無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

女神と龍と天使のまんとら展

2024-02-29 11:25:34 | 音楽・芸術・文学




この地図に載っている久村酒店(別名久村の酒場)は酒田で有名な居酒屋である。
もともと酒屋だったのが、店の中で一杯飲む客が増えて、居酒屋を開業。
その内に座敷も和室も店の一部になってしまった。常連も多い。
〆鯖とゲソと厚揚げは、定番メニュー。

久村酒店から北へ行くと、中島精肉店がある。
あなたの知らない過去の酒田さんによると、酒田で最も古い精肉店だそうである。
1階が精肉店(現在も営業中)で2階は居酒屋(昔は通ったのに)だったのだが。
何を隠そう、初代ゴジラのスーツアクターの中島春雄さんの生家である。
ここではゴジラ肉を売っている(嘘)かも知れない。



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鶴岡大山新酒酒蔵まつり

2024-02-26 08:51:06 | 食べ物


噂に聞いていた大山の酒まつりに行ってきた。



JRでは臨時列車が出るという。
何十年ぶりかで各駅停車に乗る。
酒田からは羽前大山まで40分はかからなかった。結構速い。
しかし、酒田駅でPASMOもSUICAも使えなかったのは、ちとショック。


駅から酒蔵までは意外に近い。
長い行列が見えたので、最後尾は何処かと見回したら、角を曲がってまだ続いていた。
酒まつりのチケットは2種類あって、酒蔵を巡るコースと公民館で新酒を楽しむのに別れていた。
公民館を目指す。


市長を始めとする来賓の挨拶が終わり


東京都の二元中継で酒まつりは始まった。


折り詰めがついた。鶴岡市大山の「なな八」の料理だが、お品書きと折り詰めが逆さまである。本人は気が付かない。



蔵めぐりは4箇所だが、新酒は5箇所の蔵元から届いていた。
5本の内4本が吟醸かそれ以上、大山はしぼりたてで火入れしてなくピリピリする。


漬物は本長の品物で、どれもうまい。
美味しいのが見つかったら、帰りに買うとするルートなのだと思う。


5つの蔵元の新酒を飲み比べする都度に、一升瓶に入った仕込み水で口の中を中和させる。
じゃんけん大会など一通りの行事が終わって、そろそろ電車の時間かなと外へ出た。
大山の町は、犬まつりの時のように人々が歩き回っている。
日本酒のまつりなのに、若い人が多かった。
酒田でもこんな行事が出来ないだろうかと思っても、旧市内にある酒蔵は黒森や浜中など南の地域に移転、点在している。
残っているのは上喜元くらいか。町を歩いて蔵めぐりできるのは、大山のような町でしか見込めないのだとは思う。



大山の町と駅は、保安員も鉄道マンも特別に集めて、臨時のチケット売り場も出来て、ごった返ししていた。
電車は山手線並の混み具合になり、「もう少し詰めて!」と再三に渡り声がかかる。
おかげで6分遅れで羽前大山の駅を出発するも、次の鶴岡駅で大半が降りていった。


天気が崩れ、粉雪の舞い散る酒田の停車場に着いた。
駅前が改修されて、新たにガス灯が設置された。


駅前の「Q吉」で二次会となる。
「Q吉」さんとこは、酒田に日本一のレストランと映画館を作った佐藤久一さんのお孫さんだそうだ。


ここでも飲み比べである。


お土産に買った呑み比べセット
私はこれの味見はしていない。



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米粒写経 談話室 2024.2.21 ~晴れのちカミナリ~

2024-02-23 14:28:24 | 音楽・芸術・文学
米粒写経 談話室 2024.2.21 ~晴れのちカミナリ~


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令和6年能登半島地震 専門調査結果(中間報告)

2024-02-22 10:20:27 | 建築・都市・港
新耐震(阪神淡路大震災以後に改訂された)で設計された橋梁などには、大きな被害はなかったが、それ以前の設計の物では被害が大きい。
建物の被害では、地域的な特徴の屋根瓦の古い民家の破損と、海岸部の津波が影響したと思う。
ただ、いくら建物を堅固にしても、地面が亀裂や隆起しては自立することは不可能だ。



