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孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

今年の初詣は龍山寺。

2016年01月23日 | 旅行
先週の土曜日は台北にいた。

行く前に、ネットで天気予報を調べて、着る物を用意したのだが、これが意外と悩んだのだった。

以前、フィリピンに赴任していた時のことを思い浮かべたのだが、現地の人は寒い寒いと震えていた1月頃、私たち日本人は皆半袖のポロシャツ1枚で十分であった。

台北観光の動画を youtube でいろいろ観てみると、通りを行き交う人達はみんな厚手のコートやダウンジャケットを着ている。1月の気温は12~13℃で、日本の10月くらいの感覚だと思うが、あの服装を見ると朝晩は寒いのだろうか?と思った。

一応、小さくたためるダウンベストとウィンドブレーカー、厚手のネルのシャツとフリースのジャケットを持っていったが、これらは一度も着ることはなかった。

私には、暑くはないが寒くもない、Tシャツ1枚でも何とかなったと思う。

ただ、天気は毎日雲が垂れ込める曇天が続き、17日の最終日はかなりまとまった雨が降った。

帰りの飛行機は15時発なので、いつも余裕を持って11時半頃台北発のバスに乗ることにしている。そして、最後の朝はいつも龍山寺を参拝して両手を合わせるのだった。



台北駅から地下鉄で二つ目の「龍山寺」駅から歩いて2分。早朝はまだ霧のようで、まだ傘をさす必要はなかった。そして、総統選挙の翌日である所為か、参拝者もこれまでで一番少なかったように思う。



私にとっては龍山寺参拝は今年の初詣だった。家族の健康祈願を思って両手を併せ、頭を垂れた。



シンガポールにいた時も、私は宗教を問わず寺院には何度も訪れたものだった。それは何かを祈願するのではなく、そこに参拝する人たちが真摯に手を併せて祈る姿を見るのが好きだったからだった。



ヒンドゥー教寺院やイスラム教モスク、道教のお寺など、どこを訪れても参拝者はみな神妙な表情で祈っている。それを見ると、私の汚れた心も洗われる気分がするのだった。

台北101、法輪功、そして支那人観光客・・・

2016年01月19日 | 旅行
今回、急遽台北旅行を決断したのは、Youtube でどこかの評論家が、台湾の総統選挙前の一ヶ月は、支那人観光客が来なくなるので、台湾旅行はチャンスですよ・・と言ったのを真に受けたからであった。

5月、9月の台北旅行では、イナゴの大群のような支那人観光客にウンザリさせられたので、ここはチャンス!とばかり、行ったのだった。

故宮博物院で、象牙の透かし彫りの玉を観たくて、早朝8:30に博物院正門に着くように宿を出た。お陰で、お目当ての宝物はゆっくり、静かに、思う存分鑑賞できたのだったが、それも9時半位までだった。

ジワジワとひと目で支那人の団体客と分かる連中が増えてきた。そこかしこの展示品の前で、支那人たちを集めて解説しているガイドが出現しだし、ロビーでは支那人たちが話すカラスの鳴き声のような大声が響いていた。

その都度、係りのお嬢さんが、小さな団扇のような看板を大声で話す支那人に向ってかざすと、大声はピタッと収まる。

何が書かれているのだろうと、見せてもらうと、支那語と英語で、「声を抑えて話してください」と書かれていた。私はそれを持っていたお嬢さんにニコッと笑って、親指を立てて見せた。彼女は、それを見てニコニコしていた。

本当はもう少しゆっくり鑑賞したかったが、何だか支那人たちに遠慮しながら観るのも嫌だったので、10時頃そこを出て、台北市内に戻ることにした。

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私は、自他共に認める「つむじ曲がり」なので、一般の観光客が行くようなところにはあまり興味が湧かない。中正祈念堂で、おそらくアメリカ・ワシントンDCのリンカーンの像を真似たであろう蒋介石の像を見たり、ロボットのような動きをする衛兵の交代シーンを見たりすることには、まったく興味がない。

第一、支那共産党に負けてすごすごと台湾に逃げてきてそこを乗っ取った蒋介石の像など、誰が見たいと思うものか。

あるいは、ちょっと前まで世界一の高さを誇った台北101という建物も、観光客が必ずといって訪れるところのようだが、私は高いところは好きではない。

しかし、その日は時間に余裕があった。

地下鉄の路線図を眺めていると、台北101という駅があって、台北101に駅が隣接しているようだったので、下から見るだけでも、話の種に行ってみる気になった。



駅の改札口を出て少し歩き、階段を登りきると、台北101のふもとに出る。目の前には、これまた日本人観光客が目の色を変えて行列をつくる、「小籠包」の名を知らしめた有名店「鼎泰豊」が出現した。



私はさほど食通ではないし、以前ブログでも書いたが、ミシュラン推薦の店などまったく関心がないし、どちらかと言うと、それを自慢げに掲げる店ならば入る気が失せるのだ。

従って、「鼎泰豊」などまったく興味なく、写真を撮っただけでスルーしたのだった。ガラス張りの中をのぞくと、白服を着た青年達がせっせとシュウマイのような「小籠包」を製造中だったが、あれは厨房というより工場と言った方がいい、と思った。

