無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

飽海地域史研究会 霊峰鳥海に祈る人々

2023-06-29 14:38:55 | 歴史


秋田県側から見た鳥海山

6月24日、飽海地域史研究会の総会に併せて、由利本荘市教育委員会の高橋正氏に記念講演を頂いた。
鳥海山ほど、見る方角によって姿を変える山も珍しい。
高橋氏は横手市出身だそうだが、そちらから見る鳥海はまさに富士山のようで、出羽富士の名にふさわしい。
山形県内でも真室川あたりからだと、横手と同じくスッキリと気高い単独峰である。
酒田から麓に近い吹浦あたりだと、まったく山の様子が変わって来る。


その吹浦と同じ方角なのに、遠く離れた飛島からだと、まさに出羽富士である。


今回の話題には直接関係はないが、どちらが鳥海山の表なのかと言うと、それは庄内側だろうと高橋氏は仰る。
鳥海山を信仰の山と見た場合、鳥海山は薬師さんであり、日光川月光川と言う2本の川を、庄内には流れている。
薬師本尊は、左右に日光菩薩、月光菩薩を従えているのが、通常のお姿なのだ。



さて、鳥海山は火山である。休火山と思いきや、昭和49年(1974年)に頂上付近から煙が上がり、それが噴火活動と判った。
上の図は、松尾芭蕉が象潟へやってきた元禄2年(1689年)頃の象潟の様子である。
その頃の象潟は、宮城の松島同様に、九十九島が海の上に浮かんでおり、美しい風景だった。


享和元年(1801)に大規模の爆発が起こり、鳥海山は大きく土石流で刳れてその形を変えてしまう。
象潟は泥で埋まったが、現在では田んぼの上に島が連なり、過去の面影を残している。



さて、その暴れん坊の鳥海山には大物忌神の神社なるものが多数ある。
山形県側には、山頂の大物忌神社を先頭に、吹浦、蕨岡の他に砂越の小物忌神社がある。
鳥海山は昔から霊峰と呼ばれ、その神社も一宮としての地位を保っている。
因みに、鳥海山が薬師さんなら、月山は阿弥陀さん、羽黒山は観音さん。
古くは熊野信仰とも関わりがあり、熊野写しと呼ばれたらしい。


鳥海山を薬師如来とするなら、その後ろには十二神将が付いている。



秋田県側には、由利本荘市に森子大物忌神社がある。
今年のGWには、信じられないほどの若者たちが、この神社に怒涛のように押し寄せた。
なんでも、映画「SLAM DUNK」の湘北高校の対戦相手、山王工業の沢北が参拝する神社。


練習の為に上り下りする階段を含め、所々に出てくる神社がここではないかと、聖地巡礼で集まったようなのである。
それは知らなかった。


近年の鳥海山を囲む状況。



山頂と蕨岡の大物忌神社を行き来している薬師如来像。


大物忌神社は、形式的には神社として存在しているが、その昔神仏混合だった頃には、御神体の鏡と仏像が同居していた。
この鏡は、仏像が彫られている珍しいもの。


鳥海山は3つの本質的価値を持っている。


鳥海山だけでなく、信仰の山は押し並べて女人禁制だった。
女性を不浄の者とする以外にも、山の神さんは女性で女人が山に入ると焼餅を焼く等とも言われていた。
この絵は、明治に入り、初めて鳥海登山に女性がいた事を示す絵なのだそうだ。
ちょっと遠くて見えなかったが、女性は日傘を被って登っているらしい。


この二人は、奈良時代に鳥海山の屋島口に登山道(道)を開いた兄弟。
良いことをしたのに、赤鬼青鬼にされて飾られている。
もっと可愛く作れば良いのに。


飽海地域史研究会では、発足して丁度1年になった。
随分と色々な勉強をさせて頂いた。
本来なら、酒田だけでなく、飽海~庄内~山形~隣県と全国として、広げるのが有益だろうと思われる。


