無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

ロンドン火災

2017-07-05 09:32:07 | 防災

グレンフェル・タワーは、1974年に竣工したが、あれだけの建物なのに、何故2方向避難がされなかったのか、それとスプリンクラーの未整備は、日本では考えられない。考えられないと言えば、その平面計画であるが、周囲に住居、中央にEV2基と階段が1箇所。この階段とEVルームは縦方向へ繋がっており、まさに巨大な煙突になっている。今回の火災で助かった人も、黒煙が酷くて呼吸が出来ず、階段を探せなかったと言う。

消火活動の妨害だったのは、2016年5月に行われた外装工事だろう。既存の躯体はコンクリートで、その劣化を防ぐ為に外側へ断熱材と空気層、仕上げは3mmの金属パネルだった。所謂、外断熱だが、空気層が煙突の役割をし、断熱材を燃やすも、金属パネルが邪魔をして消火が出来なかったと言う。外断熱の空気層も、縦方向だけで無く、横に通気止めが着いていたが、それが逆に水平方向に延焼させる事になったのである。

イギリス国内には、このグレンフェル・タワーのような外壁を持ち、不適格な高層住宅が60棟余りもあると言う。こんな事を言ってはなんだが、比較的低所得者の人達が住んでおり、改善するつもりはあるのかなと疑わしい。イギリスは最近難民や移民の受け入れを縮小する動きを見せている。国民の職業先が奪われているのと同時に、イギリスの無料の医療制度を利用して、高額な手術などを受けるだけに訪れる旅行者や偽移民もいると言う。それにテロのおまけ付きではたまらない。今回の火災の救助活動が進まなかったように見えるのは、私の勘違いなら良いのだが。

最後に、財産の全てを失った被災者達に、翌朝、地域の人達が自分たちの家から救援物資を持ってきて「救援物資BOX」に次々と入れるところがBBCで放映されていた。国の動きよりも、住民の動きが速くて暖かいなと感じた。

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フサスグリ

2017-07-04 14:43:20 | 動物・自然

金山町からの帰りに、八幡の産直たわわに寄った。午後の産直は、棚はすっかり空で、野菜は無いと心得ねばならない。な~んも無いわと思いながら、生花のコーナーに回ると、花に混じって一束だけフサスグリが売られていた。

まだ実は赤いのが少なかったが、こんなに育てて250円では、農家もフサスグリにとっても不満だろうと勝手に心を汲み、買って帰ることにした。

花瓶に生けても元気で、少しづつ実も赤味を帯びてきた。全部真っ赤になったらどうしようかな。自分の所で植えたのなら、ジャムにでもするけど、生け花用の草木は農薬が掛けてある可能性もある。う~ん、ヒヨドリにでも上げよう。←どんだけ邪悪なんだお前は!

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弘前市寺町と栄螺堂

2017-07-03 09:58:16 | 建築・都市・港

 

 斎場から、弘前駅に向かう道で、寺町に差し掛かった。

 町の作り方と言うか、江戸時代に入ってからもなお、町の防衛で敵からの侵入や防災の面からも寺町の配置は重要だ。酒田も町民の町ではあったが、町の北側を寺町を配して防災に役立てた。そんな町が多い中、この弘前はもっと凄かった。

片側で無く、 道の両側に立派な寺が並んでいるのである。そして、寺町に入るのに、門をくぐらねばならない。

 その門の近くにあった栄螺堂。H先生が、「弘前に来て、栄螺堂を見ない人間はいない。」とばかりに、帰りに寄ることになった。

 天保10年(1839年)に、豪商東長町の中田嘉兵衛が、海難事故や天保の飢饉で無くなった餓死者の無縁仏を弔う為に建立したもの。栄螺堂は会津若松の栄螺堂が階数も多くて見事だが、それをコンパクトにした物である。入り口には大きな南京錠がかけてあり、管理者である蘭庭院にH先生達が向かった。美形のおばあさんが対応してくれたそうである。H先生は、我々の為に入場料を払ってくれたのだった。

さすがに罰当たりはしたくなく、内部の写真は撮らなかった。会津の栄螺堂は、上り下りの緩い階段が、見事に交差しない仕組みが取られていて面白かったが、ここの栄螺堂は上りは緩く、帰り直階段で中央から一気に下りてきた。階段の途中には、様々な仏像やらが安置されている。仏教徒には有り難いお堂なのだろう。ちょっと恐かった。