広場に出て、ビルの頂上に目をやった。さすがに高い建物だったが、やっぱり中には入る気がしなかった。



広場には、たて看板を並べてその前でビラを配ったり、観光客に説明したりしている人たちがいた。どういう人達なのか興味があったので、看板を見に近づいた。



目を背けたくなるような拷問の写真とか、「共産党」とかの漢字が並んでいた。漢字の羅列は何となく意味が分かるが、一体何を主張したいのか知りたかったので、ビラをくれた女性に、英語で「共産主義を批判しているのですか?」と聞いてみた。

すると、その女性はちょっと待って、という仕草をしてどこかへ走っていき別の女性を連れてきた。どうもその女性は英語を話す人のようだった。

「看板を見ても、内容があまり理解できないんですが、あなた達は何を訴えようとしているんですか?」と単刀直入に聞いてみた。

すると、立て看板の内容と同じようなパンフレットや英語で書かれたビラなど、ありったけの資料を手渡してくれた。「向こうに英語で書かれた看板もあるから見たいか?」と、少し離れた処に立てかけてあった看板まで引っ張って連れて行かれた。

貰った資料や看板に書かれている内容を斜め読みしてみると、彼らは「法輪功」という気功の愛好家達で、今現在も支那共産党がむごい方法で彼らの仲間たちを虐殺したり、弾圧したりしている実態を支那から台湾を訪れる観光客達に知らしめようとしているとのことだった。

「ここでやっていることは、東京でも行われています。」と言っていたので、ネットで調べてみたら、どうも嘘ではないようだった。



臓器売買が横行する支那では、より新鮮な臓器を求めて法輪功の愛好家たちを捕まえて、生きたまま臓器を取ることまでしているそうだ。



台北101の玄関前には、ひっきりなしに大型観光バスが止まり、大量の観光客を吐き出している。その間隔は、5分と間を置かない。

何人かは同じ黄色のベストを着て、台北101前の広場で座禅を組んでいた。



法輪大法、英語で Falun Dafa と呼ぶようだ。



観光バスから降りてくる支那人観光客達の様子を観察すると、みんな一瞬看板に目をやるがほとんどがすぐに感づいて、見てみぬフリをして通り過ぎて行った。



そんな時、真車の左右にに支那とソ連の真っ赤な国旗を立てた赤い車が観光バスの去った後に滑り込んできて止まった。助手席の窓が開くと、中の男は何か大声で叫んで、台北101に入ろうとしている支那人観光客にアピールした。

すると、その声に気付いた支那人たちが、一斉に振り向いて、カメラを取り出しその赤い車の写真を撮り始めた。中には何か大声で歓声を上げている支那人もいた。

赤いソ連の旗を立てているのはどういう意味なのか?ソ連は崩壊して、共産主義が見事に否定された事実を、まさか支那人たちが知らないはずがなかろう。

広場でそんな光景を傍観していたら、いつの間にか日は沈み辺りは薄暗くなっていた。

ここまで来て超高層ビルに上がらずに帰る観光客は、きっと私くらいのものだろうと自嘲気味に薄笑いを浮かべて、私は近くの夜市へ向ったのだった。





「台北之家」でカフェ・ラテと名画を

2016年01月18日 | 旅行
先週14日。午後から半休を戴き、帰宅して旅支度をしてから飛行場に向かい、昨年の5月9月に続く3度目の台北一人旅に出かけた。

家で支度をしているとき、テレビでは盛んにアイドルグループが解散するかもしれないというニュースを報道していた。

台湾の総統選挙が気になる私としては、アイドルグループの命運などどうでもいいことで、「まったく、おめでたい国だよ、日本は・・・」などとぼやきながら着替えを旅行用バッグに詰めていた。

14日の深夜に宿にチェックインしたので、活動は15、16日の正味2日間となる。

そして、昨夜17日の夜、小雨が降る中無事に帰宅したのだった。


台湾の総統選挙は下馬評通りに蔡英文氏が大勝し、安心した。さらに立法院の議員達も民進党が過半数を超えたのは快挙だった。

これらの話は追々ブログに書こうと思う。まずは、今回最もいい時間が過ごせた「台北の家」でのことを書こう。

「台北之家」Taipei Film House は、恐らく日本の観光客はほとんど訪れないのではなかろうか。



日本の観光客誰もがこぞって訪れる「キューフン」は、かの反日左翼漫画家・宮崎駿の「千と千尋のナンタラ・カンタラ」というマンガ映画のモチーフになった場所という触れ込みである。

 九 イ分

しかし、「キューフン」という場所は、実は台湾の人たちがたくさん訪れる場所でもある。

その理由はマンガ映画の所為ではなく、台湾の映画「非情城市」の舞台であったからだ。その映画のロケ地でもある。

1979年までアメリカ大使館として使われていた建物を改修して、カフェやバーにし、隣はミニシアターにして、年中他ではなかなか観られないレアな名画を観る事ができるようにした。





