自分と同じ世代の人が他界すると、病死であれ事故死であれ、かなり気になるものである。
先日亡くなった歌手の西城英樹もそれで、彼とは同じ年齢である。さらに病歴も似通ったところがあって、内心穏やかではない。
テレビでは何度も何度も西城英樹の全盛期の映像を流していたので、私も当時のことを思い出さずにはいられなかった。
1979年といえば、彼がヤングマン(YMCA)という曲をリリースした年で、その曲は振り付けと共に日本で大ヒットしたそうだ。「・・・そうだ」というのは、その頃私は米国にいたからである。
振り付けと共に大ヒット
誰から聞いたのか良く覚えていないが、当時日本では西城英樹がYMCAという曲を歌って大ヒットしていると知った。そして、なんでまたあの歌を西城英樹が・・・?? しかも大ヒット・・・??
当時私は不思議でならなかったことを覚えている。
その元歌はアメリカのビレッジ・ピープルというグループが歌っていて、アメリカのテレビやラジオでもよく流れていたディスコ音楽だった。しかも、そのビレッジ・ピープルというグループは、ゲイの音楽グループで知られていた。
YMCAという歌も、歌詞を見れば分るが、YMCAに泊まると面白いぜ、いいことあるぜと繰り返している。なぜかというと、当時YMCAという若者対象の宿泊施設は、そっち系の男性が気軽に集まってくる宿泊施設として知られていたからだった。
ゲイのグループでした
実は私は、そうとは知らずに、休暇をもらってカリフォルニアに行った時、サンフランシスコのYMCAに一泊した事があった。何となくここは普通の安ホテルと派違うな、とすぐに感じたのは、そこのトイレに行った時のことだった。
もちろん男子トイレで、用を足しながら目の前の壁を見ると、一面落書きだらけであった。しかし、その内容は、名前と部屋番号や電話番号らしき数字が書かれていて、それは異様な落書きだと、一目瞭然であった。
しかも、廊下ですれ違う他の宿泊客が、みなすれ違い様に愛想よくほほ笑みながら私の目を見つめてきて、中には軽くウインクしてくる大男もいた。鈍感の私も、ここまで来ると、そうかここはサンフランシスコだった、とようやく納得したのだった。
その夜は外出もせず、部屋のドアの鍵をかけて寝たのだった。(チェーンの他に2ヶ所も追加のスライドの鍵があった)
ゲイとホモの違いは良く分らなかったが、やたらと男性同士なかよく並んで通りをあるいている光景が、サンフランシスコの特徴だった。
日本で西城英樹が歌っていた頃、当時のファンはこの歌の元歌の意味を理解していたのだろうか?
この疑問に答えてくれるテレビ局は、この数日間気にして観ていたが、どこにも無かったのが残念だった。
63歳で人生を終えるのは、少し早すぎただろうが、彼は正に一世を風靡した大スターだったから、その功績は歌として永遠に消えないだろう。
合掌
先日亡くなった歌手の西城英樹もそれで、彼とは同じ年齢である。さらに病歴も似通ったところがあって、内心穏やかではない。
テレビでは何度も何度も西城英樹の全盛期の映像を流していたので、私も当時のことを思い出さずにはいられなかった。
1979年といえば、彼がヤングマン(YMCA)という曲をリリースした年で、その曲は振り付けと共に日本で大ヒットしたそうだ。「・・・そうだ」というのは、その頃私は米国にいたからである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/ee/6e9eeb1621d0de4476a772a8623c4cc4.jpg)
誰から聞いたのか良く覚えていないが、当時日本では西城英樹がYMCAという曲を歌って大ヒットしていると知った。そして、なんでまたあの歌を西城英樹が・・・?? しかも大ヒット・・・??
当時私は不思議でならなかったことを覚えている。
その元歌はアメリカのビレッジ・ピープルというグループが歌っていて、アメリカのテレビやラジオでもよく流れていたディスコ音楽だった。しかも、そのビレッジ・ピープルというグループは、ゲイの音楽グループで知られていた。
YMCAという歌も、歌詞を見れば分るが、YMCAに泊まると面白いぜ、いいことあるぜと繰り返している。なぜかというと、当時YMCAという若者対象の宿泊施設は、そっち系の男性が気軽に集まってくる宿泊施設として知られていたからだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/7d/c3b388672b6854f87aa039bd8979a63f.jpg)
実は私は、そうとは知らずに、休暇をもらってカリフォルニアに行った時、サンフランシスコのYMCAに一泊した事があった。何となくここは普通の安ホテルと派違うな、とすぐに感じたのは、そこのトイレに行った時のことだった。
もちろん男子トイレで、用を足しながら目の前の壁を見ると、一面落書きだらけであった。しかし、その内容は、名前と部屋番号や電話番号らしき数字が書かれていて、それは異様な落書きだと、一目瞭然であった。
しかも、廊下ですれ違う他の宿泊客が、みなすれ違い様に愛想よくほほ笑みながら私の目を見つめてきて、中には軽くウインクしてくる大男もいた。鈍感の私も、ここまで来ると、そうかここはサンフランシスコだった、とようやく納得したのだった。
その夜は外出もせず、部屋のドアの鍵をかけて寝たのだった。(チェーンの他に2ヶ所も追加のスライドの鍵があった)
ゲイとホモの違いは良く分らなかったが、やたらと男性同士なかよく並んで通りをあるいている光景が、サンフランシスコの特徴だった。
日本で西城英樹が歌っていた頃、当時のファンはこの歌の元歌の意味を理解していたのだろうか?
この疑問に答えてくれるテレビ局は、この数日間気にして観ていたが、どこにも無かったのが残念だった。
63歳で人生を終えるのは、少し早すぎただろうが、彼は正に一世を風靡した大スターだったから、その功績は歌として永遠に消えないだろう。
合掌