花盛りの林檎畑と岩木山
「ご覧あれが龍飛岬、北の外れと~見知らぬ人が指をさす♫」
竜飛岬までは行かないが、方向として同じ津軽半島への道を行く。
能代から一度国道7号線に降りて二ツ井から大館で東北縦貫自動車道路ー津軽自動車道路で弘前を迂回して、十三湖(じゅうさんこ)へ向かう。
十三湖はシジミで有名な淡水と海水が混じった湖である。
そこに栄えたのが、十三湊と書いて「とさみなと」と読む。
音だけ聞くと、四国の湊かと思ってしまうが、本当に古い湊町なのである。
相変わらず、携帯のGoogleとカーナビが示す方向は一致せず、無駄な回り道を進むことを繰り返す。
グネグネ道の村中や、岩木川の土手を走っていると、少し高台になったのか、広く穏やかな十三湖が見えた。広い!!
何処へ行くのが正解なのか、カーナビに示した目的地は、1本の看板のみが建っていた。
これは遺憾。まずは港を探そうと道を走る。
家と家の間から、港らしい場所を見つけ入る。
十三湊漁港である。
十三湖は大きかった。
この橋の下を潜ると日本海に出る。
浅くて底が見える。水も綺麗だ。
しかし、ここにいても湊のことが分からないので先に進むことにした。
2つの駐車場をハシゴして、中之島駐車場に着いた。
露店も出ているし、人も多い。
看板を見ながら中之島へ橋を渡ることにした。
木道を渡る。後ろからオートバイも追いかけてきた。
木板に隙間がある時には注意が必要だと案内には書かれていたが、もしかしてこの橋は人間用歩道ではなく、車も通るのではないかと思う。
島には車が置いてあった。
湖は浅い。遠くに点々と見えるのは、シジミを獲っている人らしい。
小さな点々は子供達のようだ。
料金を払うとシジミ取りに挑戦出来るのだが、時間が決められていて案外早く終るみたいだ。
こちらの橋は、先程渡ってきた物だが、ここは日本海に通じていて、普通に漁港としての役目を持っている。
下を船が通るので、橋を上るにちょっと勾配がきついのである。
中之島には色々施設があって、最も大きいのはキャンプ場のコテージのようだ。
途中での道路にも、八重桜の花が見頃だった。少しだけ桜の時期が遅いのかもしれない。やっぱり青森なんだわ。
資料館に入る。
受付で入場料を払いながら「何処に行ったら遺跡跡が見られるのですか?来る途中で見かけたのは、何もない所に立て札だけでした。」と話すと、
「そこも遺跡なのです。発掘調査が終わって、遺物は資料館に運んで、平らに均しました。そんな所が沢山あるのです。」と教えられ、納得する。
料金を払って展示室へと向かう途中に、五所川原市史が並んでいた。
時間があったら、じっくりと見ることも出来ただろうに。
そうか、ここ十三湊は五所川原市なんだな。
北を向いているのではなく、岩木山を背景に十三湊を紹介している。
十三湊は環日本海交易で重要な位置を占めている。
日本海沿岸の北前船交易に限らず、大陸や樺太も大きく関わっている。
中央には南蛮船(中国船)の模型が飾られていた。
十三湊と三津七湊の所に、酒田湊も載っている。
十三湊は津軽豪族の安藤氏の湊なのだ。
戦いに破れた安倍氏が、安藤氏(安東氏)と名前を変え、東北の3箇所に居城した。
十三湊安東氏は南部氏に負け、秋田土崎と檜山に移る。
この他、古文書(レプリカだけど・照明に曝されているから仕方がない)も沢山並んでいた。
日本海の潮の流れ。これと風を利用して航海した。
台場で発見された古銭の数々。種類もこれの倍の数があった。
それだけ交易が盛んだったろう。
一度受付のホールに戻ると、「是非、そちらのドアの先も見てください。縄文の遺物があります。」と教えられる。
縄文は大好物である。
こんなに無造作に置いてて良いの?と写真を取る。見たことのない縄目である。
こんなに精巧な縄文土器にはどきどき。
沢山の土偶もあったが、一番驚いたのは五月女萢 遺跡から発掘された「人面浅鉢」だった。
何に使ったのだろう。
この他、玉を造る入れ物だったり、漆塗りの土器だったり、美しい石斧にも惚れる。
奥の土器の模様に驚かされる。
まるで、ピカソのゲルニカのようだ。
十二分に堪能し、資料館を出た。
朝6時に出発し、夜の20時に酒田へ到着すると言う、日帰り安東氏巡りは終わった。
帰りの高速道路の混み具合は・・・まぁ60kmで走るのなら、渋滞でも仕方がないか。