講演会では大勢の方々が詰めかけてくれて、予定していたイス・テーブル、資料、領収書までも足りなくなった。
慌てふためくスタッフの一人として、高橋先生の導入部の様子が見られなかったのは残念だった。
鳥海山は遊佐にありとばかりに、遊佐の方々が多数来てくださった。



コメント (5)
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TUY ローカル魂 古民家らいふ

2023-06-28 10:38:15 | 建築・都市・港


6月28日(水)19:00~20:00放送
山形だけのローカル番組で、山形県建築士会の会長の伊藤氏が出演している。


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白菜

2023-06-27 13:49:03 | 食べ物


ある時には、煮物の鍋。



また、ある時には漬物石。
しかして、その実態は・・STAUBの鍋。大変に重い。


その鍋の下には、白菜漬け。
ねぇ、奥様!最近庄内での白菜が、バカ高いとお思いになりません?
一丸では売られていなくて、1/4に切られていても、一切れ150-200円。
この間は特売で90円で売られていたのですけど、この白菜一丸で180円。
東根の「よってけポポラ」で買って貰ったんですよ。
何でこんなに差があるんでしょうね。
ガソリンもそうだし・・ぶつぶつぶつ。

白菜漬けは、今が旬ではないけれど、伯方の塩と唐辛子、昆布の刻んだのを入れると、実に美味しい。
ヘンテコな食品添加物も入らず、安全な食べ物になる。
ちょっと塩分控えめに作ると、サラダ感覚でワシワシ食べるのですぐに無くなる。
口当たりの良い漬物なんて、塩分摂り過ぎの元なんだろうね。


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酒田市美術館へ行く

2023-06-26 13:28:34 | 音楽・芸術・文学


メインは山岳写真らしい。



あれ、右側の写真は、百名山一筆書きの彼ではあるまいか。


私の本命は、さいとうみゆきさんの個展。
ポタニカルアート(植物の絵)の方である。
Kさんが今日は当番だとて、受付に座っていた。



この黄色いのは、芝生が枯れているのではなく、外来種のタンポポモドキの群生で黄色に染まっているのである。


本屋に寄り、東軒に着く。
久しぶりの東軒で酒田のワンタン麺を食す。
11時開店で、ちょい過ぎに入ったら満員だった。
待合で順番を待つ。
「どうしてこんなに混んでるの?」と、一緒に順番を待っていたおばさんが亭主に聞いた。
「土曜日だからね、午前中は混むんだよ。」

酒田の透き通るような薄いワンタンは、実に美味しい。


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鐙谷古文書研究会・孝子傅(孝義録)

2023-06-25 16:16:25 | 歴史


寛政元年(1789年)松平定信が、寛政改革の一環として、全国津々浦々に孝義録を作らせた。
遡ること宝暦元年(1751年)米沢藩に上杉鷹山公が入り、米沢の財政難を救う。全国的に仁政や名君が求められていた。
その頃地球では寒冷化が進み、自然災害が多く発生し飢饉も起こった。
丁度イギリスでは産業革命が起こった頃の話である。






孝義録とは、孝行、節婦、忠僕などを集めて記録した物である。全50巻
幕府は全国の農民や町民の善行表彰者の報告を求め、善行者には表彰をし褒美を取らせた。
荘内孝子傅は、幕府に先駆けて作られた物である。


鐙谷文書から少し離れて、この孝子傅の中の酒田の部分を読むことになった。



 古文書は、書き手の癖もあり、なかなか大変なのである。
今回は、酒田湊台町の清右衛門妻みやの話である。



アンチョコとして、杉原先生の「きらめき」がある。



ところがである。孝子傅は発行したものが原本なのか、再発行する度に中身が少しづつ違っているのが、古文書と杉原先生の解読文が合っていないのである。
「きらめき」の方は、清右衛門の兄が大層な借金をし松前に稼ぎに行く。清右衛門も借金取りの催促に迷惑し、自らも松前に行く。
みやは当初この家の召使いだった。真面目で清右衛門の母の看病(後に父も)し、家の采配を任せても大丈夫と清右衛門に嫁がせた。
子供も出来たが清右衛門は見ていない。清右衛門の妹をもみやの針仕事などで嫁がせる事ができた。
家も火事に遭ったりと苦労を重ねたが、その孝行を認めて幕府や藩から褒美を貰ったと言う話なのだが。