技術の進歩も、歴史を学ばねばどうにもならない。
元禄2年(1689)松尾芭蕉が奥の細道を旅した。酒田から秋田の象潟へ行った頃は、その名のごとく東の松島と比較される九十九島が潟に浮かんでいた。
文化元年6月4日(1804年7月10日)の象潟地震によって数メートルの隆起で、島々が地面に浮き上がった。
現在は田んぼの中に、松の木の生えた島々が点在している。

日本列島は生きていて、その時々に姿を変える。
その上に、我々日本人は住まわせて貰っているのだと言うことを再認識せねばならない。


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リベンジ土門拳写真記念館

2024-02-20 08:50:16 | 酒田


先週の土曜日に「閉館時間が過ぎています。」と強制終了された土門拳写真記念館にリベンジするために出かけた。



花は無いけど春爛漫の暖かさである。
先週の土曜日とは打って変わって、今日は家族連れが池の周りで散歩している。


展示物もじっくりと観ることが出来た。


雑木林の向こうは鳥海山。雲と一体になって大きさも分からない。
池にいる鯉たちの為に、食パンをポケットに忍ばせて行ったのだが、池に降りる階段にロープが張られていて「安全注意、餌やり禁止(ただし鳥インフルエンザの為)」とある。
面白みが半減した。大きく成長した鯉たちはパンくず等無くとも池底の泥から餌を摂ることが出来るのかもしれないなぁ。あぁつまんない。


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【虎ノ門ニュース】2024/2/16(金) 武田邦彦×須田慎一郎

2024-02-18 07:06:18 | 動物・自然
【虎ノ門ニュース】2024/2/16(金) 武田邦彦×須田慎一郎


2月11日に行われた市民講座と被る内容だった。ただ酒田市での方がずっと詳しいのは仕方が無い。


武田邦彦♪ 伊方原発や地球温暖化自然エネルギーなどについて語る 伊方原発が事故を起こしたら!など #武田邦彦 #武田教授 #原発 #伊方原発 #愛媛県

 
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飽海地域史研究会 人物講座 石川治兵衛 

2024-02-15 15:54:25 | 歴史


開始時間が15分早まったのかと急いで会場へ行くと、いつもは5~6人程度の聴講者なのに十数人が席に並んでいた。
農業に関する人物講座だったので、遠方からの参加者が多い。新庄市から3名、水戸市からの参加者もいた。
私は知らなかったのだが、山形県内の農業に関する取り組みは、全国的にはメジャーなのだそうだ。




前回の「後藤善治の日記より」で農業関連の講義、今回は遊佐町豊岡の石川治兵衛氏の「田植え型考案・篤農家と農業技術」の講義である。

嘉永5年(1852年)飽海郡富岡村に生まれた石川治兵衛は、農業改革として乾田馬耕の方式を取り入れ、青壮年10名で富岡改農社という農事改良グループを結成した。
それまでの田植えは縄張植えまたは型なしで見当植えをしており、除草機も使えずに苦労していた。
明治27年のある日、治兵衛は囲炉裏の灰の上で糸巻き機を転がすと、灰の上に跡が着いた。
これは使えると、改農社の面々で知恵を絞って、田植え型を考案改良を加えた。
写真左がそうである。


それ以前の田植えは、後ろ向きに植えていった。
縄を張って植える事もあったが、結構な重労働である。


田んぼをすくにも、人力から馬などの家畜を使う農機具に。


写真ではなく、池田亀太郎が描いた絵で残っている。
池田亀太郎と言えば遊佐町の青山邸で、青山夫妻を描いた絵も彼の作品である。
池田亀太郎は、鮭の絵で有名な高橋与一の弟子である。



明治26年、阿部亀治は冷害に強い「惣兵衛早生」種の一株内に、3本の変わった稲穂を発見、抜穂し4年かけて病気や害虫に強い固定種「亀の尾」を生み出した。
明治30年の冷害でも豊作で、明治38年の太平洋側の大凶作時に、多量の種子を宮城県庁へ持ち込んだ。
現在亀の尾は酒米として流通している。



