ドバイに建設予定のビルがエライ斬新だ。名前はダイナミックタワーと呼び、変形する高層ビルだと言う。好き嫌いは別として、本当にこれで意味があるのかと思う所もあるのだが、画期的な事は間違いない。メンテも大変だろうな。グチャグチャのまま止まってしまったら、情けないなとも思う。
実は高校の時の卒業設計で、上層部が回転する高層共同住宅の図面を描いた。1日2回転でも良いから建物が廻れば、景色も採光も依怙贔屓なく取り入れることが出来ると考えたからだ。平面の形は6角形の星形だった。高校生程度の単純な発想である。卒業式の時に、何か小さな賞を貰っていたなと言う記憶が残っている。もっと強烈に残っているのは、冬の間製図室がとっても寒かった事なのだが。
CNNより
ああ、久しぶりの雨が降っている。
恵みの雨になってくれれば良いな。
以前から、ちょっとだけ画像で載せていた、真っ黒の子猫は風邪を引いて死んでしまったらしい。最近全然見かけなかったもの、何だか涙雨みたいだ。
実は高校の時の卒業設計で、上層部が回転する高層共同住宅の図面を描いた。1日2回転でも良いから建物が廻れば、景色も採光も依怙贔屓なく取り入れることが出来ると考えたからだ。平面の形は6角形の星形だった。高校生程度の単純な発想である。卒業式の時に、何か小さな賞を貰っていたなと言う記憶が残っている。もっと強烈に残っているのは、冬の間製図室がとっても寒かった事なのだが。
CNNより
ああ、久しぶりの雨が降っている。
恵みの雨になってくれれば良いな。
以前から、ちょっとだけ画像で載せていた、真っ黒の子猫は風邪を引いて死んでしまったらしい。最近全然見かけなかったもの、何だか涙雨みたいだ。
今朝のTVに、6月8日の秋葉原無差別死傷事件の被害者で、タクシーの運転手さんが出ていた。当日、ドーンと言う音と共に、トラックが人を跳ねた。交通事故だと思って、慌てて運転席から飛び出して、倒れている人の救護に向かった。同じく警察官も一人かがんで怪我人に声を掛けていた。その時男が後ろから走ってきて自分にぶつかった。熱いと痛いが一緒に脇腹に感じた。手で触ってみると多量の血が噴き出してきた。前にいた警官も男に刺され、崩れるように倒れた。タクシーの運転手さんはそのあと4日間意識不明になり、ようやく生還したが、今でも夜になると痛みの為、眠れないのだと言う。
この事件で犠牲になった東京芸大の武藤さんは、その才能と若さと人柄の為、ニュースに取り上げられることは多いが、彼女もまた救急車を呼ぶ途中で刺されて犠牲になった。彼女の携帯からの最後の通話は、無言だったと言う。その一方で、多くの人が携帯やデジカメで事件現場を撮している。我々が目にしているニュースの映像も、もしかして一般の人からの物を見ているのかも知れない。
そんな中で、6月25日の産経ニュースにこんな記事が載った。
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飛行機内で救命中、傍観乗客の視線と写真撮影でPTSDに
2008.6.25 09:08
航空機内で心肺停止した男性に蘇生(そせい)措置をして助けた女性が、やじ馬状態のほかの乗客に写真を撮影され、恐怖心などから心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった。
女性を診察した国保旭中央病院(千葉県)の大塚祐司医師によると、女性は会社員。救急法の指導員資格があり、機内で倒れた男性に独りで人工呼吸や心臓マッサージをした。男性は呼吸が戻り、規則的な心拍も回復して命を取り留めた。
この間、多くの中高年の日本人男性乗客らが「テレビと同じ」「やめたら死ぬんでしょ」と携帯やビデオで撮影。女性は中年男性が集まる場所で過呼吸症状が出るように。カメラのシャッター音が怖く携帯のカメラも使えなくなった。「やじ馬の罵声(ばせい)と圧力の怖さは忘れないと思う」と話しているという。
客室乗務員は手伝わず、AEDを頼んだが、持ってこなかったという。
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実はこの話は平成18年2月17日の事である。2年も前の事が何故ニュースになるのだろうとも思う。詳しくは航空機内での心肺蘇生の実施により心的外傷を負った1例として発表されている。ここには傍観者から投げかけられる心ない言葉や、携帯のシャッター音に、PTSDになってしまった恐怖が載せられている。周りの傍観者達は、どんなつもりでシャッターを押しているのか、新聞社に売り込めば金になるのか、手伝う気はないのか。色々と考えさせられる事例だ。
また、偶然医者として立ち会ったばかりに、後に遺族から訴えられる事や、診療報酬を航空機会社に請求しても認められない事例も載っている。
