無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

最近のこと

2019-09-29 14:23:05 | 社会

ラグビーワールドカップが開催されている。いつTV放映されるのかなと思いつつ、いつも放送を見逃している。

私が見逃しているのが幸いしているのか、順調に勝っている。こんなに日本が強かったのかと驚くと、試合に出ている選手は、死ぬほど練習しているから勝つのは当然だと言う。自信を持てるほどの練習量なのだろう。頑張って欲しいな。

 

さて、話は変わって、あれだけ日数を掛けて国会でも論議を呼んだ「モリカケ問題」だが、当の籠池夫妻の長男の籠池佳茂氏のTwitterが面白い。これを読んで、あれだけ国会を騒がせた野党の皆さんとマスコミはどうするつもりだろう。名指しで書かれているから、なるほどと納得する。それにしても、マスコミに載らないのは、そう言うことなのだと思う。

 

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日沿道山形・秋田県境区間建設促進大会

2019-09-29 12:30:50 | 建築・都市・港

会長挨拶

秋田3区選出の御法川信英代議士は、国交省の副大臣。これは地元にとって有り難い。

山形県知事代理挨拶

秋田県知事代理挨拶

山形県議会長挨拶

秋田県議会議員挨拶

今回の基調講演は、秋田在住のトラベルデザイン株式会社代表取締役社長の須崎 裕(すざきひろし)氏だった。非常に興味深い内容で、これからのインバウンドには無くてはならない考え方だった。

須崎氏は大阪生まれ、高校を卒業後に長野県蓼科にあるホテルに勤務する。最初の仕事がホテルのチェックイン待ちのお客様に、ロビーでお水や珈琲を出すことだった。順調に仕事をして女将にも褒められたが、ただ「貴方はお客様を見ていない。」と言われる。後で気がつくのだが、お客様の行動で何を望んでいるのか把握することだった。

蓼科のホテルは、殆ど春夏秋の季節に200人/日もお客様が殺到することがあるが、雪が降る冬期間は1人/日のこともあった。その時期には働く人も減る。彼は務めてから2ヶ月仕事をしてお金を貯めると、1ヶ月休んで海外に出かけたそうだ。

次にホテルマンの仕事を極めようと帝国ホテルのベルマンになる。6人のチーフが10人のスタッフを担当し、総勢60名で24時間体制の仕事をする。帝国ホテルは一般の観光客と言うより、ビジネスで日本を訪れた客が長逗留する。その時に客の一人から「観光地ではなく、君が良いなと思った日本の場所を教えて欲しい。」と言われ、長野の蓼科のホテルを思い出したが、チーフに止められる。日本の地方のホテルでは、ネイティブに英語を話せる人がいないだろうとのことだった。

そこで、須崎氏は国際教養大学に成人枠で入学する。その大学が秋田にあった。(先日訪れた秋田国際教養大学)
入学したその年のGWにバスをチャーターして、留学生達を対象に秋田のツアーを敢行する。

従来のインバウンドは、エージェント(旅行会社)が商品(旅行ツアー)を旅行者に向けて販売する。その時に行政や観光協会の協力を受けながら、左側の(交通、宿泊、食事、体験)をまとめる。その際に儲ける為に、多くの客を連れてくるからと左側の人達を金額的に安くしろと叩く。
過去に秋田でも韓国からの直行便を利用し、韓国ドラマ「アイリス」で、多くの観光客を迎えた。TVドラマの舞台に憧れて訪れた客は、現在では(別の原因もあるが)来なくなった。リピーターを望むインバウンドでは、一時の団体を迎えるのではなく、独自の商品を考えないとならない。

と、彼は先の留学生達に参加して貰ったバスツアーの話に戻る。農家の稲作の体験、小学校を使った語学教室など、地方の生活を題材にした企画をモルディブの観光を例にたとえて説明した。モルディブでは沢山の島がそれぞれ観光地になるが、観光用ホテル1箇所で終えるのでは無く、普通の住民の住む地域に、民泊や食堂を住民が用意して、島の生活その物を観光にし支えるなど、とても面白い内容だった。

