老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

災害

2016-09-02 14:47:29 | 俳句

     


久しぶりに友人からの電話。
お互いの健康問題に触れたあとは、共通の友人の話題に。

北海道の富良野に暮らしている友の心配をする。
台風の被害にあったことだろうと、遠くから二人で心を痛める。

東北大震災の時も共通の友が被害にあった。
茨城県に住んでいた。ご主人が原子力関係の仕事に就いていた。
家具の全壊で終わったと、被害にあった友人の話であったけれど、お茶碗、お皿一枚にしても、使いかってはもちろんのこと、我々の年齢になると、趣味も優先にしての食器であるし、それだけではなく、慣れ親しんだ道具や家具が壊れたと嘆いていた。
嘆いても嘆ききれないことである。

日本は広いようで狭いとこんな時に思う。

熊本に知り合いは住んではいないけれど、俳句仲間は多くいる。

災害国日本。
四季を楽しんで俳句づくりにもいそしんでいるけれど、いつ何時災害に遭遇するかもわからない。他人事ではすまされない。
お互いに健康に留意して、近々逢おうねと30分以上もおしゃべりをして電話を切った。

写真は昨日、買物帰りに見つけた お馬ちゃん。
北海道の牧場で飼われている競走馬のように、精悍な姿はしていないが、近づくと柵の傍までやってくる。
仔馬ではないようだ。こんな種類の小さい馬かな~。
街の真ん中の空き地で二頭が仲良く草を食んでいた。

      🍒   お土産の菓子の上底秋暑し



(大変な災害で、何万人もの命を落とした方、今だに復興できない被災の土地に暮らす方 言葉不足で失礼します。)

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試歩 つづく

2016-09-02 00:04:47 | 俳句
       🐢    蓮の葉のくんずほぐれつ初嵐 

     

9月1日は 「厄日」「二百十日」
立春から数えて二百十日めで9月1日ごろ颱風が襲来することが多いので「厄日」として警戒をする。
何十年前か、この日 越中八尾の風の盆へ行った。
越中おはら節の哀愁を帯びた囃子が耳に残っている。
若かった。

日本列島、どうなっているのだろう。北海道へ一週間に三度も颱風が来る。
その災害放送の最中、熊本では震度五弱の地震が又揺れる。

私はせっせとと体力づくりの散歩に励んでいる。
今日も栗林公園の散策に。
鯉の池は、前日の野分のあとの木っ端や松葉、風にちぎれたさるすべりの花が水面を覆っている。
庭師さんが沢山いるが、手が回らないのだろう。
観光客の目に触れる場所から順に掃除をしているのらしく、和船を出して水面に浮いた芥を網ですくっていた。

          
         

         
          🐢    花蓮の影蓮の葉の上にあり

      >   花蓮の影蓮の葉にありにけり
*けり、アウト。葉の上にあり、、と添削をして下さる。

切れがなくては、、と安易に切れ字の(けり)を連発している。そこを指摘し、添削を。
花蓮の影を主にすれば影のありどころは葉の上となる。
強調することもなし。素直に詠めということか。

先日、一ヶ月ぶりに来た公園で拾った句を、ネット句会に投稿をした。
初嵐、野分、、、、蓮沼の前で俳句ならぬ首をひねった。
もう花は少ししか残っていない。
前日の初嵐で裏返った蓮の葉は白いままに。
枯れそめた葉は折れている。
よい場面に行き会った。吟行でさづかった句である。
昨夜までぎりぎり作句をして、締切間際に投句をした。
今日、早くも選句の発表があり、二句、入選をしていた。
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