事前に私はネットやメールで上映中の映画と上映時間を確認しておいたので、お目当ての映画の始る1時間前に「台北の家」に着いて、そこのオープンカフェでカフェ・ラテを飲んでのんびりした。





お目当ての映画とは、2014年製作の日本未公開映画『Kumiko, the treasure hunter』台湾タイトル(久美子的奇異旅程)だった。 原題を強いて日本語に訳せば、「久美子、財宝探検家」とでもなろうか・・・。





主演は菊池凛子で、日本と米国で撮影された David Zellner 監督作品である。菊池凛子といえば、個性的な演技派俳優であることは知っていたが、この映画は正に彼女にピッタリの映画と言って良く、恐らく今後彼女の代表作品として名を残すことになると思う。105分間があっという間に過ぎてしまうよく出来た作品だった。



途中から登場して同情のあまり久美子を助けようとする警察官役の名演技はすばらしかった。

映画の中身の情報は一切調べずに見たのだが、話が進むにつれて、いろいろと昔を思い出させてくれる話や映像が出てきて、実に郷愁を誘う映画でもあった。



話の土台は『Fargo (ファーゴ)』という実在の映画だ。これは、映画通なら誰でも知っているコーエン兄弟が手掛けた映画で、私も数回レンタルDVDでこれを観たことがあるなかなかの秀作だ。

この映画の中で、犯人が雪原に大金の入ったかばんを埋めて目印を立てるシーンがあったが、久美子はヒョンなことから、この大金を探しに北米のノースダコタ州・ファーゴに出かけるという話である。

実際にこういう女性がいて、凍死したという都市伝説がアメリカにはあって、それがこの映画の題材になっているそうである。

映画は、菊池凛子の素っ頓狂な名演技で、話がどういう風に展開していくのかハラハラしながら進んでいく。

ノースダコタに着いた久美子は、ファーゴの中にも出ていた、アメリカの伝説上の巨人、ポールバニアンの像の前に立つ。



ポールバニアンという巨人伝説については、私は22歳のとき渡米するに際して、何冊かアメリカ関連の本を読んだが、そのどれかに書いてあったので知識はあった。

途方もない巨人で、一人でミシシッピー川を掘ったとか、ロッキー山脈やグランドキャニオンも彼が造ったと伝えられ、いつも斧を持ち、傍らにベイブという名の青い牛を連れているのだった。



丁度日本の中部地方に伝わる「だいだらぼっち」のような巨人伝説だろう。「だいだらぼっち」は土を集めて積んでいき、それが富士山を造ったという。掘った跡は琵琶湖になって、バランスを崩して片手をついた跡が、現在の浜名湖だそうだ。



また、映画の中で雪降るフリーウェイを歩く久美子を車に乗せて自宅まで連れて帰り泊めさせようとする老女が、久美子が日本人だと知って、「私は日本に関する本を読んだことがあるわ・・・」と言って久美子に見せたペーパーバックの本がジェームズ・クラベル著の『将軍』であった。



この本は、私が滞米中に話題になった本で、当時そこかしこでこの本を読んだというアメリカ人に出くわしたものだった。

そんなにいい本なら・・と私もドラッグストアで見つけた『将軍』を購入して、辞書を片手に必死で読み始めたが、ジェームズ・クラベルの描く日本文化や日本語は間違いだらけであるのがわかり、途中でバカバカしくて読むのを止めた本であった。

映画は、きれいな映像でクライマックスをむかえ、意外な結末となるのだが、ここではこれ以上は書かないことにしよう。

色々な賞を獲得した映画だそうなので、いずれレンタルショップの棚に並ぶかもしれない。そのときは是非もう一度観たい映画だ。

映画が好きな方は、是非「台北の家」がおすすめスポットである。


豚のいぬ間の台北巡り

2015年10月31日 | 旅行
今朝、歳が明けたら安いツアーがあるようだから北海道に行かないか、と家人に打診された。北海道もいいが、前回行った時の、あの嫌な印象がまだ消えないし、私はすでにその頃台湾旅行を企てていたので、即座に断った。

「また行くの?」と家人に言われたが、台湾好きにはこんないいチャンスはそう巡ってくるものではない。

いいチャンスとは、来年1月16日の台湾総統選挙までの1ヶ月間は支那人が支那共産党によって、台湾旅行を禁止されていることだ。

支那人観光客のいない台湾など、夢のような出来事ではないか。

 故宮博物院、エントランス


5月に念願の故宮博物院に行ったときほど支那人観光客に憤りを感じたことは無かった。まるで蛆虫のようにウジャウジャ動く支那人観光客は、どいつもコイツもバカでかい声で喚きまくり、うるさくてかなわない。