その稲穂を見つけたのは、立谷沢村の熊谷神社に参詣した折の話である。
現在でも、その亀の尾と阿部亀治を参りする為、熊谷神社の人が多いと言われている。


農林水産省のHPでは、庄内平野物語として農業に関する話題が載っている。
石川治兵衛達の考案した田植え型は、明治の時代に一気に全国へ広がった。
その形は様々であるが、自動の田植え機など機械化が起こる前には、どの地域でも使われていた。

今回の講義でも、実際に農業を行ってきた方々の話も聞くことが出来た。


おまけ:新庄からのお誘い。


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南洲会

2024-02-14 15:18:34 | 音楽・芸術・文学


南洲会の今回の研修は、神武天皇だ。
2月11日が建国記念日(紀元節)なので、それに併せたようだ。
難しい内容ではなく、子供向けの紙芝居で進めて行く。
題が「神武東征」とあるが、これらの紙芝居は「古事記」の子供版で、従って閲覧禁止の部分は省いてある。
デジタル紙芝居は「古事記」に限らず、You Tubeでも多々探す事が出来る。
音だけ聴いても、睡眠導入用に持ってこいだ。←こらこら


後半は、西郷隆盛の南州訓の解説と詠みを教わった。


会場は南洲神社の境内にある南洲会館である。
飯盛山を隔てて、土門拳写真記念館と隣接している。
南洲会の研修が終わり、その足で土門拳写真記念館に向かう。
記念館では、「絵画と巡る土門拳ー生誕120年・棟方志功とともにー」が開催されていて、青森県立美術館で観た数々の棟方作品を思い出す。
土門拳と棟方志功は仲の良い友人だったようだ。お互いへの作品もある。
棟方を撮す土門拳や、二人で同じ題材に挑む様子、それに土門拳さんへと題された自筆の絵も2枚展示されていた。
記念館所蔵で、なかなか表に出してくれない作品だが、今回は2枚並べて展示されたいた。

展示物を真剣に眺めていたら「お客さん、閉館時間を過ぎています。」と、途中で退出させられた。
南洲会館を出たのが4時ごろだったから、仕方がない。
ちなみに土門拳写真記念館は、午後5時までである。
続きは別の日に見に行こう。

尚、来る2月16日(金)NHK山形で「鬼たちの風景・絵画と巡る土門拳」が放映される。


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山形県高等学校建築設計デザインコンクール+建築甲子園結果

2024-02-13 18:53:06 | 建築・都市・港
山形市の文翔館で展示されていた県内高等学校建築設計デザインコンクールの片付けと理事会に出かけた。
片付ける前に、作品を撮影する。
文翔館での展示は終わったが、3月1日から12日まで県議会議事堂ギャラリーで、引き続き展示される事になった。
年々作品の技力は増して「本当に高校生?」と思えるほどの完成形しかも粒ぞろいな事に、嬉しい悲鳴を上げている。
ここ数年、新庄神室産業高校が群を抜いて成果を上げていたが、素晴らしい作品を見比べることによって一部では「打倒!神室」の声も聞こえるとか。
とても良い傾向だなと大人たちはほくそ笑む。
この県内高等学校建築設計デザインコンクールは、山形県建築士会が71年間に渡り続けている事業である。

