今年も北野天神で土用の梅干しが始まりました。境内に一歩入りますと一面に酸っぱい香りが漂います 日中37度近く有る猛暑の中、一粒ずつ綺麗に並べられ干されます < (マウスオンで2枚の画像を・・) 北野天満宮境内の梅苑でとれた梅の実を・・ 樽内に塩漬けされた梅の実を樽から出し筵の上に並べ4週間ほどの間 毎日天日に当てられカラカラに成るまで干されます。 干し上がった梅の実は、再び塩にまぶされ其の後、お正月の大福梅としお正月の縁起物とし授与されます
サムネイルにマウスを・・(タグはnonn_nonさまにお借り致しました何時も有難うございます) ※ 大福梅・・正月の縁起物で、カラカラに干し上げた梅の実を裏白とともに奉書に包んで授与され、 新年の招福息災の祈りをこめ白湯にいれて戴くもので・・新年の祝膳に欠かせぬものとして喜ばれています・・ 起源は村上天皇の天暦5年(951年)疫病大流行の折、 年中の疫病邪気を除き長寿幸福を得ると伝えられはじめられたようです ( 冊子参照) 追記 昨年末に受けて参りました「大福梅」の画像が有りましたのでUPさせて頂きます < マウスオンして頂きますと包みの中の「大福梅」が・・ 新年の祝膳の折に、新年の招福息災の祈りをこめ湯のみに「大福梅」を入れ上からお白湯を注ぎ頂きます |
今日一月七日は、京都の芸舞妓さんたちが今年一年の技芸向上を誓う新春恒例の始業式が祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町の四花街の歌舞練場で行われました。(上七軒は九日と聞きますが・・) 祇園甲部の歌舞練場には、黒紋付姿に稲穂の花簪を髪にさし正装した芸舞妓さんたちが集まり新年の挨拶を交わした後、芸妓舞妓の誓い五カ条を唱和、其の後昨年の成績の良かった芸舞妓やお茶屋さんに表彰状が贈られ・・最後に京舞井上流五世家元が「倭文」を舞い目出度く納められます < 大勢の人々で埋め尽くされた歌舞練場玄関・・マウスオンで場内の様子が少しご覧頂けます
花見小路はカメラマンやギャラリーでごった返して居ましたがまだ少しお時間が早いせいか舞妓ちゃん達も立ち止りご挨拶やお話をしながら和やかな雰囲気が漂って居ました。 (シャッターを切った瞬間おじさんの腕が・・残念ながら撮り直しは不可能でした) < 朝から厳しい冷え込み・・時々雪もちらちら寒い日と成りました蛇の目傘姿の粋な芸妓さん達も歌舞練場へ急がれます~~マウスオンで2枚の画像を・・
朝早くから黒紋付に盛装した可愛いい舞妓ちゃん達だらりの帯を揺らしながら足早に会場へと大急ぎの後ろ姿も少し寒そうでした (お見苦しい画像が多々ありました事お許し下さいませ・・) (タグはnon_nonさまにお借り致しました。有難うございます・・) |
今年一年の感謝の気持ちを込めて京都市民へのロームさんからの光のプレゼント・・ ローム本社屋周辺では、60万個の電球やLEDを使ったイルミネーションが点灯され見事な光のファンタジー夜空に浮かび上がりました。使用される電力の10%を環境に優しいグリーン電力で賄っているそうで環境に配慮したイルミネーションがきらきらと夜遅くまで輝いていました。 < マウスオンで2枚の画像を・・ 街路樹には金色の光が・・ 本社屋前も見事な光に包まれ眩いばかりです・・ 大勢の家族連れやカップルの姿も見られ金色に輝く並木道や七色に変化するガラスのオブジェを楽しんでいました
サムネイルにマウスオンお願致します(タグはnon_nonさまにお借り致しました) |