 綺麗な杉並木である。

 保存林

 寺町だから卍なのか。そう言えば、弘前市役所でも、庁内の表示板に卍があった。調べて見ると、卍は弘前市の市章のようだ。これは驚きである。

この後、H先生を弘前駅に送るのだが、H先生は見学会の後の反省会で、きっとアルコールが出るだろうとホテルに泊まる予定だったらしい。それを斎場経由の栄螺堂行きで、計画は頓挫し、まっすぐ自宅へ帰ることにしたらしい。めでたしめでたし。

 はい、消火栓ですね。

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弘前市博物館

2017-07-03 09:57:09 | 建築・都市・港

 市民会館を出て、弘前市博物館へ向かう。外壁はタイルで覆われているが、コンクリート打ち放しの劣化速度が速いのに対して、やはり外壁をタイルなどで覆うと、劣化は鈍化する。原因は雨水と空気だそうだ。内部では劣化のスピードは緩むが、実は人間の吐く二酸化炭素は良くないらしい。

 我々酒田グループは、この辺りで切り上げようと企んでいた。なにせ、帰りも4時間かかるのである。しかし、H先生に「僕はまだ斎場を見ていない。」の一言で、足止めを食らった。

 黄色と赤い石は、写真では違いが判らないのにがっかりする。肉眼だと、本当に黄色と赤色なのだ。

 相馬川産。相馬川は、青森県弘前市相馬地区を流れる岩木川の支流。

 なんとか、帰ろうとするも、H先生は前川事務所の方に挨拶をせねばと仰る。

 

 裏に回っても、説明が続いていた。

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弘前市民会館

2017-07-03 09:48:52 | 建築・都市・港

 

 弘前市民会館も前川作品の1つである。

 前川氏得意のコンクリート打ち放しの面が綺麗だ。

 現在使われているパネルとは違い、一昔前に行っていた板材で作ったパネルである。私の最初のアルバイトが、このパネル洗いだった。パネルに着いたコンクリートの屑を水洗いしながら削げ落とし、乾いたらコンクリート面がうまく剥がれるように、クレオソートを塗った。一日行うと、筋肉痛とクレオソートの匂いでヘロヘロになった。

 植栽の刈り方が面白い。まるで模型を造る時の針金を使った樹木のようだ。H先生は、こんな刈り方もあるんだと仰る。 

説明を行ってくれた前川事務所の方は、自分の知り得る情報をどんどん提供してくれる。言わば大学の教授のようである。「何故コンクリ-ト造は60年しか保たないと言われているのか、もっと保たせるには鉄筋の酸化を防止する為に、中性になったコンクリートをアルカリ性に戻してやれば良い。」と、何工程にも及ぶコンクリートアルカリ計画をとうとうと述べた。確かに有り難い話ではあるが、 暑い。説明が長い。

 前川氏得意の2つの建物を繋ぐ渡り廊下。この奥が大劇場である。

 弘前市は、この建物も改修を行った。

 レストランなどが入っている施設。

 中央の吹き抜け

天井は天体を模しているのだと言う。

ソファの色。

 渡り廊下から見た外部階段。

 大劇場棟を見る。渡り廊下は、外部を建具で塞ぐことが出来る。ここも、弘前城跡の小高い丘に建っており、冬期間の風から客を守ることが出来る。

階段は、渡り廊下の屋上へ。

耐震診断で、建物その物は壁構造のような躯体部分が多く安全だったが、唯一煙突が引っかかった。そのため上部2層を解体し、もう一度造り直したそうだ。ジョイントの下と上で、コンクリートの色が違っているのが判るだろうか。最も、下部のコンクリートからは、白い劣化の流れが見えるが。

 実は、公園内を歩いた折に、あまりの暑さにここでアイスコーヒーを飲んだ。正面は大劇場の2階の出入り口。舞台が退けると、屋内の階段からと、ここから客は退出、混雑を緩和できる。

大劇場のホワイエ。 

劇場の入り口の多くは、2階から。 

 これは渡り廊下側。

 卵形の折り上げ天井。照明器具が入って、綺麗だった。

 渡り廊下側を見る。

せっかくの階段の空間なのに、荷物がどっさりと詰まっている。大建築家は、収納などと言うチンケな物は考えない。 

 吹き抜け部分を見る。

 2階のホワイエ

「ほら、あんな所に雨樋が。」と 、H先生の指摘。

 こちらにも

 

 

 津軽塗のドアハンドルである。1品1品、作者が違うらしい。

 

