無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

福島の現在(いま)

2017-09-06 15:53:50 | 東日本大震災

9月2日、女性建築士会東北ブロック会で、福島の見学会が行われた。通常のシンポジウムは行わず、皆が1台のバスに乗り地図にある通り、福島市から富岡町までを移動した。東日本大震災で地震や津波で被害を受けたのとは別の被爆と言う現実を見学した。

2011年3月13日、電源喪失でメルトダウンを起こした福島第一から、風に乗って放射能物質を含んだ風が吹き、飯舘方面へ流れた。被爆は同心円状に起こるのではない。チェルノブイリの事故で言われていたことを、あの時期の日本政府は避難に使わなかった。それどころか、気象庁に風向きを発表しないようにと圧力を掛けた。その結果の地域を、今回はなぞって見学する

6時半頃、酒田チームは出発した。東北中央道が開通すれば、もっと近くはなるのだが、ここは普通に山形道から東北道に抜けた。途中、道路が曇っている。見れば発煙筒が焚かれて警察が誘導していた。事故だった。

この頃から雨になり、暗雲立ちこめる前途にちょっと気持ちが萎える。

きびきびした運転のお陰で、集合時間よりもずっと早く集合場所の福島駅前に着いた。以前、JRで福島を通過した時には新幹線だったので、上に見える新幹線駅と在来線駅が違う建物だったのに驚く。こちらは福島駅西口。

集合までに、しばしの腹ごしらえをする。山形の内陸チームも無事に到着していた。マックダーガーのコーヒーは薄くて不味い。

無事にバスに乗り込んで、乗員点検をする。時間少し前に出発した。

バスの中で線量計が渡される。駅前出発時は0.080程度だったが、バスが動くと数値も動く。福島第一から離れた福島市でも、数値の高いホットスポットがあると聞いてはいた。「住宅の隣に、汚染土を積み上げ緑色のシートで覆った物を見て!」とアナウンスがある。時期が来れば、土の運び出しを行うのだと言う。福島県だからこそ、きちんと線量を計測して、除染すべき所とそうでない所に分け、処置が出来るのだと思った。近隣県でも数値の高い場所もある。それがうやむやにされている気がする。

市内を離れると、田んぼに出た。定期的に数値を計る為に、稲が試験的に植えられている部分と、植えられていない部分がある。黒い袋(各1t)に運び出された汚染土を入れ、積み上げられている。

その上をシートで覆った物が続く。袋は強度上、3個以上積み上げられない。

汚染された土地には、ひまわりを植えると良い。そんな話が2011年に流れた。画期的に数値が半減することはなかったが、良いと言われたことは、まず実行する。この土地を守る為に、生きる為に行動する。ひまわり畑は枯れていたが、放射線と相性の良い植物を使ってでも、半減の時間が短くなればと願う人の気持ちが伝わる。

 竣工し立ての飯舘村の道の駅「までい館」に到着した。福島の方々とは建築士会だけでなく、ネットを介しても友達がいたので、震災前からも事情は知っていた。飯舘が危ない、避難しなくてはと周りが騒いだ時にも、「牛の世話をする。」と言う理由で避難しない友人の祖父がいた。牛乳も出荷できず、肉牛でも売れぬ牛たちを、死ぬまで飼うのだと餌をやり続けた人達がいた。

外を案内する前に、館内のモニタリング数値である。ここは驚く程低い。線量計が普通の生活と切り離せない、ここは日常である。このモニタリングは館内の物ではなく、外部の数値を表示している。

偶然にも低い場所だったのか、それとも汚染土のすき取りで下がったのかは判らないが、充分に安全な数値である。

光って見えない案内板。「までい」は、待ってとか急がないでとかニュアンスのある方言だそうだ。

産直の野菜なども売られているが、重点的に売り出しているのは、花だそうだ。「安すぎね!」と胡蝶蘭のお値段を見て話していたが、残念ながら胡蝶蘭は買った事も貰った事もないので、相場が判らない。

内部外部

 

 

 

 

 

 

 

