建築士会酒田支部女性委員会の研修として、鶴岡市黒川の春日神社に500年に渡って継承されてきた「神事能」を観に行くことになった。
黒川能は山形県内に伝わる能としては、ちょっとレベルは高く、昭和51年に国指定重要無形民俗文化財に指定されている。
この王祇祭を鑑賞するには、申込みと抽選の壁を突破しなければならない。
なかなかその壁はきつく、誰でも簡単に鑑賞出来るとは言い切れないようだ。
受付で会費を納入すると、同じ部屋の床の間の前に長老が居並び、お神酒を受けるようにと促される。
大きめの赤漆の杯にお神酒をトクトクと注ぎながら「もう良いですか?」と聞いてくる。
「もう良いです。」と応えない内は、波々と注ぎ続けるのが掟だとか。
お神酒を頂くと、「お膳をどうぞ」と促される。
左が上座の豆腐、右が下座の豆腐料理だ。
何故に豆腐?と長老に問うと、王祇祭は別名「豆腐祭り」と称して、黒川の名産品である豆腐を焼き一晩雪と寒さに晒して高野豆腐にし、調理をするのだそうだ。
確かに王祇祭近くになるとローカルTVニュースで大量の豆腐を焼く様子を流している。その準備なのだ。
上座と下座とは、調理の味付けが異なっている。
見た目に小さなお椀の豆腐でも、ガッチリとお腹が一杯になった。
王祇祭の前に、元々の春日神社をお参りすることにした。
春日神社の近くに、下座の当家があった。
下座の能と狂言は、この個人宅で行われる為に、さらに人数制限がかかっている。
我々は公民館で行われる上座を観に行くことになっている。
春日神社は黒川の中央、少し高台に存在している。
石段を登る。
龍のお出迎え
お祭りの日だと言うのに、本殿は静かだった。
お賽銭を上げてお参りするも、「御神体は出張してて、中は空なんじゃないの。」と言われる。
空っぽを拝んできたことになる。
奈良の春日大社も、神の使いの鹿が多かった。
王祇会館に戻り、王祇祭のDVDや能の衣装の展示やらを見終わって、あたりが薄暗くなった頃、会場の公民館に向けて皆で雪道を歩く。
気温が下がり、アイスバーンの道路をヨチヨチ歩きで15-20分。使い慣れない筋肉が痛い。
大広間に陣取るが結構狭い。
舞台を取り囲んで奉納された品々の目録が掲げられている。
山菜沢山や山椒沢山などもあり面白い。
これも奉納された一貫目蠟燭に火が灯り、王祇祭の幕開けとなった。
挨拶の後、後方から春日神社御神体の王祇を背負った男達が現れ、舞台の上に立つ。
王祇を広げて、大地踏(だいちふみ)の子の登場を待つ。
大地踏とは黒川能独自の演目で、稚児が足拍子を踏んで大地の悪霊を鎮め、新年の安穏と繁栄を祈るものだ。
めちゃめちゃ可愛いお稚児さんが出てきて、こんなに幼いのに難しい長台詞と舞に、すっかり驚いてしまった。覚えるのも大変なのだと思う。
「式三番」である。翁が天下泰平と三番叟では黒いお面を付けて三番を踏む。
観客の後ろで見にくいのと、カメラマンの腕がすこぶる悪く、ブレブレばかりである。
「難波」では、翁と梅の神霊の他は、次世代を担う子供達と若者達が舞台を務めた。
梅の神霊は迫力満点である。
狂言は「靭猿・うつぼざる」である。
猿役の子供を含めて、全員が顔出ししているので、写真は省く。
基本的に、王祇祭は撮影許可(有料)を貰って撮すが、SNSなどの無断転載は不可なので、許可を貰った。
その際、個人を特定できる顔が映っている物は駄目だと念を押される。
木華咲揶姫の演者もしかり、イケメン揃いなのに残念ではある。
実物は実際に観に来なければならないのだと思う。
御神体の王祇は、献能の一部始終を、広間の奥で見てなさる。
春日神社の祭殿も用意されている。
春日神社の大本は、奈良の
春日大社だ。
途中休憩が入る。下座から暁の使いがやってきて、上座の面々に挨拶をする。
きっと下座でもお互いに同じことがなされているのだと思う。
王祇祭では、同日に上座と下座が別々の演目を行っている。
500年の歴史と共に、演目数が能では500点以上、狂言は50番、演者数は150名。能面250点、能衣裳500点以上と、民芸芸能の域を超えている。
「道成寺」では、釣り鐘も登場する。紀伊の国道成寺の釣り鐘が奪われて再建の日に、白拍子が現れる。
舞を見せることで寺の境内に入れて貰い、釣り鐘に近づくと鐘は落下する。
僧侶達の祈りの力が功を奏し、白拍子は鬼女に变化する。
鬼女は僧たちに掴みかかるが、祈りに負けて逃げ去っていく。
1つの演目が長い。正座しても足を伸ばしても、足が痛い。
この辺りで、観客の数が少しづつ減っていく。身体が痛くて堪らないのだ。
本来の王祇祭では、夜通し演目が続けられ、翌日は春日神社の祭事に加え、神社で一連の演目が行われる。
今年は夜中の3時ごろに初日の行事は終わり、仮眠を取って朝を迎える。
この時点で12時近くになっていたと思われる。
「こんかい」は狐が出てくる狂言である。
漁師に一族を次々と釣り殺された老狐が、老婆に化けて漁師に狐狩りをやめて欲しいとやってくる。
一応約束はするのだが、罠に掛けられた餌があまりに美味しそうで、狐は化身を解いてしまう。
先の演目といい、狂言は普通に我々が知っている狂言より、かなり古い言葉で演じられている。
能の謡は難しくとも、狂言くらいは判るだろうと思ったが、さにあらず。
すこぶる難しかった。それに加えて鶴岡(旧櫛引町)特有の訛りもあって、益々難しかった。
「羅生門」は源頼光や渡部綱が出てくる有名な羅生門である。
この前に演じられた狂言の辺りで、そろそろ体力が付きかけ、「どうする帰る?」と弱音を吐く私。「せっかく来たのだもの、全部観る。」との返答に、席を立ったり移動したりする。
観客たちの心を知ってか、羅生門も前半を大幅に削り、最も見せ場となる後半だけを演じてくれた。
渡部綱と鬼の戦い、綱は兜の緒を引き千切り、大太刀で鬼の腕を切り落とす。
大立ち回りが繰り広げられた。
小休憩では、黒川の関係者が日本酒一升瓶に熱燗を入れて、観客たちに配って回る。熱燗も熱燗で香りに咽ぶほどだ。
上座の豆腐料理も配られた。ふうふう言いながら熱燗を口に含むと、今までの疲れもすっかり消えてしまうほど・・美味しい!
「淡路」最終の演目である。これも後半の見せ場だけを演じてくれる。
松山の大寒能の高砂でも同じことを思ったが、能の演目は名前と場所と配役が異なるだけで、ストーリーが同じ物が多いと思う。
それにしても、王祇祭の解説書に書かれていた能番組一覧は、天保10年から演じられていた演目が須らく載っている。
凄い歴史だなと改めて思う。年々黒川の住民の数は減ってはいるそうだが、若者や子供達への伝承も素晴らしい。
黒川能は年間を通じて、上記のように一般でも観る機会がある。
公益財団法人黒川能保存会のHPでも詳しく、お勧めである。
「黒川能」で検索すると、You Tubeなどで少しだけ能を観ることが出来るかも知れない。