秋葉原の事件のように、人助けをして自らの命を落とす事は褒められるのか、高見の見物で映像を売った人間の勝ちなのか、嫌な時代になったものだと感じずにはいられない。
ただ、この文章の中に次のような事が書いてある。PTSDを負った彼女の話を聞いてた、周りでカメラを向けていた同じ年代の別の男性が、「火事があれば見に行く。自分がその場にいたらきっとシャッターを押していた。でも頑張っている貴女を、後で覚えていないかも知れないが、人が助かって良かったと本当に思う。」と言った事で、彼女の重荷が取れ始めたそうだ。
この事件で犠牲になった東京芸大の武藤さんは、その才能と若さと人柄の為、ニュースに取り上げられることは多いが、彼女もまた救急車を呼ぶ途中で刺されて犠牲になった。彼女の携帯からの最後の通話は、無言だったと言う。その一方で、多くの人が携帯やデジカメで事件現場を撮している。我々が目にしているニュースの映像も、もしかして一般の人からの物を見ているのかも知れない。
そんな中で、6月25日の産経ニュースにこんな記事が載った。
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飛行機内で救命中、傍観乗客の視線と写真撮影でPTSDに
2008.6.25 09:08
航空機内で心肺停止した男性に蘇生(そせい)措置をして助けた女性が、やじ馬状態のほかの乗客に写真を撮影され、恐怖心などから心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった。
女性を診察した国保旭中央病院(千葉県)の大塚祐司医師によると、女性は会社員。救急法の指導員資格があり、機内で倒れた男性に独りで人工呼吸や心臓マッサージをした。男性は呼吸が戻り、規則的な心拍も回復して命を取り留めた。
この間、多くの中高年の日本人男性乗客らが「テレビと同じ」「やめたら死ぬんでしょ」と携帯やビデオで撮影。女性は中年男性が集まる場所で過呼吸症状が出るように。カメラのシャッター音が怖く携帯のカメラも使えなくなった。「やじ馬の罵声(ばせい)と圧力の怖さは忘れないと思う」と話しているという。
客室乗務員は手伝わず、AEDを頼んだが、持ってこなかったという。
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実はこの話は平成18年2月17日の事である。2年も前の事が何故ニュースになるのだろうとも思う。詳しくは航空機内での心肺蘇生の実施により心的外傷を負った1例として発表されている。ここには傍観者から投げかけられる心ない言葉や、携帯のシャッター音に、PTSDになってしまった恐怖が載せられている。周りの傍観者達は、どんなつもりでシャッターを押しているのか、新聞社に売り込めば金になるのか、手伝う気はないのか。色々と考えさせられる事例だ。
また、偶然医者として立ち会ったばかりに、後に遺族から訴えられる事や、診療報酬を航空機会社に請求しても認められない事例も載っている。
秋葉原の事件のように、人助けをして自らの命を落とす事は褒められるのか、高見の見物で映像を売った人間の勝ちなのか、嫌な時代になったものだと感じずにはいられない。
ただ、この文章の中に次のような事が書いてある。PTSDを負った彼女の話を聞いてた、周りでカメラを向けていた同じ年代の別の男性が、「火事があれば見に行く。自分がその場にいたらきっとシャッターを押していた。でも頑張っている貴女を、後で覚えていないかも知れないが、人が助かって良かったと本当に思う。」と言った事で、彼女の重荷が取れ始めたそうだ。
昔々、北国に庄内と言う所があったけど。広い平野があって、雪が溶ける頃になると、皆んなして田植えしたけど。庄内には色の白い綺麗な娘っこが沢山いて、「庄内おばこ」と呼ばれてたけど。働き者で、朝から晩まで、ニコニコって働いてだもんだ。
その国に殿様いだけんども、この殿様なかなか好色で、領内見回りの時、綺麗なおばこを見つけると、無理矢理城さ連れていて自分のものにしたけど。綺麗なおなごだば誰でも良ぐて、他人の嫁さんでも連れていたけど。「やめでくれ~、連れていがねでくれ~。」と言うものなら、牢屋さ入れらっだり切らっだりしたど。恐ろしぐで、誰も刃向かうごとできねけど。
んだもんださげ、色々考えだ末に、おばこ達は顔を隠して見せないようにしたど。綺麗なおばこも、そうでないおばこも、昔おばこだった婆ちゃん方も、おなご達は皆んなして、「はんこたんな」で目だけ出して、顔を隠すようになったど。殿様は困ってしまって、それからは連れて行かないようになっだけど。とんぴんからりねけど。