次は飯舘村役場の敷地に入って通過する。数値はこれくらい。

汚染土を運び出すトラックの後ろに着く。

南相馬、原町の魚菜旭亭で昼食となる。ここから福島の別のメンバーが案内として参加する。

10km圏内で頑張っている女性建築士は、被災した人達も皆で椅子(脚立にもなる)を、製作する事にしたのだそうだ。

各県からの差し入れを受け取る。

山を降りて浪江の方へ向かう。これは災害住宅。

元は田んぼだった場所。

海に近くなってきた。ここは海抜も低いが、大きな堤防を造るのでは無く、3段式に距離を置いて堤防を設け、その都度波を溜める構造にしているのだと言う。それは利口なやり方だと思う。ただ、堰や川などの処理も必要だ。

 

浪江町に着いた。奥に見えるのは庁舎である。

地震で修理された家とそのままの家があった。解体を待つ建物が多いと聞いた。

 

浪江駅に寄る。常磐線は浪江で通行可能な線と通行止めとに分けられる。

浪江から仙台方面は通行可能。

 

線路に渡された橋で、それが分けられている。

徐々に開通に向けて頑張っているそうだ。

浪江から南はこれからである。

浪江駅前の「まち なみ まるしぇ」に寄る。コンビニも入っている。住民の帰還はまだまだだが、汚染処理や建築で働く人達の買い物にも使われる。

時間が止まった町から、少しづつ息吹が戻ってきた。

庁舎も全ての階が使われてはいないと言う。職員も郡山などで仕事をする人が多い。

0.561       1.975             2.243

バスの中で、線量計の数値が上がっていくのが判る。双葉町の帰還困難区域を通過する。

3.593           4.109          5.061

数値は上下を繰り返す。

福島第一原子力発電所 クレーンの下

こちらもそうなのだが、工事はしていない。ここは大熊町。常磐自動車道路は走行できるが、停まらないようにしなければならないそうだ。

ここも水田だった場所。草のあとには柳も生えてきた。せっかく開拓して田んぼを造ったのに、原生林に戻るのは早い。

高速を降りて、富岡町に近づいてきた。バイパスと思える道路の脇には、見知った店舗が並んでいるのだが、見事に地震で壊れていた。真新しいケーズデンキがあったが、竣工して開店を待つ時点で震災を受ける。

被爆した町と一括りに出来ない面を見た。福島第一に近くても、あの風向きの位置になかった富岡町は、復興がめざましい。これは復興住宅。

町役場

ただし、帰還困難区域も道を挟んで併行している。

花見で賑わった桜並木。

コンビニや店も戻ってきた。

建設ラッシュ。

富岡駅前に着く。

記念写真 私はカメラマンだった。あれ?他の人にもシャッターを押して貰ったはずなのに、無い!

これも完成した復興住宅。ただ、年金暮らしのお年寄りは家賃が高くて入れないそうだ。ここでも被災者は分類される。

電力会社の催しに使う建物。

延々と続く汚染土。中間貯蔵庫に運ばれるのを待つ。

一括りで被災地と呼ぶが、被爆した地域は3つに分けられる。帰還困難区域、20km圏内、そのほか。

せっかく皆で復興しようと思っても、この3つの分類は国の補助がまるで違う。その為、どうして自分だけがとか、あの人達だけ得してとか、一緒になれない。国の方針が地域の人達を分断する。

案内してくれた建築士会のIさんは、震災後、腹の底から笑った事がないと仰った。汚染された土地は5cmすき取ると、数値がガクンと減る。この要領で学校の校庭にも手を加える。また地下30cmに汚染土を入れると、放射線量は出て来なくなる。どれも実践で培った事柄である。嘆いてばかりはいられない。

高速道路を北に向かい、途中のSAと言うか、新しく出来たセデッテかしまに着く。看板には南相馬鹿島が正式名称なのだが、この名の中にはバカがいると、目が泳いだ。

この辺りからは天気が良くなり、気分も晴れた。

トイレ休憩

これは便利だと、トイレの個室を出てから見つけた。後の祭りとも言う。

相馬は、馬追が有名だ。

お店の方に向かう。

ででん!