秋田県と山形県から意見発表があった。

大会決議を発表

遊佐町長(副会長)の閉会の挨拶

 

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トップセミナー特別公開講座

2019-09-27 10:03:34 | 建築・都市・港

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JIAの全国大会

2019-09-25 12:53:14 | 建築・都市・港

建築士会の函館での全国大会から帰ってきた翌日は、JIAの酒田市斎場の見学会があり、朝から走り回っていた。
連休中だが友引だった為に斎場は私達の貸し切り状態だった。一番のネックは、台風の接近だろう。
台風接近の為、参加を取りやめるメールが青森から届いた。山形や宮城からは「大丈夫、予定通りか?」
と電話が来るので、「大丈夫です。」の太鼓判を力強く押して返答した。

酒田市斎場は、黒松の防風林に囲まれて、しごく静かだった。雨も降らない。
一人で運転して行くのは嫌だと嘆いていたH先生は、「僕は晴れ男なんだよ。」と自信満々である。

見学会が終わって片付けをして、役員会が始まる酒田美術館の喫茶ルームに急ぐ。
会議では色々の議題を解決し、めいめいにパンフレットが渡された。再三にメールで参加を促されていたJIAの全国大会が青森県弘前市で開催される由を載せた物だ。
そこに行かないかとのお誘いを受けた。2日目の基調講演に建築家の田根剛氏が登場するのは、ヨダレが出るほど羨ましい。
もうJIA指定のホテルは埋まり、自力での参加になるのだろうが、悔しいけど行けそうにない。

そうそう、全国大会が東北で開催される為に、恒例の山形市馬見ヶ崎でのJIA東北芋煮合戦は中止になった。

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建築士会函館大会1/13

2019-09-25 01:11:37 | 

酒田から北海道の函館に行くには、仙台経由が一番早いと結論づけて、仙台まではマイクロバスで、その先は初めての青函トンネルを抜ける新幹線はやぶさに乗ることにした。

朝5:45出発に寝坊をしないようにとのプレッシャーは大きく、2時頃に目が覚めてグダグダ時を過ごした。集合にいつも遅いとレッテルを貼られた私には、他人の目よりも置いて行かれる不安が強い。なによりバスに乗れさえすればベルトコンベア式に進むだろうと集合場所に着くと、バスの中は殆どのメンバーが集まり乗っていた。

鶴岡で鶴岡支部の会員を乗せ、早朝の高速道路を順調に進み、予定の時間よりも早く仙台駅に着いた。空いた時間をお茶のみに使う。煎茶の量が多い。

ぜんざいを食す者有りけり。美味しそう。ここではまだ9時頃である。

始めて、新幹線はやぶさに乗る。しかも青函トンネルを通る北海道新幹線なのだ。テンションは上がりまくる。

仙台からは盛岡と新青森のみに停まり、函館北斗駅までは2時間と少し。エラク速い。

あっと言う間に盛岡を抜け、青森の街が見えた。あの橋は青森港に架かっている橋の筈。在来線の青森駅は港の近くで、新幹線の駅はもっと津軽半島の先に造られていた。
青函トンネルの前に、数々のトンネルを通過し、その度に「これが青函トンネルか!」はことごとく外れ、諦めた頃に車内アナウンスで本物を知る。

海の底を通るのに、いきなり海岸端から潜る筈もない。ゆっくりとした勾配で地中に潜るのだから、トンネルが沢山あっても不思議はない。
トンネルを通過し北海道に上陸しても、青森との自然の差は無かった。函館に向かって大きく曲がって、函館山が見えてきた頃にようやく実感が伝わってきた。

終点の函館北斗駅で下車する。その後行動を共にする観光バスが待っていた。ガイドと運転手共女性のチームだった。

 

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建築士会函館大会2/13

2019-09-25 01:11:11 | 

函館北斗駅の改札前で待っていたガイドさんに案内され、バスに乗り込んだ。
バスから眺める函館山は、新幹線とは向きが変わる。バスで一路函館市内の五稜郭に向かう。

五稜郭前の五稜郭タワーの2階で、北海道初めての昼食となる。

和食の店だ。

 