任期のある示物などは支那人たちが渋々つくる長い列で並ぶ気にもならなかった。

 豚の列

前回家人と北海道の動物園や昭和新山に行ったときなども、支那人たちがいてウンザリさせられた。

台湾にいけない支那人たちが、日本に大挙して押しかけることも予想され、今年の年末年始は、日本の観光地は支那人たちに汚染されるだろう。

京都などは今やどこも支那人観光客が跋扈して、欧米の観光客からは、「これではまるで上海と変わらない」と、京都観光を敬遠し始めているという。

何が悪いかというと、まず彼らは集団で動き、マナーやエチケットという概念は持ち合わせていない土人レベルの生き物なので、ドアは開けても閉めない、タバコは平気で投げ捨てる、木があればすぐ登りたがる、展示品には汚い手でさわりまくる、ホテルのバイキングなどでは、食いきれないほど取って大量に残す。

最近では、自動車にわざと体当たりして、怪我をしたと言って治療費を請求する「当たり屋」も観光地に出現しているという。

こういう迷惑者たちに、まともな応対ができない日本の観光業者が悪いのは言うまでもないが、その結果欧米の観光客ばかりでなく、私のような日本人の観光客をも不愉快にしている現状をもう少し真剣に考えるべきだ。

日本人もかつてこういうときがあったとか、彼らにマナーを教え込むには時間がかかるなどと、言い訳を言っているうちに、一方で大事なものを失っているのである。

まずは、怯えずに彼らの酷さを具体的に世間に海外に発信すべきである。

被害者として。




見た目は同じようでも。

2015年10月17日 | 旅行
台湾旅行のとき、観光地で遭遇する一団が、聞えてくる話し声から明らかに日本人ではないとわかるが、果たして彼らの国籍は?と、一瞬首を傾げることが何度かあった。

故宮博物院では、その大声から迷うことなく支那大陸からやってきた迷惑この上ない観光団だと分かったが、猫空でゴンドラに乗るときに遭遇した数十名の高齢者の一団など、一瞬では分からなかった。

しばらく観察すると、列に並ぶ姿やその話し振りから、「ああ、これは台湾人だな。」と分かるのだった。

台北市内の総統府の裏手でバスから降りてきた一団は、支那人達だと瞬時に判別できた。なぜならくわえタバコを街路樹の根元にポイと捨てるわ、唾を吐き捨てるわ、民度の低さをこれでもかと見せ付けてくれたからだった。

帰路に着くとき、台北の桃園国際空港でも多くの団体がいたが、これは手にしたパスポートを見る事で判別できる。

 支那人のパスポート

 台湾人のパスポート

先月の台北旅行中には、二度ほど経験したが、私はパブロフの犬のように、あの言葉を聞いた瞬間にサッと鳥肌が立つようになるので、すぐにその場から離れるようにしている。南朝鮮自治区の言葉である。

最初は、タイペイアイで京劇観劇をしたときだった。今回は真ん中あたりで観ようと席を決めたら、後ろの方からあの嫌な言葉が聞えてきた。

すぐに右翼席に席替えして、デイパックを置いて席を確保し、トイレに行って戻ってきたら、何と先ほどの南朝鮮自治区の連中が右翼席の後ろの方に移動しているではないか。

私は、すぐに荷物を手にして、今度はまったく逆の左翼席に移動したのだった。

二度目は、最後の日の早朝、龍山寺にお参りに行った時だった。参拝して門を出ようとしたら、10名ほどの集団がガイド風の男性に導かれて境内に入ってきた。

中には入らず、ガイドがあの耳障りな言葉で何か説明しているようだった。それが終わると、ガイドはカメラで集団の記念撮影をして帰っていった。

「ハナ、ドゥル、セッ!」(イチ、ニィ、サン)と言ってシャッターを切るとすぐに帰って行ったところを見ると、多分「どうせ、中に入っても大した事無いですから、ここは写真をとるだけにしておきましょう。」とでも言って、立ち去ったのだろう。

以前、タモリが、何かの番組で「海外に行って、関西弁を聞くとムカつくね。『えらい、暑いなあ・・』とかさ。」と言って笑わせていたが、私はそれを聞いて、痛く同感したものだった。

ただ、それが私の場合、いまでは関西弁ではなく、南朝鮮自治区の言葉に変わったと言えるが。


歴史は分からない、「歴史博物館」

2015年10月06日 | 旅行
三日目は博物館めぐりに費やした。

右足にできたマメも水ぶくれになり、やがてはじけて皮がブヨブヨになった感覚が歩きながらでもよく分かった。それでも、ひたすら地図を片手に歩いた。

「どうしたい。足ぃ、引きずって・・・」
「おぅ、足にマメができちまって。」
「ナニ、足にマメができた?ナンダ、そんなモン。つぶせ!」
「そんな邪険なこと言うなよ・・。つぶしゃぁ、マメはなくならぁ。」
「後から、新豆が出てくらぁ!」
「足ぃ、新豆こさいてどうすんだぃ・・・。」