これが昔私の聞いた「庄内おばことはんこたんな」の話だ。多分女性達は農作業の時、日焼け防止の為に「はんこたんな」をしたと思われる。庄内は美人が多い。秋田に近いほど多いと言われている。(秋田でも女性は秋田おばこと呼ばれている。)整った顔立ちの女性が多く平均的に美人が多い。ミスユニバース級の迫力ある美人が、かっ歩しているわけではない。若い子達がノーメイクで普通に綺麗なのだ。
はんこたんなは、色白を保つためや、泥はね虫除けにもなったのではないだろうか。仕事をする為に必要な目の部分と、呼吸するための口と鼻の部分が少しだけ開いている。以前は、農閑期に建設工事現場で人夫や手元として働いていた時も、「はんこたんな」の女性は多く見られた。農作業の時には前方しか見なくても良いから、「はんこたんな」でも良いのだが、工事現場では死角が出来て危険だ。ヘルメットを被るように指示が出ると、「はんこたんな」は急速に見なくなった。しかし農作業では現在も見ることが出来る。「はんこたんな」の女性に「こんにちは」と声を掛けられても、うんと近づいて顔を見ないと誰か分からない。それだけ顔が隠れる代物だ。
「はんこたんな」とは、2枚の6cm程の幅の帯で、おでこと鼻を隠し、日本手ぬぐいを頭に被って仕上げとなる。半分この帯(たんな)と言う意味ではないかと言われている。
画像はflickrさんから頂きました。
その国に殿様いだけんども、この殿様なかなか好色で、領内見回りの時、綺麗なおばこを見つけると、無理矢理城さ連れていて自分のものにしたけど。綺麗なおなごだば誰でも良ぐて、他人の嫁さんでも連れていたけど。「やめでくれ~、連れていがねでくれ~。」と言うものなら、牢屋さ入れらっだり切らっだりしたど。恐ろしぐで、誰も刃向かうごとできねけど。
んだもんださげ、色々考えだ末に、おばこ達は顔を隠して見せないようにしたど。綺麗なおばこも、そうでないおばこも、昔おばこだった婆ちゃん方も、おなご達は皆んなして、「はんこたんな」で目だけ出して、顔を隠すようになったど。殿様は困ってしまって、それからは連れて行かないようになっだけど。とんぴんからりねけど。
これが昔私の聞いた「庄内おばことはんこたんな」の話だ。多分女性達は農作業の時、日焼け防止の為に「はんこたんな」をしたと思われる。庄内は美人が多い。秋田に近いほど多いと言われている。(秋田でも女性は秋田おばこと呼ばれている。)整った顔立ちの女性が多く平均的に美人が多い。ミスユニバース級の迫力ある美人が、かっ歩しているわけではない。若い子達がノーメイクで普通に綺麗なのだ。
はんこたんなは、色白を保つためや、泥はね虫除けにもなったのではないだろうか。仕事をする為に必要な目の部分と、呼吸するための口と鼻の部分が少しだけ開いている。以前は、農閑期に建設工事現場で人夫や手元として働いていた時も、「はんこたんな」の女性は多く見られた。農作業の時には前方しか見なくても良いから、「はんこたんな」でも良いのだが、工事現場では死角が出来て危険だ。ヘルメットを被るように指示が出ると、「はんこたんな」は急速に見なくなった。しかし農作業では現在も見ることが出来る。「はんこたんな」の女性に「こんにちは」と声を掛けられても、うんと近づいて顔を見ないと誰か分からない。それだけ顔が隠れる代物だ。
「はんこたんな」とは、2枚の6cm程の幅の帯で、おでこと鼻を隠し、日本手ぬぐいを頭に被って仕上げとなる。半分この帯(たんな)と言う意味ではないかと言われている。
画像はflickrさんから頂きました。
あいおい工藤美術館に行って、工藤先生に教えて頂いたら、もっと色々な事を知ることが出来そうだが、時間があるのでググッてみた。
山形新聞の記事 庄内被衣(かつぎ)
カメヤダイレクトさんより引用
-------------------
【被衣とは】
かつぎとは、平安時代以降に武家や身分の高い家の婦女子が外出する際、顔を隠すため頭から衣をかぶったこと、また、その衣のことです。着物のうなじにあたる部分を額に引っかけ、(袖に腕を通さず)袖と身頃を垂らして用いました。
被衣のうえにさらに市女笠「いちめがさ」をかぶったり、旅行には笠のまわりに虫垂衣「むしのたれぎぬ」という薄い布を垂らすこともありました。ちなみに、市女笠の“市”は物売りの意で、物売り女が被った笠だったのでこう呼ばれました。菅「すげ」の線維をたたいて編んだ深い編笠で、上等のものには篠竹の皮などが使われています。
当初被衣には、小袖「こそで」(現代の着物と同じ形状)を用いましたが、結髪の発達した近世以降(安土桃山時代~江戸時代)には、衿肩を広くした掛仕立「かけしたて」や襟肩を下げた“かつぎ仕立”と呼ばれる形状が多くなりました。その後、慶安4年(1651年)に女性のかぶり物が禁止されてからは、御所風俗と上流階級の婚礼・葬儀にのみ残され、現代では専ら歌舞伎や能楽、日本舞踊や狂言といった伝統芸能で使用されています。