 

 

 

 

桃は美味しそうだけど、すこぶる良い値段。

お土産を買った。バスの中では「ここは福島産の物しか置いてないから、存分に買って福島にお金を落として行って下さい。」と告げられたが、私は福島産のと仙台土産を買う。なんてこった。

 

ここからは、じきに一般道路に降りて、福島へと西に向かう。

帰りのバスの中では、委員長会議が行われたが、各委員長さんのコメントの中に、「広島・長崎は、戦後70数年経っても記念式典が行われる。福島にはそれがない。」と発言され拍手が湧いたが、福島の被爆は爆発で亡くなった方がいた訳でもなく、福島第一も取り壊されておらず、汚染との戦いがまだ続いている「現在進行形」だと言うことだ。いつかは記念式典が行われれば良いなと願うばかりだ。

福島駅で解散する。新幹線の駅、在来線とはまた別に、福島交通飯坂線の駅が見えた。昭和の香りがした。

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庄内沖地震の大津波

2017-03-27 11:01:58 | 東日本大震災

庄内地方でも、過去に地震に伴う大津波があって、鶴岡市の堅苔沢の辺りには、その石碑も残されていると聞いている。随分と高い位置だそうだ。

今朝3月24日の山形新聞の記事に、山形大学山野井名誉教授の論文の一部が載っていた。平安時代に庄内地方が大津波に襲われたとする、地質学からの分析だった。庄内南部では推定37.9mの津波があったのではと話している。


平安時代と言えば、酒田の本楯地区に、出和国国府跡の城輪柵(きのわのき/きのわのさく)がある。NHKの放送では、地層の一部に泥の跡があるのと、地震で倒れたのでは無いかとされる柱の跡があったそうだ。


勿論、その頃私は生まれた訳では無いが、海がもっと内陸に近かったのではと聞いた事がある。秋田象潟の海に浮かぶ松島のようだった地形が隆起して現在の形になったことを思うと、37.9mと言うのはもう少し差し引きしても良いのかなとも思うが、津波に関しては注意と予防を怠ることなかれと考える。

平安時代に起きた巨大津波の跡山形か 庄内砂丘 NHKの映像

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熊本から

2016-05-04 09:49:31 | 東日本大震災

2016.3.11に、宮城県名取市閖上で、鎮魂の為に踊ってくれた熊本県立鹿本農業高校の郷土芸能伝承部の女子高校生さん達は、今回の地震で大丈夫だっただろうかと、気懸かりだった。

FUSAさんの徒然なか話で、高校と連絡が取れて、皆さん全員無事だったことが判り、一安心した。

生まれて初めての大地震、それに止まることのない余震で、どんなに恐ろしかったかと思う。

中学校なら学区内と言うこともあろうが、高校となると越境して通学する生徒さん達もいるだろう。自宅が被災地な方もいるだろう。どうか、負けずに頑張って欲しい。遠くからも応援している人がいることも知って欲しい。

雪の中の灯籠踊りをありがとう。今年の10月は、建築士会の全国大会が大分県で開催される。風評被害で観光客が訪れないのが、どれだけ地方の経済に負を及ぼすかも、少しは知っている。直接と間接的にも、心に留めよう。熊本のスイカも見つけたら買う予定だ。

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熊本県庁への義援金募集

2016-04-18 19:18:11 | 東日本大震災

4月18日 18時更新 ゆうちょ銀行の口座情報を追加しました。 

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熊本県では、平成28年熊本地震によって被害を受けられた被災者を支援するための義援金を、本日、平成28年4月15日(金曜日)から6月30日(木曜日)まで募集します。

 

<送金によりご支援いただく方法>

 義援金受入口座
    口座名義 熊本地震義援金 熊本県知事 蒲島 郁夫
    銀行名及び口座番号
     肥後銀行 県庁支店 普通預金 1639261
     熊本銀行 県庁支店 普通預金 3012170

     ゆうちょ銀行 口座記号番号:00940-0-174320
  
   ※ 平成28年4月18日(月曜日)から同一金融機関での本支店間の振込手数料は免除されます(ATMは有料)。
   ※ ゆうちょ銀行への送金は、全国の貯金窓口から「通常払込み」の扱いに限り手数料は免除されます(ATMは有料)。

   ※ 県が発行する「受領証」がなくても、税制上の措置(控除)は受けられます。詳しくは、このページ下部をご覧ください。

 

<義援金箱をご利用いただく場合>

熊本県の出先機関(事務所)に義援金箱を設置し、募集を行っております。

 設置箇所:東京・大阪・福岡の各熊本県事務所、県内の各広域本部・地域振興局、くまもと県民交流館。

 