まずは模型部門から











優勝:由布市ツーリストインフォメーションセンター
山形県立新庄神室産業高等高校



準優勝:彫刻の森「ネットの森」
山形県立山形工業高等高校


優秀賞:日本平夢テラス
山形県立山形工業高等高校





優秀賞:新・鶴岡工業高校校舎模型
山形県立鶴岡工業高等高校



優秀賞:清水寺 外観模型
山形県立鶴岡工業高等高校


優秀賞:落水荘 外観模型
山形県立鶴岡工業高等高校






優秀賞:浄土寺浄土堂
学校法人山形電波学園 創学館高等学校


入選:さくら保育園
山形県立山形工業高等学校


入選:清水寺
学校法人山形電波学園 創学館高等学校



入選:モダンハウス
学校法人山形電波学園 創学館高等学校


●次に設計部門



優勝:いさこい~ただいま。おかえり。私が帰る家。~
山形県立鶴岡工業高等高校



準優勝:冒険の旅 ~酒田市保育園留学計画~
山形県立鶴岡工業高等高校


優秀賞:雪を利用した施設
山形県立山形工業高等高校


優秀賞:自然と一体になる美術館 ~「地域交流のかなめ」となる新しい美術館のかたち~
山形県立山形工業高等高校



優秀賞:「CONNECTION」(「旅」の発信拠点としての米沢駅)~アジアのアルカディア(桃源郷)を世界へ~
山形県立米沢工業高等高校



入選:団地再生計画
山形県立山形工業高等高校


入選:いつでも元気な商店街を ~銀座通り活性化計画~
山形県立鶴岡工業高等高校



入選:在宅ワークのための住宅
学校法人山形電波学園 創学館高等学校


↑クリックすると結果やプレゼン動画が見られる。

令和5年11月10日、全国75校131点から集まった作品が、一次審査で11校に絞られる。
令和5年12月8日、1次審査を通過した11校のプレゼン動画による最終審査が行われた。






山形県立新庄神室産業高等高校は、「まちなか農家 農業でつながる地域コミュニティ」の作品で、女性委員長特別賞を受賞した。



山形県内予選での作品から
「万緑一紅」~福田農場改革計画~  山形県立鶴岡工業高等高校



「愛情」~刺し子で繋がる未来~  山形県立鶴岡工業高等高校


文翔館から眺めた県民会館跡地は、綺麗に更地になっていた。


「もう閉店しているかも。」と諦め半分で向かった村山市の「昆布巻きの東園亭」は、辛うじて間に合った。
X(旧Twitter)で見かけた若旦那のコメントが面白くて、内陸に行ったら寄ってみようと思っていた。
昆布巻とニシンと昆布煮を買い求めた。「初めてなんでしょ、これもあれも・・」と色々試食を出してくれる。オマケまで貰った。
昆布煮は美味である。


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武田邦彦氏市民講座

2024-02-13 16:53:21 | 建築・都市・港


2月11日、酒田市総合文化センターで開催された武田邦彦市民講座「教えて武田先生!!洋上風力で庄内浜はどう変わる?~鳥海山沖洋上風力発電の未来~」を聴講に行く。


武田先生の講義は撮影可だった。
ネットで武田先生のSNSはかなり観ていたので、約半分は聴いていた物だったが、流石に武田先生の独壇場は小気味良かった。
何度聴いても面白い。


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シリーズ「脱炭素の正体をトコトン語る」①地球温暖化の科学

2024-02-11 07:18:58 | 動物・自然
シリーズ「脱炭素の正体をトコトン語る」①地球温暖化の科学





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70周年記念短編ドキュメンタリー映画『THREE ARCHITECTS』

2024-02-09 13:12:36 | 建築・都市・港
70周年記念短編ドキュメンタリー映画『THREE ARCHITECTS』


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黒川能・王祇祭

2024-02-08 20:55:14 | 音楽・芸術・文学


建築士会酒田支部女性委員会の研修として、鶴岡市黒川の春日神社に500年に渡って継承されてきた「神事能」を観に行くことになった。
黒川能は山形県内に伝わる能としては、ちょっとレベルは高く、昭和51年に国指定重要無形民俗文化財に指定されている。



この王祇祭を鑑賞するには、申込みと抽選の壁を突破しなければならない。
なかなかその壁はきつく、誰でも簡単に鑑賞出来るとは言い切れないようだ。
受付で会費を納入すると、同じ部屋の床の間の前に長老が居並び、お神酒を受けるようにと促される。
大きめの赤漆の杯にお神酒をトクトクと注ぎながら「もう良いですか?」と聞いてくる。
「もう良いです。」と応えない内は、波々と注ぎ続けるのが掟だとか。

お神酒を頂くと、「お膳をどうぞ」と促される。
左が上座の豆腐、右が下座の豆腐料理だ。
何故に豆腐?と長老に問うと、王祇祭は別名「豆腐祭り」と称して、黒川の名産品である豆腐を焼き一晩雪と寒さに晒して高野豆腐にし、調理をするのだそうだ。
確かに王祇祭近くになるとローカルTVニュースで大量の豆腐を焼く様子を流している。その準備なのだ。