お馴染み、三遊亭園生の『三人旅』の一節を、頭の中で園生のモノマネで楽しみながら「国立歴史博物館」を目指した。

大きな植物園の中を通り過ぎれば通り沿いにあるはずだった。



植物園に着いた頃、霧雨が降り出した。本当ならのんびり植物園の中を散歩したかったが、少し雨宿りをして先へ進んだ。



土曜日なので、カメラを手にした高齢者夫婦や学校の運動部らしき若者たちで園内は賑わってきた。



大きな蓮の池があってその反対側に博物館らしき建物が見えた。見えたがそこへ行く道が無い。ウロウロ探し回っても見つからなかったので、道行く人に聞いた。最初に聞いた女性は、初めて来たので分からない・・・と言っている様子だった。

森の中に「INFORMATION」と書かれた建物があったので、中に入って地図を見せながら指をさして「ここに行きたい」と日本語で行ってみた。

すると、70歳くらいのお爺さんは、にっこり笑って、簡単な地図を書いてくれた。蓮の池沿いに建物の後ろまで行くと、小さな看板と細いわき道があって、博物館の前に出ることができる・・・と説明してくれたのだと思う。

言葉は分からなかったが、以心伝心でよく理解できた。



無事、「国立歴史博物館」に入れた。ここにくれば、台湾の歴史がよく分かるだろうと思って中にはいり最上階までエレベーターで上がった。順番に降りてきながら観覧するつもりだった。

しかし、博物館というよりギャラリーという感じで、絵画や書画が展示されていて、台湾の歴史の説明などはまったく無かった。かろうじて、「唐三彩」の珍しい宝物が展示されていたが、「唐」とは、支那大陸である。唐の時代の芸術品は見事だったが、台湾の国立歴史博物館の展示物としては、期待はずれもいいとこであった。

1階では台湾の芸術家による作品展示をやっていたが、「モダンアート」とやらで、私はまったく関心が湧かなかった。

早々に切り上げて、次の目的地で今回の最大のお楽しみ「二二八祈念館」に向った。

つづく・・・

気になります、マスクの色。

2015年10月03日 | 旅行
5月に訪台した時はほとんど気にならなかったが、今回は街行く人にマスクをしている人が目立った。

9月下旬とはいえ、日中の最高気温は27~8度はあったと思う。汗かきの私は、30分も歩けば汗びっしょりとなった。風邪が流行るような時期ではないと思うのだが、電車に乗っても一車両に数人の人がマスクをしていた。



しかも、そのマスクは日本で一般的な白ではない。灰色だったり、黒っぽかったり、模様が印刷されていたりする。

冬に東京を訪れる外国人観光客は、多くの日本人が純白のマスクを一日中しているのを見ると、とても奇異に見えるそうだ。これほど多くの病人が電車に乗っているのは不気味でさえあるという。

冬の朝の通勤風景などの映像を想像してみると、確かにほとんどの人が真っ白なマスクをしている光景が思い浮かぶ。

しかし、想像してみて欲しい。そのマスクがもし灰色や黒だったらどんな光景に映るだろうか。初めて黒いマスクをした人を台北の街で見たときは、私はまるでその方が刑務所にいる囚人のように見えたのだった。

やはり、マスクは純白の方が清潔感があって良いと思うのだが、これも色彩文化の違いからくるものだろうか。



食堂やレストランの店員が黒っぽいマスクをして近づいてくると、少しゾッとするほどだった。

最初は、使い捨てカイロに紐をつけて顔半分を寒さから防いでいるのかと思ったが、北国でもあるまいにそれはありえない。
  
「ところ変われば マスクも変わる」  というところでしょうか。

台北、街歩き。

2015年10月03日 | 旅行
台北の街はMRTという地下鉄網が巡っているので、かなり便利なんですが、それでも目的地に行くには結構歩くものです。

シンガポールにいた時は気軽にタクシーを拾って移動したものですが、台北の場合、私にはトラウマとなっている体験があり、今でもそれが気になってどうもタクシーは使う気になれませんでした。

社会人になって間もなくの頃、出張の帰路最後の用事で台北に一泊したときのこと。空港から市内のホテルまでタクシーを利用した際、料金をボラれそうになったことがあった。

日本円で数万円の料金を請求されたので、私はわざと発狂して見せ、窓を開けて「Police!! Help!! Police !!」と叫んだ。運転手は「わかった、わかった・・」という感じで数千円に料金を下げたのだったが、あれは私の人生で一度だけの大芝居だった。今ではやろうとしてもできないだろう。

方向音痴なこともあって、私は道によく迷う。だから何処からでも見えるランドマークが無いような街では、目立つ看板を覚えておくようにしている。



この看板も目印にした看板であった。シンガポールでも日本の駅弁のようなお弁当を専門にする店を見かけたが、あれは日本人の経営なのだろうか。その名もBENTO という名前で売り込んでいるようだが、はたして台湾で流行るだろうか?



