無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

米粒写経 談話室 2023.11.24 ~宇良かわいいよ宇良~

2023-11-28 10:58:49 | 映画・TV

米粒写経 談話室 2023.11.24 ~宇良かわいいよ宇良~ 



 

米粒写経×松崎健夫 映画談話室2023.11.24 ~ザ・クリエイター 創造者/ゴジラ-1.0~


ゴジラ-1.0 は観てきた。私としてはシンゴジラの方が面白かったかなと思ったが、皆さんの様々な意見を聞いて、もう一度確かめる意味でも観るかなと。
日本人らしい映画だと感じた。

軍艦や飛行機に詳しい居島一平氏には、たまらない映画だったろうと思う。


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飽海人物伝・松森胤保

2023-11-24 16:32:32 | 歴史



飽海地域史研究会の新しく始まった「人物講座」の初回は、松森胤保だった。






折しも、松森胤保とは縁の深い旧松山町の松山文化伝承館では、彼の特集が12月8日から開催される。
丁度よい機会であると共に、復習するのにモッテコイでもある。



小野寺先生の講座は、NHK朝ドラ「らんまん」」の牧野富太郎氏の話から始まった。彼は植物を丁寧に写生し分類した。
しかし松森は江戸時代にそれを行っているが、彼の興味は植物だけではなかった。
タキタロウの写生、月山で拾った龍ノ荒ラシ子、動物から昆虫、果ては人魚まである。彼の学問に対する姿勢は幅広く、民俗学から歴史まで詳しい。


さて、すると彼は学者なのかと思えばさにあらず、武士としても素晴らしく活躍をしている。
年表をみてみよう。文政8年(1825)に鶴岡の二百人町も長坂家に長子として生まれている。13歳で致道館で学ぶ。
19歳で酒井忠発に謁見し、致道館の句読師当分となる。この後武術を極め39歳で物頭になり弓砲隊23人を預かり、松山藩の付家老となる。
40歳で江戸に出、様々な役を申し付けられるが、庄内藩自体が江戸の警備を命じられている。
写真は江戸での41歳の頃のものである。





43歳の頃、江戸の薩摩藩邸の焼き討ちに参加する。
と言っても上の年表の下の方の薩摩藩邸の配置図があるが、斜め斜線が松森が率いた松山藩が焼き討ちした箇所で、庄内藩の物よりも多い。
戊辰戦争の火蓋を切った張本人とも言える。


44歳で松山に帰るが、それからが戊辰戦争である。
9月で庄内藩は負けを認める。


それからは東京、松山、鶴岡を移動しながら学問の道に進む。
48歳で松嶺の里仁館(藩校から学校へ)の大教授や松山の区長ともなる。
著作は多々。66歳で飛行機を設計するなんてもある。

人魚は人造物。魚や動物を繋げて作ってあるようだ。彼はこの人魚を自分の自画像、人生としてみていたようだ。



松森の写真は5人で撮した物のあった。写真の価格が書いてあったが、5人で2両(20万円)一人4万円もかかったのか。
現代のスマホでパチパチを見たら、松森は何と云うだろう。




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赤いサツマイモ

2023-11-23 10:56:34 | 動物・自然

某日、買ってあったサツマイモを蒸そうと、蒸し容器の準備をして、サツマイモを切った所、切り口が赤かった。
何という種類なのだろう、ちゃんと袋を読んでおくべきだった。
買ってから暫く経っていたので、サツマイモの尻尾の方から芽が出ていた。
芽を食べるつもりはないので、捨てるつもりで切った。



おやおや、葉っぱも育っている。
ならばと盃に水を入れサツマイモも入れておいた。



すると、数日後に根が出ているではないか。


盃だとすぐに水が足りなくなってしまう。
次にマグカップに移動して貰うことにした。
根の成長に邪魔にならぬように、爪楊枝で3点倒立させ、芽や葉は空中に浮かせることにした。


それがこれ!
それを窓辺に置いたが、カーテンの影に隠れて、毎日のドタバタにすっかり忘れてしまっていた。


ある日、はっと気がついてマグカップを覗き込んでみると、あ~ら綺麗な葉っぱが育っているではないか。
このまま暫く育ててみても良いのだが、これから冬に向かう最中で、枯れてしまうのか室内の観葉植物になるのかは、定かではない。
さすが、赤いサツマイモだからなのだろう、茎も葉の縁も赤いのである。
水苔で水面に蓋をしたら、誰もサツマイモとは見破れないと思う。



SNSの家庭菜園グループの方に、このオレンジ色のサツマイモはハロウィンスィートだと教えて頂いた。
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山王森の天と地

