無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

弘前市寺町と栄螺堂

2017-07-03 09:58:16 | 建築・都市・港

 

 斎場から、弘前駅に向かう道で、寺町に差し掛かった。

 町の作り方と言うか、江戸時代に入ってからもなお、町の防衛で敵からの侵入や防災の面からも寺町の配置は重要だ。酒田も町民の町ではあったが、町の北側を寺町を配して防災に役立てた。そんな町が多い中、この弘前はもっと凄かった。

片側で無く、 道の両側に立派な寺が並んでいるのである。そして、寺町に入るのに、門をくぐらねばならない。

 その門の近くにあった栄螺堂。H先生が、「弘前に来て、栄螺堂を見ない人間はいない。」とばかりに、帰りに寄ることになった。

 天保10年(1839年)に、豪商東長町の中田嘉兵衛が、海難事故や天保の飢饉で無くなった餓死者の無縁仏を弔う為に建立したもの。栄螺堂は会津若松の栄螺堂が階数も多くて見事だが、それをコンパクトにした物である。入り口には大きな南京錠がかけてあり、管理者である蘭庭院にH先生達が向かった。美形のおばあさんが対応してくれたそうである。H先生は、我々の為に入場料を払ってくれたのだった。

さすがに罰当たりはしたくなく、内部の写真は撮らなかった。会津の栄螺堂は、上り下りの緩い階段が、見事に交差しない仕組みが取られていて面白かったが、ここの栄螺堂は上りは緩く、帰り直階段で中央から一気に下りてきた。階段の途中には、様々な仏像やらが安置されている。仏教徒には有り難いお堂なのだろう。ちょっと恐かった。

 綺麗な杉並木である。

 保存林

 寺町だから卍なのか。そう言えば、弘前市役所でも、庁内の表示板に卍があった。調べて見ると、卍は弘前市の市章のようだ。これは驚きである。

この後、H先生を弘前駅に送るのだが、H先生は見学会の後の反省会で、きっとアルコールが出るだろうとホテルに泊まる予定だったらしい。それを斎場経由の栄螺堂行きで、計画は頓挫し、まっすぐ自宅へ帰ることにしたらしい。めでたしめでたし。

 はい、消火栓ですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弘前市博物館

2017-07-03 09:57:09 | 建築・都市・港

 市民会館を出て、弘前市博物館へ向かう。外壁はタイルで覆われているが、コンクリート打ち放しの劣化速度が速いのに対して、やはり外壁をタイルなどで覆うと、劣化は鈍化する。原因は雨水と空気だそうだ。内部では劣化のスピードは緩むが、実は人間の吐く二酸化炭素は良くないらしい。

 我々酒田グループは、この辺りで切り上げようと企んでいた。なにせ、帰りも4時間かかるのである。しかし、H先生に「僕はまだ斎場を見ていない。」の一言で、足止めを食らった。

 黄色と赤い石は、写真では違いが判らないのにがっかりする。肉眼だと、本当に黄色と赤色なのだ。

 相馬川産。相馬川は、青森県弘前市相馬地区を流れる岩木川の支流。

 なんとか、帰ろうとするも、H先生は前川事務所の方に挨拶をせねばと仰る。

 

 裏に回っても、説明が続いていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弘前市民会館

2017-07-03 09:48:52 | 建築・都市・港

 

 弘前市民会館も前川作品の1つである。

 前川氏得意のコンクリート打ち放しの面が綺麗だ。

 現在使われているパネルとは違い、一昔前に行っていた板材で作ったパネルである。私の最初のアルバイトが、このパネル洗いだった。パネルに着いたコンクリートの屑を水洗いしながら削げ落とし、乾いたらコンクリート面がうまく剥がれるように、クレオソートを塗った。一日行うと、筋肉痛とクレオソートの匂いでヘロヘロになった。