「50嵐」という名前の店はジュースの専門店で、これもあちこちに見かける。今回も宿へ戻る途中で何度か立ち寄り、カエルの卵のようなタピオカが入ったミルクティーを買ったものだ。

その店のまん前にあったこの看板は、よく見ると求人広告である。時給123元で正社員になれる、海外にも行くチャンスあり、というキャッチコピーだ。

1元が約4円だから、時給は490円位。日本の60%くらいの時給になる。



宿がある通りに曲がる角にあった「胡椒餅」の看板で、この店は非常に繁盛していていつも行列ができていた。一度買って食べてみたかったのだが、行列に並ぶのは大嫌いなので、横目で見て通り過ぎるだけだった。

運良く、最後の晩通りかかったとき、もう店じまいしようとしていたが、商品は残っているようだったので、1個買ってみた。皮がカリカリに焼けた肉まんといった感じの「胡椒餅」を持って宿に戻り、食べてみた。

店のオヤジさんが日本語で「熱いよ」と言ってたので、十分冷ましたつもりだったが、一口かぶりついて、火傷してしまった。薄い皮なんだが中身の肉や野菜は熱くてとても食べられなかった。

さらに30分ほどそのまま食べずに置いてから恐る恐る食べたが、なかなかおいしいものだった。なるほど毎日行列が出来ているはずだとうなずいた。





台北の街の通りや鉄道の駅名などには、私から見て「古風」な名前が多いと思った。
「愛国」とか「博愛」とか、「忠義」「忠孝」「信義」などなど・・。

本土の支那人や南朝鮮自治区の連中とは違って、民度が高そうな台湾人らしさが表れているようで、私は微笑ましく感じたものだった。



シンガポールでも日本でも良く見かける光景に、高齢者たちが集まって楽しむ縁台将棋がある。写真の二人の勝負は終盤を迎えていて、非常に殺気だった雰囲気だったので、少し離れて写真を撮らせてもらった。



5月の訪台の際にも度肝を抜かれたが、今回も見かけた台北らしい朝晩の通勤・帰宅風景である。信号が青に変わった瞬間にバイク集団は一斉にスタートする。まるでマラソン大会のスタート時のようで、よく事故が起きないものだと心配してしまう。


淡水でのんびり散歩・・

2015年10月02日 | 旅行
猫空(マオコン)のゴンドラを降りてからは地下鉄で一気に北の終点駅、淡水(たんすい)に向った。淡水は人気の観光地で、川沿いに広がる商店街をブラブラするも良し、B級グルメに舌鼓を打つも良し・・・一度は訪れたい場所であると聞いた。



淡水の駅はなかなか凝ったデザインで、この駅舎をバックに写真を撮る観光客やカップルも多い。

駅を出てすぐ前に大きな川が流れていて海に注いでいる。きれいな夕日を見ながら愛を語り合うデートスポットとしても地元の若者には人気がある。

川沿いには、しゃれたカフェもあるが、還暦を過ぎたオヤジには敷居が高い。



ストリートミュージシャンがカラオケをバックに指笛演奏をやっていた。そのメロディーは日本の懐メロが多く、一体どんな人が演奏しているのかと近づいてみると、やはりかなりの年配者だった。

マヒナスターズの「お百度恋さん」を演奏してくれたのには参った。私の大好きな懐メロの一つだったからだ。まさか、淡水でマヒナのメロディーを鼻歌で歌うとは思わなかった。



デートコースに来ると、さすがに周りはカップルばかりになった、場違いな感じがして道順を変えた。

食べ物屋の屋台も多いので、小腹も空いたことだし、食べることにした。



これは、イカフライだがその肉厚なイカは食べ応えがあった。バジルのようなハーブがアクセントになって、ペロリと平らげた。



黒豚のソーセージのことだと思うが、粗挽きの肉が独特の味付けでこちらもなかなかイケル味だった。2本をペロリといただいた。

他にも名物のひょろ長いソフトクリームがあったが、糖分が気になってこれは控える事にした。



10人ほどの老人のグループをガイドしていた女性がいたので、写真を撮った。なぜかというと彼女の首にちょこんと掛けたマイクが珍しかったからだ。口元に小さなマイクがあって、拡大された声は腰にぶら下げた6cm角ほどの小さなスピーカーから聞える仕組みになっていた。

中国本土からの観光客かと思ったが、いたって静かで礼儀正しい台湾の老人たちのグループだった。

お腹も一杯になったので、夜の京劇鑑賞のために台北市内に戻ることにした。

よく歩いたので、右足の親指の裏に豆が出来てしまったようだった。


人気は「刺身と鮨」

2015年10月01日 | 旅行
今回三泊した宿は、朝食付きだとあったが、実態は近くのジャンクフード・チェーン店のマクドナルドの朝食只券を3枚配るだけであった。

あまり嬉しくは無かったので、断ろうかと思ったが、こんなときでしか行く機会はないと思い、毎朝通った。



入り口の看板を見ると、「麦当労」と書かれていた。多分中国語の発音では、「マクドナルド」と似たような音読みになるのだろう。

私が初めてこの店のハンバーガーを口にしたのは、22歳の時だった。ハンバーガーに限らず食べ物の嗜好は幼児期に良く食べたもので決まり、これは一生変わらないのだそうである。この店の販売戦略はそれを念頭においているため、テレビCMやオマケで、子供をおびき寄せることに専念している。

