「多文化共生」という言葉は、どうも平和ボケした脳内お花畑・左翼文化人が好んで主張しそうで、以前から胡散臭さを感じている。
同じ日本人同士でも、例えば離れた地域から嫁をもらえば、使う味噌が違うとか葬式の仕方が違うとか、様々なことで文化摩擦が生じてきて、やがてそれが嫁姑の不仲になったり、離婚にまで発展したりすることになるものだ。
ましてや、言葉も信ずる宗教も、育った文化も異なる人が同じ地域で暮らすことになれば、問題はより複雑で厄介なものになることは目に見えているし、EUなどではすでに前から社会問題化している。
外国人でなくとも、日本人の「よそ者」が地域社会に参入することも広義の「多文化共生」問題を生じさせているようだ。
大晦日の除夜の鐘を、「音がうるさい!」という近隣住民の苦情などで自粛するケースが相次いでいるという。例えば東京・小金井市の閑静な住宅街に一角にある八幡山千手院。近隣住民から「うるさいので鐘を鳴らさないでほしい」という苦情を受け昨年から除夜の鐘を中止しているそうだ。
牧之原市大澤寺
隣町の静岡県牧之原市にある450年以上の歴史を持つ浄土真宗大谷派の大澤寺も、10数年前に、2年連続で匿名で電話があって、「いつまで鳴らしているんだ」と、非常に強い言葉でもってののしられたそうで、以来先代住職の判断で、除夜の鐘を中止してきたそうだ。
現住職の今井一光さんは、2年前に檀家たちに再開を提案し、大晦日の午後2時から「除夜」ではない、「除夕(せき)の鐘」として復活させたそうだ。
ほかにも、群馬県桐生市の宝徳寺でも、昨年から鐘の開始を正午に早め、今年は午前10時から行うという。
先代住職は、近隣住民の苦情は無視することが出来なかったのかもしれないが、それにしても意外に簡単に苦情電話に屈してしまった気がする。
どこの街だったか、住宅の近くに保育園を新設しようとしたら、近くの住民から「子供たちの声がやかましいから保育園を作るな」という苦情が出て、計画を中止したという報道があった。
苦情を受けた側は、地域住民の声に過剰反応して、縮み上がってしまいすぐに言いなりになってしまいがちなのだろうが、もう少し冷静になって苦情を問題提起として議論の対象とすべきではなかったかと思う。
私は、この「社会現象」を知って思い出したのは、先週テレビのニュースで見たニュースのことだった。
一つは、日本でもクリスマスツリー用の本物の生もみの木の販売が始り、ヤングママたちを中心に結構売れているというニュース。
もう一つは、『熊本地震の被災者を元気づけようと、ミッキーマウスやミニーマウスといったディズニーのキャラクターが17日、熊本市の中心街をパレードした。被災者らは「かわいい」「こっち向いて」と大喜び。スマートフォンで写真や動画を熱心に撮影していた。』というニュース。
私は米国に滞在中、アメリカ人のクリスマスを見る体験をしている。地域の青少年たちと一緒に夜近所を一軒ずつ回りながら、庭でクリスマスキャロルを合唱すると、玄関にその家のご夫婦が出てきて、それをニコニコしながら聴いていた光景は、今でも新鮮に蘇る。
居間には、背丈ほどのもみの木に星など様々な飾りがされて、鎮座ましましていた。イブの夜、ツリーの下にクリスマスプレゼントを置いておき、翌朝子供たちは目覚めと同時にパジャマ姿のまま居間に駆け寄ってプレゼントを開けて大喜びするという流れだ。
私の印象では、クリスマスというのは、アメリカの庶民にとっては日本のお正月や盆休みのように、実家を離れていた家族が久しぶりに一同に会する日なのだろう、ということだった。予想した派手さはほとんどなかった。
生もみの木の販売が好調だというニュースは、IKEAというスウェーデンの家具や生活用品を扱う量販店の様子を報道していて、この店ではすでに11月から販売しているとの事だった。
IKEAの生もみの木
近郊から高速道路を飛ばして生もみの木を購入しにIKEAにきた主婦が、もみの木を購入してから飾りをして、居間に飾り仕事帰りのパパをびっくりさせる、というレポートだった。
私の住む田舎街でも、この時期になるとLED照明で玄関や小さな庭を華やかに飾る家庭が増えつつあるようだ。
宗教観はまったくないこの西洋文化の猿真似が、エスカレートしている状況は、如何なものだろうか。特に小さな子供たちに与える影響は決して小さくはないと、私は懸念するのだが、「いいんだよ、楽しければ」という家人の声には、敢えて私は反論しないことにしている。
ミッキーマウスたちが熊本を元気付けるためにパレードをしたというニュースに、ディズニー嫌いの私は、眉をひそめてしまった。
文化侵略の尖兵
『市と地元企業などが企画する復興イベントの一環。午後3時ごろ、ミッキーらは徐行する車に乗って、音楽に合わせて両手を大きく振り、沿道の約11万人(主催者発表)を楽しませた。観衆からは「熊本まで来てくれてありがとう」といった感謝の声も。(共同通信)』
主催者発表が観衆は11万人とくれば、実数は多分5~6万人ではなかったかと思うのだが、それにしてもよくも集まったもので、その集客力には脱帽する。
脱帽すると同時に、地方の中央に対するコンプレックスの成せる事象ではないかと、私は分析する。西洋文化に対する劣等意識と言い換えてもいい。
今の時代に、キリスト教徒でもないのにクリスマスではしゃぐな、などと主張するのは良識ある大人のすることではないだろうが、生もみの木に金を費やしてはしゃいだり、「ハッピィ、はろいん」などと大騒ぎする近年の風潮をのを冷静に観ることはできない。
はろいん?アホか!
計画の段階で分かっていたなら、除夜の鐘にやかましいと苦情を訴えた勇気ある住民同様、私も熊本市や熊本の地元企業に喧嘩を売っていたかもしれない。しかし、ネズミの着ぐるみに熱狂する数万の熊本市民を目にしては、ラ・マンチャのドン・キホーテにも笑われてしまうかもしれない。
同じ日本人同士でも、例えば離れた地域から嫁をもらえば、使う味噌が違うとか葬式の仕方が違うとか、様々なことで文化摩擦が生じてきて、やがてそれが嫁姑の不仲になったり、離婚にまで発展したりすることになるものだ。
ましてや、言葉も信ずる宗教も、育った文化も異なる人が同じ地域で暮らすことになれば、問題はより複雑で厄介なものになることは目に見えているし、EUなどではすでに前から社会問題化している。
外国人でなくとも、日本人の「よそ者」が地域社会に参入することも広義の「多文化共生」問題を生じさせているようだ。
大晦日の除夜の鐘を、「音がうるさい!」という近隣住民の苦情などで自粛するケースが相次いでいるという。例えば東京・小金井市の閑静な住宅街に一角にある八幡山千手院。近隣住民から「うるさいので鐘を鳴らさないでほしい」という苦情を受け昨年から除夜の鐘を中止しているそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/b8/50be8656ea543e9d2ac0950bbc648b6b.jpg)
隣町の静岡県牧之原市にある450年以上の歴史を持つ浄土真宗大谷派の大澤寺も、10数年前に、2年連続で匿名で電話があって、「いつまで鳴らしているんだ」と、非常に強い言葉でもってののしられたそうで、以来先代住職の判断で、除夜の鐘を中止してきたそうだ。
現住職の今井一光さんは、2年前に檀家たちに再開を提案し、大晦日の午後2時から「除夜」ではない、「除夕(せき)の鐘」として復活させたそうだ。
ほかにも、群馬県桐生市の宝徳寺でも、昨年から鐘の開始を正午に早め、今年は午前10時から行うという。
先代住職は、近隣住民の苦情は無視することが出来なかったのかもしれないが、それにしても意外に簡単に苦情電話に屈してしまった気がする。
どこの街だったか、住宅の近くに保育園を新設しようとしたら、近くの住民から「子供たちの声がやかましいから保育園を作るな」という苦情が出て、計画を中止したという報道があった。
苦情を受けた側は、地域住民の声に過剰反応して、縮み上がってしまいすぐに言いなりになってしまいがちなのだろうが、もう少し冷静になって苦情を問題提起として議論の対象とすべきではなかったかと思う。
私は、この「社会現象」を知って思い出したのは、先週テレビのニュースで見たニュースのことだった。