 植栽の刈り方が面白い。まるで模型を造る時の針金を使った樹木のようだ。H先生は、こんな刈り方もあるんだと仰る。 

説明を行ってくれた前川事務所の方は、自分の知り得る情報をどんどん提供してくれる。言わば大学の教授のようである。「何故コンクリ-ト造は60年しか保たないと言われているのか、もっと保たせるには鉄筋の酸化を防止する為に、中性になったコンクリートをアルカリ性に戻してやれば良い。」と、何工程にも及ぶコンクリートアルカリ計画をとうとうと述べた。確かに有り難い話ではあるが、 暑い。説明が長い。

 前川氏得意の2つの建物を繋ぐ渡り廊下。この奥が大劇場である。

 弘前市は、この建物も改修を行った。

 レストランなどが入っている施設。

 中央の吹き抜け

天井は天体を模しているのだと言う。

ソファの色。

 渡り廊下から見た外部階段。

 大劇場棟を見る。渡り廊下は、外部を建具で塞ぐことが出来る。ここも、弘前城跡の小高い丘に建っており、冬期間の風から客を守ることが出来る。

階段は、渡り廊下の屋上へ。

耐震診断で、建物その物は壁構造のような躯体部分が多く安全だったが、唯一煙突が引っかかった。そのため上部2層を解体し、もう一度造り直したそうだ。ジョイントの下と上で、コンクリートの色が違っているのが判るだろうか。最も、下部のコンクリートからは、白い劣化の流れが見えるが。

 実は、公園内を歩いた折に、あまりの暑さにここでアイスコーヒーを飲んだ。正面は大劇場の2階の出入り口。舞台が退けると、屋内の階段からと、ここから客は退出、混雑を緩和できる。

大劇場のホワイエ。 

劇場の入り口の多くは、2階から。 

 これは渡り廊下側。

 卵形の折り上げ天井。照明器具が入って、綺麗だった。

 渡り廊下側を見る。

せっかくの階段の空間なのに、荷物がどっさりと詰まっている。大建築家は、収納などと言うチンケな物は考えない。 

 吹き抜け部分を見る。

 2階のホワイエ

「ほら、あんな所に雨樋が。」と 、H先生の指摘。

 こちらにも

 

 

 津軽塗のドアハンドルである。1品1品、作者が違うらしい。

 

 劇場内。幕は、青森が産んだ天才版画家棟方志功の作品。

あまりに大きいので、織機に入れられずに、タテヨコ反対にして織ったそうだ。最初の幕は汚れが酷く、ボロになったので、これは2作目らしい。

 反射坂は、積層材を曲げたもの。

 コントロール室なのか、特別室なのか。

中央通路

 左右の階段が斜めに段が着いている。

 舞台に上がる。

 サイドの器具室、物がすぐに使えるように、きちんと整理されていた。どっかの事務所とは大違い。

 照明と幕。

 非番にも関わらず、我々の見学会の為に、機材の操作をしてくれた2人。(我々が入った後、玄関に鍵を掛けているのを発見。一般が入らないようにしている。)

 オーケストラピット。ここの椅子の移動は人力で、なかなか大変らしい。しかもオーケストラの公演は、随分と行うらしい。

 奈落への階段と思われる。

 やっぱりそうだった。両開きにするのか。これは使えそうだ。

 奈落での説明。公園内で堀がある為か、地下水が高いらしい。奈落を造った時に、地下水がわき出して水浸しになった。それを防ぐピットが設けられ、ポンプアップしていると言う。現在話題の東京の豊洲とかぶる。

 車椅子でも使える座席。

 パコンと折りたためる。最近の車椅子用の座席は、少し広めの何もない空間が多いのだが。

 楽屋。この設備は古いタイプだと思う。最近は個室が多いのだが。

綺麗に見える鏡の照明

楽屋へ入る階段。ちょっと目には客から見えなくなっているのが面白い。 一度階段を下りねばならないが、正面にはエレベータも着いている。

 大道具の搬入路を見落としてしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする