無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

2017-07-18 10:38:50 | 動物・自然

何を撮したかったかと言うと、猫。カメラを準備する間もなく、行っちゃった。

何を撮したかったかと言うと、カラスウリの花。暑かったので萎れている。

白いマタタビの葉。随分と大きな木のようだ。

綺麗に揃った稲。風が吹き抜けていくのが判る。

すっかり夏山になった鳥海山。今日も暑い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発見!酒田みなとの探検隊2017

2017-07-17 20:16:38 | 建築・都市・港

発見!酒田みなとの探検隊2017が、7月15日に開催された。天気は良かったのだが、惜しいことに鳥海山と月山は見えない。

「途中から見えなくなったのよ。」とは、山形から引率してくれた女みなと会議の理事長のIさんだった。山形勢のバスは、予定よりも速く着いた。

 

 海洋センターの講堂で、開会式とみなとの学習を終え、2台のバスに便乗して、北港の展望台の西側(普段は関係者以外立ち入り禁止地域)に向かい、消波ブロックにお絵かきすることになった。

 海に沈められていると、案外小さく感じるブロックも、実際はこんなに大きい。

 昨年のお絵かきでは、クレヨンを用いたが、今年は豪快に書いて貰おうと、6色のアクリル絵の具を準備した。アクリル絵の具は、濡れている内は水で落ちるが、乾くと落ちない外部用の水性ペンキである。心配していた通り、子供達の身体や服は、絵の具まみれになった。それを避けようと、新聞紙に穴をあけて被る用意も、大きなビニール袋に穴を開けた物も準備はしたのだが、猛烈な暑さでは参ってしまう。汚さないようにお絵かきなんて、無理だったのだ。そして被害は大人の服にも及ぶ。

日陰になる場所もない所で、楽しそうに子供達は、大きな刷毛以外に、自分の手を利用したカニさんをべったべたと描いていく。

 6色の絵の具は、子供達の手によって、ピンクや水色、名前の無い色に変えられていく。

残った絵の具を処分する大人達。

 アクリル絵の具で描いた絵は、海に沈んでも残っているそうだ。

 大浜を後にして、海洋センター近くの「うごかへ」に集合する。ここは前日にオープニングセレモニーを行った動くカフェで、土日のテントの下で海風を浴びながらBEERを楽しもうと、しまかへの人達が営業する所だ。ここで、メロン休憩になった。

 顧問のTさんの差し入れメロン、参加者×1/2個と言う膨大な数を、山形県の港湾事務所の冷蔵庫をお借りしてギンギンに冷やし、存分に食べて貰おうとする。

「お代わりあるよ、いっぱい食べてね。」と、声がかかる。豊熟したメロンの香りが漂う。メロンが苦手な私は、ひたすら風上に逃げる。

ハマナスの実は、所謂ローズヒップではあるまいか。

これは椿の実。種から椿油が獲れる。

そろそろ、「とびしま」が帰って来る頃だ。

そんな、端っこに座ったら・・・と言う大人を尻目に。

うごかへの灯り

とびしまの接岸。

さて、最後のメインイベントのとびしまでのクルーズ&港の探検が始まる。

みんなが乗り込んで、出航。

おまけのカモメが乗ってくる。

いってきま~~す。

港内は、静かに航行していく。

あの白い山は何? 船内放送で、港の説明が響く。白い山は輸入された岩塩の山で、これを原料にプールの消毒剤を作るそうだ。実際の岩塩の粒は大きくて綺麗なのだ。

みるみる内に、日和山公園は遠くなった。

宮浦の風車が1本に見える場所がある。風に乗ってクルクル回る。

石油タンクの給油管の上に陣取るカモメ達。

白灯台の脇を、キュキュッと回る。

そして北港へ向かう。

私は2階のデッキにいたが、1階のデッキの方が、波の迫力は受けそうだ。

コンテナヤードと、消波ブロック置き場が見えた。みんなで描いた絵も見えた。

大きく舵を切った。

離岸堤の水路に建つ5基の風車。手前の船は浚渫船。酒田港は常に川からの流砂によって港が埋まる為、浚渫は欠かせない。

コンテナヤードでは、コンテナ船が荷揚げをしていた。

酒田北港の小湊埠頭には、バイオマスの倉庫が建築され、その壁面に山居倉庫を模った「WELCOME TO SAKATA」が描かれている。クルーズ船を迎えるにも、あまりに殺風景な港だと卑下していたが、少しばかり形がついた。