 劇場内。幕は、青森が産んだ天才版画家棟方志功の作品。

あまりに大きいので、織機に入れられずに、タテヨコ反対にして織ったそうだ。最初の幕は汚れが酷く、ボロになったので、これは2作目らしい。

 反射坂は、積層材を曲げたもの。

 コントロール室なのか、特別室なのか。

中央通路

 左右の階段が斜めに段が着いている。

 舞台に上がる。

 サイドの器具室、物がすぐに使えるように、きちんと整理されていた。どっかの事務所とは大違い。

 照明と幕。

 非番にも関わらず、我々の見学会の為に、機材の操作をしてくれた2人。(我々が入った後、玄関に鍵を掛けているのを発見。一般が入らないようにしている。)

 オーケストラピット。ここの椅子の移動は人力で、なかなか大変らしい。しかもオーケストラの公演は、随分と行うらしい。

 奈落への階段と思われる。

 やっぱりそうだった。両開きにするのか。これは使えそうだ。

 奈落での説明。公園内で堀がある為か、地下水が高いらしい。奈落を造った時に、地下水がわき出して水浸しになった。それを防ぐピットが設けられ、ポンプアップしていると言う。現在話題の東京の豊洲とかぶる。

 車椅子でも使える座席。

 パコンと折りたためる。最近の車椅子用の座席は、少し広めの何もない空間が多いのだが。

 楽屋。この設備は古いタイプだと思う。最近は個室が多いのだが。

綺麗に見える鏡の照明

楽屋へ入る階段。ちょっと目には客から見えなくなっているのが面白い。 一度階段を下りねばならないが、正面にはエレベータも着いている。

 大道具の搬入路を見落としてしまった。

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7月1日から始まるよ!

2017-07-01 18:44:51 | 音楽・芸術・文学

 入場無料。ただし投げ銭を準備してね。

 

 

夜の7時からなのね。雨よりも蚊や虫の方が心配だわ。

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発見!酒田みなとの探検隊2017

2017-07-01 16:35:49 | 建築・都市・港

そんなことより、探検隊のお知らせである。

7月15日に開催されると言うのに、締め切りが7月5日だと言うのに、手違いで私の所に届かなかった。

今年も、飛島丸でクルーズを行う。晴れてくれれば良いなと思う。

 

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おや?

2017-07-01 16:21:04 | 建築・都市・港

先日、某団体の総会にお邪魔して、酒田市長さんと一緒になった。今年の8月2日には酒田北港にコスタネオロマンチカが寄港するのは知られていたが、飛鳥Ⅱも9月8日に、もう一度訪れる。その時一緒に、別の船も寄港すると仰っていた。それがはっきりと思い出せない。自衛隊の艦船なのか、南極探検隊の砕氷船しらせだったかと、うろ覚えなのである。

こんな時には調べるに限ると、酒田市のHPの客船寄港情報を見ても、客船だけだった。(にっぽん丸も7月に2度寄港するようだけど。)ならば、海上自衛隊のイベント情報ならどうだと見てみたが、自衛艦でもなさそうだ。しかも、今年は自衛艦は酒田港祭りには来そうも無いことが判った。それどころか、8月のイベント情報が、例年に比べて驚くほど少ない。何故なんだろう。あれかな?もしかして。

と、ゲスの勘ぐりを入れてみた。国会を空転させることが目的の某政党は考えもしないだろうが、日本周辺はきな臭い。

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弘前市役所

2017-07-01 14:39:10 | 建築・都市・港

市町村合併に伴い市役所が狭くなり、建物の耐震も心配だと市役所は調査を行った。全国の公共建築物で安易に見られるバッテンの筋違い方式は、みためにもどうなんだろうと言うことになり、やはりここは前川事務所に相談をすべきと結論を出した。よって、耐震設計も増築の設計も前川事務所が行うことになった。

前面の旧本庁舎は、耐震壁を外部に出さず内部で処理をし、後方の新庁舎では免震構造にして、エキスパンで繋ぐ工事を行っている。

集合時間になっても、H先生が来ない。電話をすると駅前でカレーライスを食べていると言う。

リンゴカレーなのかと思いきや、インドかネパール辺りの人が経営している本格的なカレー屋だったらしい。途中で切り上げて合流する。

市役所の業務は休むこと無く、工事に支障のないように、庁舎内で引っ越しを繰り返しながらだったらしい。

旧本庁舎も、内部の模様替えをしているので、全体的に新しい。

あちらこちらに、防火戸やエキスパンジョイントが見られる。

繋がっている外部も見る。

こちらは新庁舎。右に少しだけ見えるのが旧庁舎。

 前川さんが好きな煉瓦タイル。金物や煉瓦など、当時の物に併せて手作りされているそうだ。

 

笠木は銅板。花火大会を、庁舎の屋上で見られよう市民に開放する約束をしているので、上って貰う為に安全の手すりやらも設置するのだと言う。

 何故か、所々に網入れガラスがある。防火区画の延長か。

 

 