幼児期にこういうものを何度も食べさせられた子供は、大人になっても食べ続けるのである。台北の店にも早朝からそういう市民や旅行者が集まっていた。



観光地ではあまり見かけない欧米人たちがたくさんいたのは、意外だった。やはり彼らには、台北の街の朝食屋の食事は抵抗があるのだろう。

私も、昼食や夕飯で、市民が集まる食べ物屋に何度も入ったが、欧米人とは一度も遭遇しなかったし、夜市という屋台が並んでいわゆるB級グルメを提供するところでも、白人を見かけることはほとんど無かった。



サンドイッチにコーヒーという、こんな朝食でも、欧米人たちは主食を食べられる喜びを同時に味わっているのだろう。

せっかくの機会なので、私は三日間、毎朝7時前後にここで朝食を済ませた。そこで毎朝出会ったのがこの老人であった。野球帽をちょこんとかぶり、サンドイッチとコーヒーを注文し、ゆっくり食べながら新聞を読むのがこの老人の毎朝の決まりなのだろう。



見たところ、年齢はすでに80歳を超えているのは間違いないと思えた。台北市という都会に住む一人暮らしの老人は、こういうところで朝食をのが台湾スタイルなのだろうか。私には真似できないことだと苦笑した。

私が食べ終わろうとする頃、右隣の席に若いカップルの旅行者が座って食事し始めた。
東洋人だが多分シンガポールか香港あたりから来たカップルではないかと想像した。

想像しながら、男の着ているT-シャツを見て噴出しそうになった。



背中には、「今日は刺身 明日は鮨」と毛書体で印刷されていた。

「Excuse me. Do you understand what it means ? 」
(すみません、意味は理解しているんですか?)

彼の肩をチョンと叩いてから、笑いながら彼に聞いてみた。すると、彼はすぐ何のことか分かって、「Yeah, I think so. 」(うん、分かってるよ。)と、いたずらっぽい顔で返事をしてくれた。

台北でも鮨を売っている店は見かけたが、やはり生ものは怖くてひかえる事に決めていた。昔、韓国の田舎町でイカの刺身を食べて、死ぬほど酷い目に遭った経験がトラウマになっている。

帰国してから絶対に刺身や鮨を食べようと、心に決めた一日であった。

仰天!シャワー室の女性下着

2015年09月30日 | 旅行
東南アジアを旅すると、よく大きなバックパックと呼ばれるザックを背負って海外を旅する「バックパッカー」を見かける。

欧米人に多いようだが、概して身なりは良くなくて、金をかけないケチケチ旅行をしていることがひと目でわかる。

私もこの歳になって少し気が引けたが、彼らと似たような格好で台湾に行った。従ってただ寝るだけの宿にはお金を掛けたくないので、いわゆるランク付けの星の数など「2つ星」程度で十分であった。

今回3泊した宿もホテルでもホステルでもない、「Inn 」と言われる安宿で、一泊3000円位で泊まれる、昔日本の学生などが盛んに利用した「ユースホステル」のような感じのところだった。

一部屋に二段ベッドが7つほどあって、旅行かばんが入るくらいの大き目のロッカーも備え付けである。カードキーで出入りする部屋の外には、共同のバスルームがあり、トイレと洗面台とシャワーがセットになった4畳ほどの広さのバスルームが二つ並んでいた。

朝晩は誰も利用したがるので、このバスルームが非常にに混んでいた。

初日の朝5時半ころ、私は静かに起きてシャワーを浴びにバスルームへ向った。運良く一つ空いていたので中に入ったら、とんでもないものが眼に飛び込んできた。



壁に掛けられた女性の洋服と、上下の下着であった。汗をかいて汚れたので、手洗いして干してあったのだ。確かにバスルームにはかなり強力な換気扇があって、一晩もぶら下げておけば乾くのだろうが、男女共用のバスルームに堂々と自分の下着を掛けておくというのは、如何なものだろうか。

しかも、サイズをみるとかなり太目の体型のようで、ブラの大きさは異常なほどデカく丈夫そうなブラだった。

持ち主がどんな顔をした女性か興味があったが、お目にかかれなかった。

以前、富士山から下山途中で立ち寄った山小屋の庭先で見たことを、ブログで話題にした事があった。二人の白人女性が、まわりに何人もの男の登山者が休憩しているにもかかわらず、着ていたシャツを脱いで、下着だけの格好になり、着替え始めたのだった。