<税制上の措置(控除)について>

ご支援いただいた義援金を、寄付金控除または損金として税申告される場合は、次の2点を添付することで証明書にかえることができます。

・金融機関発行の領収書(原本)

・このページを印刷したもの

 

上記方法によらない、またはその他の事由で、県が発行する「義援金受領証」を希望される場合は、

ワード 受領証発行依頼書 新しいウィンドウで(ダウンロード後、必要事項を記入され印刷してお使いください。) 

・82円切手を貼付した返信用封筒(必ず宛名を記入ください)

の2点を同封のうえ下記送付先までご郵送ください。

 ●送付先
 〒862-8570
 熊本市中央区水前寺6-18-1
  熊本県健康福祉政策課 義援金担当係

 

<お問い合わせ先>

健康福祉政策課 福祉のまちづくり室
電話:096-333-2202(直通)
受付可能時間:午前8時30分~午後5時00分

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熊本地震

2016-04-18 12:04:43 | 東日本大震災

4月14日21時26分、熊本県で内陸型の地震が発生した。海溝型と違って津波の心配はなかったが、震源までの距離も浅く、直下型の大揺れで、被災者の方々は生きた心地もなかったろうと思う。しかも、地震慣れしている東北地方の住民とは違い、生まれて初めての大きな地震だったのではないだろうか。

14日の地震が本震ではなく前震だったことも予想などつく筈もない。実は東日本大震災の3.11の前の3.9に大きな前震があった。また、地震では本震より余震の大きかったこともあった。地震には常識と言うものはない。常に逃げる準備をする事が必要なのだろう。

今回の地震で多くの建物が倒壊し死傷者も被災者も増えた。津波や火事がない分、落ち着いたら荷物を取りに行く余裕も生まれるだろう。余震が恐くて車の中で暮らしている人は、できる限り外に出ての運動が必要だそうだ。同じ座った姿勢を続けていると、エコノミー症候群のような症状に襲われる。笑い事ではなく死に至ることもあるので注意が必要だ。

九州熊本は遠い。支援物資を安直に届けられる距離でもない。緊急物資は近場の方々に任せる事にして、必ず未来に必要になってくる義援金を準備しよう。そして、この被災を忘れずに、元気に元に戻るまで見守っていこうと思う。

義援金は在来の団体を通すと、途中で余所の国に横流しされたり事務経費で消えたりするので、直接熊本県庁へ送るのが一番だと思う。

平成28年度熊本地震義援金の募集について 熊本県庁

内容を見て貰うと判るが、銀行名及び口座番号が書いてある。同じ銀行なら振込手数料はかからないが、遠くの地域から送るにはゆうちょ銀行が便利である。口座から口座へ送る事が出来る。ただし、ゆうちょ銀行についてはこれから開設する予定だそうだ。開設してから送っても間に合うと思う。

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お亡くなりになられた方には御冥福を、怪我をされた方、被災された方には心からお見舞いを申し上げます。

 

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月浜のみんなの家

2016-04-11 13:45:48 | 東日本大震災

gooブログでは、一日UP出来る写真の枚数に制限があり、またしてもそれに引っかかったので、翌日ではあるが、追加する。

 

最後は建築家妹島和世作、月浜のみんなの家。道路を挟んで向かいは浜の護岸工事をしていた。

これを見て、誰かが「ガウディだ!」と言ったが、確かにこの屋根の考え方はガウディそのものである。サグラダファミリア教会の傍の付属仮設学校の屋根がこの方法で建築されている。見た目は複雑に見えるが、原理はいたって簡単なのだ。後で載せてみよう。

 

 

 

堤防の上から浜を見る。

 

 

 

 

みんなの家の中では、これが一番綺麗だったかな。

スペインの建築家アントニオ・ガウディのサグラダファミリアの近くに、仮設の学校の建築がある。彼の作品集でも映像でもご覧になった方も多いだろう。その仕組みが証されている。

彼の建築は、殆ど模型で再現し建築に役立てている。時には図面も描くが、なかなか2Dでは他人に説明出来ない。

この一見複雑に見える屋根だが・・・。

細い材料を中央を起点して左右を波打たせた物なのだ。これが割り箸を使った模型だと、非常に判りやすい。

Aさんの情報に寄ると、みんなの家はまだまだ相当数あるらしい。女川のは載っていないし、これから建設の物もあるのか。

仮設住宅が撤去されると同時に命を失うみんなの家ではあって欲しくないと思う。実際の建物より写真の方が綺麗に見える程やつれているのもあった。全部を見てみたい気もするが、回るのは大変だな。

