老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

2016-09-22 10:25:06 | 俳句
       

  読売新聞 「 四季 」 より

       大岡 信

            だれにも見えない馬を

            ぼくは空地に飼っている

 詩「ことばことば」の最初の二行。

            ときどき手綱をにぎって 

            十二世紀の禅坊主に逢いにゆく 

と、続く。禅坊主はとうに肉体を失い、言葉に昇華している。
ならば「馬」は時空を超える名馬、想像力だろう。(自選大岡 信 詩集から)
                                  長谷川 櫂
 
   


   

今日は秋のお中日。
台風やら、天候の関係で、故郷の父祖のお墓参りができなかった。
少し雨が残っている。
夫が一人でお参りに行った。
私も一緒にと云ったのだけれど、私の風邪の予後の健康を心配をして、留守をしていろと一人で出かけて行った。

「四季」の切りぬきから、この詩を見つけた。
わずか、四行だけでも、心にしみ入る詩である。
もう少し、詳しく読みたいと、ネットで調べたが、残念なことに、後のつづきは無かった。

写真の馬は、詩の馬とおおきくイメージは離れているが。。。

この二、三日はもやもやとした今日の雨のような気分であった。
世間の読者は、大岡信の詩は抑圧からの解放、精神が浄化されるとも評をする。私も大きな宙に抱かれる何かわからぬ、いつもの何かを感じる。上手く表現ができないが洗われたような気持ちになっている。


雨が激しくなった。
故郷の空が気にかかる。
コメント
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