京都では、師走の行事の一つとして12月13日を1年の区切りとして花街や室町、西陣等の旧家では、お正月の準備に取り掛かる行事「事始め」が始まり、舞妓さんや芸妓さん達が芸事の師匠さん宅を訪れてこの1年の感謝の気持ちを込めご挨拶回りを致します。この日も祇園甲部では朝から京舞井上流家元・井上八千代さんのお宅を次々と訪問。一足早く華やいだ迎春ムードに包まれました。お師匠さんに「おめでとうさんどす」とご挨拶、師匠から「おきばりやす」と声を掛けて励まし、ご祝儀の舞扇を手渡されます。お弟子さんから贈られた鏡もちがひな壇に並び、けいこ場は華やだ雰囲気に包まれます・・ (一般家庭でもお稽古ごとの先生へのご挨拶や「暮れのお歳暮」なども此の時期から始められます・・) この日は朝早くから芸舞妓さん達が祇園街を行きかう姿で華やぎましたが、花見小路辺りは、道路を埋め尽くす大勢のギャラリーやカメラマンでごった返しおまわりさんやガードマンさん達も汗だく~~でした。 艶やかに黒紋付に盛装した芸妓さん・・ 此方の芸妓さんも盛装です・・ 舞妓ちゃん達は思い思いのお着物でご挨拶に・・ 置き屋のお母さんと一緒にご挨拶に・・ 楚々とした後ろ姿も素敵です・・ お姐さんと一緒にご挨拶を終え「一力茶屋」さんを後に・・大勢のギャラリーの姿が見えます 四条通りで見かけた舞妓ちゃん・・ 京都南座、顔見「まねき」 南座の「まねき」は「十二月の京都の風物詩」・・・此の「まねき」は役者さんの名前を勘亭流で書かれ(長さ一間=約1.8m、幅一尺=約30.3cm、厚さ一寸=約3cm)「まねき」南座顔見世興行ではこの伝統を受け継ぎ、今年は25日に南座正面に掲げられ南座正面玄関は、「まねき」看板で美しく彩られ京都に年の瀬の訪れを告ます < |
お精霊迎え
京都では旧盆のこの日に、ご先祖の精霊がゑんま様のお許しを得て各家庭にお帰りになります。
水塔婆に先祖の戒名を僧侶にしたためてもらった、後お参りを済ませ迎え鐘をついて、その音にのって御先祖様の霊が家に帰られ「おしょらいさん」をお仏壇の扉を開いてお迎えします。此の日から「おしょらいさん」は家族と共に過ごされ仏前には、精進料理や好物のお品や果物などをお供えし、16日には「大文字の送り火」に照らされながら黄泉の国へと・・大文字の灯りと共に「お精霊送り」を致します
妙心寺「お精霊会」
臨済宗妙心寺派の総本山、狩野探幽が天井に描いた「八方睨みの龍」で有名な法堂で8月9日10日の両日「お精霊会」が行われました。広い法堂(はっとう)の中には厳かな読経の声が響き渡りお香の香りが立ち込めお精霊迎えの皆さんのお参りが途切れる事無く続きました。
マウスオンして下さい。
夕方になりますと、山門(重要文化財)がライトアップされ夜空に鮮やかな朱色の荘厳な姿が浮かびあがります。仏殿・法堂(重要文化財)のまわりでは、先祖供養のため奉納された、献灯の絵入り提灯約1,000個に火が灯りお提灯の絵が綺麗に照らし出されています・・
サムネイルにマウスオンして下さい。
境内の彼方此方に置かれた花灯篭の灯も鮮やかに浮かび上り薄暗い境内の参道を照らしてくれました・・
マウスオンして下さい。
京都では旧盆のこの日に、ご先祖の精霊がゑんま様のお許しを得て各家庭にお帰りになります。
水塔婆に先祖の戒名を僧侶にしたためてもらった、後お参りを済ませ迎え鐘をついて、その音にのって御先祖様の霊が家に帰られ「おしょらいさん」をお仏壇の扉を開いてお迎えします。此の日から「おしょらいさん」は家族と共に過ごされ仏前には、精進料理や好物のお品や果物などをお供えし、16日には「大文字の送り火」に照らされながら黄泉の国へと・・大文字の灯りと共に「お精霊送り」を致します
妙心寺「お精霊会」
臨済宗妙心寺派の総本山、狩野探幽が天井に描いた「八方睨みの龍」で有名な法堂で8月9日10日の両日「お精霊会」が行われました。広い法堂(はっとう)の中には厳かな読経の声が響き渡りお香の香りが立ち込めお精霊迎えの皆さんのお参りが途切れる事無く続きました。
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夕方になりますと、山門(重要文化財)がライトアップされ夜空に鮮やかな朱色の荘厳な姿が浮かびあがります。仏殿・法堂(重要文化財)のまわりでは、先祖供養のため奉納された、献灯の絵入り提灯約1,000個に火が灯りお提灯の絵が綺麗に照らし出されています・・
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境内の彼方此方に置かれた花灯篭の灯も鮮やかに浮かび上り薄暗い境内の参道を照らしてくれました・・
