孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

選手よりコーチが主役かい?

2016年08月25日 | テレビ・ラジオ
リオ五輪の後日談がこれからいろいろ週刊誌などで紹介されていくことだろう。楽しみだ。

テニスの錦織選手が、選手村のシャワーが冷たくて、修行僧になったような気分だったと語ったそうだが、テロに遭遇するに比べたら、笑って話せるだけマシなのかもしれない。

少し前にもこのブログのネタにしたのだが、シンクロナイズドスイミングの選手たちが、プールに飛び込む前に見せるアレは、一体どんな意味があるのだろうか。美しいパフォーマンスだと評するべきなのかもしれないが、私は笑わずに見られなかった。

何でロボットみたいにカクカクして歩いて登場しなければならないのか・・・。是非、ダチョウ倶楽部あたりにネタとして欲しいものだ。

それはさておいて、私はあの競技がどうも好きになれない。なぜなのだろうと自問してみると、あの競技におけるコーチの存在が大きく報道されすぎて、ちょうど私の大嫌いな高校野球を見ている感じがしてしまうことだった。



特訓特訓を強調するマスコミや選手も味が悪いが、テレビカメラの前に立つのが好きそうなあのコーチはどうも好きになれない。あのコーチは北京五輪の前に支那にコーチとして招かれ、高級マンションに運転手付きの待遇に浮かれて、「中国の若者達は目が輝いていてすばらしい。」などと宣伝塔の役目も担っていた。

スポーツは選手が主役であるべきだ。一球一球ベンチの監督を見てその指示を仰ぐ高校野球は、何となく自主性を感じない競技のような気がする。

そのうえ、勝敗が決るとまず勝利校の監督がインタビューを受けている。



そして翌日の朝刊二面には、たいてい勝利校の監督の記事が掲載される。

コーチの役目は如何なる競技も大きいということは間違いない事実だろうが、あくまでもコーチは縁の下で選手をサポートするに留めるべきだと思う。

結果が悪ければ、選手のパフォーマンスが悪かった、結果がよければコーチの手腕だ、という感じの強い競技は、どうも私は気に食わないのである。



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