孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

興醒めの三流演技

2018年07月07日 | 外国ネタ
私は、特にサッカーなど好きではない。特に、「サムライ・ジャパン」だとか、「サムライ・ブルー」だとか呼んでいるのを聞くたびに、「ケッ!」と嘲笑ってしまう程度の興味で、野球だとかサッカーが世界で戦うたびに、マスコミが大騒ぎするのは鬱陶しいだけだ。

しかし、何となく気になっていたのが、W杯の決勝トーナメントで日本が惜敗したベルギーだったので、今日そのベルギーがあのサッカーとケツ振り踊りのカーニバルくらいしか取柄がない、ブラジルと対戦するというので、録画を観ることにした。

しかし、途中から観続けるのが馬鹿馬鹿しくなってきて、最後までは観なかった。

それというのも、ブラジルの一流選手の、あの品の無い演技を見てられなかったからだ。演技と言っても、反則されたという「嘘アピール」のことだ。

  これが一流演技?

VTRで観れば一目瞭然。どうみても反則でもないのに、オーバーに転げてから痛がって見せ、相手の反則だと主張する。この連続で、一度や二度なら我慢できるが、何度も何度もそれが続くと、その品性の欠けらも見られない、オーバーアクションには我慢できなくなる。

  情けない国民性

腕に刺青をしたり、頭を奇妙に刈り込んだり、唾を吐きまくったりするのは、そういう国民性なのだろうと我慢の範囲内に治められるが、ああいう嘘の演技でフリーキックやペナルティーキックを得ようとする行為は、もう品性下劣で観たくも無くなる。

ブラジルのサッカーとは、ああいう下品な演技を奨励するサッカーだったのか・・・。

  子供が見てマネするぞ

勝負は、ベルギーが勝ったそうでよかった。

私は、ブラジルの国民性が、いまだにどうも好きになれないでいる。

こんな役所のこんな奴ら

2018年07月07日 | 政治ネタ
自分がまだ学校に通っているときは当然だが、大学生だった頃も、まったく教育行政などには関心が無かった。

私の数年先輩たちは、学費がどんどん上げられていくことに、猛烈に反対して、学生運動のネタにしていたようだったが、私が入学した頃はその騒ぎも沈静化していた。

社会人になってから暫らくして、「ゆとり教育」という言葉を耳にして、これで今の子供たちは受験勉強から解放されるのかしらん、という程度の関心しかなかったが、現実はその反対で、今では高校生たちも堂々と塾に通う時代になってしまったようだ。

そして、その「ゆとり教育」の恩恵を受けた子供たちが社会に出る頃は、教育行政の失敗である事が次第に浮き彫りになっていて、様々な国際的な学力比較でも数字にはっきり表れたのだった。

 国力の源泉を削いでくれた

そして、私には初孫ができて今年の春は小学校2年生になると、俄然私は今の公教育に関心を抱くようになった。

仕事がら、英語に関しては特にその大きな変化が起きている。

英語をもっと使いこなせるようにするために、小学校から教科として加えて、中高大と英語の授業は英語で行うように変えていこうとする教育改革が始っている。

実際にいわゆるグローバル企業で、海外とのやり取りに関わる翻訳や通訳の仕事に携わっていると、言葉としての英語の重要性は当然ながら、そういう企業が求める人材も、英語に抵抗やコンプレックスを感じないのを最低条件にしているのも十分理解できる。

しかし、以前からあれだけ英語教育の重要性を叫ばれてて来ているにも拘らず、現実は理想とは程遠いのである。

「英語は日常会話レベルで充分」などという、いい加減な求人広告をよく目にするが、『日常会話レベル』の英語を使いこなせれば、相当な実力者である。今の若者は、日本語でも日常会話が続かないし、そういう常識は持ち合わせていないのである。

受験技術を磨いて、テストでいい点数をとればいい学校に進学でき、いい会社に就職でき、出世も約束されるとなれば、当然捻くれて歪んだ人間が出来上がることは、分りきったことであるのだが、こういうのが教育行政の出世頭にもなり得るから困るのだ。

  教育行政のトップが買春!