工事中のバイオマスの発電所。国内の森林の活性化と銘打ってはいるけど、先ほどの倉庫は輸入のバイオマスを受け入れる場所。色々な問題を孕んでいる発電でもある。

山形県内の半分の発電を受け持っている共同火力。この発電所があるおかげで、東日本大震災後の電力が助かった経歴を持つ。

共同火力発電所は、石炭で発電する。その石炭を荷卸しする特殊な装置。ベルトコンベアーで倉庫まで運ぶ。

北港から、ず~っと着いてきたカモメ。手を伸ばすと掴めるほどの位置で飛ぶ。

ごめんよ~、餌上げられなくて。餌やりは禁止らしい。悲しい。

外海から、今日一日の仕事を終えて、帰って来る三本柱の船。タグボートで曳かれている。

造船所を近くで見る。

本港に入ってきた。

網や竿を担いで、自転車で堤を走っている3人組がいた。これからが釣りの絶好調の時間である。海の近くに住む人の特権か。

「このまま、飛島へ行けたら良いね。」との問いかけに、「一度で良いから、飛島へ行ってみたい。」とは参加者の弁。それほど素敵な「とびしま」だった。乗り慣れている人々は、デッキで騒ぐのでは無く、冷房の効いた船内で昼寝も出来る。

そして船は岸壁に接岸する。

この夕日の向こうには、飛島だけでなく、大きなアジア大陸があるんだよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出羽三山神社に安置堂

2017-07-15 11:54:26 | 建築・都市・港

妹が「2-3日前の山形新聞の記事に、羽黒山に新しいお堂が出来たと載っていた。」と教えてくれた。それから古新聞を漁りまくる。実際には2-3日前では無く、7月11日付けの記事だった。

明治時代に、神仏分離となり、羽黒山神社は神社の道をとり、排仏棄釈を行った。沢山の仏像が捨てられることになり、それを憂いた酒田の大工の棟梁・佐藤泰太朗は、羽黒山に関連した仏像を買い集めることにしたのである。高価な重要文化財系の仏像も有り、仕事で家一軒を建てるとその代金がそのまま仏像1体に変わると言う、本人は良いのだろうが、家族は堪ったものではない。家族にはおかゆを啜らせ、自分は仏像を集めたとは、彼の息子の弁である。

泰太朗の家には、この仏像達だけを飾った蔵があったが、泰太朗が亡くなると保存は難しくなっていった。朝晩供物をあげても、仏のご加護は泰太朗だけだったのではと言うようなことが続き、仏像を拝見したいと言う人を蔵に案内すると、少しづつ仏像の数が減っていくこともあって、ついに羽黒山に仏像を返したら良いのではとの意見が出た。曾孫の佐藤完司さんは主立った仏像達を、羽黒山に寄贈したのである。

完司さんの仏像は、羽黒山の宝物殿に飾られ、入場料を払いながら拝観できたが、今回この仏像達の為に独立した千仏堂が完成する運びとなった。これでいつでも無料で拝観できる。本来の人と仏像の関係が戻ったことになる。

さて、ずらずらと書き込んでみたが、妹と父とで話した最大の点が、完司さんの年齢を新聞社が間違えたことである。68歳なのに、86歳って、顔をみたらわかるだろうに!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟地震1964

2017-07-14 13:13:53 | 防災

東京オリンピックで全国が湧き上がっていた1964年の6月16日13時1分、新潟県粟島南方沖の海底、震源の深さは40Km 、マグニチュード7.7の地震が起こった。酒田での震度は5と発表されたが、現在のような細かい区分けの基準とは少し違う。酒田でも、南部を中心に被害を受けた。