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八朔(八月一日)の日の様子・・
京の五花街では、八月一日朝から「八朔」の行事が行われました。生憎の曇り空今にも降り出しそうなお天気ですが礼服の黒紋付き姿の芸舞妓さん達は、お姉さん芸妓さん達と連れ立ち足早に芸事のお師匠さん宅や普段お世話に成っているお茶屋さんを訪ね歩きご挨拶に回ります「おめでとうさんどす、相変わりませずおたの申します」とにこやかにあいさつを交わしねぎらいを受けます。
サムネイルにマウスオンして下さい。
八朔は、もともと旧暦の8月1日(朔は一日の事)古くは「田の実の節」と言ったそうで豊作を願って贈り物を交わす習わしが有り、商家等は、日ごろお世話に成っている本家や得意先にさらなる贔屓と感謝を願い挨拶回りをする習わしが有り、花街では、今もこの習わしが残り伝統行事と成っています。一般社会にも八朔に物を贈る習慣が定着し之が「お中元」の風習と成った様です・・
以前は京都では、八朔の日から「お中元」のご挨拶に伺う時期と成っていたのですが、年々其の時期も早く成り草々に済まされて居る様です・・
可愛い舞妓さんは、年長の舞妓さんです。上下の唇にも綺麗なお紅が挿され・・お髷の様子も「割れしのぶ」から「おふく」へと~~(おふく 年長の舞妓の髪型)ですが此の日は、見事な「奴島田」に結い上げられおふくの人が黒紋付を着る正装の時の髪型と成って居ました。
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マウスオンクリックで3枚の画像をご覧下さい。
途中から土砂降りの雨・・撮影どころでは有りません、ホウホウの手で早々に退散致しました。(舞妓さん達の綺麗なお着物が濡れなかったかと気に掛けながら~~)
京の五花街では、八月一日朝から「八朔」の行事が行われました。生憎の曇り空今にも降り出しそうなお天気ですが礼服の黒紋付き姿の芸舞妓さん達は、お姉さん芸妓さん達と連れ立ち足早に芸事のお師匠さん宅や普段お世話に成っているお茶屋さんを訪ね歩きご挨拶に回ります「おめでとうさんどす、相変わりませずおたの申します」とにこやかにあいさつを交わしねぎらいを受けます。
説明文1 | ||||
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八朔は、もともと旧暦の8月1日(朔は一日の事)古くは「田の実の節」と言ったそうで豊作を願って贈り物を交わす習わしが有り、商家等は、日ごろお世話に成っている本家や得意先にさらなる贔屓と感謝を願い挨拶回りをする習わしが有り、花街では、今もこの習わしが残り伝統行事と成っています。一般社会にも八朔に物を贈る習慣が定着し之が「お中元」の風習と成った様です・・
以前は京都では、八朔の日から「お中元」のご挨拶に伺う時期と成っていたのですが、年々其の時期も早く成り草々に済まされて居る様です・・
可愛い舞妓さんは、年長の舞妓さんです。上下の唇にも綺麗なお紅が挿され・・お髷の様子も「割れしのぶ」から「おふく」へと~~(おふく 年長の舞妓の髪型)ですが此の日は、見事な「奴島田」に結い上げられおふくの人が黒紋付を着る正装の時の髪型と成って居ました。
途中から土砂降りの雨・・撮影どころでは有りません、ホウホウの手で早々に退散致しました。(舞妓さん達の綺麗なお着物が濡れなかったかと気に掛けながら~~)
京都御所「建礼門」
御所の南側の築地に有る「建礼門」御所の正門です。天皇陛下のみが用いられますが、外国からの元首もここからお入りに成ります。
少々時期を逸しましたが昨年秋の一般公開の様子をご覧頂ければ幸せです
今回、源氏物語千年紀にちなみ、「内裏、いづれの御時にか・・」をテーマに源氏物語の名場面を江戸初期の画家、狩野尚信が描き、京都御所に伝わる屏風「源氏の図」の公開や物語の中で描かれた貴族の遊びなどを人形で再現されていました。
「和琴」日本が起源の弦楽器で、日本古来の歌謡である、国風歌舞などの演奏に用いられます・・