海外においても、女性が外出するときにヴェール、面紗「めんしゃ」などで顔を隠す習慣は、インド、イラン、トルコなどの東方諸国のヒジャーブ(ヘガーブ)をはじめ、 西ヨーロッパにも古くから見られます。
---------------------
ここのHPを見ると、かつぎは普通の着物の仕立てとは、ちょっと違った仕立て方をしているようだ。かつぎ専用で、普通には着られない事が分かると思う。
江戸時代にかつぎが禁止されてからは、布で顔を覆ったり、男性なら虚無僧の笠を被ったりして身分を隠したのだろう。
先日、ぶんずのぼんこのかっちゃんを、御高祖頭巾(おこそずきん)を被った武家の奥方のようだと書かせて頂いた。
yukacanさんのイズミル便りでは、日本に来日されていた大統領夫人のスカーフの巻き方が美しいと書かせて頂いた。考えてみると、日本でも様々な布の被り方をしていた。何の為に、どの身分でが一目で分かり、しかもお洒落だと言うのが素晴らしい。比叡山の僧兵や、鞍馬天狗、忍者など、色々と思い出す。
庄内でも独特の被り物がある。女性が農作業で用いた「はんこたんな」がそれである。今度はそれについて書いてみようと思う。
山形新聞の記事 庄内被衣(かつぎ)
カメヤダイレクトさんより引用
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【被衣とは】
かつぎとは、平安時代以降に武家や身分の高い家の婦女子が外出する際、顔を隠すため頭から衣をかぶったこと、また、その衣のことです。着物のうなじにあたる部分を額に引っかけ、(袖に腕を通さず)袖と身頃を垂らして用いました。
被衣のうえにさらに市女笠「いちめがさ」をかぶったり、旅行には笠のまわりに虫垂衣「むしのたれぎぬ」という薄い布を垂らすこともありました。ちなみに、市女笠の“市”は物売りの意で、物売り女が被った笠だったのでこう呼ばれました。菅「すげ」の線維をたたいて編んだ深い編笠で、上等のものには篠竹の皮などが使われています。
当初被衣には、小袖「こそで」(現代の着物と同じ形状)を用いましたが、結髪の発達した近世以降(安土桃山時代~江戸時代)には、衿肩を広くした掛仕立「かけしたて」や襟肩を下げた“かつぎ仕立”と呼ばれる形状が多くなりました。その後、慶安4年(1651年)に女性のかぶり物が禁止されてからは、御所風俗と上流階級の婚礼・葬儀にのみ残され、現代では専ら歌舞伎や能楽、日本舞踊や狂言といった伝統芸能で使用されています。
海外においても、女性が外出するときにヴェール、面紗「めんしゃ」などで顔を隠す習慣は、インド、イラン、トルコなどの東方諸国のヒジャーブ(ヘガーブ)をはじめ、 西ヨーロッパにも古くから見られます。
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ここのHPを見ると、かつぎは普通の着物の仕立てとは、ちょっと違った仕立て方をしているようだ。かつぎ専用で、普通には着られない事が分かると思う。
江戸時代にかつぎが禁止されてからは、布で顔を覆ったり、男性なら虚無僧の笠を被ったりして身分を隠したのだろう。
先日、ぶんずのぼんこのかっちゃんを、御高祖頭巾(おこそずきん)を被った武家の奥方のようだと書かせて頂いた。
yukacanさんのイズミル便りでは、日本に来日されていた大統領夫人のスカーフの巻き方が美しいと書かせて頂いた。考えてみると、日本でも様々な布の被り方をしていた。何の為に、どの身分でが一目で分かり、しかもお洒落だと言うのが素晴らしい。比叡山の僧兵や、鞍馬天狗、忍者など、色々と思い出す。
庄内でも独特の被り物がある。女性が農作業で用いた「はんこたんな」がそれである。今度はそれについて書いてみようと思う。
酒田市相生町に、あいおい工藤美術館と言う小さなミュージアムがある。館長の工藤さんが、取り壊して駐車場にするつもりで土地付きの古い住宅を買ったら、その建物がなかなか趣があって勿体なくなり、今まで集めた品を飾るための美術館にしたのだ。Andiさんが喜びそうな、漆喰塗りの建物である。
6月20日から、「庄内かつぎ」の展示を行うそうだが、私には「かつぎ」が分からなかった。「鉢かつぎ姫」の話なら知っていたが、庄内かつぎは聞いたことがなかった。着物を見ても、かつぎと何の関係があるのかも分からなかった。その説明(小耳に庄内)を受けて、ええ!庄内って、文化的に凄く豊かな所だったのねと、故郷を再び見直すことになったのだ。
画像:あいおい工藤美術館より
庄内かつぎと時代衣装展
開館日が金曜から日曜日までと言うのが、いかにも個人の美術館らしい。ちなみに、館長の工藤さんは美術面での第一人者で、子供達にも絵を教えていると言う。
小耳に庄内
私はまだ出かけていないので、見に行った方の感想を載せてみようと思う。
私もかつぎを被って歩いたら、少しは綺麗に見えるかも!!