「新潟地震酒田市災害記録(抜粋)」と呼ばれる簡単な冊子が手元にあった。写真を眺めているだけで、大変だっただろう当時が偲ばれる。その頃私は中学生で、酒田の中心部や第一中学校には被害は及ばなかった。電気も水道も止まり、送電は2-3日で復旧したが、上水道は2週間かかり、夏場に向かって給水車や井戸まで水を汲みに行った事が思い出される。

この記録の写真だけでも、ブログに残しておきたいと思っていたが、実行に移そうとすると、各所の地震に見舞われる。昔の記録よりも現在の地震情報の方が大切で、迫力にも負ける。そんなこんなで延ばしに延ばしていたら、どんどん紙が変色してくる。まちづくりデザインスタジオでも地震と津波の話は出たし、思い切って載せることにした。昭和41年(1966年)3月1日発行、編集は酒田市で非売品になっている。市民の多くは持っている冊子だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと写真が小さかったかなと思う。文字がうまく読み取れない。

被害は抜粋となっている為に、実際の被害はもっと色々な事があったのだと思う。最上川の堤防が決壊して、大宮の辺りが洪水になったのは、この冊子には載っていなくて、人づてに聞いた。地震の時には、津波に注意する他、堤防の決壊も頭に入れておかないといけない。

最後に、庄内地方の大きな地震の歴史の一覧が載っていたのでそれも添付しよう。酒田の大地震は明治の時の話しか聞いてはいない。私の祖父が体験していて、調理中の火が原因で、あちらこちらから火の手が上がり、地震と火災の被害で大打撃を受けたそうだ。地震の被害では瓦屋根の家が潰れた件数が多かった為に、補修や改築などで鉄板にする家が増えたが、やはり海側の地域であった為に、数年後には瓦葺きに戻ったとも聞いている。あの頃の鉄板は、亜鉛メッキやフッ素メッキのない頃で、腐食するのにペンキで応戦するしかなかったのだろう。

1894年以降、庄内は大きな地震に見舞われていない。空白地域と呼ばれる由縁だ。この1894年の地震の5年前に、熊本で大地震が起きたのだと言う。日本列島に住む事は、地震や災害とは縁は切れないことを肝に銘ずるべきだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土門拳写真記念館の紫陽花

2017-07-13 10:10:15 | 動物・自然

そろそろ紫陽花の見頃だろうと寄ってみた。

まだ蕾なのと、咲き終わってしまったのと、混ざっていた。

雨が少なかったのかなとも思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花を撮すのは曇りの日が良いなと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まちづくりデザインスタジオ発表会

2017-07-11 10:15:32 | 建築・都市・港

 

昨年の10月頃から建築関係の人が集まって行ってきた「まちづくりデザインスタジオ」も、ついに最終の発表会を行うことになった。7月9日の日曜日、公益大の教室でである。決定してから実行するまで1週間か10日くらいしかなかったのではないか。聴衆は集まらないと思っていたのだが、酒田市長も含めて、こんなにも集まって頂いた。

奥から、緑色が旧港南小学校を含む入船町界隈。黄色が背割り堤と船場町。ピンクが海洋センターと海鮮市場界隈。これらを改造する計画を各自が発表した。

点在する濃いピンクが市内に残る伝統的建物。手前の緑が日和山公園。私は産業道路と臨港線の上に、日和山公園から港に渡る橋を提案した。

手前が海洋センター辺りの模型。奥が背割り堤と船場町の模型。どれも完成度は高い。

船場町に、酒田港を見おろすステージ。

背割り堤の屋外ステージのイメージ。

港を中心に酒田を巡る。

体育館を解体し、港南小学校跡地を改良した物。国道から港が見える。

もう一案は、津波の避難の為の丘として、小学校跡地に20mを超える丘を提案。

現在の海洋センターと海鮮市場を取り壊し、広場と市場、それに路地を造った物。従来の港から小路を抜けて市内に入る動線を重要視した。

建物は1階をキャノピーにして、海が感じられる広場に繋ぐ。これが、女性2人チームの発表。

もっとも出来がチンケなのは、私の作品。皆さん、素晴らしい完成度なのに、何日かかってもこれしか出来ない私は何なのさ!

