Mr.ビーンも目を向いて驚いた日産Mr.ゴーンの逮捕で、焦りにあせっているのが、おフランス大統領のMr.マクロンのようだ。
この方の名前は、エマヌエルというそうだが、この名前は綴りがちょっと違うだけの男女共通の名前のようである。日本にも、「飛鳥(あすか)」とか「忍(しのぶ)」とか、男女共通の名前がたくさんあって、時々紛らわしい事がある。
エマヌエル・マクロンという名前を最初聞いたときの私の脳味噌は、瞬間的に大きな背もたれの籐の椅子に座った妖艶な「エマヌエル夫人」の姿を連想してしまった。
どっちもエマヌエル
同時に、あれは多感な学生時代だったが、シルビア・クリステル主演の「エマヌエル夫人」が封切られた映画館に、長蛇の列が出来ているのを見て、しかもその大半が若い女性だったので、一体どんな映画なのかと不思議に思った記憶が蘇った。
さて、エマヌエル・マクロン大統領。
折よく、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催されたG20サミットで、安倍首相と会うチャンスを捉えて、会談の要請をしたようだ。話題はもちろん、ゴーン氏逮捕に関連した、日産・三菱・ルノーの今後のことだった。
ルノーはちょっと前まで、おフランスの国営企業で、今でも15%の株式を保有する筆頭株主なのである。当然、エマヌエル大統領は焦っていただろう。
報道によると、両首脳は15分間会談したそうだ。挨拶や通訳の時間を含んだ15分というのは、「ほんの立ち話」レベルでしかないということが理解できる。
安倍首相は、『3社連合を「日仏産業協力の象徴」と評価しつつ、「今後のアライアンス(提携)のあり方は政府がコミット(関与)するものではない。当事者の納得いく形で議論が建設的に進むことを期待する」と述べた』だけだったそうだ。
日本人は、外国人、特に白人にはコンプレックスがあるのか、どうも自分たちよりも優秀で、見習うべき存在であると考えているのではないか、と思いたくなる時がよくある。
何かと言うと、すぐマスゴミは外国の反応を報道したがるし、特にユネスコがどうしたこうしたというと、何の疑念も抱かず盲信してひれ伏してしまう。
それに、いくら楽しけりゃいいじゃん、と言われようが、地球の裏側の古代ケルト人のお祭りを真似して、馬鹿騒ぎしたがるのか、まったく私には理解できない。
中でも、おフランスというと日本人は、センスといい文化といい、自分達よりは優れた人種だと勘違いして、しきりに真似したがる傾向があるようだ。
最近はそれほど大袈裟に伝えられなくなったが、おフランスの赤ワインの新酒の馬鹿騒ぎ。ハッピー・ボジョレー?あれなに?
皆さん、垢抜けてます!
欧米列強国が、先を競って植民地獲得に精を出していた日本の幕末時代に、おフランスも彼らにとってまったく未知の国・日本にやってきた。当時の欧米には、オランダ経由の情報で、日本文化のことは新聞・雑誌にて比較的知れ渡っていたようだ。
中でも、欧米にはなかった「切腹」は、特別に彼らの目を引いたそうだ。当時の『ジャーナリズム向け、簡単うんちく辞典』の中の「日本人」の項目には、「日本人とは、最も些細な口実で、自分の腹部を切り開く人間」と記述されていた。
日本の元号が、「明治」に変わった頃、おフランスの週刊挿絵新聞「イリュストラシオン」に【パリの日本人】という題で、切腹に関するコラムが掲載されていた。
そ之内容を要約すると・・・。
「日本に行った外国人たちが、農民らに、自分の腹を切り開いて見せてくれるように頼んだら、自分たちはそのような高貴な身分ではないので、できないと悲しげに言われた」、というものだったそうだ。
その後も、おフランス最古の新聞「ル・フィガロ」なども、折に触れ切腹に関連した記事を掲載するが、その社会的・文化的背景は理解されず、単に物珍しさからの記事に留まっていた。
しかし、同じ頃多発した開国に反対する尊皇攘夷運動下の外国人襲撃事件は、彼らにとって衝撃的で、この辺りから、「切腹」に代わって「ハラキリ」という表現が始ったらしい。
例えば、おフランス人水兵11人が殺害された堺事件の結末で、それに関わった者たちが次々と切腹していく場面に立ち会ったおフランス軍艦長は、殺害されたおフランス人水兵と同じ数に達したところで、堪らずに制止したという。
おフランスは、同じ頃、万国博覧会などで目にする、日本の文化・美術・工芸品に強い好意を示しつつも、「忠臣蔵」での「ハラキリ」に関する出版物もいろいろあったようで、やはり異質な文化としての関心は持ち続けていた。
異質といえば、視点を我々の側にあちらを見れば、明治維新の80年も前に起きたご自慢のフランス革命において、受刑者の苦痛を和らげる人道目的で採用された、「ギロチン」があるではないか。
苦痛を和らげる?
コンコルド広場
断頭台へ・・
ルイ16世と共にマリー・アントワネットも、コンコルド広場でギロチンによって処刑された。集まった民衆は、子供も大人もみな狂喜したそうだ。
マリー・アントワネットと言えば、フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と発言したという逸話が有名だが、私はこの話を耳にするたびに、「仁徳天皇の民のかまど」の話を思い出す。
さて、エマヌエル・マクロン大統領はご自身の支持率も芳しくないようだが、それ以上に思惑が外れて、自国の利益が損なわれそうな危機感で、外聞など気にせずに動いているようだ。
おフランスという国は、フランス革命以降、アフリカ・アジアに植民地を築いて、やりたい放題の非道をし尽くしてきた歴史があり、そうはさせじと闘いを挑んだ日本には、今でも心の底には怨念を抱いているはずだ。
そういう歴史的な事実を念頭に置いて、外交を考えるかどうかで、対応は大きく変わってくるはずだ。異文化コミュニケーションとは、常にこの姿勢が必要ではないか。
西洋人と見れば、反射的に寝転がって無抵抗に腹を見せる、子犬のような対応は、絶対にとってはならない。
おフランスの反日ぶりの一端は、次回のブログで取り上げたいと思います。
それでは、遅ればせながら、お上品なおフランス風に、 ハッピー ボジョレー!!