6月20日から、「庄内かつぎ」の展示を行うそうだが、私には「かつぎ」が分からなかった。「鉢かつぎ姫」の話なら知っていたが、庄内かつぎは聞いたことがなかった。着物を見ても、かつぎと何の関係があるのかも分からなかった。その説明(小耳に庄内)を受けて、ええ!庄内って、文化的に凄く豊かな所だったのねと、故郷を再び見直すことになったのだ。
画像:あいおい工藤美術館より
庄内かつぎと時代衣装展
開館日が金曜から日曜日までと言うのが、いかにも個人の美術館らしい。ちなみに、館長の工藤さんは美術面での第一人者で、子供達にも絵を教えていると言う。
小耳に庄内
私はまだ出かけていないので、見に行った方の感想を載せてみようと思う。
私もかつぎを被って歩いたら、少しは綺麗に見えるかも!!
ブログ「佐藤立志のマスコミ日記」の佐藤立志さんが逝去された。
口先で良いことばかり言って、ちっとも世の中に当て嵌まらない評論家の多い中、佐藤さんのスパッと社会を切る、目線の確かさが素晴らしかった。
今年に入って、体調の不調を訴えられ、入退院を繰り返されていたようだが、ようやく病名が確定したと思った矢先に訃報が入った。
必ず復帰して、辛口の文章を読むことが出来るかと思っていたのに、只々残念でたまらない。心からご冥福をお祈りしたい。合掌
佐藤立志のマスコミ日記
口先で良いことばかり言って、ちっとも世の中に当て嵌まらない評論家の多い中、佐藤さんのスパッと社会を切る、目線の確かさが素晴らしかった。
今年に入って、体調の不調を訴えられ、入退院を繰り返されていたようだが、ようやく病名が確定したと思った矢先に訃報が入った。
必ず復帰して、辛口の文章を読むことが出来るかと思っていたのに、只々残念でたまらない。心からご冥福をお祈りしたい。合掌
佐藤立志のマスコミ日記
先日、TV番組の「奇跡体験!アンビリーバボー」で、イギリスのオペラ歌手ポールさんのドキュメントが流れていた。何とかもう一度歌声を聴きたいと思っていた。
あらすじを少しだけ・・
子供の頃からいじめられっ子だった彼は、オペラのレコードを聞いて感動を受けた。いつか舞台で歌いたいと社会人になっても、ボイストレーニングを欠かさなかった。スーパーマーケットの店員などの仕事をしながら、生活を切り詰めても夢は持ち続けた。インターネットのチャットで奥さんと巡り会った。結婚式で彼女の為に歌を歌った。優しい奥さんだった。仕事を携帯電話の販売に変え、結婚生活を始めても暮らしは楽にならなかった。その為彼は歌を捨てることにした。
ある日、イギリス版アメリカンアイドル(審査員長が同じ)で、地方予選がある事を知った。彼はこれが歌に対する最後の想いとして申し込んだ。ロックやパフォーマンスをする出場者が多い中、出番を待つ彼は、自分が場違いな所に来た事を知って帰ろうとする。その時、舞台に出るよう彼の名が呼ばれた。
なんと、彼は予選を勝ち進み、優勝してしまった。オペラで優勝するのは今までになかったことだ。いつもは辛口のコメントをする審査員長が、彼にデビューの為のプロデュースを約束したのだ。私は彼に、日本のテノール歌手新垣勉さんと同じような感動を覚える。
※イギリス在住のAndiさんのお話では、アメリカンアイドルは、元々イギリスの番組だったようです。
あらすじを少しだけ・・
子供の頃からいじめられっ子だった彼は、オペラのレコードを聞いて感動を受けた。いつか舞台で歌いたいと社会人になっても、ボイストレーニングを欠かさなかった。スーパーマーケットの店員などの仕事をしながら、生活を切り詰めても夢は持ち続けた。インターネットのチャットで奥さんと巡り会った。結婚式で彼女の為に歌を歌った。優しい奥さんだった。仕事を携帯電話の販売に変え、結婚生活を始めても暮らしは楽にならなかった。その為彼は歌を捨てることにした。
ある日、イギリス版アメリカンアイドル(審査員長が同じ)で、地方予選がある事を知った。彼はこれが歌に対する最後の想いとして申し込んだ。ロックやパフォーマンスをする出場者が多い中、出番を待つ彼は、自分が場違いな所に来た事を知って帰ろうとする。その時、舞台に出るよう彼の名が呼ばれた。
なんと、彼は予選を勝ち進み、優勝してしまった。オペラで優勝するのは今までになかったことだ。いつもは辛口のコメントをする審査員長が、彼にデビューの為のプロデュースを約束したのだ。私は彼に、日本のテノール歌手新垣勉さんと同じような感動を覚える。
※イギリス在住のAndiさんのお話では、アメリカンアイドルは、元々イギリスの番組だったようです。
我が家の水槽は、最近ますます狭くなってきている。
それは、この赤く色変わりを始めた金魚と
「メタボって何?レディに対して失礼ね!」のこの金魚のせいだ。
ちなみに、ともさんは、「この金魚で、寿司ネタ10巻分は楽々だね」って言った。
いえいえ、今なら14巻は楽々です。って、生では危険かも!(焼き魚ならOKか?)