2023-11-23 10:54:24 | 動物・自然


シジュウカラの群れがやって来た。その数凡そ40-50羽ほど、ただし1羽だけコゲラが混じっている。
どちらも雀のようなスローモーションではなく、キビキビとした動きでなかなかカメラに収まらない。

この写真には、少なくとも5羽のシジュウカラが写っているのだが。











色は似ているが、シジュウカラではない。


新人のハチワレ君である。(男の子なのかは確認していない)
ゴミの収集箇所にて、カラスの見張り番をしている。


若くて可愛い子猫である。


身体中にイノコヅチを付けている。


こちらは、耳に切れ目の入っている御仁。


同じ毛色なのが、何匹いるのかは解らない。
さながらサファリパークである。













地面を歩く者もいる。



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飽海地域史研究会 城輪の柵跡

2023-11-22 14:58:50 | 歴史
























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近代建築山形ミュージアム・旧吉池医院

2023-11-22 10:47:51 | 建築・都市・港


先のフライヤーでお知らせがあった山形市の旧吉池医院に行ってきた。
住所としては十日町になるのだが、山形市で一番賑やかな七日町通りの郵便局の向かいと言った方が分かりやすい。





大正元年の建物だそうだ。




内部では、山形県が生んだ建築家3名の建築展も同時開催されている。

内部も大正ロマンを感じさせる素敵な雰囲気なのだが、撮影は可でもSNSにUPする事は禁止とする内容だった。
建築展以外でも、公表は不可らしい。


特に居住空間だった2階部分は、廊下から部屋を観るのみで、室内に入ることさえ叶わなかった。




























空が低く、山形は霞に覆われていた。
長谷堂の辺りでも霧と霞に覆われて「霞城」に相応しい情景だった。





最上川挟も紅葉が霞んでいた。


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紅の蔵

2023-11-22 10:47:30 | 建築・都市・港

紅の蔵で一休み。
ステンドグラスの展示が行われていた。
やっぱり上手な人は上手だ。当たり前だけど。



傘とアルコール消毒がぽつん。









門の所で雨宿りする人も多かった。


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雨のもみじ公園

2023-11-21 14:28:26 | 動物・自然


まる五の近くにもみじ公園があると、カーナビで確認する。



門から入ると、何だかお寺さんのような気がする。
これで本当にもみじ公園なのだろうか。
と、看板を見ると、どうもそうらしい。

雨がじとじと降っている。
止みそうもないので、傘を差してカメラを準備する。


庄内、特に酒田とは違い、内陸の山形市などでは気温の寒暖差が激しく、風も弱いので紅葉が美しい。





池の周りを回るのは、TVニュースで観ていた通りだ。


あっ、結婚式のアルバム制作の撮影だな。
雨が降って(着物が濡れるのは)大変だけど、可愛い蛇の目傘で当人達には良い思い出になったのだろう。











































中央の灯籠の下に鴨のツガイがいるのだが。





その名の通り、もみじ公園だった。


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き蕎麦まる五・山大前

2023-11-21 14:10:07 | 食べ物


タイトルだけで何の説明もいらないと云う。


まる五の蕎麦。あっ少しだけ値上げしてある。
私は下足天(イカの足と春菊1本)が丸々だとちょっと辛いので、ここだけ半分にした。
従って、もり半天・1000円を注文する。


ど~~っん。蕎麦は1.5人前だそうで、写真よりも盛りが良い。
ひたすら啜る。なかなか減らない。
お店の人が「辛味大根食べて見ます?」と小皿におまけしてくれた。
辛い大根のトッピングは、食欲が増すのである。


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建築士会酒田支部女性委員会研修会

2023-11-20 17:02:38 | 酒田
19日、旧阿部家に近いやまもと農村交流センターで、竹照明作りと新そばランチを食べようが開催された。



まずは、やまもと農村交流センターが建つ前に存在していた旧山元小学校の当時のこと、設計や図面その他諸々を、同じ建築士会の仲間であり、県議会議員のIさんに説明して頂いた。
その実、教育委員会に連絡しても、詳細は解らないとのこと。図面も単線で描かれた平面図のみで、設計者も不明だそうだ。



12角形で中央に明り取りを有する吹き抜けと、2階に各教室を配置し、1階は玄関や職員室、給食室があったと聞く。
地元のSさんは短い間だが通学していた。
私も内部に入った事はないが、随分と後々までこの不思議な形の学校校舎を見ていた。



色とりどりの孟宗竹の1スパンに背割り加工をし、彩色した物を選ぶ。
そこに施す模様も、並んでいる物から選ぶ。
私は「ウサギを入れたい」と意気込んだが、時間的にも無理だった。


