孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

今回も京劇「白蛇伝」鑑賞

2016年09月21日 | 旅行
京劇を初めて観たのは昨年の5月だった。

その時の演目も確か、白蛇伝「金山寺」だったと記憶する。今回も同じ「白蛇伝」だったが場面が少し違っていて、また役者も前とは違っていたので、飽きることはなかった。

観客も昨年より多くて、席は8割ほどが埋まっていた。そのうちの3割くらいは南朝鮮からの観光客のようで、台湾への支那人観光客が激減した分、日本人観光客と南朝鮮からの旅行客が増えた、という噂は本当なのかもしれない。




年に3度も京劇を観ると、演技を見る目も次第に肥えてきて、京劇特有の見えを切るときのタイミングやその目つきなどの上手い・下手が分かってきたような気がする。

今回、白蛇と青蛇を演じた女優二人は、殺陣は上手だったが、随所に見せる見えを切る仕草は、何か物足らなくて残念であった。



その点、男優は激しい殺陣といい、見えの切り方といい抜群の出来だったと思う。槍や旗を振り回す殺陣は、他の演者との絡みが難しそうだが、今回も迫力満点であった。



フィナーレはいつも全員勢ぞろいで挨拶をする。約1時間の京劇は、日本円で約1,700円。

日本の歌舞伎もこのくらいで観ることができればと思うが、もう我々には手の届かない、庶民の娯楽とはとても呼べない芸術になってしまったようだ。

非常に残念である。

グローバル感覚を味わう

2016年09月20日 | 旅行
最近は下火になってきたようだが、ひところの「国際的」「インターナショナル」という言葉に取って代わって、「グローバル」という言葉が大流行だった。

会社の説明や部署名に「グローバル」と付ければ、何となく世界中で手広く商売をしているような錯覚を与える効果があると思うのか、「グローバル戦略」とか、「グローバル展開」とか、よくもまあ恥ずかしげもなく口にするものだと思っていた。

そういう人に限って、global ってそもそもどういう意味なんですか?と聞くと、「さあ・・・」とか言うに決っている。

globe とはそもそも「球体」という意味で、地球を意味する単語だ。その形容詞が、global で、[「球状の」とか「地球規模の」といった意味になるわけだ。

グローバリズムといえば、国境や人種などわずらわしくて、「人・物・金・情報」を自由にやり取りして金儲けを企む主義のことを言う様で、国や民族の伝統文化や独自性などどうでもいいと考え、金儲けにとって邪魔だと考える連中を、グローバリストなどと呼ぶそうだ。


今回の私の台湾旅行は、意識が少しグローバル(地球的)だったと思う。これまでになく、丸い地球を意識する旅だった。なぜなら、嘉義市の郊外を通る北回帰線まで南下したからだった。

 嘉義市郊外を横切る

回帰線と聞くと、分かっているようで実はうまく説明できない人が多いのではないだろうか。世界地図や地球儀を見ると、赤道を挟んで南北に北回帰線と南回帰線が描かれている。

「回帰線」は英語で、tropic という。語源はギリシャ語で「帰る」という意味の、【tropos】という言葉からきているという。北回帰線から南に降りていくと赤道があり、さらに南下すると南回帰線がある。この間、赤道を挟んで南北にそれぞれ大体23度27分の間を熱帯(トロピカル)と呼ぶわけだ。

  北回帰線標塔、北緯は?

地球の軸は23度ほど傾いている。傾いたまま太陽の周りを公転すると、夏至、秋分の日、冬至、春分の日で太陽が真上から照らす位置が変わってくる。

北回帰線上で夏至の日(6月21日ころ)のお昼に外に出て自分の影を見ると、太陽が頭の真上から照らすため、足元に小さく影が見えるだけだそうだ。

冬至の日に南回帰線上では同じことになる。そして、春分の日、秋分の日は赤道上で同じ現象を見ることができるわけだ。

  
中学校で習ったような気もするが・・、夏至の日には頭の真上に太陽が。


嘉義市からはバスで10分ほどで北回帰線・太陽館まで行けるようだが、バスの本数はそう多くないようだったので、私はタクシーを利用した。日本円で470円ほどだった。

 初代から第5代標塔

第6代標塔は、「太陽館」という大きな建物になり、中には太陽に関する展示が様々あって、子供連れの家族で賑わっていた。



そして、ここを訪れる観光客はほとんどみんな、温帯と熱帯にまたがって記念写真を撮っていた。国境や県境などでも観光客はよくまたがって写真におさまりたがるものだ。



私は、20歳のときパプア・ニューギニアに行ったことがあるので、赤道を船が通過する時間を当てるトトカルチョを船長主催でやったのを記憶している。したがって、熱帯だからといって特別興奮することはなかったが、夏至の日の昼に自分の影がなくなるというのは、一度見てみたいものだと思った。