新しいPCのスクリーンセイバーを見た時、「あ、負けた!」と思った。
画面には、キラキラと日光が波で揺らぎながら射し込んでいて、泡はポコポコと、熱帯魚は自由に泳ぎ回り、底に沈んだ☆ヒトデはゆっくりと動き回る。何とも美しい南国の海のようだ。
しかも、餌代もかからないし、メタボもいない。ぐっすん
気を取り直して、これは見学会の昼食を食べた店の隣の畑のサクランボ
鳥避けなのか、人避けなのかは分からないが、ぐるっと網が張られていた。
不審者のごとく、網にくっついて撮した1枚。
山形は、今がサクランボの真っ盛りである。
柏倉家の前の蕎麦の花。
小さな可憐な花が咲いていた。
早く、大きくなれよ~。
山形は、素晴らしく蕎麦が美味しい。
それは、この赤く色変わりを始めた金魚と
「メタボって何?レディに対して失礼ね!」のこの金魚のせいだ。
ちなみに、ともさんは、「この金魚で、寿司ネタ10巻分は楽々だね」って言った。
いえいえ、今なら14巻は楽々です。って、生では危険かも!(焼き魚ならOKか?)
新しいPCのスクリーンセイバーを見た時、「あ、負けた!」と思った。
画面には、キラキラと日光が波で揺らぎながら射し込んでいて、泡はポコポコと、熱帯魚は自由に泳ぎ回り、底に沈んだ☆ヒトデはゆっくりと動き回る。何とも美しい南国の海のようだ。
しかも、餌代もかからないし、メタボもいない。ぐっすん
気を取り直して、これは見学会の昼食を食べた店の隣の畑のサクランボ
鳥避けなのか、人避けなのかは分からないが、ぐるっと網が張られていた。
不審者のごとく、網にくっついて撮した1枚。
山形は、今がサクランボの真っ盛りである。
柏倉家の前の蕎麦の花。
小さな可憐な花が咲いていた。
早く、大きくなれよ~。
山形は、素晴らしく蕎麦が美味しい。
蕎麦畑を通して、柏倉邸全景を見る。
母屋の台所側
西蔵(米蔵)現在は博物館になっている。
台所の梁にぶら下げられた米俵。
地震の時の揺れの反作用にも効果があったような話を聞いた。
かなりの数のフック(釣り下げ用)が並んでいた。
台所には、女中部屋もある。(左側の部屋)
雪の多い地域での茅葺きの谷には、こんな形の銅板加工の物が使われている。
母屋裏につながる蔵。扉には左官のコテ仕上げの模様が浮き彫りにされている。
なんでも、お目出度い柄なのだそうだ。
米蔵の裏手にあった作業小屋。
中には人力車も格納してあった。
仏間(蔵)に向かう縁側。
右手がその仏間である。
ここから仏間に入る。
浄土真宗東本願寺よりを仏像を奉っても良いとの覚え書きもある。
京都で作成された仏壇を数百年守ってきた。
安置されている阿弥陀如来は鎌倉時代と物と伝えられている。
仏壇両側の板戸には、金の蒔絵で描かれた蓮の花が見事である。
脱衣所の洗面は、漆塗りで仕上げられていた。
上湯殿(浴室)の天井は折り上げ天井。
なかなか嗜好に凝っている。客用で、普段使いにはされていない。
湯殿内部。浴槽など木部には漆で仕上げられている。
輪島の職人による総漆塗り
前蔵、及び上座敷に続く廊下。
一見何の変哲もないが、この天井の竿縁は、1本物である。
7間半(約13.6m)通しで使用されている。(幾らするんだろう!)