 

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みんなの家・宮戸小学校

2016-04-11 13:11:41 | 東日本大震災

ここは東松島市の宮戸小学校校庭の仮設住宅。平屋の住宅が並んでいる。その南側に西沢立衛設計のみんなの家が建っていた。

楕円の大きな屋根を持つ。

構造は鉄骨造で、母屋の上にすぐに鉄板が取り付けてあった。鉄板の厚みは結構厚い。それで屋根全体を持たせている。

土曜日の学校は人気がない。この仮設住宅にも人の気配がなかった。車が数台止まっていたので、いることはいると思うのだが。

水槽と受電設備がフェンスで囲まれている。

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みんなの家・東松島市

2016-04-11 13:00:09 | 東日本大震災

次に 伊東豊雄氏と仲間達が造った「こどものみんなの家」に行く。

ここも仮設住宅が並ぶ高台の場所だ。

 

伝言板だと思う。

ここも鍵がかけており、内部には入れなかった。薪ストーブがある。

子供達の姿は見えず、比較的年を召した方々が歩いていたので聞いてみると、半数が仮設住宅を出て行ったそうだ。5月にも一集団が、9月にもまた多くの人達が退去するそうだ。

この丸い舞台は動かす事が出来る。ベンチの中は物入れになっていた。

ここには平屋の仮設住宅が並んでいた。

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みんなの家・女川

2016-04-11 12:49:17 | 東日本大震災

女川駅からさらに高台に登る。そこには被災者の仮設住宅が建っていた。みんなの家は、その中にある。

三角屋根の家の中を見たかったが、鍵がかかっていた。

奥のテントの中では、子供達がサッカーをしていた。

これは坂茂氏の発案だと思う。彼の作品「家具で出来た家」と同じ構想だと思うが、コンテナを並べて屋根を掛けた物である。

そのコンテナの壁面にはシマウマがいた。

コンテナにボールは当てないでね。とも書かれていたが、ごらんの通りのデコボコである。

これもまたコンテナを利用した集会場である。

この3階建ての住宅もまたコンテナを利用されていた。

コンテナを積み上げて、階段と廊下を付ける

庇はテントだった。

各家庭の物置が並ぶ。後ろに給水用の水槽が見える。

ここは、女川の野球場だった。

ネットで坂茂氏の作品画像を見ていたら、この女川の仮設住宅の内部写真が載っていた。木質材がふんだんに使われて、とてもコンテナには見えなかった。ちょっと素敵な住宅になっていた。他の仮設住宅同様、住んでいる人達が減っているなら、頼めば内部を見ることが出来たかも知れない。子供達が遊んでいる様子や洗濯物の数を見ても、ここは他ほど住人が減っていないではないだろうか。明日にでも画像をちょっと借りてこよう。

画像は借りたが、ちょっと小さかった。借り元は坂茂作品集から

建築家 坂茂氏

 

 

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あの日と同じ

2016-03-12 10:59:31 | 東日本大震災

名取市閖上の慰霊碑

3.11と並べられた灯籠

この神社は被災後に建築された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閖上の朝市協同組合では、名取市の行う慰霊祭と別に、「3.11 震災5年 なとり閖上(ゆりあげ)追悼絵灯篭」が行われる。針生先生から「3.11の追悼祭に来る? 今回は熊本の山鹿灯籠おどりの子達が踊ってくれるんだよ。」と、お誘いを受けた。開始時間は午後の6時からだと言う。ちょっとそこまでは無理だったが、追悼に向かう事にした。

地震発生時の2:46には間に合わなかった。その頃、高速をもうじき降りる所までは着いていた。その後、花屋で花を選んで閖上を目指す。道路は閖上から帰る夥しい数の対向車とすれ違った。閖上にはその車の駐車を賄う空き地は充分にある。原っぱに見える土地は実は区画がされていて、その一つ一つに花が手向けられていたり、供え物の茶碗が置かれていたりした。そこはかつて住宅が建ち並ぶ街であった。