私が大学の受験勉強に励んでいたのは今から45年前のことだが、その頃私は家の経済事情も鑑みての事だったが、私立のいわゆるマンモス大学は絶対に受験しないと決めていた。

理由は、そういう大学には大抵、系列の付属高校があって、同じ系列大学への進学を望めば、入学試験は免除されていたからだ。

また、当時から「裏口入学」という言葉がよく耳に入っていて、出来の悪い息子や娘を持った金持ちは、ブローカーに大金を払って、「裏口」から大学に入れてもらっていたのだった。

予備校の中にも「医学部専門予備校」なるものがたくさんあって、私の記憶では当時から医学部の『裏口入学』は社会問題化していた。

大学に入学しても、医師になるには「国家試験」という関門があるんだから、と主張する人がいるが、そこに人間が介在する限り、不正は常に存在する者ではないだろうか。

  弁護の余地は無い!

そうやって、晴れて医者の仲間入りをしたのが、この世には結構いるんじゃないかと思うと、当時から私は、医者のいうことは100%信用できないのである。




「オームと隠れキリシタン」考

2018年07月07日 | 社会観察
ユネスコ様が、長崎の隠れキリシタンの関連遺産を世界文化遺産に登録すると決めたそうで、地元の関連業者たちは、「これで観光客がたくさん押しかけてくれて、地元にお金を落としてくれる。」と大喜びのようだ。

今、真っ盛りのサッカーW杯の出場国を見ても、そのほとんどが、中南米、欧州、アフリカとキリスト教が布教の名の下に他国を侵略して、その土地の住民を皆殺しにしたり、奴隷にしたりして改宗させ、今日に至っている状況がよく分るので、こんな風に見ると面白い。


併せて、昨日オーム真理教というカルト集団の犯罪首謀者たちの死刑が執行され、当時ぼんやりと抱いた疑問が、これをきっかけに再燃してきた。

その疑問とは、当時のオームの幹部の多くが、いわゆる偏差値の高い、超一流大学のしかも理工系出身者だったことだった。

東大理学部、医学部。早大理工学部。慶大医学部。京大薬学部、等々。エリート揃いだった。その彼らが、どういう理由で、空中浮遊だとか、水中で長時間息を止めるとか、熱闘修行だとかの、馬鹿げた修行にのめりこんでいったのか、という素朴な疑問だった。

  洗脳?マインドコントロール?


当時、「マインドコントロール」という言葉をよく耳にしたが、実際あんな修行で悩みごとが解消され、何かが変ると本気で信じてしまうものなのだろうか、と不思議であった。

16世紀に世界中に繰り出していったキリスト教だが、当時の日本にとっては、宣教師の説教は、それまで聞いた事もないただの「新興宗教」にすぎなかった。

  日本人は好奇心旺盛だが・・


新鮮な感覚を味わわせてくれると感じる人もいたのであろうが、多くの聴衆は「何か違うなあ・・・」という違和感を伴う主張であると感じたのではなかろうか?

これは、もしかしたら日本人特有なことであったかもしれず、それが証拠に、その後何百年を経た現在でも、キリスト教を信仰する割合は、1%にも満たない。因みに、南朝鮮ではキリスト教信者は、国民の30%以上だそうだ。

実は、オーム真理教があんな反社会的な集団に膨れ上がっていった当時、世間には他にも様々な、反社会的な新興宗教や集団がはびこっていた。

そして、それらは今でも脈々と活動を続けている。

  聖書に興味あります?

  手をかざすと病気が治ります

  集団生活、集団結婚式


国政選挙のたびに国会周辺で繰り広げられる、若者たちの狂ったようなデモ集会も、同じような「新興宗教」みたいなものであり、それを裏で操る反政府政党も同じ範疇の一派といえるのではないだろうか。

  プラカードはなぜか英語で


キリスト教信者の割合は、全国でも長崎県が圧倒的に多いそうで、おそらく4%くらいを占めるそうだ。

今は、こそこそ隠れる必要はないので、堂々と教会に行き、信仰を続ければよいのだが、ユネスコ様の言い分に唯々諾々と従って、「隠れキリシタン」を「潜伏キリシタン」に変えたりする姿勢には、あまり共感できない。

それよりも、当時の新興宗教に逆上せた大名たちも絡んで、火薬一樽当たり50人という日本の女性たちを何十万人も海外に売りさばいていた、「奴隷貿易」の歴史も、潜伏キリシタン関連の歴史として、もう少し明らかにすべきではないだろうか。

皮肉にも、当時キリシタン大名たちの名代として、ヨーロッパに派遣された、いわゆる「天正遣欧少年使節」たちが、外国でセリにかけられる日本人女性たちを目にして、嘆いていたのである。

 女性は全員裸でセリに