孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

銅像となった日本人、八田と鳥居

2018年11月02日 | 英語関連
台湾で大ヒットした映画「KANO」がきっかけで、私は八田與一という名を初めて知ったのだった。台湾では、教科書で紹介されているそうだから、八田のことを知らない人はいないだろう。

調べれば調べるほど、すごい日本人だったことが分かってきて、私は彼が造った烏山頭ダムに行ってみたくなり、出かけていったのが2年前だった。その時アップしたブログが以下の6月20日版であった。

2016年6月20日のブログ ↓
『日本では無名でも、台湾人はみんな知ってる』



  八田與一の像




台湾には、八田與一の他にも台湾で有名だが、我々はほとんど知らない日本人がまだまだいるのだが、その内の一人が鳥居信平(のぶへい)である。何と鳥居は八田の3年先輩に当たる。

旧制高校は金沢の四高(しこう)、その後東京大学卒業と同じ道で学んだというから事実は小説より面白いのだ。

  


どちらも、同じ農業土木技師として、台湾では今でも尊敬される日本人で、しかも、鳥居は、私の郷土、静岡県周智郡上山梨村(現在の袋井市)の出身である。

鳥居は、台湾の南部で「地下ダム」を造り、広大な地域に用水路をめぐらして、農業用水や生活用水に役立てて、これが今でも地域を潤しているのだ。

袋井市の「月見の里」という市民交流施設には、鳥居信平の胸像が建てられている。

  鳥居の銅像

八田も鳥居も、農業土木技師として、台湾に大きな貢献をして、その結果今でも台湾人から感謝され、慕われているというのは、我々日本人も知っておくべき歴史的事実ではないだろうか。

私も、大学で農業土木を専攻した身である。だからというわけでもないが、今度台湾に旅するとしたら、高雄の泊まって、是非とも鳥居の偉業をこの目で見たいと思っている。

その前に、早速あした、袋井市の月見の里に出向いてみよう。