孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

西洋を見習うな

2018年05月13日 | 政治ネタ
先週、5月10日の昼休みに、Yahoo ニュースを見たところ、マレーシアの選挙結果によると、マハティールが新首相に就任したとあって、思わず「ホンマかいな・・」と呟いた。

産経ニュースから抜粋すると;

『【クアラルンプール=吉村英輝】9日に投開票されたマレーシア下院選(定数222、任期5年)で、野党連合「希望連盟」を率いたマハティール元首相(92)は10日、議席の過半数の獲得を決め、新首相に就任した。

1957年に英国から独立後、マレーシア初の政権交代を実現。かつて22年間にわたり政権を担ったマハティール氏が、首相に返り咲いた。中国への過度な依存からの脱却を図ることになりそうだ。』 

中略。

『 マハティール氏はかつての長期政権で、日本の勤勉さに学ぶ「ルックイースト政策」を掲げ、東南アジアでいち早く経済発展を成し遂げる一方、米国と距離を置く政策を取った。
ロイター通信によると、同氏は選挙で選ばれた指導者で世界最高齢になる。』

 首相復帰に笑顔

背景には、現首相のナジブ氏の資金流用疑惑があるようで、記事は以下のように締めくくっていた。

『 マハティール氏は2016年、かつて「師弟関係」にあったナジブ氏の資金流用疑惑を批判し、最大与党の統一マレー国民組織(UMNO)を離党、首相候補として野党連合を率いた。』

マハティール首相といえば、日本を評価して、個人の利益より集団の利益を尊重する姿勢、さらにそれを支える日本人の勤労倫理を見習おうという「ルック・イースト政策」を掲げてきた政治家としてよく知られている。

当時、私はマレーシアも位置的には日本と同じ「東」にいちしているのに、なぜルック・イーストなのかと少し疑問を感じたのを覚えている。

マハティール氏が最初首相に就任した30数年前、私は一度出張でマレーシアを訪れているのだが、当時はそういう政治的な背景や、東南アジアの被植民地時代の歴史などは、まったく関心がないノンポリであった。

しかしその後、何かのきっかけで、日本の幕末から明治維新のいきさつや、当時の東南アジアの状況に関心を抱き始めて、関連本などを読むようになっていったようだ。

「ルック・イースト」とは、西洋に対する東洋、すなわち「イースト」を意味していた。長いこと英国の植民地であったマレーシアは、ゴム園や錫鉱山で、支配者の英国人に奴隷のようにこき使われていた。

英国の植民地統治は、インドで行われたような、「分割統治(divide and rule)」が常套手段であった。つまり、被支配者たちを宗教、言語、人種などによって分割して争わせ、被支配者同士が団結して、統治者に矛先を向けることを避ける統治法である。

共通言語などはあえて作らず、教育も無視する愚民化政策をとり、むしろ種族間や宗教による争いを助長して統治するわけだ。

南朝鮮が日本に併合された時代を、「植民地時代」などと言うのは、この点だけ観ても
まったくの的外れだと分る。台湾でも南朝鮮でも、日本は西洋列強がやってきたこととは真逆のことをして、自腹を切ってインフラを整え、教育を推進したのだった。

  Without Japan...

マハティール首相といえば、「日本なかりせば」という演説で、あまりにも有名である。

これは、マレーシアの首相になって10年ほどしたとき、欧州、東アジア経済フォーラムでおこなった、『繁栄の未来に向かって(Towards a prosperous future)』という演説の中に出てくる一節で、「日本のそんざいしない世界を想像してみるがいい・・」

「もし、日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界の国はその価値を押し付けられていただろう・・(以下、略)」

今、その演説を読み返すと少し恥ずかしくなるほど、日本のアジアにおける功績を礼賛しているのだが、彼の歴史観は極めて真っ当であり、素直な歴史観であると思う。

それだけ期待されている日本は、現在、果たして期待されるほどの現実を伴っているだろうか?

今後、マハティールの言動は注目すべきで、我々日本人は、彼の期待を裏切らないようにしなければならない。