材料を選ぶ。切り口がまん丸なのは雄竹、少し平べったいのが雌竹。
これは孟宗筍採りの際に、教えて貰っていた。


竹に模様のシールを貼る。電動のちょっと重いインパクトに、スクリューを取り付ける。



サイズは3mmから14mmほど。


4mmのスクリューで、細かい穴を開けていく。
竹に垂直にが基本らしく、斜めに入るとウガガガガと音がやかましい。


さて、皆さんはどんなだろう。

















出来上がったら、外側にラッカーを噴射。
中に和紙を入れると、優しい灯りになるそうな。
出来上がった作品を手に、皆で記念撮影となる。


さて、次は川ガニの解体ショー。


平田名物、ガニジル(蟹汁)を作る。
甲羅を剥がして、エラを除き、割ってミキサーに入れる。



可哀想などとは言ってはいられない。


ミキサーに水と少々の味噌を入れて。


グワングワン、粉々になるまで混ぜる。


それをシノアまたはザルで濾しながら鍋に入れる。


残りの味噌を入れた鍋を火にかけ、ゆっくりとかき混ぜながら加熱する。


液体が、次第に固形を含んだ重い液になる。


手応えを確かめる。焦げ付かないようにするのも大切だ。
(たん白質は熱で固まり、焦げ付くと後処理が大変なのである。)


味見の時間である。ダシはいらない。味噌だけでこの味が出る。
うんまいぞ!


お待ちかね、新そばの登場である。
昨年の秋に、山元から小林に抜ける道路の両脇は、真っ白な蕎麦の見事な畑が連なっていた。


彼が一人で、この蕎麦畑を管理している。
ところが、今年は異常気象で、蕎麦の実がスカスカ。
石臼で挽いて蕎麦粉にしても、40-50%しか実が入っていないので、急遽この日のために新庄から蕎麦を取り寄せたそうだ。
このまま蕎麦が採れなくなるなら、もう農業も辞めよう。日本の農政の弱点をワイワイと話し合った。


蕎麦だけでなく、ご馳走も登場する。
作ってくれるのは、和食の板前を卒業した方と、地元の女性たちである。
右下の丼は、ガニジルで豆腐とネギが追加されていた。


ちなみに、ネギは赤ねぎだった。うんまい!!



蕪も不出来で、いくら茹でても固いとのこと。


料理を食べ終わり、山元の現状を含め、早々と反省会を行った。
奥に並んでいる方々が、料理人さん達である。
拍手喝采で閉会した。



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近代建築山形ミュージアム旧吉池医院

2023-11-15 10:46:59 | 建築・都市・港


この建物は道を歩いている時に見かけて「ふぉぉ!」と呟いた事がある。
JIA関連からも回ってきた。山形市は今まで、古い建物はあまり保存して来なかった地域である。
周りに沢山残っていることが、良いことなんだけど足を引っ張ったのだろう。
文化財級なのを、平気で更地にしていた。今回保存がうまく行ったのだなと思う。


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歴史講座「東平田の歴史文化を語る」

2023-11-13 17:00:44 | 歴史


東平田コミュニティ防災センターで、飽海地域史研究会と東平田郷土史研究会共催による歴史講座「東平田の歴史文化を語る」と題した講座が開催された。
受付かと思って出かけると、地域の方々がすでにスタンバっていらして、何もすることがなかった。



講堂の壁に平成7年と書かれた棟札があった。すると設計を担当したのは6年か。この頃は酒田市も少し裕福で、予算をガンガン落とせとは言われなかった良い時代でもある。


会場には研究会会員よりも、地元の方々の方が多く「自分たちの歴史を知る」ことに積極的だった。


写真は小野寺先生提供のものである。
私は比較的前列に座り、動けなかったのでもある。



進行は東平田郷土史研究会 大井氏による。


主催者挨拶は、東平田コミュニティ振興会会長の佐藤氏による。


小野寺先生の受け持ちは2つの講座で、第1講座は「生石2遺跡 東北芸術工科大学の発掘」だ。
会場のこのコミセンも建設時に遺跡がゴロゴロ発掘されて、調査が加わり工事が1ヶ月以上遅れた記憶がある。


今回の発掘は、芸工大の青野教授の指導で、学生達が1m✕2mの穴を掘っていく。
この遺跡は、時代が2段になっていて、最初は縄文末期から弥生初期にかけて、ここで稲作が行われた証拠の炭化米が発見された。
1985年には、県と市による発掘で、九州福岡の遠賀川(おんががわ)の土器も見つかり、日本海ルートで稲作が広まっていたことと、東北で最も早い地域だったことが分かる。
2018年、青森県津軽でも炭化米7粒が発見され、これが最北と言われている。