地軸が傾き、太陽の周りを公転しているイメージ。なんともグローバルではないか。

もしかしたら、来年の6月21日ころ、再訪するかも・・・。





ぶらり淡水河畔

2016年09月20日 | 旅行
台北駅で若者二人の親切な道案内を受け、もう初日から台湾の好感度はMAX状態だった。

台風の影響で天気は悪いだろうと予想していたのだが、何と9/16 金曜日の台北は晴天だった。淡水はもう何度も訪れているが、まだ対岸の八里(バーリ)には渡ったことがなかったので、今回は渡し舟でいってみる事にした。

 10分ほどで八里に着く

乗客の大半は、台湾の方だったが、支那人のようにギャアギャア騒がないので、嫌な思いをせずに済む。対岸に着くと観光客の多さに圧倒された。

 いろんな出店が連なる

淡水は、夕陽がきれいな場所として有名で、夕暮れ時になるとあちこちで若いカップル達がデートを楽しむ光景が見られるデートスポットである。

この日は気温が30度近くあったろう。それでも肩を寄せ合っていちゃいちゃ歩くアベックがいて、見ているだけで汗が噴出すほどだった。

  木陰には人だかり


せっかくだから、名物のソフトクリームを買ってみた。高さは25cm位あるだろう。

 味はさておき・・・

台湾は漢字の国なので、よく見れば何となく意味が理解できるのがありがたい。看板を見て、一体何の意味なのか考えるのも一興である。


 蚵仔煎=カキ入りオムレツ 


淡水の名物といえば、『鐵蛋』がある。鉄たまごという意味で、色は真っ黒だが、これがなかなかおいしくて後を引く。煮たまごを干して作るのだそうだが、値段も手頃でビールのつまみにも最適なお土産になる。

 ぺロッと食べちゃう鉄蛋

ひっきりなしに水分補給をしないと、簡単に熱中症にかかってしまいそうな日だった。淡水はやはり、夕暮れ時がいいかもしれない。

晴天の淡水は中高年にはすこしきつかった。


さりげなく道案内してくれた二人に感激!

2016年09月19日 | 旅行
先週の木曜日の午後11時頃に台北に到着してから、バスで台北市内の台北駅まで向かった。いつものことだったが、予約した安宿は台北駅のすぐ近くで、台北駅の地下道を看板どおりに行けば迷うこともないはずだった。

しかし、私は病的な方向音痴である。事前に調べた地図を頭に叩き込んでおいても、ちょっとでも想定外のことが起きると、もうパニック状態になって益々訳が分からなくなってしまうことがこれまで何度もあった。

その夜も、台北駅の地下街へ入るところが前回とは違ったため、予想した景色とは全く違うものが目の前に現れたのだった。

  日中の台北駅

しかし、地下通りにはいたるところに地図が掲げられていて、今の自分はどこにいるか、出口の場所はZ3とかM4とか表示されていて、余程のことがない限り、道に迷うことはないのである。

が、その晩私は階段で地下に下りたくなかったので、エレベーターのあるところまで歩いて少し楽をしようと考えたのだった。エレベーターに乗り込むと、ボタンがB1,B2,B3とあった。

そもそもこれが第一の想定外であった。地下3階まであるのか・・・

私は適当にB3を押したのだったが、そもそもこれがまちがいだったのかもしれない。



真夜中なので、地下街には人通りがほとんどなかった。商店はすべて閉まっていてさびしい限りだった。自分の方向感覚だけを頼りに、ひたすら「M7]の出口を探した。安宿は、M7の出口から歩いて1分ほどのビルにあった。

 階段も結構多い地下街

Z1だとかM2だとかの標識はあったのだが、肝心のM7が見つからない。地図は、地図は、、と探してようやく見つかると、M7の出口の場所を探した。

しまった、逆方向に向かっていた。来た道を戻って角を曲がってひたすら歩くのだが、M7の標識が現れない。

B3が間違いなのだろうと思って、上り階段があったら上に上がってみたりするのだが、M7の標識が出てこない。

 真夜中は人通りがゼロ

すると、突然上り階段ありいの、あっちに下り階段ありいの、右折する通路ありいの、真っ直ぐ続く通路ありいの、という三叉路に出くわした。

近くに改札口があり、駅員らしきおじさんが、一人立っていた。

「助かった・・・」

私は近づいていって、M7の出口はどっちの方でしょうか?と英語で尋ねた。

すると彼は私の方を見ようともせず、無言で自分の肩越しに人差し指を指すだけだった。

「階段を上るんですか?」と聞くと、また指を肩越しに指すだけだ。

困り果てていると、15~6歳くらいの若者二人がおしゃべりしながら通りかかった。私は、反射的に、「すみません!」と二人に声を掛けた。

そして、英語でゆっくりと、「どうも道に迷ってしまったみたいなんです。M7の出口を探しているのですが、教えてくれませんか?」と話しかけた。

二人は、顔を見合わせて、「M7??」と呟いた。そして一人が壁の地図を見つけて歩み寄った。

地図には「今ここにいる」という表示があり、二人はそこから指で地図をなぞりながらM7を探した。するとすぐにM7は見つかったのだが、道順はややこしそうだった。

地図を見ながら何か二人で話していたが、二人は急に歩き始めてから、私の方に向かって、「Come, come・・・」と手招きするのだった。私は言われるまま彼らの後を、旅行かばんをゴロゴロ転がしながらついて行った。