この3.11に、熊本県立鹿本農業高校の郷土芸能伝承部の女子高校生さん達が灯籠踊りを披露しに来てくれた。

本番まではいられなかったので、丁度リハーサルを行っている所にカメラを向けた。

灯籠踊りは夏に行う踊りだと言う。多分お盆の頃なのだろう。

熊本から遙か北へ、しかも3月の時期に、この浴衣で踊るのは見ているだけで寒い。この日は最高気温6°Cで酒田を出る時にも雪が降っていた。海からの風は冷たい。防寒着を着ている我々でさえも、鼻水が出るほどである。

後で知る事になるのだが、本番はとても過酷だった。閖上朝市協同組合

舞台に雪が積もるほどの天気になった。3011.3.11と同じだった。

 

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南三陸復興市(長いよ~)

2015-11-30 20:04:21 | 東日本大震災

南三陸の復興市は、とても良い天気に恵まれた。良く見知っている顔の人物が、ブースの1つ1つを回って声を掛けられていた。「へぇ、小野寺さんだ。」思い出したその名前から、私は庄内地方の町長さんだと勘違いした。「違うよ。」と言われて、元防衛大臣だと気がついた。月末に開催される復興市には、毎回のように顔を出してくれるそうだ。

今回の復興市は、志津川中学校の生徒達が中心になって開催される。挨拶も中学生で、各ブースの手伝いも、自分たちの売り場も受け持っている。この復興市には、色々な町の人達も応援に駆けつける。酒田も勿論、中通り商店街が参加する。

まずは始まったばかりの市の写真からご覧あれ。

 

 

 

酒田は玉コンニャクと山形名物芋煮カレーうどんの販売を行った。

玉コンニャクを煮る時には、スルメを入れる。

3000円/kg の高価な牛肉が入った内陸風芋煮にカレーを入れる。別鍋で茹でたうどんにかければ出来上がり。ちなみに玉コンニャクは1本100円。うどんは500円だ。寒い日だったので、温かい物が欲しくなる。

午後の2時前にはすっかり売れてしまい、後片付けの前にカメラを持って探検することにした。

 

 

 

 

登米市の「はっと汁」を食べてみる。

はっととは、小麦粉で作ったすいとんよりも平べったい、うどんよりも太くて短い物を言う。右側の油揚風に見えるのは、油麩だった。柔らかく煮込んだ白菜やゴボウが美味しい。優しい醤油味である。

 

 

 鮭のちゃんちゃん焼きが入った焼きそば

今回のメインは、「鮭イクラ祭り」だそうだ。ただ、今年は水揚げが少ないらしい。震災の年の影響で、親鮭が戻れなかったか、幼魚が極端に少なかったかのではないかと思う。鮭は酒田でも買えるのに、ここで私はメスを1本買った。

店の親父さんが手伝いの中学生に「お客さんには、ありがとうと言う気持ちを込めて挨拶せよ。声が小さい!」とがんがんハッパを掛けていた。この復興市は中学生達の職場体験にもなっているのだそうだ。担当の先生が始終回って生徒達の様子をうかがっている。「いらっしゃいませ!」「いかがですか~!」の若い子達の元気な声があちこちで鳴り響くのは良いものだ。

 

 

 

 

 

 

ちなみに、南三陸の名物はタコである。本物は勿論のこと、グッズも多い。

 

 

 

 

 

 

 

歩いて回った気持ちになって貰えただろうか。

復興市の間、舞台が設けられ、生演奏なども行われていた。もうそろそろ大詰めを迎える頃、これも中学生達の獅子踊りが始まった。

ところで、しばらくぶりに南三陸を訪れた訳だが、驚いた事があった。この獅子踊りの遠景に見える建物に記憶がないだろうか。2012年に建築士会女性部会で、南三陸の仮設住宅の見学会を行ったことがあった。南三陸仮設住宅(これも長いよ!)

