今日の飽海地域史研究会の会場は、山王クラブである。
酒田市史にも載っている、本間家の北前船「日吉丸」の新造落成祝に出された「お料理」の復元された物を頂く為である。
本間光道が文化5年に本間船を急遽造らせたのは、蝦夷地に異国船が現れ、大砲などで脅かすため、幕府は松前藩を救う為に、南部藩、津軽藩、庄内藩、会津藩に救援を求めた。
(茶色の部分が庄内藩)
庄内藩も駆けつけるのだが、武士以外に食料や武器などを運ばねばならない。
完全なる民間の船というよりも、半ば公の船でもある。
その船は酒田湊から出航するので、本間家は俵屋栄蔵に船を造らせた。
それらの物資の運搬が終わると、本間家の持ち船は北前船として航路を行き来し、瀬戸内海から大阪へと販売地を増やしていった。
本間家文書に書かれている料理は、さすが大店の振る舞いとあって、豪華である。
酒田祭で見かける酒田の郷土料理とは、随分と違う。
メインシェフは、加茂水族館の魚匠ダイニング沖海月の須田シェフである。
彼も飽海地域史研究会のメンバーでもある。
その手助けをしてくれるのは、酒田南高校の調理科の2年生と3年生。
須田シェフからは、日本料理を学んでいるのだそうだ。
一の膳。漆塗りのお膳と器は、明治の頃の物で、山王クラブに保存されていた。
二の膳。北前船の帆かけ付きである。
米がゆに蕎麦の実が載っていて、禅の料理を彷彿とさせる。
椀には秋鮭、にらふさ、南禅寺(豆腐は押しなべて南禅寺と呼ぶ。)黄菊、椎茸、柚子
汁の味はやや薄め。
お刺身は海老を茹でたものと、真鯛の刺し身(文献では真鰈になっている。)
ごま豆腐、餡は醤油味(金沢風)と味噌ダレ(福井風)がかけてある。
味噌味もなかなかだった。
煮物は、鰊、厚揚げ、茄子(うんと細かい包丁目が入っていて感動する)いんげん、針生姜。どれも別々に味付けされていて、椀に盛られている。
帆掛け船の八寸
庄内米の鰊粥漬け(これは金沢や敦賀あたりの料理だと思う)、鱒の紅花押し寿司、蕎麦の実、豆腐田楽、南瓜の豆腐、銀杏
これは驚くことに、膾(なます)だった。鱒のなます。黄菊、いくら(酒田でははららごと言う)花穂、細いのは芽ネギだそうだ。
焼き物は真鯛味噌焼き。福井辺りだと小鯛を使うのだそうだ。
卵焼きの焼き目付き、茗荷の酢漬け
今回は、とてもここには書ききれないお値段で提供して頂いた。
赤字になったのではと、ヒヤヒヤした。
これと同じ料理を、来年の2月3日(日本遺産の日)に、加茂水族館のレストランで提供してくれるそうだ。
今まで食べたことのない味だった。
蔵座敷
加藤木工の船箪笥。パリの博覧会に行って賞を獲得したそうだ。
それの報告会も行われた。
山王くらぶの船箪笥。
傘福の飾り