上座と下座とは、調理の味付けが異なっている。
見た目に小さなお椀の豆腐でも、ガッチリとお腹が一杯になった。


王祇祭の前に、元々の春日神社をお参りすることにした。
春日神社の近くに、下座の当家があった。
下座の能と狂言は、この個人宅で行われる為に、さらに人数制限がかかっている。
我々は公民館で行われる上座を観に行くことになっている。



春日神社は黒川の中央、少し高台に存在している。
石段を登る。




龍のお出迎え


お祭りの日だと言うのに、本殿は静かだった。



お賽銭を上げてお参りするも、「御神体は出張してて、中は空なんじゃないの。」と言われる。
空っぽを拝んできたことになる。



奈良の春日大社も、神の使いの鹿が多かった。


王祇会館に戻り、王祇祭のDVDや能の衣装の展示やらを見終わって、あたりが薄暗くなった頃、会場の公民館に向けて皆で雪道を歩く。
気温が下がり、アイスバーンの道路をヨチヨチ歩きで15-20分。使い慣れない筋肉が痛い。


大広間に陣取るが結構狭い。
舞台を取り囲んで奉納された品々の目録が掲げられている。
山菜沢山や山椒沢山などもあり面白い。


これも奉納された一貫目蠟燭に火が灯り、王祇祭の幕開けとなった。



挨拶の後、後方から春日神社御神体の王祇を背負った男達が現れ、舞台の上に立つ。
王祇を広げて、大地踏(だいちふみ)の子の登場を待つ。
大地踏とは黒川能独自の演目で、稚児が足拍子を踏んで大地の悪霊を鎮め、新年の安穏と繁栄を祈るものだ。
めちゃめちゃ可愛いお稚児さんが出てきて、こんなに幼いのに難しい長台詞と舞に、すっかり驚いてしまった。覚えるのも大変なのだと思う。


「式三番」である。翁が天下泰平と三番叟では黒いお面を付けて三番を踏む。
観客の後ろで見にくいのと、カメラマンの腕がすこぶる悪く、ブレブレばかりである。



「難波」では、翁と梅の神霊の他は、次世代を担う子供達と若者達が舞台を務めた。


梅の神霊は迫力満点である。



狂言は「靭猿・うつぼざる」である。
猿役の子供を含めて、全員が顔出ししているので、写真は省く。
基本的に、王祇祭は撮影許可(有料)を貰って撮すが、SNSなどの無断転載は不可なので、許可を貰った。
その際、個人を特定できる顔が映っている物は駄目だと念を押される。
木華咲揶姫の演者もしかり、イケメン揃いなのに残念ではある。
実物は実際に観に来なければならないのだと思う。



御神体の王祇は、献能の一部始終を、広間の奥で見てなさる。


春日神社の祭殿も用意されている。
春日神社の大本は、奈良の春日大社だ。

途中休憩が入る。下座から暁の使いがやってきて、上座の面々に挨拶をする。
きっと下座でもお互いに同じことがなされているのだと思う。
王祇祭では、同日に上座と下座が別々の演目を行っている。
500年の歴史と共に、演目数が能では500点以上、狂言は50番、演者数は150名。能面250点、能衣裳500点以上と、民芸芸能の域を超えている。


「道成寺」では、釣り鐘も登場する。紀伊の国道成寺の釣り鐘が奪われて再建の日に、白拍子が現れる。
舞を見せることで寺の境内に入れて貰い、釣り鐘に近づくと鐘は落下する。



僧侶達の祈りの力が功を奏し、白拍子は鬼女に变化する。


鬼女は僧たちに掴みかかるが、祈りに負けて逃げ去っていく。

1つの演目が長い。正座しても足を伸ばしても、足が痛い。
この辺りで、観客の数が少しづつ減っていく。身体が痛くて堪らないのだ。
本来の王祇祭では、夜通し演目が続けられ、翌日は春日神社の祭事に加え、神社で一連の演目が行われる。
今年は夜中の3時ごろに初日の行事は終わり、仮眠を取って朝を迎える。
この時点で12時近くになっていたと思われる。