一つは、日本でもクリスマスツリー用の本物の生もみの木の販売が始り、ヤングママたちを中心に結構売れているというニュース。
もう一つは、『熊本地震の被災者を元気づけようと、ミッキーマウスやミニーマウスといったディズニーのキャラクターが17日、熊本市の中心街をパレードした。被災者らは「かわいい」「こっち向いて」と大喜び。スマートフォンで写真や動画を熱心に撮影していた。』というニュース。
私は米国に滞在中、アメリカ人のクリスマスを見る体験をしている。地域の青少年たちと一緒に夜近所を一軒ずつ回りながら、庭でクリスマスキャロルを合唱すると、玄関にその家のご夫婦が出てきて、それをニコニコしながら聴いていた光景は、今でも新鮮に蘇る。
居間には、背丈ほどのもみの木に星など様々な飾りがされて、鎮座ましましていた。イブの夜、ツリーの下にクリスマスプレゼントを置いておき、翌朝子供たちは目覚めと同時にパジャマ姿のまま居間に駆け寄ってプレゼントを開けて大喜びするという流れだ。
私の印象では、クリスマスというのは、アメリカの庶民にとっては日本のお正月や盆休みのように、実家を離れていた家族が久しぶりに一同に会する日なのだろう、ということだった。予想した派手さはほとんどなかった。
生もみの木の販売が好調だというニュースは、IKEAというスウェーデンの家具や生活用品を扱う量販店の様子を報道していて、この店ではすでに11月から販売しているとの事だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/56/e70415396d0aac11db2c81a05296086c.jpg)
近郊から高速道路を飛ばして生もみの木を購入しにIKEAにきた主婦が、もみの木を購入してから飾りをして、居間に飾り仕事帰りのパパをびっくりさせる、というレポートだった。
私の住む田舎街でも、この時期になるとLED照明で玄関や小さな庭を華やかに飾る家庭が増えつつあるようだ。
宗教観はまったくないこの西洋文化の猿真似が、エスカレートしている状況は、如何なものだろうか。特に小さな子供たちに与える影響は決して小さくはないと、私は懸念するのだが、「いいんだよ、楽しければ」という家人の声には、敢えて私は反論しないことにしている。
ミッキーマウスたちが熊本を元気付けるためにパレードをしたというニュースに、ディズニー嫌いの私は、眉をひそめてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/51/ed84b03b422f5c28d286ce413583516e.jpg)
『市と地元企業などが企画する復興イベントの一環。午後3時ごろ、ミッキーらは徐行する車に乗って、音楽に合わせて両手を大きく振り、沿道の約11万人(主催者発表)を楽しませた。観衆からは「熊本まで来てくれてありがとう」といった感謝の声も。(共同通信)』
主催者発表が観衆は11万人とくれば、実数は多分5~6万人ではなかったかと思うのだが、それにしてもよくも集まったもので、その集客力には脱帽する。
脱帽すると同時に、地方の中央に対するコンプレックスの成せる事象ではないかと、私は分析する。西洋文化に対する劣等意識と言い換えてもいい。
今の時代に、キリスト教徒でもないのにクリスマスではしゃぐな、などと主張するのは良識ある大人のすることではないだろうが、生もみの木に金を費やしてはしゃいだり、「ハッピィ、はろいん」などと大騒ぎする近年の風潮をのを冷静に観ることはできない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/b6/005fde0b9ee56b242f5cbcde1559de8d.jpg)
計画の段階で分かっていたなら、除夜の鐘にやかましいと苦情を訴えた勇気ある住民同様、私も熊本市や熊本の地元企業に喧嘩を売っていたかもしれない。しかし、ネズミの着ぐるみに熱狂する数万の熊本市民を目にしては、ラ・マンチャのドン・キホーテにも笑われてしまうかもしれない。
私は節操がなさ過ぎると思いますね。