前川氏独特の赤茶色。

 

レストラン 

 

 

 

階段室の窓から見た岩木山。一服の絵のようだ。

 

階段室は、その場所で色彩が違っている。

 

 

前川氏らしいRC造の美しい打ち放し。

 

地下に下りて、免震装置を見る。

この階で、動きを変えるのだそうだ。

 

市民課のホール

 

レンガの壁内、通気口。右下の小さい穴は水抜き口。

天井付近にも、通気口が取られている。

60cmかぁ。

 

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弘前・新旧図書館

2017-07-01 14:21:58 | 建築・都市・港

市役所向かいに、堀側が弘前市観光館。大屋根を挟んで図書館があった。

こちらは図書館棟である。

通路の右側が事務所。左側と2階は図書館になっている。

その通路の壁が、RC造なのである。この模様は、パネルに組み込まれた物と思う。

行事のパンフレットが張ってある。その中に、ブラタモリを見付けたのだが。

案内図

同じ敷地内に建っている旧図書館。

勿論、塗装工事は新しい。

内部。

明治39年か。この頃の建築物が、弘前には沢山あるようで、市役所駐車場の所にもコーヒー店に代わった明治の建物があった。

 

 

 

 

内部は土足厳禁で、スリッパを履くのは良いのだけど、急な階段を登り降りするのは難しい。

 

木製の上げ下げ窓である。ヒモで分銅の重みで開ける仕組みだそうだ。

 

手摺りの高さは思ったよりも低い。ただし、低い方がこの階段には適している。

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弘前公園

2017-07-01 13:36:23 | 建築・都市・港

昼食を終え、集合時間まで間があったので、弘前城のある公園を歩くことにした。

これは追手門。普通は大手門だと思うのだが。

 

辰巳楼

すぎのおおはし

ババヘラアイスとは違うのか。この日は暑い日だったので、ついつい寄りたくなった。

南内門

本丸へ行く下乗橋。この橋のから見あげる天守閣が美しい城なのだが。

現在は石垣の補修中で、ここから先は有料だった。堀を堰き止めて工事を行っている。

石垣の石の一個づつ、黄色の目印を着けており、ちゃんと復元できるようにしている。熊本もこれから同じように行うと思う。

曳き屋された天守閣。曳き屋の工事は、山形県米沢市の業者が行った。ドキュメントとしてTV番組が作られた筈だ。

南内門の金物。

ハート型が見える。江戸時代では、何と呼んだのだろう。

 

白鳥が見えた。動かないので、飾りかなと思ったら、ちゃんと餌付けされていた。

 

未申楼

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弘前市斎場

2017-07-01 13:35:46 | 建築・都市・港

今回の弘前市での目的は、市内に9箇所もある建築家前川國男作品の1つとして、市役所の改築工事を見学することだった。何故、北国の地方都市なのに、前川作品がこんなにも現存しているのか、また古くなった施設を取り壊すのでは無く、保存し使用すると言う選択を、弘前市は実行する。その方が、もしかして工事費が高いのかも知れないが、良い建築を残すことは文化の伝承にも役立っていると感じる。

午後からが市役所の見学だったから、朝早く酒田を出て、午前中の内に前川作品の1つの弘前市斎場が見たいと思った。

寺町の外れから、少し下がった小高い丘の上に、この斎場は作られていた。炉前ホールからも、故郷の山岩木山が見える。弘前の人達は、人生の最後に、岩木山に見守られながら、この世を旅立つことが出来る。

玄関の車寄せ。

駐車場の広さもそうだが、丘陵を利用した庭がうまく配置されていた。特に待合室からは、お互いが顔を合わせないように、四方に向けて庭を見ることが出来た。

午前中は、少なくとも2組の家族が入っていた。事務室に挨拶に行くと、外観は撮しても構わないが、内部は午後の4時半頃でないと、入る事が出来ないのでと断られた。その時には、外観のみでも構わないと思っていた。

建物が建設されてから、数十年も過ぎているが、やはり前川作品だと言うので、全国から見学者が絶えないのだろう。斎場の詳細が書かれたペーパーを、一人づつ頂いてきた。

人間の炉とは離れて、動物炉があった。

炉前ホール棟から玄関を見る。

待合室棟

市役所見学で、H先生と合流する。「君たちだけ斎場を見に行ったのか。僕はまだ見てない。」と再度この場所を訪れることになった。午後4時過ぎになり、内部も見ることが出来たのだった。

炉前棟と、待合棟をつなぐ渡り廊下。石庭が見える。

実際の池はなかったが、枯山水が両側に設置されていた。この世とあの世の結界である。

待合からみた庭。

 

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