「こんかい」は狐が出てくる狂言である。
漁師に一族を次々と釣り殺された老狐が、老婆に化けて漁師に狐狩りをやめて欲しいとやってくる。
一応約束はするのだが、罠に掛けられた餌があまりに美味しそうで、狐は化身を解いてしまう。

先の演目といい、狂言は普通に我々が知っている狂言より、かなり古い言葉で演じられている。
能の謡は難しくとも、狂言くらいは判るだろうと思ったが、さにあらず。
すこぶる難しかった。それに加えて鶴岡(旧櫛引町)特有の訛りもあって、益々難しかった。



「羅生門」は源頼光や渡部綱が出てくる有名な羅生門である。
この前に演じられた狂言の辺りで、そろそろ体力が付きかけ、「どうする帰る?」と弱音を吐く私。「せっかく来たのだもの、全部観る。」との返答に、席を立ったり移動したりする。

観客たちの心を知ってか、羅生門も前半を大幅に削り、最も見せ場となる後半だけを演じてくれた。
渡部綱と鬼の戦い、綱は兜の緒を引き千切り、大太刀で鬼の腕を切り落とす。
大立ち回りが繰り広げられた。

小休憩では、黒川の関係者が日本酒一升瓶に熱燗を入れて、観客たちに配って回る。熱燗も熱燗で香りに咽ぶほどだ。
上座の豆腐料理も配られた。ふうふう言いながら熱燗を口に含むと、今までの疲れもすっかり消えてしまうほど・・美味しい!



「淡路」最終の演目である。これも後半の見せ場だけを演じてくれる。
松山の大寒能の高砂でも同じことを思ったが、能の演目は名前と場所と配役が異なるだけで、ストーリーが同じ物が多いと思う。
それにしても、王祇祭の解説書に書かれていた能番組一覧は、天保10年から演じられていた演目が須らく載っている。
凄い歴史だなと改めて思う。年々黒川の住民の数は減ってはいるそうだが、若者や子供達への伝承も素晴らしい。



黒川能は年間を通じて、上記のように一般でも観る機会がある。
公益財団法人黒川能保存会のHPでも詳しく、お勧めである。
「黒川能」で検索すると、You Tubeなどで少しだけ能を観ることが出来るかも知れない。




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琴ノ若が大関に

2024-02-05 14:54:50 | 社会


琴ノ若が大関に昇進。
先代琴ノ若は山形県尾花沢市出身なので、県民大喜びをしている。
特に地元では、スーパーマーケットの「お~ばん」が、記念の大特売を開催。
この「お~ばん」の社長が、後援会長を務められ、先代琴ノ若時代には相撲で勝ち星を上げた日には花火と特売があるのだとか。
酒田とは国道47号線を通って、1時間23分(73km)の距離だ。
ホイホイと行ける距離ではない。

琴ノ若も1場所だけ自分の親の四股名で戦い、次の場所からは先々代の琴櫻を名乗りたいと言う。
ちょっとだけウルっと来てしまった。



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本間美術館へ行く。

2024-02-03 12:09:53 | 音楽・芸術・文学


本間美術館の年間チケットが1月で切れる為、更新の手続きをと美術館へ向かう。





館内では堀内則次のパステル画が展示されていた。少し暗いなるほどパステル画だった。


私の今回の目標は、パステル画ではなく、清遠閣の古文書である。


所々に残雪を見ながら、庭を歩く。


残念ながら、鳥海山は雲に覆われていた。
池に水紋が広がっているが、鳥か鯉かが動いているのだろう。


清遠閣では、建物も古文書も撮影が可である。


これは一階奥にあった本居宣長の書。
本間家では宝物がザクザクである。


その床の間の隣の違い棚。ツバメの絵が描かれていた。


冬季間のみ障子が立て掛けてある。障子戸のデザインも面白い。



素晴らしく美しい文字だと思ったのが、上杉鷹山の書だった。


よし、ワンタン麺を食べようと、美術館から東軒へ向かう。
あら残念! 定休日だった。


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