階段を上がって右に曲がり、100mほど歩いて今度は左に曲がった。さらに100mほど歩くと、その先の方に天井から「M7こちらの方向」の標識が見えてきた。

若者の一人が、「あそこにM7が見えるでしょ?」と多分台湾語で言ったと思う。

私は、喜んで、「見える見える。あのサインさえ見つかればもうOKです。」と英語で伝えた。

彼らは、ニコニコして、「OK?バイバイ」と言って来た道を戻っていった。

私は、「サンキュー、謝謝、謝謝・・ありがとう!」とありったけの感謝の気持ちを伝えた。おしゃべりしながら去っていく若者二人の後姿を見ながら、私は台湾が益々好きになったのだった。

次の日、コンビニで買った英字新聞を見ていると、前の日に台湾鉄道労組はストライキを敢行していたようだった。きっと駅員が道を尋ねた私に無愛想だったのは、その所為だったのだろう。

それにしても、頼んだわけでもないのに、私を道案内してくれたあの若者達の爽やかさは気持ちよかった。

私は、今回の台湾旅行の最大のイベントになるだろうなと、何度も思い出しながら、その晩は眠りについたのだった。


台湾旅行は何度行っても面白い

2016年09月19日 | 旅行
先週の木曜日午後5時丁度で業務を終え、その足で空港に向かった。

空港の駐車場で着替えて、大急ぎでチェックインカウンターに行き午後7時40分発の台北行きにチェックイン。

三泊四日の台北旅行に行ってきた。

今回の旅のメインテーマは嘉義市観光で、北回帰線が通る嘉義市郊外の「太陽館」、ヒノキビレッジにある、KANO故事館、嘉義神社のあった嘉義公園、KANOにも出てきた市内のロータリーにある噴水中央のピッチャー銅像を観て廻ることであった。

  北回帰線、太陽館

 KANO故事館

  射日塔

  中央噴水公園

他には、淡水川をボートで対岸に渡る、台北之家で映画鑑賞、タイペイアイで京劇鑑賞、龍山寺参拝、DVDショップで「湾生回家」を買うなどがリストアップした、「やること」であった。

  淡水川

  台北之家

  京劇

  龍山寺

台風が通り過ぎ、別の台風が向かってきつつあったが、何とか小雨程度で済んだのがよかった。

この次は、台湾の東海岸の方に行ってみようと思う。

何度行っても、いい気分にさせてくれる台湾である。


台湾嘉義市へ

2016年09月10日 | 旅行
来週15日から5度目の台湾への旅に出かけてくる。

例によって15日の午後5時に職場から空港に直行し、駐車場で着替えて5時半頃にチェックインする予定だ。台北市内の宿に入るのは深夜になる。

翌日金曜日は、いつも最終日に参拝している龍山寺に行き周辺を散策後、MRT西門駅近くの「国軍歴史文物館」を訪れることにする。

 国軍歴史文物館 玄関

ここは、これまで3回行ったのだが、いずれも何らかの理由で開館していなかった。今度で4度目である。

いつも出かける前のメールで問い合わせしたのだが、回答は一度もなかった。国民党政府の管理下にある博物館だったので、細かいサービスはしてこなかったものと推察している。

展示物も相当反日色が強いという評判なので、閲覧できたならじっくり時間をかけて見てきたいと考えている。フラッシュを使用しなければ写真もOKとホームページに案内されていた。

午後は、「台北之家」でゆっくりと映画鑑賞をしたい。日本では封切られない映画が見られるので、通には結構人気のあるSPOTなのである。

夜は、久しぶりに士林夜市に出かけよう。

そして、土曜日は早朝バスターミナルから長距離バスで南部の嘉義市に移動する。前回は、そこから烏山頭ダムまで行き、八田與一の墓参りをしたのだが、今回はあの感動の名画「KANO」の舞台であった嘉義市内をゆっくり時間をかけて観光することにする。




そこで、あの感動を今一度味わいたくて、今日「KANO]を鑑賞した。

映画にも登場していた嘉義市内の「中央噴水池」に行ってみよう。

 映画では工事中だった



今の噴水池には、映画でも嘉義農林の エースだった呉明捷の像が見える。KANOを感じるスポットとしては、有名で嘉義市内のランドマークになっている。




北回帰線標塔も嘉義市近郊にあるので、是非足をのばしたい。嘉義神社ももちろん行く予定だ。

前回は雨に悩まされた。来週末は天気が続くことを祈るのみである。

アシアナLCCで南朝鮮へ、行く勇気あります?

