老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

袋  (NO 8)

2016-09-24 11:03:00 | 俳句
        

自分でもあきれる。
次から、次と、袋を沢山に作ったものだ。
本屋で手芸の本を見つけると片っ端から求める。
これぞと思う袋のページを繰る。手持ちの生地が目まぐるしく頭に入ってくる。
あるある、手持ちの中にこの袋に適した布がとなると一刻もおしまず手芸タイムに。
(これ、作ろ)と決めると、持ってゆくあてもないのに製作にかかる。

     大島紬を繋いだポシェト。

          

色違いの布を繋いだだけ。簡単で軽い。
素材が良いから十分にかっこよい。買物の時にお財布とスマホと鍵がはいれば結構、結構なポシェト。

二、三日は家に籠もっていた。
手芸で肩を凝らさぬ程度にチクチクと針を動かす。



「俳句自在」の中から気になった言葉。
たとえ形が整ってい、意味は通じても単なる記録や報告は駄目である。
この手の句がじつに多い。
つまり、よくある俳句の形、さらには発想をまねてよしとしている。
自分の実感を大事にするように心がけよ。
既成の形や発想に陥らないためには、自分の心の動きに敏感でなければならぬ。
自分がいま何を感じ、どう考えているか。わかっているつもりの人は多いが、わかっている人は数えるほどしかいない。
これがわかれば、あとは俳句形式との格闘ということになる。

     🐢    忘るなよ終の朝餉の寒卵   蚊張清一

     🐢    まだ生きて七草粥の箸二膳    山田歌子

     🐢    素うどんに宝珠を一つ寒卵    木下まこと

この月の巻頭句 三句

小池劇場にうつつを抜かしている時ではない。
散歩に出よっと!

コメント
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