見る方が恥ずかしくなって、眼を背けてしまうほど大胆な行動だった。東洋人の男性など猿みたいなもので、彼女たちにしてみればエチケットもへったくれも無かったのだろう。

数年前に体験したこのことが、デジャブのように思い出された台湾のシャワー室だった。

この宿のサイトの「宿泊者の感想」欄に、この体験をさらりと書き込んでおいた。宿泊客は外国人が多そうだったので、日本語でなく英語で書き込んでやった。




台北は晴天だった。

2015年09月28日 | 旅行
台風は台北を直撃しそうだが、日頃から私の行いが良いせいで、先週の滞在中は天気に恵まれた。

今回は、自宅から車で20分のところに出来たローカル空港からの台北直行便を利用した。吹けば飛ぶような赤字空港も、支那の地方都市との定期便を次々に開設していって、利用者も増えつつあるようだが、支那人ばかり来られても迷惑だと思うのは、私だけか。

今月の初めの日曜日に空港の様子を下見に行った時も、狭い構内は支那人の団体客だらけで、実に騒々しかった。中に入りきれない支那人観光客100人ほどが駐車場に作られた雨よけのある広場でチェックインの順番を待っていた。

順番が来て構内に入っていく彼らの中には、カートに4つも5つも爆買いした炊飯器を積み上げているのが何人かいた。

搭乗待ちのとき売店をぶらついていると、片隅に炊飯器が売られているのを見て、苦笑した。こんな田舎の小さな空港でも、炊飯器が売れるのだろうか。



どうせなら、空港に隣接して大型電気店を誘致したらどうだ。支那人のお陰で赤字脱却になるなら、そのくらい投資しても損はないだろうに。

見た目は日本人と変わらないが、話す言葉で日本人ではないとすぐわかる。その日も狭い構内は支那人が8割以上であったと思う。しかし、以前下見に来たときほどは構内が騒々しくなかった。



理由は、すぐに分かった。彼らは私が利用する便で台湾へ帰る「台湾人」だったのだ。
言葉の性質か、話し言葉は日本人より大きいが、台湾の人達は、支那人が話すように下品さ丸出しの馬鹿デカイ声では話さないようだ。

飛行機に搭乗してからも、特に問題は起こさず、30分ほど遅れたが無事に台北の桃園(トウエン)国際空港に到着した。



シンガポールで購入した旅行ケースも無事流れてきたので、その足で両替をしてバス乗り場に急いだ。台北市内までは国光客運というリムジンバスで約50分だ。事前にネットで予約した宿は台北の街のど真ん中。台北駅から徒歩4~5分の距離にあった。

バスが台北駅前に到着して、その足で地下鉄乗り場に向った。というのも、5月に来た時利用した地下鉄のカード(EASY CARD) がほとんど残り少なかったため、予めカードに加算しておくためだった。



MRT (Mass Rapid Transportation) と呼ばれる地下鉄は非常に便利で使用頻度は高い。しかもセブンイレブンなどのコンビにでも利用できるし、市内のバスにも使えるという優れものだ。駅の加算機で確認すると残りはわずか11元(約40円)だったので、その場で500元(約2000円)加算した。

いよいよ楽しい台北の一人旅が始った。このブログのネタもたくさん集まったので、乞うご期待!

台湾再訪。

2015年09月22日 | 旅行
5月に台湾に行ったのだが、どうしても悔やまれるのが楽しみだった「国立故宮博物院」でのんびり宝物を観て廻るつもりの半日が、支那の観光客のために台無しになったことだった。

台北を離れるとき、今年の秋にもう一度訪れようと心に誓ったが、地元の飛行場から出発する便のチケットが取れたので、今週出掛けてくることにした。

インターネットでいろいろ調べているのだが、どうも支那の観光客が途切れることは無いようである。どこをみても、故宮博物院はいつも支那の観光客で賑わっているので、開園と同時に入るか、昼食時か夕方が比較的空いていると書きこまれている。

他にも行きたいところがあるので、色々考えているうちに、「なんで支那の観光客のことでこんなに悩まなければならないのか・・」と、バカバカしくなってきたので、今回は故宮博物院は行かないことに決めた。

今回は、前回ゴンドラがメンテナンスで休止中だった、猫空(マオコン)と淡水(タンスイ)、それにタイペイアイでの京劇観劇の三本柱とし、二日目は二二八祈念館、歴史博物館などの博物館巡りと、夜市での食べ歩きをしよう。

 ゴンドラで猫空の茶畑へ

 淡水で散策後、夕日を

前回は、「二二八事件」のことを知りたくて、「和平公園」内にある「二二八和平祈念館」に行ったら、運悪く休館日であった。

 二二八和平祈念館

台北市内には、5つ以上博物館があるので、見たい順番に廻って見るつもりだ。

  国立歴史博物館

夜は、夜市をぶらついて、色々食べ歩くのもいい。

 夜市もたくさんある

金曜の夜は、京劇が楽しみだ。ホームページを見たら、「八仙過海」という出し物で、仙人と竜宮の兵との戦いが楽しみな演目だ。

 京劇は異国情緒満点だ

天気予報では、にわか雨程度で心配した台風も通過しないようである。一応雨のときの予定も立てておくが、日頃の行いが良い所為か、私は行くところ行くところ天気には恵まれるようである。

親日国・台湾で十分英気を養って、また来週からは仕事に精を出せばいい。