源氏の着衣は、直衣(のうし)玉鬘の着衣は、五衣、小袿、長袴です
「絵合わせ」
左右に分かれ絵などを出し合い優劣を競い合いするそうです
「囲碁」
古くは大宝律令(701年)の中で奈良時代には打たれて居たようで正倉院に基盤が収められているそうです。平安時代には貴族のたしなみとして好まれ「源氏物語」や「枕草子」等の作品にもしばし囲碁の描写が登場します
サムネイルにマウスを当てて下さい(タグはnon_nonさまにお借りしました)
「源氏の図」
江戸の初期の画家、狩野尚信の作
「左隻の屏風」
左上の図(松風)、中央の図(明石)、右端の図(須磨)
下左の図(賢木)、中央の図(夕顔)、右端の図(空蝉)
「右隻の屏風」
左上の図 「玉鬘」(九州から上洛の図)、右端の図 「玉鬘」(初瀬詣の図)
下左の図(初音)、中央の図(花宴)、右端の図(紅葉賀)
(画像が不鮮明なためお見苦しい事お許し下さい・・)
御所の南側の築地に有る「建礼門」御所の正門です。天皇陛下のみが用いられますが、外国からの元首もここからお入りに成ります。
少々時期を逸しましたが昨年秋の一般公開の様子をご覧頂ければ幸せです
今回、源氏物語千年紀にちなみ、「内裏、いづれの御時にか・・」をテーマに源氏物語の名場面を江戸初期の画家、狩野尚信が描き、京都御所に伝わる屏風「源氏の図」の公開や物語の中で描かれた貴族の遊びなどを人形で再現されていました。
「和琴」日本が起源の弦楽器で、日本古来の歌謡である、国風歌舞などの演奏に用いられます・・
源氏の着衣は、直衣(のうし)玉鬘の着衣は、五衣、小袿、長袴です
「絵合わせ」
左右に分かれ絵などを出し合い優劣を競い合いするそうです
「囲碁」
古くは大宝律令(701年)の中で奈良時代には打たれて居たようで正倉院に基盤が収められているそうです。平安時代には貴族のたしなみとして好まれ「源氏物語」や「枕草子」等の作品にもしばし囲碁の描写が登場します
車寄せには「加茂臨時祭の図」が飾られていました | ||||
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「源氏の図」
江戸の初期の画家、狩野尚信の作
「左隻の屏風」
下左の図(賢木)、中央の図(夕顔)、右端の図(空蝉)
「右隻の屏風」
左上の図 「玉鬘」(九州から上洛の図)、右端の図 「玉鬘」(初瀬詣の図)
下左の図(初音)、中央の図(花宴)、右端の図(紅葉賀)
(画像が不鮮明なためお見苦しい事お許し下さい・・)
花見小路は大賑わい~~
一月八日新春恒例の花街の始業式が祇園甲部の歌舞練場で行われました。新年を迎え芸舞妓さんが一堂に会し精進を誓う行事で、新年の挨拶の後、昨年の成績の良かった芸舞妓さんやお茶屋さんが表彰された後、最後に京舞井上流五世家元の「倭文」の舞が厳かに舞納められるそうです・・この日も早朝から大勢のカメラマンで埋め尽くされ大賑わいです。
芸舞妓さん達は、皆さん黒紋付きの正装で、お茶屋さんに挨拶の後・・大勢のカメラマンや行きかう車などの間をすり抜け歌舞練場へ急ぐ姿をちょっと失礼し撮らせて頂きました。(残念な事に歌舞練場内の様子は伺うことすら出来ません)
サムネイルにマウスを当てて下さい(タグはnon_nonさまにお借り致しました)
一月八日新春恒例の花街の始業式が祇園甲部の歌舞練場で行われました。新年を迎え芸舞妓さんが一堂に会し精進を誓う行事で、新年の挨拶の後、昨年の成績の良かった芸舞妓さんやお茶屋さんが表彰された後、最後に京舞井上流五世家元の「倭文」の舞が厳かに舞納められるそうです・・この日も早朝から大勢のカメラマンで埋め尽くされ大賑わいです。
芸舞妓さん達は、皆さん黒紋付きの正装で、お茶屋さんに挨拶の後・・大勢のカメラマンや行きかう車などの間をすり抜け歌舞練場へ急ぐ姿をちょっと失礼し撮らせて頂きました。(残念な事に歌舞練場内の様子は伺うことすら出来ません)
祇園の中でも最も由緒のある「お茶屋」「一力亭」さん | ||||
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