古文書の方は、清右衛門は16年も帰ってこなかった。家が焼けた時も駆けつける訳でもなく、両親の介護はみやに押し付け、死に目にも立ち会わなかった。
みやは風呂代も節約をし、針仕事などで細々と借金を払い、町税や寺への支払いも滞りなく払っていた。
清右衛門の妹の結婚の時には、自分の着替え用の着物を妹に持たせ、自分はボロの着物で暮らしていた。
松前に甥の弥平衛が行き、兄忠七が困窮していると聞くと、布を送ったりもしている。

ところがである。16年間松前に行ったっきりの清右衛門は、なんと向こうで婿になり妻子が有ると言う。
何たる裏切り。それを恨みにも思わぬ妻みや。
その褒美が、須藤良弘氏が書いた本では御米3俵とか。杉原さんのきらめきでは、町用金から金5両、藩から米7俵と書かれている。
古文書では役所から黄金を賜り、公(藩か幕府か)から数石の御米を賜ったとある。



16年間の貞女の孝が、米3俵だの7俵だので終わらせて良いのか。
ちゃっかり清右衛門は帰ってきて、家督を継いでいるで締めている。

わたしゃムカムカして「先生!こんな話読みたくない。もっと良い話なら!」と発言し、途中で止めてもらった。
他の人達も続けようとは言わなかったし、特に女子は「これ、ちょっと酷いよね。」と同じ気持ちだった。

江戸時代の孝なんて、現代とは価値観は違うのか。
いや待てよ。岸田総理側近の文春砲に晒された〇〇代議士も同じか。
男なんてそんなもんか。まったくもう!


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ブルーベリー

2023-06-22 16:55:04 | 動物・自然



夏至も過ぎて、ブルーベリーの実も色がついてきた。



昨年までは、ブルーベリー専用の肥料を買ってきて、鉢に撒いていたのだが、今年はでかい袋の牛堆肥を3袋も買い込んでいたので、心做しか昨年よりも沢山の実をつけてくれたようだ。


これからは、ヒヨドリとの戦いに明け暮れるのだろう。



今年は柚子も花を咲かせてくれた。やれ有り難い。
おや、蟻がいる。これも受粉の手助けになってくれる。

さて、話は変わって、我が家の子メダカは順調に大きくなった。
毎週、新しい卵を入れても、最近は孵化したばかりの姿を見ることがない。
多分、大きくなった子メダカに襲われているのだと思う。
それを防ぐには、もう一つ水槽を足さねばならないが、ちょっと一休みしようかと思っている。ポンプもないし。


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23日から

2023-06-21 11:23:28 | 社会


LGTB法案が可決した。23日から施行だそうだ。
エライ速いな。我々界隈の法なら、施行までは半年以上の間隔を開けて、周知させで実行するのに、慌てて行うのは何か裏があるのだろう。
今日になって、女性の権利をうんぬん議員連盟が会合を開いたらしいが、順序が逆だろう。
法案を可決させた本人たちが、この悪法が何たるか理解していないのが丸わかりだ。
それとも単に選挙対策のガス抜きか。



私は自分が女性だからと、女性が不利になる方だけを取り上げて考えていた。
これが男性側からだと、不都合はないのだろうか。
まず、最も懸念されるのが皇室。I子内親王殿下が「私は男だ。」と告げたら、天皇になれるのか。彼らの最終目的は、皇室と日本解体なのだろう。

日本の文化を壊す事でなら、相撲も危ういな。
「私は男だ!」と上半身裸で元女性が土俵に上がっても、指摘すると法律違反になるから、相撲協会はどう対応するんだろうね。
散々スポーツ界でも、自称ジェンダーを女性のスポーツに紛れ込ませていたから、相撲でも勿論容認するだろうね。
ちょっと愉快。