2016年07月16日 | 旅行
富士山静岡空港に就航していた大韓航空が撤退して、アシアナ航空のみが週3便飛んでいたのだが、それがこの秋から同じ系列のLCCの便に変わるそうだ。




ローカル新聞より抜粋~~~

『 韓国のアシアナ航空が静岡空港とソウル(仁川)を結ぶ定期便を10月から格安航空会社(LCC)に切り替えると発表したことについて、県の担当者は15日、「静岡からの海外旅行の需要が増える」と期待を強めた。2015年度に搭乗者数3万9667人(搭乗率76・9%)の利用実績がある路線で、県は増便を機にさらなる利用促進を図る方針。』

 アシアナ航空機事故

(中略)

『 韓国の航空会社アシアナ航空は15日、静岡空港とソウル(仁川)を結ぶ定期便を、10月8日から同社の子会社である格安航空会社(LCC)のエアソウルに切り替えて運航すると発表した。現行の週3往復を週5往復に増便する。静岡空港へのLCCの就航は初めてとなる。』

 これも・・

『 静岡―ソウル線は、2009年の静岡空港開港以来、継続して運航される路線。当初はアシアナ航空と大韓航空が就航していたが、14年に大韓が全面運休し、現在は静岡から韓国への唯一の路線となっている。』

 これも・・

『 アシアナ航空静岡支店によると、現在は月、木、土曜の週3往復を運航している。10月8日以降、火、金曜の計2往復が加わり、運航時間も変更する。提供座席数は1便当たり195席で、全席がエコノミークラスになる。』

 これも・・

このニュースを聞いてちょっと喜んでいるのは、定期的に南朝鮮に買春ツアーに出かけている寂しい独身貴族たちや、地元の商工会や消防団の人たちだろう。

いまだにかつての南朝鮮のブームから脱しきれない田舎の有閑マダムたちも密かに喜んだかもしれない。

君子 危うきに 近寄らず・・・

危険は予知して回避するものです。




私は招待されてもお断りします。

台湾土産、『先生と迷い猫』

2016年07月09日 | 旅行
先月の台湾旅行では、土産にDVDを二つ買ってきたのだった。

一つは、八田與一の業績を綴ったアニメで、これはまだ観てないが恐らく烏山頭ダムにある八田與一祈念館内でも上映されていたものと同一のアニメだと思う。

もう一つは、日本映画の『先生と迷い猫』だった。今日は雨降りで、大して暑くは無いのでこちらを観ることにした。



1月に台北に行った際に、「台北の家」で菊池凛子主演の「クミコ、トレジャーハンター」という映画にめぐり合い、予想以上の出来栄えに満足して、このブログでも紹介したが、確かこの映画を上映する前の近日上映の予告編で『先生と迷い猫』が紹介されていた。

イッセー尾形の主演で、田舎町の野良猫探しを題材にしたほのぼの映画という印象だった。



しかし、約1時間40分の映画を観終えると、これは単なるほのぼの映画ではなく、もう少し奥が深そうな、意味深な映画であると感じた。

イッセー尾形が演じる、元校長先生は猫好きだった妻に先立たれ、近所の老人達とはあまり付き合わず、金になるのか分からぬ翻訳などをする一人暮らしの頑固老人なのだが、難しい年寄りの所作を見事に演じている。



話の始まりは、美容院に居つく野良猫が街中を散歩しながら、あっちこっちでいろいろな人にかわいがられ、ご飯をもらったりしているのだが、ある時野良猫の死体が数匹入ったダンボールが発見されるという事件が新聞に載ったあたりから、校長先生の家にも出入りしていた件の野良猫が見当たらなくなり、先生も気になり出して、猫探しを始めた。

 ここでもご飯を・・

町内で店を営む男役で、私の好きな、静岡出身のピエール瀧も出てくる。この俳優は最近テレビCMなどにも顔を出すようになったが、演技がなかなか渋い上に、笑顔がいい。貴重な演技派脇役として、期待できる。

先生が保健所に行ったりして猫を探し回っているうちに、同じ野良猫を探す人たちがこうもたくさんいるのかと分かり、みんなで「猫探しています」の貼り紙作りをすることになる。

「いつも猫にご飯を上げていた時間が、私にとってとても大切な時間だってわかったんです。」



物語の複線として、街の孤児院にいる男の子がカッターナイフを振り回して遊ぶシーンや、瀕死の野良猫を動物病院に持ち込むと、傷はカッターナイフのような刃物で切られたものだと獣医師が言うシーンがあったりする。

川に入って猫探しをする先生を観て、ケラケラ笑うその男の子に、先生は石に腰を下ろして持っていたおにぎりを差し出す。



「どうだい、ひとつ・・・君の給食だ。」と言う。

すると、その男の子はぶっきらぼうに、「僕は猫じゃない!」と答える。

街中を真夜中まで手分けして探し回り、ヘトヘトになって先生は帰宅して、玄関でウトウトしてしまった。



すると、庭の方から先立った妻の声が。「お父さん、猫が来たよ!こっちに来て!」

「おや、人になれてるネエ。いろんなところでご飯もらってるんでしょ。いいご身分だネエ・・・。ホラ、この子死んだミーちゃんに似てるよ。」

先生は、「よせよ。もう猫はこりごりだよ・・・。」

「猫が嫌いだなんて、、、人生の楽しみを知らないってことよ・・ネエ?これから毎日おいで。」と妻。



もたいまさこは最後の最後、ここぞというときにに顔を出すだけだが、この個性派女優でなければ、この場面は成り立たない。

そして、ラストシーンは・・・。

これ以上のネタバレは止めとしよう。レンタルショップにもDVDが並んでいます。

気になる方はご覧あれ!


