた金閣は、約4トンもの金が使用されたそうです。)
舎利殿(金閣)
第一層だけは、白木で平安時代の神殿造りで、法水院・・

第二層は鎌倉時代武家造り潮音洞・・

第三層は、唐様(禅宗建築)中国風の禅宗仏殿造りで究竟頂と呼ばれ第二層、三層は,内外とも総て,金箔押しに成っています。

三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物だそうです。

舎利殿内の見学は、許されず幾多の仏像や天井絵は、見ることが出来ません
(足利義満像、岩屋観音、四天王像、極楽浄土を連想させる、竜図、鳳図、凰図等)



舎利殿(金閣)4枚のアニメでご覧下さい。

庭園

鹿苑寺の庭園は、金閣の前に有る鏡湖池を中心に構成され西に衣笠山、北になだらかに連なる山並みを借景に回遊式・舟遊式庭園です。(金閣を見下ろす様に昇っていく池泉回遊式庭園です)
室町時代の代表的な庭園です。

金閣寺その2へ

龍安寺(大雲山)・・世界文化遺産

2006-11-06 18:37:54 | 神社、仏閣、名所、
龍安寺
徳大寺家の別荘だったのを宝徳2年(1450)官領細川勝元が、譲受寺地として妙心寺
の禅寺に改めましたが、応仁の乱に焼失し、長享2年(1488)勝元の子、政元が再興し、寛政9年(1795)火災で方丈、仏殿開山堂等を失い、現在の方丈は,その時の西源院の方丈を移築したのです。

方丈の前庭は、枯山水式石庭として、著名で、臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号し禅苑の名刹です。

<>


山門を抜けると庫裏への石段が続きます マウスオンして下さい

広床の大きな書の衝立です、その奥に方丈が有りました。
<>

マウスオンして下さい

石庭
方丈の南側に有り、東、南、西の三方を築地塀で囲まれわずか75坪の平地に作られ庭一面に白砂を敷き詰め15個の庭石を東から西に、五、二、三、二、三の石組で配置しています。

白砂の上に15個の岩(石)が、配置されているのですが、庭のどの位置から見ても14個にしか見え無い事に成っていますが、悟りを開いた人だけには、15個総てが見えるらしいです
(方丈より眺め自問自答に相応しい庭とも言われています)

作庭は、作者は、不明のまま現在に至って居ります。

俗に「虎の子渡しの庭」とも呼ばれているそうです・・

三方を囲む油土塀が、奥に向かうほど低く設えてあるのもお庭をより開く見せる為の工夫が其処に伺えます。



石庭は、三枚のアニメでご覧下さい。

つくばい
方丈の北東に据えてある銭型のつくばいは、一見”五、隹、止、矢の文字に読まれますが、中心の「口」を共有すれば、『吾、唯、足、知』(われただたるをしる)と成り、禅の格言を謎解きに図案化された無言の悟道でも有るのです。

このつくばいの回りには、徳川光圀公の寄進と言われている秀吉が賞賛したと伝えられている侘び助椿の老樹がありました。

『吾唯足知』

境内杉苔の庭や鏡容池の辺りの景色です
<>

マウスオンの後クリックして下さい。

鏡容池の辺りには、以前は、オシドリが群れを成して居たので「オシドリ池」とも呼ばれたそうです。この辺りは四季夫々に素敵な景色を眺める事が出来美しさも格別だそうです。



仁和寺と福王子神社のお祭り

2006-11-04 16:46:44 | 神社、仏閣、名所、
今日は、

先日仁和寺の近くの「福王子神社」のお祭りが有りました。

この神社は、「宇多天皇」のご生母様がお祭りされている神社で、仁和寺とはご縁深い由緒正しい神社です。

<>

マウスオンクリックして下さい。

お神輿の前に「獅子舞」が・・境内では子供神輿もワッショイ、ワッショイ


年に一回お祭りの日に、仁和寺の勅使門が開かれ、お神輿が宸殿前の白川砂の敷き詰められた北庭に入り宸殿内の「宇多天皇」とご挨拶を交わされます

普段は「勅使門」は、天皇もしくは、天皇の使者でないと開かれる事の無い御門です・・

この日は、特別な日、お神輿の担ぎ手さん達も身を清めこの時に控えます・・

急な石段を何人もの担ぎ手さんによりお神輿は一気に二王門から境内に入って行きます

<>


マウスオン・クリックして下さい。


二王門前では子供達の太鼓のお囃子、急な石段を「お神輿」は一気に担ぎ上げられます

境内に入ったお神輿は、開かれた勅使門から宸殿の前に進みます

<>


マウスオン・クリックして下さい。


普段開く事の無い勅使門・・・(正面に見えるのは、白書院です)

お神輿が北庭に入るまでの静寂・・

お神輿が一旦宸殿のの中に入ると宸殿の前では、天皇とご生母様との喜びの一時・・・長い御練が続きました。

まだまだ、女人禁制の場・・勅使門より中には入る事は許されず、ご門の外より見学させて戴きました。