生石2遺跡は、とんでもない発掘で、炭化米や遠賀川土器に加え「仁」の文字のある墨書土器も発掘された。
墨書土器は山形県内では91箇所で発掘されている。


土の中から根気よく掘り出し、並べたもの。
掘った場所によっては、地下水が染み出してドロドロの箇所もある。
発掘された土器は形を体してなく、破片で見つかる。それをパズルのようにつなぎ合わせて土器の形に修復する。



第2講座では、「中世の板碑と飽海の社会」と題した歴史講座である。
板碑とは、石に文字を刻んだもの。石碑のようなものである。

飽海では9世紀の800年代の初めから、急激に人が増えだした。
それは尤もな話で、内海だった所が干上がって平地になったからで、山際にしか土地がなく住居跡地や遺跡が見つからないのはその為である。



縄文文化から引き継がれた竪穴住居は山にしかなく、平野部に建てられたのは掘立柱のモダン住居群だった。


出羽国府も蝦夷(えみし)との戦いが激しくなるにつけ、危険だと秋田城から城輪柵跡に移転し、移民も多くなった。出羽国に郡司を於く。
中野目集落には上杉から焼き討ちされるまで、修験者が沢山いた。
八百万の自然信仰から密教を取り入れ、鳥海山大権現や経ヶ蔵(山)天辺の岩でも山伏の修行の場と経典を入れた穴がある。


生石に近い俵田遺跡では祭祀場が置かれ、日々占いなどされていたが、850年鳥海山の噴火と大地震の少し前に、奈良から陰陽師が派遣された。
鳥海の大物忌を鎮めるためだったが、地震は起きた。

古くからの官道に並ぶ遺跡には、塩作りの製塩土器、古墳時代の土師器、夥しい数の古銭も発掘されている。


次にお待ちかね「朝日山城の池田氏」について、小田先生から語って頂いた。
池田氏については、池田家文書を見ていたので、周りの人よりは少し詳しい。
室町時代の末期、壇ノ浦の戦い以後、落ち延びた平家(藤原氏)ゆかりの池田氏兄弟五名は、船で関に着き新川の兼澤から土路沢と云う所に辿り着く。
池田氏が初めて飽海に来た時の様子である。


朝日山城は酒田市生石にあった池田氏の山城で、現在はその形も見えない。
山中にある土塁などが少し残っている程度である。


樹木が生い茂り、山城に向かう道も無くなっている。
昔は、庄内を一望出来た場所だそうだ。



時の勢力図。鶴岡市大山の大宝寺城には武藤氏、酒田市旧平田の砂越城には砂越氏。酒田の東禅寺城はまだ形をなしてない。


朝日山城の本丸。とても急な絶壁もあると云う。


なるほど。


ここには載せていないが、池田氏の家紋は丸に揚羽蝶である。
この家紋を持っている武士が、随分と多い。
姫路城を造った池田輝政の家紋も、このアゲハ蝶だった。
平家の落人と気軽に呼ぶが、尊い身分の人達だから落人になるので、うんと下の最下層の人々なら落ち延びる必要も無いわけで、
静かに余生を暮らすのではなく、力のある豪族になって行くのも判る気がする。


私は参加しなかったが、前回の旧平田町巡りでは、数多くの参加者がいたようだ。


兄弟は散らばり、各地で活躍した。


これはその当時、池田家の子孫が造った水路で、現在も使われている。



たった一文字の親書。


会場の私の隣に座っていたご婦人は、この池田家の末裔で、池田家文書を披露し小田先生に渡してくれた方だった。
写真の方は、その関係者だった。
旧平田並びに生石の方々は、自分たちの地域のうんと身近な歴史に触れ、「もっと知りたい。」「時間が少なすぎる。」と話していた。
機会があれば、第2第3弾も聴いてみたい。



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北野誠の茶屋町怪談2023夏~忌み地~

2023-11-01 00:45:15 | 民俗学ちょっとオカルト
 

北野誠の茶屋町怪談2023夏~忌み地~

茶屋町怪談の出演者の中に、山形在住の黒木あるじ氏が入っている。
彼の話に山形市病田(やまいだ)の石碑が出てくるのだが、病田と呼ぶ地域も初耳だったし、祟りのある石碑もそうだった。

ネットで病田の石碑をググると、飯塚の歴史がヒットした。
民俗学と言うと、柳田國男の遠野物語が有名だが、奥が深くてちょっと怖い。
人間が作り込んだオカルトは平気でも、地域に染み込んだ伝説は逃げ場がない気がする。



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