台湾の新幹線を満喫!

2016年06月24日 | 旅行
あの台湾の野球映画『KANO』の舞台である嘉義農林学校のあった嘉義市は、若者の多い活気溢れる街という印象であった。

この次は、この街に泊まってゆっくり散策したいと思った。

八田與一の墓参りの後、台北には台湾高速鉄道、つまり台湾新幹線にのって帰ることにした。日本でも、もう長いこと新幹線を利用していないので、何となくウキウキした気分になっていた。

 新幹線の切符

乗車券自販機も非常に分かりやすく、初めての私でも簡単に買う事ができた。そして、この乗車券は改札を出ても戻ってくるので、いいお土産になるのだ。

漢字で「月台」と書くと、プラットホームを意味する。嘉義駅の月台は清潔で、ごみ一つ落ちていなかったし、乗客は決められた位置で行儀よく乗り込むので、まったく日本と変わりが無い雰囲気であった。



金曜日の午後だったので、あえて指定席はやめて自由席にしたのだが、乗車率は8割くらいであった。進行方向に向って左側に3列、右側に2列の座席構成で、備え付けのテーブルには、シャレたボトルホルダーがあり、チョコンと立ててペットボトルを置けば、多少揺れても倒れる心配は無い。



東北新幹線に乗って福島に行ったとき、車窓からの景色を楽しみにしていたのに、コンクリートの防音壁でほとんど見られなかったのが、実に残念だったが、台北までの一時間半は、たっぷりと田園風景を満喫することができた。



日本の新幹線には見られないものが台湾の新幹線の窓側の壁に備え付けてあった。何だろうと近づいて見ると、それはアクリルケースに収まったハンマーのようだった。事故か何かで脱出する際に、窓を割るための非常用ハンマーであろう。



支那で高速鉄道事故があったとき、支那共産党当局は事故調査などせず、なんと近くに重機で穴を掘って、脱線した列車を埋めようとしたのだった。

さすがにそれを知った国民の非難が沸き起こったため、埋めるのを止めて車両内を再度よく見たところ、まだ生きている子供が見つかったというから、我々は呆れ果てたのだった。

日本の新幹線のオファーを蹴ってまで、そういう支那の高速鉄道の方を選んだインドネシアは一体どういう神経をしているのか、到底私は理解できない。

事故でも起きれば、「それ見たことか・・」と世界中の笑いものになることは、間違いないだろう。

形だけ真似をすることは出来るのだろうが、物づくりの歴史と職人魂は真似しようが無いのだ。

日本の新幹線を選んだ台湾の本質を見る目は、絶対に間違ってはいなかったといえるだろう。


今も脈々と生きる「日本精神」

2016年06月23日 | 旅行
今回の台湾旅行の大きな目的は、台南の烏山頭ダムにある八田與一のお墓参りと、士林の芝山公園内にある六氏先生のお墓参りであった。

いずれも台湾の方々によって守られているお墓であることを知って、是非お参りしてみたくなったのだった。

6月18日、土曜日は朝から晴天であったので、観光夜市でお馴染みの士林の駅から歩いて目的地の芝山公園に行くつもりで宿を出た。確か、20分ほど歩けば着くはずだった。

士林の駅を出て少し歩き始めたが、その日は朝から猛烈な暑さで、首周りから汗が噴出し着ていたTシャツはびしょ濡れになってしまいそうだった。

芝山公園には長い石段があることは事前調査で分かっていたので、ここはケチらずタクシーで行くことにした。



タクシーは、その石段の真ん前にピタリと止まってくれた。

最後まで膝が持つか不安だったが、慌てず急がずゆっくりと登り始めた。途中、三度ほど立ち止まって休憩し、無事頂上まで登りきった。石段は全部で124段あった。

上から見下ろすとその勾配が見事だった。よくぞ登りきったものだ。



日本から台湾を訪れる観光客のほとんどは、士林(シーリン)の観光夜市をぶらつき、屋台でカキオムレツを食べたり、手のひらより大きいチキンの揚げ物をパクついたりして台湾の夜を楽しむだろう。

しかし、その士林の芝山公園に、地元の台湾の人達が守り続けている、日本人教師六名のお墓が存在していることは知らないと思う。芝山公園は「教育者のメッカ」なのであり、『日本精神』の象徴なのである。

日本精神というと、軍国主義的な響きがするようだが、台湾の人たちのいう『日本精神』とは、明治の日本人達から学んだ、「勤勉」、「正直」、「責任感」、「規律遵守」、「公正」、「滅私奉公」、「清潔」などのかつての日本人が持っていた徳目のことを象徴した言葉である。