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れもん亭の醤油ラーメン

2023-06-21 11:03:02 | 食べ物


初めて鼠ヶ関のれもん亭に入った。
海の見える席に陣取り、醤油ラーメンを注文する。



大きなチャーシューと、海苔が載っていた。
麺は驚くほど細く黄色だった。


遠くに粟島が見えた。


水平線にクルーズ船が見えた。


ケーソンでも曳いているのかな。












暑い。


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田中英道「縄文文明と東北の日高見国」縄文学のすすめ講演会in青森

2023-06-20 05:42:40 | 歴史
 


田中英道「縄文文明と東北の日高見国」縄文学のすすめ講演会in青森


 professor - Hidemichi Tanaka Japanese-Jewish common



田中英道 - 文学博士 東北大学名誉教授「秦氏ユダヤ人は日本に同化した」日本国史学会連続講演.

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南三陸さんさん商店街

2023-06-19 07:58:57 | 建築・都市・港

311メモリアルの屋上から見た所。





暑い。日陰に入りたい。





ヤマウチさんの前には、「隈研吾先生ありがとう」の幟旗がたっておった。
奥に見えるのは、311メモリアル。





ラーメン屋を探したが、そんなものは無い。
海鮮丼の店ばかりだった。


集会場の所にあるのはソーラー。





南三陸はタコが有名。





ウニ丼は高くて食べられなかった。
ネギトロの中には、タコ、サーモンなどの海鮮が埋まっていた。
ちょっと油ののりが良すぎて、ワサビがなんぼあっても効かない。
カニの味噌汁付き。1800円也


商店街の店先には、木造のモアイ像が多々立っていた。
今まで飾られてあった本物のモアイ(実際にイースター島から頂いた物)は、どこに行ったのか。
この集会場に飾られているのとは、ちょっと大きさが違うのだけどと思っていたら、当のモアイ像はもっと海よりに移動していた。
奥に見える青いシートに包まれているのがそう。



7月に入ったら、正式に立像式をするらしい。


暑い・・・。


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南三陸311メモリアル

2023-06-17 22:51:33 | 建築・都市・港





















JR志津川駅と書いてあったので、線路が近くにあるのか探してみたが・・ない。


JRの乗り合いバスの駅らしい。
































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米粒写経 談話室 2023.06.16 ~『サンクチュアリ』は『奇跡の人』だ!~

2023-06-17 09:28:24 | 音楽・芸術・文学
 


米粒写経 談話室 2023.06.16 ~『サンクチュアリ』は『奇跡の人』だ!~
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麦秋

2023-06-16 21:39:40 | 動物・自然


ウクライナでは、収穫した小麦をどうやって輸出ルートに持ち込めればと考えている中、日本では・・・。


「さっさと実行するのよ。」「今でしょ!」とツバメが言った。ぴよ








ああ、綺麗だ。








この色の違う小麦は、どっちが刈頃なんだろうね。



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酒田の街で写真を撮ろう!

2023-06-16 09:14:58 | 酒田






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飽海地域史研究会 in 旧青山邸

2023-06-15 11:42:39 | 歴史
ちょっと長いかも!



明治時代に、北海道のニシン漁で財をなした青山留吉氏の旧本邸にて、今回は飽海地域史研究会が開催された。



第一部は、遊佐町教育委員会の金野さんが講師になり、北海道のニシン漁で財を築いた青山留吉が故郷に建てた建造物の説明をして頂いた。


玄関の踏み段は、梨材を使っている。
板は丸い穴が空いており、指を突っ込んで自由に取り外しが出来る。
その中には、下駄などの履物が入っている。

右側の建具は、3枚引きであり、そのものが扉となり直角に収納する。



柱は4.5寸角か5寸角で太い。
欅の大鴨居。掛け時計は外来品らしい。


本業は漁業なのだが、船を利用した海産物などの移入販売、また田畑を多く持ち支配人5人に管理を任せその元締としてこの帳場を使った。


帳場に置かれた金庫は、国産の最初の物のようだ。



帳場の隣の居間には、暖房の為の炉が切ってある。
灰の周りに小石が見えるが、過去には全てメノウだったそうだ。
客が入る度に、メノウを持ち帰る人間が増え、現在はガラス玉などを入れガラス板で蓋をした。
まったく、もう!