 

 

 

 

 

とても昼食とは思えない程の量である。これにサンマ蒲焼き飯と味噌汁と香の物が付いた。
もう食べられないと思った頃になっても揚げ物などが来る。勘弁して欲しい。

アイスクリーム屋さんが同じ階に店を構えていた。

このアイスクリームの盛り方が凄い。岩石盛りとでも言うのか。

タワーの2階から

 

タワーに上るには、1階からエレベータに乗る。降りる時には2階だ。展望台も階が2つあって、それぞれエレベータで上り下りの階が異なる。

函館には来たことがあったが、五稜郭の記憶が無い。ここには来ていなかったと思える。
もっとも、このタワーは新しく高さも増して建てられたと聞いた。
ただし、函館空港が近くにあり、飛行に差し障りがないようにと、函館の街の建物は高さ制限を受けている。
そのギリギリを狙って建てられている。

 津軽海峡が見える。青森と北海道との間の津軽海峡は、日本の海であっても国際的に自由航行が出来る海だ。
いつぞやは、機関銃のような物若しくは大砲のような物を載せた某国の艦船が、厚かましくも船底に長く垂らしたソナーの様な物を付けて航行して問題になった。

函館山。函館の港は、本当に自然の良港だと思う。

右遠くの島影になって見えるのは、津軽半島

こちらは下北半島。マグロで有名な大間の町がよく見える。大間で救急搬送がある時には、青森に運ぶより、船で函館に来る方がずっと速いのだそうだ。

そう言えば、全国道づくりで下北の女性達とも交流があるが、20年も懇願し活動してやっと7Km程の高速道路が開通したと聞いた。大変に交通の不便な所でもある。

この中心に建つ建物は、五稜郭内の奉行所(復元)である。

 

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建築士会函館大会3/13

2019-09-25 01:10:50 | 

ガイドさんの後を追いながら、五稜郭に入る。

元々、五稜郭は江戸時代に海外に開いた函館の港の為の奉行所である。平城ゆえ、星形に堀と石垣を備えて守りを整えた。
星形の城壁は日本では珍しい。ヨーロッパの物を参考にしたらしい。それが明治の幕府軍最後の戦いの場になったのである。

 

 

石垣は古いものではない。150年と言う数字が飛び交っていたが、築城が1864年と言うから155年が正確か。

この堀の堤は、昨年の北海道の地震で崩れた為に、現在補修中である。

橋を2箇所渡って、本丸(奉行所)に着いた。

元は現在の函館市元町にあった箱館奉行所を五稜郭に移動したのが1864年、その箱館奉行所と同じ場所に約150年ぶりに

復元したのが現在の展示建物だそうで、150の数値はそれだったようだ。

奉行所の前に見える白壁の建物は兵糧庫(食料庫)である。

古い大砲と新しい大砲。ただし、どちらも江戸末期のものである。古い方はイギリス軍と戦った砲台だと言う。
小さい方は小型なれど性能が良かったらしい。

内部の写真も建築の参考になればと、山ほど撮してきた。ここでは見せない。 

 一部、小屋組もちゃんと見られるように天井が開放されていて、和小屋で大きな部屋を取れるように、スパンが飛んでいた。

 江戸時代の階段は、思いっきり急なのである。しかも蹴上げが高い。
袴姿で足袋を履いて、こんなにも急な所を上り下りするのは大変だろうと思う。
日本の城の階段も同様である。