当時、日本人の教師達からそれらを学んだ台湾の人たちは、今の日本人はこういった日本精神を取り戻すべきだ、と期待を込めてアドバイスしている。

何とも耳の痛い話である。

1895年。日清戦争に勝利した日本は、台湾を割譲して統治することになった。

台湾総督府は何よりもまず教育からだと考え、日本から志ある若者教師を七名選び、士林近くの芝山巌(しざんがん)恵済宮という寺を借りて芝山巌学堂という小学校を設立し、授業を開始した。

 恵済宮の孫悟空像

しかし、当時の士林は治安が極めて悪く、七人の教師達も日本統治に反対する勢力に、いつ襲われても不思議ではない状況だったそうだ。

六人の生徒で始った小学校も、生徒数が二十一人に増え、クラスを三つに分けて授業を進めていた。

 改装中の恵済宮

1896年、正月。事件は起こった。

芝山巌を下山しようとした用務員を含む七名の日本人達を100名ほどの抗日ゲリラが襲い全員を殺害した上に彼らの所持品や学校にあった物品をを奪い去ったのだった。

この事件に台湾中の日本人達は震撼し、学校は三ヶ月間休校した後に再開された。

「六氏(士)先生」と呼ばれる6人の教師は、、、
楫取道明 (山口県、38歳、吉田松陰の妹・寿と初代群馬県令楫取素彦次男。)
関口長太郎 (愛知県、37歳)
中島長吉 (群馬県、25歳)
桂金太郎 (東京都、27歳、東京府士族)
井原順之助 (山口県、23歳)
平井数馬 (熊本県、17歳)

彼らの台湾の教育に賭ける犠牲精神は「芝山巌精神」と言われ、人々の間で語り継がれるようになった。

1930年(昭和5年)には「芝山巌神社」が創建され、六氏先生をはじめ、台湾教育に殉じた人々が、1933年(昭和8年)までに330人祀られた(そのうち台湾人教育者は24人)。

このあたりから、芝山巌は「台湾教育の聖地」と称された。

終戦後、日本色を一掃する中国国民党により芝山巌神社は破壊され、本殿跡には国民党軍統局副局長だった戴笠を記念する「雨農閲覧室」が建てられた。



この時、神社の隣にあった恵済宮の住職は、六氏先生の墓跡から遺骨を密かに移し、無名の墓を造って祀っていた。

雨農閲覧室では、抗日運動の成果のひとつとして芝山巌事件を紹介する展示などが行われてきた。



亡くなった六名の教育者の碑らしきものが立っていたが、その横には壊された碑も転がっていた。

 芝山巌事件の碑?

 破壊された記念碑

周りは木道が整備されていて、地元の人達の散歩・ハイキングコースになっている。私は木道に沿って下山しようと歩き始めた。そのときであった。



何かに呼び止められたような気がして振り向くと、木道から15mくらい離れたところに石碑のようなものが立っているのが見えた。



石碑には何か漢字が刻まれているようなので、近寄って目を凝らして見直した。それこそ、六氏先生達のお墓であった。

 六氏先生之墓

私は別に教育者ではないし、六名の教師達とは縁もゆかりも何も無い。ただ、同じ日本人と言うだけだ。

しかし、前日の八田與一に対する地元の農民達の接し方や、この六人の教師達の対する地元の方々の手厚い扱いを見るにつけ、同じ日本人であることを埃に感ずるのであった。

私は、墓に向って両手を合わせてから、ゆっくりと下山した。

気温はおそらく35度以上になっていただろう。


台北で出会った「傘女」

2016年06月23日 | 旅行
6月の台湾は一年で最も雨が多い。

朝は晴天でも、昼頃になると積乱雲が発達してきて、夕立となるケースが一般的だ。

地下街や夜市を歩くと、いたるところで傘が売られている。

週末の早朝、地下鉄の駅に向って歩いていると、前を若いお嬢さんがスタスタと同じ方向に歩いていた。見ると、バッグなどは持たず、右手の指先に折りたたみの傘をぶら下げているだけだった。

背が高くて、颯爽と歩く姿はなかなか絵になっていて、追い越して前に廻って是非お顔を拝みたいと思ったが、大幅で歩くスピードにはなかなか追いつけなかった。

見失いかけたが、プラットホームに着いてようやく追いついた。



女性は、いろいろ小物をバッグに放り込んで肩に掛けたりするものだが、目の前のお嬢さんは確かに折りたたみの傘をひとつぶら下げているだけだった。

身長は私と同じくらいだから、170cm前後だろう。スラッとしたスタイルで私は彼女の後姿に一目ぼれしたようだった。



後姿を気付かれないようにカメラに収めたところ、どうやら気配に気付いたようで、スッとどこかに移動してしまった。

変態だと思われたくは無かったので、私はそれ以上彼女を追わなかった。

ほんの数分間の恋心を心地よく味わうことが出来た。

多謝! 台北の傘女(かさじょ)!!