その時に見た手塚建築研究所の幼稚園なのだが、敷地の周りがどんどん削られて、立ち退きに反対して残った中国の住宅状態になっていた。これから、どうなるのかわからない。使用された木材の生地もすっかり灰色に褪め、とても震災後に建てた新しい建物には見えなかった。

この写真の方がよく判るかな。もしかして、町の造成工事の為に土が必要になり、廻りの山が削られてしまったのかも知れない。

中学生のブラスバンドの演奏を聴きながら、帰りの準備を始めることにする。復興市は天候には恵まれたが、強風が冷たすぎて、大人も子供も寒さに震える一日になった。

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3.11

2015-03-11 12:54:50 | 東日本大震災

あの日も雪だった。津波で流された大地にも、雪が舞っていた。死者行方不明の数とその数倍の悲しむ人達がいて、また4年目の3.11が巡ってきた。被災者の皆様には、よくぞ頑張って生き残ってくれたと、お礼を申し述べたい。まだまだ復興の途中だ。力を緩めないで進んで行かなければならない。

さて、yahooが粋な応援を試みている。今日3月11日のみだが、yahooで「3.11」と検索すると、1人10円が義援金になる。

早速やってみた。詳しくはyahoo

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揺れた・その2

2015-02-18 10:37:02 | 東日本大震災

昨日の2月17日AM8:06の地震以後、三陸沖では地震が群発している。

Japan Quake Map で見ると、その様子がわかる。早送りの△のendを押すと、体感出来る10個の地震が並ぶので、その上にカーソルを当てると、場所と大きさが表示される。2月17日前後1週間分を設定してみたが、夜間に起きたものもあり、これは当分おさまりそうもないと感じる。一連の地震は、東日本大震災の余震だと気象庁は発表したようだが、同じ所だけでなく、随分と発生箇所が動いている。北の方へ動くとすると、色々と心配だ。

 

余震は本震よりも小さいと昔は思われてきたが、最近の動きでは本震よりも上回る事も経験してきた。3.11よりも大きな余震はないだろうが、当分注意は必要だ。

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揺れた

2015-02-17 09:03:08 | 東日本大震災

久しぶりに携帯の「ゆれくるコール」がけたたましくなった。画面を見てみると、三陸沖で震度3の予想だそうだ。それなら酒田は震度1だろうと、自作の地震計を見たら、まさしく震度1の揺れだった。

しかし、ゆれくるコールは、途切れもせずに警報を出した。地震計を見るまでも無く、水槽の水がユッサユッサと溢れるかと思う位に揺れた。随分長い時間揺れていた。最近、地震と津波に特化する計画に携わっているので、余計に敏感になったようだ。津波の警報は続いている。被害が無ければ良いが。

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あまちゃん

2013-09-21 10:55:38 | 東日本大震災

NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」が来週最終回を迎える。パロディや小技の効いた台詞や、勿体ないほどの脇役陣の演技、宮藤 官九郎ならではの明るくハチャメチャなドラマは、東日本大震災の復興を前向きに表現してくれた。ドラマの舞台になった架空の北三陸である久慈市には、沢山の観光客が訪れ、被災地を元気づけてくれている。有り難いなと心から思う。

よせば良いのに私の悪い癖で、次週のあらすじをネットや「赤旗」の記事で先読みしている。毎回「あ~あ、読まねば良かった。」と言いながら、ついに最終週まで知ることになる。それにつけても、女優「鈴鹿ひろ美」役の薬師丸ひろ子が音痴だと言う設定は気の毒だった。潮騒のメロディをひろ美の影武者として歌った「天野春子・あまちゃんのお母さん」役の小泉今日子よりも、本当は歌が上手いのにと私は思っていたし、薬師丸ひろ子の歌う潮騒のメロディを聴いてみたかった。その場面は来週見ることが出来るだろうが、とても複雑な気分だ。

さて、話は変わって、なかなか復興が進まない中、南三陸町で一つの結論が出たようだ。震災のシンボルになりつつあり保存も考えていた防災庁舎が11月に解体されることになった。鎮魂の為に人々は集まり、花などを手向けてはいたのだが、地元の人達の意見は様々で、残して置きたい人もいれば、観光地化されて不愉快だと言う人もいる。三者三様の考えがあったが、保存するにも国からの支援が受けられない。まち全体の土地を嵩上げするのに庁舎が残ると窪地になるなどの問題があり、解体の方向で決まったようだ。私もその方がベストだと思う。こんな事を言ってはトゲがあるだろうが、何億円もかけて松の木1本を残すよりもずっと前向きだと考えるのだが。日本は大きな災害に何度も受けてきた。その都度立ち上がり生きてきた。その力を信じたいと思う。

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