釘隠の金物。古い金物の復元だと言うけど、ちょっと面白味は少ない。

五稜郭からタワーへ戻る途中、大きく寄り道をして堀の脇にある有名な菓子屋の六花亭(店舗と工場)に入る。

建物も素敵だった。時間が無いので、私は別の場所で買うことにする。

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建築士会函館大会4/13

2019-09-25 01:10:21 | 

五稜郭からトラピスチヌ修道院へと移動する。

北海道へ渡ってからの天気は予報通りに見事な秋晴れの3日間に恵まれた。なんて綺麗な青空なんでしょ。

この修道院は、ローマカトリック系「厳律シトー修道会」の女性の為の修道院で、入って生活するのに随分と厳しい条件が付けられる。

函館には、別に男性の為の修道院もあるそうで、そちらは女性厳禁だそうだ。

ここに入り7年間の余裕期間が過ぎると、一般の生活には戻ることが出来ない。
カトリック信者であること、親の介護をせずとも良い人、歳は23-35歳までの未婚の女性であること、忍耐強く献身的であること、品行方正であることなどが条件で、一度入ると外の人との接触は出来ない。

唯一、外出が許可されるのは病気の場合と選挙の投票の時だけだそうだ。
カルト教では選挙にも行けない所がある。

奇跡のの泉の再現。

朝は3時半に起床、一日に7度のお祈り、その他は畑仕事や酪農で得た食材の加工(製品として売る為)読書や編み物などなどが生活の時間に入っている。
ちょっと厳しいのは、話を必要以外にはしないことだそうだ。静かな生活をするのが目的なのだ。

この像は修道女の像である。

俗世間とは高い塀で分けられており、亡くなった時には敷地内の墓に入る。死んでなお俗世間とは交わらない。

今までのお墓は土葬で、約2mの深さに土を掘ると言う。
年々修道女達の年齢が上がるに従って土を掘るのが難しくなって、最近は火葬にすることも増えたそうだ。
90歳を超えた修道女も多いそうだ。

これはジャンヌダルクの像。彼女は神の啓示を受けて英仏戦争の際にフランスの為に先頭に立って戦った。

敷地内に売店もあり、その売り上げが現金収入になるのだが、特別に欲しい物は見当たらなかった。
敷地を抜け出し、俗世間の駐車場に降りる前のショップで、牛乳を飲んだ。牛乳アイスにすれば良かったかな。

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建築士会函館大会5/13

2019-09-25 01:10:01 | 

函館は、街中を外れるほどに坂道が多い。

坂を下りて、海岸通りを走ると、様々な店の間に石川啄木の記念館があった。啄木の像もある。ただ啄木だけだと集客率も下がるので、イケメンで有名な土方歳三もコラボしているのだと言う。(写真はない)

ガイドさんも後から乗ったタクシーの運転手さんも、北海道地震の話と一緒に3.11東日本大震災の津波の話が出た。太平洋から直接ではなく、回りに廻ってこの海岸通りも1mほどの津波に襲われた。さほど大きくない津波でも死者が出たという。海岸通りから市内に曲がって函館山の斜面を上がりだした。

函館山の中腹に元町があった。ここら辺りは外国人の為の教会や洋館が多い。

古い洋館をアレンジして小洒落た店にしている。

教会は洋式を変えて、数件建っていた。

 

 

 

これも教会。屋根の上に十字架を置くのではなく、建物の平面その物が十字架のようになっている。

4面が同じ形をしていた。

坂の先には港が見えた。坂の勾配もかなり急で、雪も降るだろうに大変だろうなとも思う。

坂にはそれぞれ名前が付いていた。

路面がアスファルトではなく、石畳になっているのも趣がある。

日は少しづつ傾いてきた。

外灯が点る。

 

洋館の中に和風の建物が混じる。

今回の元町歩きは主に洋館の辺りを中心に歩いたが、和風の建物が多い場所もあるのだそうだ。

歩くのに楽しい街である。

 

そうか、伝建地区だったか。

この街の消火栓はレトロで色が黄色い。ところが函館の住人は、これが普通で日本中同じだと思っていたらしい。

一番楽しみにしていた公会堂は、工事の真っ最中だった。

公会堂の下は元町公園になっている。その公園から降りるようだ。

公園から港に停泊するイージス艦が見えた。ここには自衛隊の基地があるようだ。

ペリー提督。あの黒船のである。

 