親日家が多い台北。

2016年06月22日 | 旅行
以前、海外で日本人だとすぐ分かるのは、買い物をするときだ、と聞いたことがあった。

つまり、日本人は何かを買ってお金を払うときでも、「ありがとう」を言うから、と言うからだそうだ。普通、代金をもらう方がいう言葉なのに、日本人は代金を払いながら「サンキュー」とか「シェイシェイ」とか言うから、他の国の客とは違うと言うのだ。

確かに、私も言う方だ。コンビニで新聞を買って15ドル(50円)払うときでも、「サンキュー」と言っていた。

それは、何だか黙って代金を払って、黙って商品を受け取るだけでは、買い物をした気分になれないからではないか。

これまでの三度の台湾旅行では、一度もタクシーを利用しなかった。しかし、今回はあちこちこまめに移動したので、ついタクシーを便利に利用してしまった。最近、長く歩くと膝が痛むのももう一つの理由である。

全部で6回ほどタクシーを使って移動したが、その中の3人のタクシードライバーから、「日本人ですか?」と片言の日本語で聞かれた。

「そうです。」と答えてから、世間話でもと思って話し始めると、ニコニコしているだけで特に受け答えがない。日本語はそれほど流暢に話せるわけでもなかったのだと、すぐ分かる。



しかし、それでも「日本人ですか?」と話しかけられるのはいい気分だ。これがもし、「韓国人ですか?」などと聞かれたと想像してみよう。

恐らく、その後数日間は、吐き気がするような嫌な気分になることはまず間違いない。そして、なぜ韓国人に間違えられたのだろう、と猛省することになる。

台湾は多分世界一の親日国だと思うが、台湾人全員が日本好きだということは無いから、そこを間違えてはいけない。

支那共産党よりの人達はかなりの割合で存在するのだ。しかも、台北市はその割合が高いそうだ。

そういう目で日本人観光客を見ている台北市民がいることを、日本人はよく認識して行動することが重要だ。

背伸びをする必要はないが、背中に日の丸を背負っている感じでいれば間違いない。

親日派の台湾の方々をがっかりさせてはいけない。

京劇の「京」は、北京の「京」?

2016年06月21日 | 旅行
長いこと京劇を生で観たいと思ってきたのが、昨年の5月の台湾旅行で実現したのだった。

その後、9月、そして今年の1月、さらに6月と、全部で合計4回観たことになる。



台南の烏山頭ダムに行って、帰りは台湾新幹線で台北市内に帰ってきたら、なんだか空が暗くなってきて、今にも雨が降りそうな空模様だった。

その晩は、いつもの通り台北アイで京劇を観る予定だったが、チケット販売が確か7時頃だったので、宿に戻ってシャワーを浴びてから一休みすることにした。



小一時間ウトウトしてから、起きて外を見ると、何とドシャ降りの雨だった。

確かに、下調べでは6月は一年で一番降雨量の多い月だとあったが、私にとっては台湾ではじめて遭遇した、まとまった雨らしい雨であった。

宿から台北アイの劇場までは、地下鉄で約20分。駅から徒歩で約10分だった。

 おなじみ孫悟空

迷ったが、少し奮発してタクシーで行くことにした。

大きなホテルの前のほうがタクシーを拾いやすいと思い、少し歩いて大きな看板のあるホテルの前で、タクシーを待った。

しかし、ホテルの従業員も通りに出てタクシーを捜していたが、「この時間はなかなか拾えないよ。しかも金曜日だからね。」

多分、こんな様なことを言っていたと思う。私は少し離れたところに移動してタクシーを捜した。そして、ついに空車のタクシーが止まってくれた。

「台北アイまで」と言うと、「何だ、そりゃ?」という顔をして、何度も聞き直してきた。私は京劇を観るところだ。と知ってる言葉をすべて使って伝えたが、伝わらなかった。じゃあ、住所を教える、といってバッグを開けようとしたら、「もう分からないから、下りてくれ!」ときつい調子で言ってきた。



こんな乗車拒否を全部で3回繰り返し、4台目のときは、最初から住所が書かれたガイドブックを見せて分かってもらい、開演ギリギリに到着することができたのだった。

今回の教訓は、台湾でタクシーに乗るときは、ノートに行先の住所を漢字で書いて見せるのが一番である、ということだった。

チケット売り場の若者に、私は腹いせにたっぷり嫌味を言ってやった。

「台北アイとタクシーの運転手に伝えても、だれも知らなかったよ。君たち、宣伝が足りないんじゃないか?」



すると、彼は「私たちはそういう広報活動はほとんどしていません。」と言う。

私は、「台北市内のタクシー会社にここのパンフレットを配るだけでも、十分だと思うがそれすら出来ないんですか?それほどコストのかかることでもないと思いますが・・。」と続けると、

「台湾の伝統芸能を演ずるところは他にないので、もう少し宣伝します。」と若者は言う。

「京劇は台湾の伝統芸能ですか?英語で、Beijin(Peking) Opera っていうでしょ?漢字では「京劇」。「京」は「北京」の「京」の一字でしょ? この際、台湾オペラって名前に変えたらどうですか?」と言って、笑ってお終いにした。