花見や酒田祭りなどで日和山公園に人が集まる時、駐車場の確保に苦労する。

港の岸壁に車を置いて、大型トラックの行き交う産業道路を突っ切って来るのだが、港に駐車場があり、橋を架けたら良いんでないのが私の意見である。それと日和山公園に子供の遊具が少なくなって、港の遊具とスケボーが出来る空間を繋ぎたい。もう1つは、酒田港駅にはプラットホームが残っているので、催し物がある時には、パークアンドライト方式で、自動車を別の所に置き、臨港線に客車を走らせたらと思う。最後の部分は発言するのを忘れる始末。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月は海が熱い

2017-07-08 10:30:59 | 建築・都市・港

8月2日、午前10時入港。午後7時半出航の「コスタネオロマンチカ」 想像よりも大きいと思う。

今年は酒田港祭りで、海上自衛隊の艦船が来港しないのは寂しいなと思っていたら、酒田商工会議所の会報に、コスタネオロマンチカの寄港と一緒に、自衛隊の護衛艦と掃海艇の入港の記事が出ていた。少しほっとした。

 

8月5日~6日 酒田北港小湊埠頭に接岸予定の 護衛艦 まつゆき

はつゆき型護衛艦の9番鑑。

同じく 掃海艇「のとじま」 すがしま型掃海艇の2番鑑

 

話は変わって、酒田のイカ釣り船団が大変らしい。河北新報では随分と前にニュースにしていたのだが、TVでもようやく取り上げた。イカ釣り船団が漁をしている区域は、日本のEEZ(排他的経済水域)で、北朝鮮がミサイルを打ち落としている場所である。もし、1隻にでもミサイルが当たったら、日本政府はどんな対応をするのだろう。

また、この水域は大陸棚で、日本の良い漁場である。日本のイカ釣り船団が操業していると、北朝鮮の小型のイカ釣り船が、わらわらと集まって、日本の船の周りに群がり、漁業の邪魔をすると言う。烏賊釣り船は、昼でも目が痛くなるほどの光量で海面を照らし、イカをおびき寄せる。北朝鮮の船はそのライトを持っておらず、日本の船の灯りを利用するのだそうだ。しかも流し網漁をするので、網がスクリューに巻き込んで日本の船は動けなくなると言う。その数が日増しに多くなり、300隻にも広がった。

酒田のイカ釣り船団は、この漁場での漁を諦めて北へ向かったと言われている。ただでさえ、イカが不漁だと言うのに、本当に腹が立つ。日本は、日本の船を守れないのか。今回は北朝鮮の船だったが、韓国の密漁船も馬鹿でかいエンジンを搭載し、密漁後に海保に捕まること無く韓国へ逃げ帰ると言う。そして彼らをその行為を「カミカゼ」と呼んでいる。日本語を使うな!どこまでも馬鹿にした行為だろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスコミ

2017-07-07 14:01:06 | 社会

九州の大雨による被害が広がっている。九州は毎年の台風もそうだが、水の災害が多い。本当に気の毒だと思う。昨年の建築士会の全国大会は大分県で、バスで移動した辺りも今回被害を受けた。山や森が多い地形だが、雨水を飲み込むだけのキャパを超えたと見るべきだろう。避難している方々の数も半端ではない。一日も早く雨が止まることと被害が広がらないことを願っている。

民進党が暴力装置と呼ぶ自衛隊も、12000人体制で救助活動を行ってくれている。これを突けない野党を含め安倍政権打倒の面々は、稲田防衛大臣の動向に文句を付けている。マスコミも同様、執拗に突く。そんな事をする前に、やるべき事があるだろうに。派遣指示すれば、きちんとやってくれる自衛隊だから任せられるんだよ。それがイヤなら、自分たちで救助活動したらどうなの、街宣車で。

話は少し変わって、先日の日曜に都議会選は終わった。小池都知事率いる都民ファーストが第一党を獲得した。自民党自らのオウンゴールか、感情に流される人が多いと言うことか。本当に勝利したのはマスコミだろう。沈む泥船を抜け出して、乗り換えた人間と、身元の分からぬ人達の党運営を、素早く小池都知事は免れた。さすが、マスコミ出身者はやることが巧い。