公園から見上げた公会堂。函館山に上がるロープウエィが見える。

函館の土蔵は、屋根の棟が仰々しい。ただ、この土蔵の建物は2重にすべき屋根を塗り固めてしまったようだ。

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建築士会函館大会6/13

2019-09-25 01:09:38 | 

函館山にバスで上る。頂上のバスの駐車場はトコロテン方式で、縦列駐車の前のバスが動くと、後ろのバスも動かして、30分で山を降りねばならない。

天気が良いのを当たり前に思っていたが、函館は海の近くでガス(霧)が発生することが多く、夏や秋の良い時期でも3-4日に1度。冬は10日に1度ほどしか夜景が見えないのだそうだ。五稜郭タワーから青森の下北半島や津軽半島まで見えるのは、本当に運が良いのだそうだ。

展望台の上に上ると100万ドルの夜景が見えるそうだが、上って見えたのは夥しい観光客だった。

街の夜景を撮したいのに、外側の手摺りに陣取られていて、隙間を与えてはくれない。携帯なら手を上に伸ばして撮すことも出来ただろうに、私のカメラでは駄目だった。

明らかに中国語が聞こえたが、函館は台湾からの直行便が飛んでいて、台湾の観光客が何処に行っても多かった。ただ、普通の中国人と違うのは声が煩くない。

日中の最高気温が22-23℃で歩くと暑かったが、函館山の山頂は風もあり涼しいから少し寒くも感じるほどだった。

もう夜景は綺麗に撮れないと諦めてバスに戻ることにした。

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建築士会函館大会7/13

2019-09-25 01:09:16 | 

ホテルに帰って夕食タイムとなる。

 フランス料理とアルコール飲み放題のセットである。

 

 パンとバターは美味しかった。

 

これにビールとウィスキーと焼酎が飲み放題で頼んだらしい。北海道と言う土地も相まって、ビールが美味しく感じられる。

とりあえずビールの次はハイボールにした。ホテルのお姉さんにウィスキーのメーカーを尋ねた。北海道ならニッカだろうと思ったからだ。あに図らんやサントリーのホワイトだそうだ。
なかなか注文したお酒が来ない。やっと来ても、炭酸水の方が断然に多いお酒らしくない酒だった。

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建築士会函館大会8/13

2019-09-25 01:08:53 | 

お腹がパッツンになるほど食べて、そのまま部屋に戻れば良いのに、夜の街に出た。

無論、もう何も食べることなど出来ない。

ここはあじさいと言って、函館名物塩ラーメンが美味しい店なのだそうだ。そうか、函館のラーメンは塩味なのか。

船の形の足湯。

幹事さんか旅行社かは判らぬが、ホテルが街中の良い位置にあり、駅にも海にも赤レンガ倉庫にも近い。

それなら探検せねばならない。

 

 小樽を彷彿とさせる。

 

 

 

 

 

 

 

選択を拒否する自動販売機。中身が一緒だもの。

 

ホテルに着いた。

 

ロビー。

 

部屋は暑くてなかなか眠れなかった。

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建築士会函館大会9/13

2019-09-25 01:08:33 | 

朝ドラの「おしん」を見てから食事に行こうと約束したのが仇になり、1階のレストランのバイキングでは食事の順番を待つ人の数に驚き、2階の和食を選んだもの、それでも待ち時間が30分だった。これは集合時間に間に合わないかも。それにしてもおかずの品数が多い。

私はご飯をお粥にして貰い、ご飯のお供のようなおかずを一皿づつ平らげる。味噌汁は蟹汁だった。あと5分あれば、蟹汁を堪能出来たのに。しかも猫舌だし。

大会本番日、会場の函館アリーナには、5台ほどのタクシーに分乗して会場入りする。アリーナ前の道路には電車が走っていた。

会場入りして受け付けを終える。

アリーナを後ろの駐車場から眺める。大小のアリーナがあり、大会は右に見える大アリーナで行う。

大会が始まる迄には十二分に時間が余ったので、少しだけ裏道を捜索する。

この辺りは、川にお湯が流れていたと言われる湯ノ川と呼ばれる地区である。

魚影も見えたが、水の色は綺麗とは言いがたい。

大型のカモがいた。

アリーナではリハーサルの真っ最中

2階のホールでは、AIの部会が始まっていた。

 