1月の選挙で、野党『民進党』が大勝利となった。蔡英文新総統は、台湾から中国色を徐々に薄めていき、台湾色に塗り替えていくと思う。

China とか、Chinese という言葉は徐々に台湾から無くしていくべきだ。

彼らのパスポートの表紙は「Republic of China」と、「Taiwan」が併記されている。もう China という単語は必要ないのでは。

私は、そうなることを強く望んでいる。

台北から台南へ。帰りは新幹線で。

2016年06月20日 | 旅行
先週の木曜日の5時に仕事を終え、大急ぎで空港へ。

空港の駐車場で、勤め先の制服から普段着に着替え、トレッキングシューズに履き替えてからチェックインカウンターに向った。

三泊四日の台湾旅行も今回で、4度目になるので、手馴れたものであった。搭乗口には日本人観光客と台湾人観光客がほぼ半分ずつの比率だったろうか。台湾人は、支那人と違って極めて物静かだと思う。

その違いがはっきりしたのは、私が搭乗口の待合着いてから1時間も立った頃であった。支那の杭州行きの便に乗る支那人団体が、ぞろぞろ集まってきたのだった。

日本円を使い切りたいようで、駄菓子を買ってきてはムシャムシャ食べ始める若者や、カップヌードルにお湯を注いでもらって、食べ始める支那人たちもいた。

とにかく喧しい連中である。見ていると、カップヌードルをお替りしているオヤジもいた。食べ方も下品そのもので、台湾人たちも顔をしかめてみていた。

今回の台湾旅行は、八田與一のお墓参り、六氏先生のお墓参り、そして龍山寺参りとタイペイアイでの観劇。この四つが主な目的であった。帰りの便で一緒になったオバサングループに私が訪問した場所を言っても、全く理解されなかったのが面白かった。

 八田與一の銅像

 芝山公園

 龍山寺

 台北アイ

6月は台湾も一年で最も雨量が多い時期である。覚悟はしていたが、やはり二日ほど夕立に見舞われた。

ほぼ目的は達成したのだが、旅の疲れが今日出てきた。仕事中、何度も睡魔に襲われて、腰は痛むわ膝はガクガク・・・。

しかし、ブログのネタはたくさん仕入れてきたので、今週は台湾ネタが中心になると思う。

写真も全部で200枚ほど撮ってきた。

乞う、ご期待!

今回も満喫しました、タイペイアイで京劇

2016年01月24日 | 旅行
去年の五月、そして九月も、台北アイで京劇鑑賞を楽しみに台北入りしたのでした。五月の初めての台北旅行の目的はふたつ。故宮博物院で、象牙の透かし彫りの玉を観る事と、京劇を鑑賞することでした。

五月に初めて訪れた時の演目は、白蛇伝から「金山寺」。初めて観る京劇だったので、ワクを胸々させながら観たのでした。そして、想像した通りの出来栄えで、十分満足しました。

  白蛇役と青蛇役の女優さんたち

シンプルな舞台装飾、独特の音楽、歌、セリフ、所作、アクロバティックな舞い、ミエを切ったときの決り方。どれをとってもすばらしい、異国情緒満点の芸術でした。

九月は、「八仙過海」という演目で、日本でいえば七福神のような仙人たちが海を渡るときに大暴れをするという話で、クライマックスの槍の戦いはすごい迫力で、金魚の役の女性の演者が、次々に飛んでくる槍を蹴り返す技が見事でした。



この演者は、五月のときの青蛇を演じた女性だったと思いますが、クライマックスの槍の戦いの終りの方で、槍を蹴返すところでミスをしてしまいました。

そのまま、劇は終了して、全員揃ってのカーテンコールの後、すぐにエレベーターまでの通路に役者達は並んで、帰る観客にお別れと感謝を表すのですが、主演の彼女は槍のミスの所為か、泣き出しそうな顔をしていたのが印象的でした。

そして今回の演目は、有名な西遊記から、「無底洞」という話。女の鼠の妖怪に捕まってしまった三蔵法師を救い出そうとする孫悟空たちとの話で、これもクライマックスに槍の戦いがありました。



多分、鼠の妖怪役は5月の時の青蛇役だった女優さんだと思いますが、今回の槍の戦いはほぼ完璧な出来栄えで、すごい迫力でした。客席のあちこちから、「ワァー!」とか「すごーい!」とかいう歓声が聞えていました。



いつもの通り、劇が終了すると演者が全員揃ってカーテンコール。そして役者達は大急ぎでエレベーターまでの通路の両サイドに勢ぞろいして、帰る観客に挨拶をする。

中には、観客と並んで気さくに記念撮影に応じる役者がいるのも、台北アイならではのサービスでしょう。

そして、今夜見事に槍の戦いを演じた女優さんは、自信に満ちた表情でお客さんとの記念撮影に応じていました。



私も心から彼女に拍手をして、会場を後にしました。



※ 「無底洞」の槍の戦いの一場面を動画でご覧になりたい方は、youtube ので「西遊記 無底洞」と入力して検索すれば、槍の戦いのクライマックスや三蔵法師一行の様子を観ることができますので、是非お試し下さい。