マスコミと言えば、都知事誕生時に、自民党の都議議長との握手部分をTBSの「ひるおび」は切り取って、握手を断ったかのように印象操作した。自民党って嫌な人達だねって、私も騙された。最近ネット上にその部分が映像で流されると、不味いと思ったのか、昨日6日になって、「議長が断ったのは、写真撮影でした。」と訂正をした。昼休みが終わった午後1時16分頃に、議会選が終わった後にである。決して選挙妨害では無いとかの謝罪ではなく、女性アナウンサーだけが訂正してすみませんと言っただけである。

安倍首相の秋葉原での演説の切り貼りもしかり、籠池氏と一緒に現場へ向かったのはTBSだろう。中核派やしばき隊と一緒になって、捏造報道を行っている。そんなに日本が憎いのか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の植物

2017-07-07 13:37:29 | 動物・自然

酒田本港で見付けたハマナス。思えば今日は7月7日の七夕ではないか。酒田は雛祭りも七夕もお盆も、旧暦で行っている。赤くなったハマナスは七夕の時もお盆の時も、飾り物として店で売られていた。笹の七夕飾りを最後に飾ったのは、いつだったろう。

柚子が沢山実を付けた。花の数は少なかったが、この実が全て大きく育ってくれることはなくて、最後には数個が残るだけだろう。

プランターに植えたピーマン。最初の一個はすでに私のお腹に入った。同じプランターに、茄子とピーマンと万願寺とうがらしを植えた。茄子とピーマンには被害は無いが、万願寺とうがらしは、ナメクジの餌食になった。そんなに味に違いはあったのか。

なので、出来は良くないと思われる。実は思ったよりも多く着いていた。

茄子ときたら、花が咲いたら必ず実が成ると思っていたのに、面倒な茄子を植えてしまったのか、花のまま散り落ちる物が多い。萎びているのさえある。どうしたものやら。

ブルーベリーと言えば、毎年多くの実が成って、お裾分けするほどだったのに、今年は蕾の内にヒヨドリの餌食になり、極端に実が少ない。その為か、粒が大きなものが育っている。ジャムを作るなんてもってのほか、毎日十数粒を収穫し、口に放るだけである。勿論、ホバリングするヒヨドリも負けてはいない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の生き物達(虫もいるよ)

2017-07-07 13:26:36 | 動物・自然

今日のにゃん×2

こいつらは、自動車が来ても逃げない困った奴らだ。事故に遭わないようにして欲しいものだが。

卵から孵ったカマキリは、現在3匹だけ。他は飛んで行ったのか。この植木鉢周辺だけと言うのも、テリトリーは狭い。カマキリは生まれた頃に比べれると、体長は2倍以上に大きく育った。

2個あった卵の内、1つは幼虫が孵ったのを確認出来なかった。今まで見たどの卵よりも小さかったからと案じていたのだったが。

最後はクモ。網戸か服の上にいるクモでは無い。名前は判らないが、体調5mm程の小さくてすばしっこくて、前足をカニのハサミのように動かすクモだった。撮すのに苦労するほど動き回ったが、パソコンの画面の停まった所を撮した物。肉眼では判らないが、TVの画面同様、赤と青と緑の粒で出来ていることが判る。尚、このクモは後で私に捕まって、外に放り出された。今頃は、獲物を狙っていると思う。事務所の中では、餌を探すのは難しかったろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GEA

2017-07-05 13:26:29 | 建築・都市・港

この日の最後の行き先は、寒河江駅前のGEAだった。

寒河江駅?寒河江駅の記憶が無い。あれだけ山形新幹線開業の時に、駅舎めぐりを行ったと言うのにと考えた。何のことはない。寒河江駅は北山形駅から枝分かれしたフルーツライン左沢線の途中に有り、西寒河江駅、寒河江駅、南寒河江駅と3つもあるのだ。どの駅前だろうと迷うも、運転手のFさんは詳しかった。