上座敷内部。紅花初めの着物が掛けられていた。
客用の着物も一揃い置いてある。
床の間脇の違い棚。(ピントぶれあり)
扉が開いているのは、徳川の家紋が掘られている書庫。
中には源氏物語の写しが全巻揃っている。
中身を見せて貰った。美しい文字だった。読めなかった。
襖の絵が見事だった。作者は帝国美術院会員の荒木十畝氏である。
荒木氏は、昭和天皇の皇后陛下の絵の先生でもあった。
母屋の上壇の間の障子
紙の張り方、切り絵が面白い。
ここで抹茶を頂く。
当主は、「私の所で採れた梅です。手づかみでどうぞ!」と薦めた。
籠の中で、葉っぱを敷き詰めた上に、青梅が山盛りになっていた。
青梅そっくりの和菓子だった。柏倉家当主は、なかなか面白い方だった。
床の間。部屋の壁には襖絵が描かれている。
自分の住んでいる地域が、どんな地盤になっているのか、ボヤッとで良いから記憶しておこう。青い色の地域が丈夫な地盤の地域、逆に赤い地盤が危険な地域である。
内閣府 防災情報のサイト
こうしてみると、西日本の方が固い地盤なのがよくわかる。防災の専門家にいわせると、日本列島は大陸プレートに押されて、特に東北は細くなろうとしているのだそうだ。比べては何なんだが、中国の四川地震とは違い、地震から救出への動きが非常に素早かった。何故なら宮城県を中心として、数年おきに地震が多発していたからだ。被災した住宅に安全に入れるか使用できるかの、応急危険度判定も、もう次の日には大部進んでいたようだった。「大丈夫、この住宅は安全ですよ。」と言っているヘルメットを被った女性は、見覚えがあった。
30年に一度は、必ず大きなプレート型地震に見舞われる宮城県では、防災に対する県の取り組みが進んでいる。これも緊急の援助につながるのだ。
話は変わって(あまり変わらないけど)緊急地震速報が出てから、揺れが来るまで本当に時間がなかった。「大きな地震です。」と言われても、どう対応したらいいのか正直な所わからない。揺れが始まった時に、水槽はザッボンザッボン水が波打った。犬や猫なら小脇に抱えて避難する事もできようが、魚はどうしようもない。水槽が吹っ飛んで割れたら、助け出すよりも自分自身が逃げるのに精一杯だろう。冷たいようだけど、なるようにしかならないなと思った。次の日、床に小さな巻き貝がいっぱい落ちていた。水槽から脱出を試みたのだ。地震を予知して逃げたのか、怖くて逃げたのかは、わからない。魚も貝も水槽にいるより自然で暮らすのが一番に決まっている。しかし、岩手の被災現場を上空から見ると、動物たちも沢山被害を受けたのだろうなと、思わずにはいられない。
内閣府 防災情報のサイト
こうしてみると、西日本の方が固い地盤なのがよくわかる。防災の専門家にいわせると、日本列島は大陸プレートに押されて、特に東北は細くなろうとしているのだそうだ。比べては何なんだが、中国の四川地震とは違い、地震から救出への動きが非常に素早かった。何故なら宮城県を中心として、数年おきに地震が多発していたからだ。被災した住宅に安全に入れるか使用できるかの、応急危険度判定も、もう次の日には大部進んでいたようだった。「大丈夫、この住宅は安全ですよ。」と言っているヘルメットを被った女性は、見覚えがあった。
30年に一度は、必ず大きなプレート型地震に見舞われる宮城県では、防災に対する県の取り組みが進んでいる。これも緊急の援助につながるのだ。
話は変わって(あまり変わらないけど)緊急地震速報が出てから、揺れが来るまで本当に時間がなかった。「大きな地震です。」と言われても、どう対応したらいいのか正直な所わからない。揺れが始まった時に、水槽はザッボンザッボン水が波打った。犬や猫なら小脇に抱えて避難する事もできようが、魚はどうしようもない。水槽が吹っ飛んで割れたら、助け出すよりも自分自身が逃げるのに精一杯だろう。冷たいようだけど、なるようにしかならないなと思った。次の日、床に小さな巻き貝がいっぱい落ちていた。水槽から脱出を試みたのだ。地震を予知して逃げたのか、怖くて逃げたのかは、わからない。魚も貝も水槽にいるより自然で暮らすのが一番に決まっている。しかし、岩手の被災現場を上空から見ると、動物たちも沢山被害を受けたのだろうなと、思わずにはいられない。
緊急地震速報なるものを初めて見た。見ていたTVから緊急のピコピコ音が聞こえて、何かニュース速報かと思ったら、この緊急地震速報だった。ええっと眺めたすぐその後に、ゴゴゴゴと大きな揺れが来た。縦揺れなんだか横揺れなんだか、よく判らない揺れの後、うねるような横揺れに変わった。発表されたのは岩手県の内陸部で起きたマグニチュード7.2、震源の深さは8km、大きな地震だった。
TV番組は殆ど地震の番組に変わった。時間が経つにつれ、次々と被災者の数が増えてきた。ヘリコプターから中継される映像では、山があちこちで崩れていた。橋は落ち、道路も流されていた。孤立した山村、栗駒に登山する為の駐車場で手を振る人々、大規模の山の陥没も見られた。夜半になって工事現場で被害を受けた行方不明の3名の内、2名の遺体が見つかった。山形の鮭川村と金山町から出かけていた人達だった。土石流に飲み込まれた温泉旅館でも、まだ7名が見つかっていない。余震はまだ続いている。