ブースを廻ったり、パネルを見たりもしたが、あまりに時間がありすぎるので、午後に予定していた見学を午前中に前倒しすることにした。

Fさんがタクシー会社に電話した。

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建築士会函館大会10/13

2019-09-25 01:08:08 | 

札幌とは違い、函館の街はレトロな建物が多い。新しく面白い建築はとFさんが見つけてくれた公立はこだて未来大学に、タクシーで移動することにした。バスと言う手もあるのだが、時間が2-3倍もかかる。それでは大会に間に合わない。

と言う訳で、大学に着いた。函館の市内を中心に函館山の対岸に位置する、ここも山の中で、斜面を利用したステップ様式だ。
それを知らずに玄関から入ると、そこは3階だった。

見学者は我々以外に、どこの県だろうかバスで団体が一組入っていた。

まずは外回りを見る。

校舎の南側は、見る角度で建物が消えた。絶好の青空と回りの緑がカーテンウォールに写って、建物の壁の存在が消える。

不思議かつ、とても綺麗だった。

 

ロビー(3階)

 

5階分吹抜である。

建物は築20年ほど。充分に新しい。

左の女性は大学の方で、親切に案内をして頂いた。図書館の蔵書が多い。

大講堂。

 

 

函館山が見えた。函館山の人が混んでいて夜景が見えにくい時には、この大学に来て眺める人が多くなったとか。

左が大学院。

この後、迎えにきたタクシーを追いかけて、アクシデントが発生した。

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建築士会函館大会11/13

2019-09-25 01:07:27 | 

今回の旅は、タクシーの運転手さんに助けられた。大会会場に最初に連れて行ってくれたのが相互タクシーだった。予約も受けてくれ、大学にも迎えに来てくれた。まさか遠い大学にそんなに早く着くとは思わず、大学の芝生を歩いている時にタクシーが来るのが見え、走って追いかけたFさんにアクシデントが発生する。

お昼は大会の昼食会場で海鮮丼かなと、函館塩ラーメンを羨ましく思っていたら、アリーナ前で美味しいラーメン屋さんがあると教えて頂く。これはラッキーだった。

店内は混んでいて、少し席が空くまで時間を要したが、店のお薦めがカレー味噌ラーメンと聞いて、私はそれをチョイスした。
下の塩ラーメン+バターのトッピングは、Kさん。
なるほど美味しかった。意気揚々で大会会場に入る。

基調講演に充分に間に合った。北海道が生んだ藤本壮介氏である。

作品の数々を、惜しげも無く披露し、それを撮す。何十枚もの写真の内、これだけを載せる。
昼食で満腹ゆえ、必死に睡魔と戦うも、我を忘れる瞬間がある。

今年の大会は、時間の配分がいつもと違っていて、妙な空き時間が発生する。
メインの大会をも待っていられなくて、早々とホテルに戻った。

これはホテルの部屋から撮したもの。

身体を右にひねると、函館山が見える。

「しおから」が気になったので、最終日に買えたらと余裕を見せたら、日曜日と重なって店は開けてはいなかった。

駅と朝市の下見に行く。

函館駅。

さて、2日目の夕食は、ビアガーデンでのBBQとなる。

 

北海道民が愛して止まないジンギスカンである。柔らかくて癖のない肉だった。

 

じゃがいも餅?

おじまげで、はーふ&はーふにした。

「これはイクラ丼とは言えない!」と避難ゴーゴーのご飯。酒田は近くで鮭が上がる。イクラは高くても手に入る。

白いご飯が見えないくらいにイクラを掛けるのが普通だったのだ。(ただし、秋に入ったばかりの時期のイクラは皮が柔らかくて美味しい)

 

さて、ラストオーダーも終わり、ホテルに自由に戻る。

烏賊の刺身は、本当に美味しかった。もっと烏賊が獲れれば良いね。

 

 

 

 

 

北海道は、年々暑くなっているそうだ。夜の風が心地よい。

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