秋田県側から見た鳥海山
6月24日、飽海地域史研究会の総会に併せて、由利本荘市教育委員会の高橋正氏に記念講演を頂いた。
鳥海山ほど、見る方角によって姿を変える山も珍しい。
高橋氏は横手市出身だそうだが、そちらから見る鳥海はまさに富士山のようで、出羽富士の名にふさわしい。
山形県内でも真室川あたりからだと、横手と同じくスッキリと気高い単独峰である。
酒田から麓に近い吹浦あたりだと、まったく山の様子が変わって来る。
その吹浦と同じ方角なのに、遠く離れた飛島からだと、まさに出羽富士である。
今回の話題には直接関係はないが、どちらが鳥海山の表なのかと言うと、それは庄内側だろうと高橋氏は仰る。
鳥海山を信仰の山と見た場合、鳥海山は薬師さんであり、日光川月光川と言う2本の川を、庄内には流れている。
薬師本尊は、左右に日光菩薩、月光菩薩を従えているのが、通常のお姿なのだ。
さて、鳥海山は火山である。休火山と思いきや、昭和49年(1974年)に頂上付近から煙が上がり、それが噴火活動と判った。
上の図は、松尾芭蕉が象潟へやってきた元禄2年(1689年)頃の象潟の様子である。
その頃の象潟は、宮城の松島同様に、九十九島が海の上に浮かんでおり、美しい風景だった。
享和元年(1801)に大規模の爆発が起こり、鳥海山は大きく土石流で刳れてその形を変えてしまう。
象潟は泥で埋まったが、現在では田んぼの上に島が連なり、過去の面影を残している。
さて、その暴れん坊の鳥海山には大物忌神の神社なるものが多数ある。
山形県側には、山頂の大物忌神社を先頭に、吹浦、蕨岡の他に砂越の小物忌神社がある。
山形県側には、山頂の大物忌神社を先頭に、吹浦、蕨岡の他に砂越の小物忌神社がある。
鳥海山は昔から霊峰と呼ばれ、その神社も一宮としての地位を保っている。
因みに、鳥海山が薬師さんなら、月山は阿弥陀さん、羽黒山は観音さん。
古くは熊野信仰とも関わりがあり、熊野写しと呼ばれたらしい。
鳥海山を薬師如来とするなら、その後ろには十二神将が付いている。
秋田県側には、由利本荘市に森子大物忌神社がある。
今年のGWには、信じられないほどの若者たちが、この神社に怒涛のように押し寄せた。
なんでも、映画「SLAM DUNK」の湘北高校の対戦相手、山王工業の沢北が参拝する神社。
練習の為に上り下りする階段を含め、所々に出てくる神社がここではないかと、聖地巡礼で集まったようなのである。
それは知らなかった。
近年の鳥海山を囲む状況。
山頂と蕨岡の大物忌神社を行き来している薬師如来像。
大物忌神社は、形式的には神社として存在しているが、その昔神仏混合だった頃には、御神体の鏡と仏像が同居していた。
この鏡は、仏像が彫られている珍しいもの。
鳥海山は3つの本質的価値を持っている。
鳥海山だけでなく、信仰の山は押し並べて女人禁制だった。
女性を不浄の者とする以外にも、山の神さんは女性で女人が山に入ると焼餅を焼く等とも言われていた。
この絵は、明治に入り、初めて鳥海登山に女性がいた事を示す絵なのだそうだ。
ちょっと遠くて見えなかったが、女性は日傘を被って登っているらしい。
ちょっと遠くて見えなかったが、女性は日傘を被って登っているらしい。
この二人は、奈良時代に鳥海山の屋島口に登山道(道)を開いた兄弟。
良いことをしたのに、赤鬼青鬼にされて飾られている。
もっと可愛く作れば良いのに。
飽海地域史研究会では、発足して丁度1年になった。
随分と色々な勉強をさせて頂いた。
随分と色々な勉強をさせて頂いた。
本来なら、酒田だけでなく、飽海~庄内~山形~隣県と全国として、広げるのが有益だろうと思われる。
講演会では大勢の方々が詰めかけてくれて、予定していたイス・テーブル、資料、領収書までも足りなくなった。
慌てふためくスタッフの一人として、高橋先生の導入部の様子が見られなかったのは残念だった。
慌てふためくスタッフの一人として、高橋先生の導入部の様子が見られなかったのは残念だった。
鳥海山は遊佐にありとばかりに、遊佐の方々が多数来てくださった。