気象庁地震情報のHP
TV番組は殆ど地震の番組に変わった。時間が経つにつれ、次々と被災者の数が増えてきた。ヘリコプターから中継される映像では、山があちこちで崩れていた。橋は落ち、道路も流されていた。孤立した山村、栗駒に登山する為の駐車場で手を振る人々、大規模の山の陥没も見られた。夜半になって工事現場で被害を受けた行方不明の3名の内、2名の遺体が見つかった。山形の鮭川村と金山町から出かけていた人達だった。土石流に飲み込まれた温泉旅館でも、まだ7名が見つかっていない。余震はまだ続いている。
気象庁地震情報のHP
茶道で怖じ気づいていた私に、雲の上の香道なんて・・と思ったが、皆で行えば怖くないとばかりに縁から座敷に上がった。妙齢の姫君が四名、殿方が1名準備をして下さっていた。殿方が柏倉邸と香道の由来を語る中、一人の姫君が香炉を前に姿勢を正した。傍らから布で出来た袱紗のような物を広げると、歯医者の器具かと見まがうばかりの、金属の道具が並んで出てきた。その中から3本を取り出し、香炉の灰を寄せ集め、模様を付け始めた。
説明をきちんと聞くのか、動作を見るのか、渡された紙を読むのか、写真を撮るのか、1度で全てを行う事が出来ないB型の私はどれも中途半端で、取りあえず他人の真似をしようと温和しく座っていた。
試香の香炉が廻ってくると、隣から「ぬれつばめでございます。」と声が掛かる。香炉を渡すときには、はっきりと名前を告げるのだそうだ。香炉は右回りに廻ってきた。一礼しておもむろに右手で香炉を引き寄せ前方へ置く。右手で香炉の側面を持ち、左の手のひらに置く。右手の人差し指と親指で輪を作り、残りの指は自然に伸ばす。その手を香炉に蓋をする形で載せる。そしてその輪に鼻を突っ込み静かに香りを(嗅ぐと言ってはいけない)きくのだそうだ。
最初に息を吸い込むと、手の汗の香りがした。(ちなみに、この日は暑かった。)おいおい、座敷に入る前にちゃんと手を洗うのが常識だろう。吸った息はスーハースーハーとその穴に戻してはいけない。左に顔を背け静かに吐く。それを3度繰り返す。それ以上自分だけ香炉を独占すると、香が燃え切って他の人に廻らない。極めて自然に優雅に背筋を伸ばして、次の人に回すのだそうだ。
香りを聞いた時に、クシャミが出たらどうしよう。咳が出たらどうしよう。今回はそんなアクシデントも起こらず、次々と本香が廻ってきた。どれもなかなか良い香りなのである。線香には時々鼻をつまみたくなるものもあるが、今回のお香は良い香りだった。香りを科学的な数値で捉えるのではなく、イメージでまとめておくと正解につながるのだそうだ。
本来はもっと厳格な作法が必要なのだろう。また基本的には5-7種類の香も、産地や裾野を広げると、沢山の種類になると思う。その特徴を知り、歴史も知り、サラサラと紙に答えの文字を墨で書き入れる。何とも奥の深い香道への入り口であった。香木と言えば、正倉院の宝物殿にどでかい香木があると言う。少しづつ誰が何時切り取って使ったか、覚え書きもきちんと残っている。それも香道らしい。
真ん中のストレートパーマが、へっぽこcake。
小さくて見えねーよー。しかも顔隠れているし。
説明をきちんと聞くのか、動作を見るのか、渡された紙を読むのか、写真を撮るのか、1度で全てを行う事が出来ないB型の私はどれも中途半端で、取りあえず他人の真似をしようと温和しく座っていた。
試香の香炉が廻ってくると、隣から「ぬれつばめでございます。」と声が掛かる。香炉を渡すときには、はっきりと名前を告げるのだそうだ。香炉は右回りに廻ってきた。一礼しておもむろに右手で香炉を引き寄せ前方へ置く。右手で香炉の側面を持ち、左の手のひらに置く。右手の人差し指と親指で輪を作り、残りの指は自然に伸ばす。その手を香炉に蓋をする形で載せる。そしてその輪に鼻を突っ込み静かに香りを(嗅ぐと言ってはいけない)きくのだそうだ。
最初に息を吸い込むと、手の汗の香りがした。(ちなみに、この日は暑かった。)おいおい、座敷に入る前にちゃんと手を洗うのが常識だろう。吸った息はスーハースーハーとその穴に戻してはいけない。左に顔を背け静かに吐く。それを3度繰り返す。それ以上自分だけ香炉を独占すると、香が燃え切って他の人に廻らない。極めて自然に優雅に背筋を伸ばして、次の人に回すのだそうだ。
香りを聞いた時に、クシャミが出たらどうしよう。咳が出たらどうしよう。今回はそんなアクシデントも起こらず、次々と本香が廻ってきた。どれもなかなか良い香りなのである。線香には時々鼻をつまみたくなるものもあるが、今回のお香は良い香りだった。香りを科学的な数値で捉えるのではなく、イメージでまとめておくと正解につながるのだそうだ。
本来はもっと厳格な作法が必要なのだろう。また基本的には5-7種類の香も、産地や裾野を広げると、沢山の種類になると思う。その特徴を知り、歴史も知り、サラサラと紙に答えの文字を墨で書き入れる。何とも奥の深い香道への入り口であった。香木と言えば、正倉院の宝物殿にどでかい香木があると言う。少しづつ誰が何時切り取って使ったか、覚え書きもきちんと残っている。それも香道らしい。
真ん中のストレートパーマが、へっぽこcake。
小さくて見えねーよー。しかも顔隠れているし。