GEAは、佐藤繊維株式会社の石造りの工場を利用して、小物と洋服の店舗にイノベーションした建物だ。

 

外観は、外壁はそのままに、建具などがリニューアルされている。

Fさんは、内部の撮影の許可を取ってくれた。これは珍しい。このような店舗だと、撮影は断られるのが常なのだ。

昔、使っていた織機がオブジェで置かれている。店舗の名前のGEAもこれから名付けられたのかな。

内部は、明らかに中央の店舗デザイナーの手によるものと思う。

黒い柱は鉄骨で、2階の木製の床梁を下から支えている。多分、荷重的には大丈夫なのだと思うが、万一を考えての補強だろう。

店内の商品を撮すことはしなかったが、一品物の個性的な洋服が売られていた。

鉄骨階段を上る。この部分も2階の床を外してあるので、水平力は弱い。

小屋組は元のままだが、トップライトで店内は明るい。

中央には、亜鉛溶融メッキの鉄骨で、空間を仕切り造ってあった。洋服も、店舗も、何処を見てもお洒落である。

一度外に出て、小物を販売している隣の棟に移動する。

壁面植栽も綺麗だ。

奥のレストランには、こちらから入るが、中では繋がっている。

おいそれと買える金額では無い物が並ぶが、しばらくすると麻痺してきて、欲しくなる。雰囲気がそうさせていると思う。

以下、建築関係の人でないと興味がないと思われる2枚。

石の壁(厚さ300mmほど)と、小屋材との接合部分。

屋根は同じ面で仕上げられているのだが、あきらかに左右で別の構造体になっている。石の大きさの違いからも、おそらくどちらかが後で増築された物だろう。石材ももしかすると地元産を使ったのではと思われる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

げんキッズ

2017-07-05 10:44:25 | 建築・都市・港

安達農園に行き、サクランボを買ったり試食したり、遠くへ発送を頼んだりし終わって、酒田チームは天童のげんキッズへ向かう。他のメンバーはまなびあテラスで、銀細工のペンダント作りに精を出している頃だ。酒田チームは6名だったが、金属アレルギーとペンダントに興味が無い面々の多数決により、別ルートで動くことにした。

ここは、私のお薦めの天童の児童施設である。この日は日曜日だったのを忘れていた。

天童のイオンモールとはす向かいの敷地に有り、子供達と保護者達で溢れていた。休日の遊びには、もってこいの施設である。

建物は以前に撮影したので、今回は端折る。

それで、気がついたこと。新潟の豊栄図書館、米沢市立図書館、まなびあテラスと図書館を見て、光の使い方の違いを考えた。まなびあテラスはロールブラインドで光を調整している。豊栄も米沢も、その必要の無い設計で、うまい光の使い方をしていると思う。

このげんキッズの玄関の上の2階のホールの窓には、新発田市役所の印刷されたペア硝子のような物が見えた。

光をうまく調整するのに役立っているなとだけ思っていたら、その正体がこれだった。もし、故障が少なければ、これは絶対に良いと思う。屋根に載せたパネルは、見栄えが悪い。

外に出ると、これまた子供達が水遊びをしていた。

流れる人口の小川。

 

こんな、冬期間も遊べるように、子供達の為を考えた施設が、酒田にはないのだ。子供を大事にする地域と、蔑ろにする地域の違いか。山形市のべにっこ広場・こども館・山銀こども館、天童市のげんキッズ、東根市のけやきホールと続けて施設はある。これは何とかせねばならないだろう。

この芝生の広場の端には、屋外トイレと、ミストを発生させる機械が設置されており、暑さを防ぎたい若者達が集まっていた。子供達の層は、幼児から高学年までと幅広い。大人達は冷房の効いた2階で、子供達があきるのを待っている。特別にレストランがあるわけでも無いが、ミニキッチンと自動販売機が並んでおり、飲食は可なのだと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まなびやテラス

2017-07-05 10:30:34 | 建築・都市・港

午後はまなびやテラスから始まった。図書館や美術ギャラリーを持つ複合施設である。ここは何度も来ている。

 