黒柿のテーブル。質の良いものだ。
散々「黒柿をこんなに使えるのは金持ちの・・。」と言っていたが、秋田県横手市増田の旧石田理吉邸を見た後では、上には上がいるとも思ってしまう。


さて、普通の部屋は欅の大鴨居がかかっている。
座敷となると、その上に長押が回っている。
留め付けの金具も、それぞれ意匠を凝らしている。


一番奥の、留吉翁の部屋は、(客室でもないのに)長押も二重にかけてあり、それぞれ金物が違っている。


この部屋の天袋の襖絵は、見事である。


青山留吉翁の肖像画。描き手は池田亀太郎(写真家、絵師)


鮭の絵といえば、高橋由一(日本初の洋画家)だが、池田亀太郎とも懇意にしていた関係から、この絵が生まれたそうだ。
池田亀太郎の筆は、青山留吉の絵にしても、日本画ではない要素が入っており、精密画ではあるが洋画の香りがする。


柱梁、鴨居や建具に至るまで漆塗り(春慶塗・下地を色止めした後に透明の漆を掛けたもの)で仕上げられている。
戸の框は黒漆。どれも建てられてから塗り直しはしたことがないそうだ。
毎日丁寧に磨いていたのだろう。家の家事を担当する女子衆も多かった。


家人の為の湯殿。町家に住む者にとって内風呂があるのは羨ましい。
勿論、厠も並んであった。奉公人が多かったから外便所もあったと思う。


客間か。



ここが驚くなかれ、奉公人が使う部屋だった。
床の間があるのに驚かされる。

男女それぞれの寝間は、別口の階段から、屋根裏の部屋へと上る。


青山家の家紋。



箱膳。これも漆塗りである。


出来た当時から普通に硝子は使われていたそうだ。
この模様の入った硝子も珍しい。


女子衆の部屋はこの上(中2階)


梁の上には、明かり取りの硝子窓が付いている。
私の隣に、ボランティアで青山邸のガイドを務めている方がおり、この梁組が見えるようにアッパーライトの照明が欲しいと何度も頼んでいるそうなのだが、未だに未完のままである。
確かに、カメラでもフラッシュを焚かないと、真っ暗で見えない。

若勢の部屋はこの隣で、隠し階段を上って入る。



奉公人専用の湯殿。


台所


面白い仕掛けがあちこちにあった。


瓦は家紋入り


これは主人の間に入る縁側の戸袋。
こんな所まで彫刻が施してある。


軒の出が5尺。非常に大きい。




どうやって運んだのだろうと思うほどの、見上げる岩。(鳥海山産)


この岩は削ったものではなく、自然の形を使っている。
庭の奥の稲荷神社に集まり説明を聞く。



資料館に移って、第二弾の小野寺先生のお話を聴く。


青山邸に残る史料を見る。


明治の頃の書簡。


講義が終わって、別棟の資料館に入る。


川崎船。


鎧兜も展示じてある。


帯留めの見事なこと。

この資料館ではないが、先程の講義を受けた棟には、遊佐町で発掘された縄文の遺物が飾ってあった。
縄文の犬の骨もあり、現在の犬と狼の中間のような頭蓋骨をしているそうだ。
もちろん、カメラには収めてきたが、公表しない。



そこから歩いて、青山家の墓標を見に行く。
高台に集落の墓場があり、鳥海山が望めたり、海の香りが黒松の間から吹き抜ける、気持ちの良い場所だった。



6月14日付けの山形新聞の記事。


そうそう、普段は入れない蔵にも入れて頂いた。
写真は、扉の上の飾り。
中で5振りの日本刀も拝見する。



解散してから、女子3名で吹浦の「たちかわ」で板そばを食べる。
今度はニシン蕎麦を食べてみよう。



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