受付案内には女性がいて色々と説明をしてくれるが、電子案内板は自分の手を動かすと、画面が着いてくる。子供達の方が操作は巧い。

米沢市立図書館の、伊藤忠太のコーナーを思いだし、受付案内係の女性に、東根出身の作家を聞いてみた。著名な作家はいないが、画家はいると言う。図書室には彼の絵(羽黒山の五重塔の雪景色)が掲げられていた。その為か、市民の画力は高く、市民の作品展示の機会は多い。無料なので入って見る。

別室には、シルクスクリーンの作品展示がされていた。

図書室の中を散策する。撮影するには、受付で撮影可のシールを貰う。それを服の見える部分に貼り、人物の顔と本を特定出来ないようにしての注意を受け撮影する。

この図書館も、米沢市立図書館と同じ設計事務所の作品である。チームが違うらしい。

 

椅子の色が可愛い

パンパカパンツの子豚を思い出した。

 

 この部屋の本棚の高さは1.500mm。棚向こうの人の気配が感じられるか微妙な高さである。勿論、私には高い。

 

 

 

駐車場に繋がる回廊。雨の日には特に嬉しい。

ともかく、綺麗だと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お腹がペコリーノ

2017-07-05 10:23:26 | 食べ物

東根のイタリアンレストラン、ペコリーノに到着する。外から見ても普通の民家である。中に入っても、民家だった。

仏間も着いた二間続きの座敷に案内される。椅子テーブルが並んでいるが、この二間は、女性部参加者32名の貸し切りだった。年々参加者は増えている気がする。女性部は元気だ。

さて、ここで、オムライスとミートソース、海老たらこ入りスパゲッティの中から選んで先に予約注文していた物を受け取る。これにカルパッチョ風サラダと飲み物とデザートがついた。美味しかったので、全部を食べたら、お腹はパンパンになった。周りを見渡すと、デザートを残している人が多い。くっそ==かっこ悪~!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おおとみ保育園と、特別養護老人ホームおおとみ

2017-07-05 09:59:41 | 建築・都市・港

山形県建築士会女性部のふるさと探検隊は、東根のおおすみ保育園から始まった。保育園と特老を同じ敷地に設けるやり方は、幼児にも高齢者にも良い影響を与える。

広いテラス。ちなみに、屋根には雨樋はない。雨の日、流れ落ちる雨の雫が綺麗なんだそうだ。

雨はすのこに落ちる仕組みになっている。冬の雪の雪庇の防止は、考えていないそうだ。東根も天童に次いで積雪が少ない地域だと言う。屋根面積は大きいと思うのだが。

玄関を入ると、右側が事務室ほふく室があり、左側に保育室が連なっている。

保育園は柱梁、それに斜材も木造で造られており、トラスやラチスとは違う構造計画がされている。構造担当は名古屋在住の設計事務所だそうだ。

事務室とほふく室入り口

ぞうさんの衝立+ペーパーホルダーが可愛い。

今日の献立が飾られるBOX

遊戯室から、調理室が見える。ただし、こどもの目線では難しい。

高さの違う手洗いスペース。どちらもこどもにとって、高いように思われる。

保育室

各部屋に手洗いがあった。

さて、次は特老である。木造枠組み工法(耐火)2階建て。2階部分に住居が一定面積あると、どうしても耐火や準耐火になる。

建物の計画は、先に特別養護老人ホームがあった。その後、保育園がついてきたらしい。

 エレベータルームを見る。

中央の地域交流室。

定員60名、1ユニット10名が6ユニットに別れている。ユニットにはキッチン、浴室、リビングが着いている。

各ユニットには、この地域の地名が書かれており、これは住む人には優しいなと感じた。

階段室は、耐火防火の面で、通常は閉められている。徘徊を防ぐにも、ロックされている。

住居部分は各室個室で、WCが配備されているが、そのドアが3枚ドア形式で、車椅子用に全開することも出来る。既製品のドアだが、少し故障が多いようだ。メーカーの○○、しっかりせぇ~!力自慢の人間が使うんじゃないんだぞ。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする