↓前回の記事:せっかくNHKの回し者になったのにも関わらず、本人が見落としたと言う番組「西郷どんの教え今も」
そんなものです世の中は。
と、話は変わって、6月23日(土)朝6時半(予定よりちょい前)に、酒田を出発し鶴岡で2名が乗車、計11人で矢吹町へ向かった。建築士会酒田支部女性部の遠征見学会である。昨年、S氏が参加したJIAの見学会がとても好評だったので、参加出来なかった私はこの日の来るのを心待ちにしていた。往路は山形道から村田JCを抜けて福島入りするのだが、復路は新しく出来た山形中央道の福島-米沢間の、特に東北一の長さを誇る栗子トンネルを走る予定である。ついでに米沢の道の駅にも寄ろうと計画して貰った。女性部長のFさんと矢吹町役場の星さんとの緻密な計画が実行されようとしている。何と、今回の見学会には、矢吹町の様々な設計に携わった建築家の方々が、遠い所をわざわざ矢吹町にいらして、我々の為に説明をして下さることになっているのである。どきどき
こちらは道の駅ならぬ国見SA。最後のトイレ休憩を取る。牛タンの匂いが香ばしい。
巣からはみ出るほど大きくなった燕の雛がいた。
矢吹町出口の看板が見える。出口から料金所を経て、あっと言う間に町内に入る。
そして、ちょっと道を間違えたら・・・。
斜面の下に綺麗な建物が見えた。これが自治会館だった。先方に到着時刻は10時半と伝えていたが、9時頃から準備を始めていてくれたらしい。役場の車が駐車場に停まっていた。
裏側から入る事にする。
テラスと濡れ縁が着いている。
これが例のシェルベンスキー・トラス。勝手に中へ入って、勝手に見学をしている。
内部の仕上げ色は白を基調としているので、木部の色が映える。
窓の外は木のルーバー
木部で圧縮、鉄部で引っ張りを受け持っているが、どちらも細い物で済む。接合部は鉄である。
壁から出たフックが印象的だ。設計者はここに住民達のマイカップを下げて欲しいと願ったのだそうだが・・。洗濯したタオルが掛けてあった。
廊下左の奥に大会議室、右が事務室や畳敷きの小会議室がある。10室の正方形の部屋を組み合わせて、この自治会館は計画されている。
中央は、大きなテーブルと調理台が繋がっている土間なのだ。本来なら、第1災害公営住宅と第2災害公営住宅との中間にある自治会館なので、土足で中央の土間を通ってお互いに行き来出来ればと計画されたが、あまりに綺麗に仕上がったので、住民は土足で入ることをためらったらしい。
テーブルも組み立てたり外したり出来る。(裏側の留め金部分も撮してきた。)調理台に高さを合わせたので、背の高い椅子が必要になった。(ニトリかイケアで安価に調達出来たらしい。)
和室でレクチャーが始まった。沢山の資料も準備して戴いた。立って説明をして下さっているのが、矢吹町役場の星さんである。平日は役場での仕事があるので、土日なら見学会を引き受けられると言う不思議な人だった。普通の人なら、休みは家族の為や自身の為に使いたいだろうに。彼だけでは無く、他に数名の役場の職員と県の職員、それに設計を担当した建築家の面々も、自腹で参加して下さった。旅費も講演料も取らない、矢吹町の為に喜んで参加すると言う。この方達を支えている情熱って何だろう。
矢吹町のまち作りは、平成8年頃からマスタープランを設け、将来的に28000人に人口が増加する目標で、東大生産技術研究所と矢吹町とで町づくり計画を開始する。どちらの町でもお馴染みの、郊外の大型店舗と住宅地の開発で、昔の奥州街道の宿場町としての矢吹町の顔が消えて行く。ならば町のコンパクト化と、奥州街道沿いでの街中居住を進めようと計った。
そこに3.11で震度6弱の地震を受ける。矢吹町は軟弱地盤(猪苗代湖由来)で、かなりの被害を被った。陥没亀裂を生んだ道路、それに道路面から土管が1.5mも突き上がる。被災建物の数は4700を超えた。被害を受けた建物の補修、復興災害住宅の計画を、若者の視点でとプロポーザルを実行することとし、着々と工事を進めて行った。その拠点がこの自治会館である。
(小屋裏通気の有孔板が見える。)
普段から人が集まって、調理などして食事会が出来るなら、災害時でもいつものように調理が出来るだろうと考えられた調理室。将来はここで喫茶店も行えるのではと考えている。
この空間は、自治会館の内部にも使われているが、面積の1/3を「福祉避難所」として、国の予算を別個に引き出すことが出来た成果でもある。星さんを始めとする役場の方々は、この補助金を間違いなく使える為に、通常ではない努力をされたようだ。時には県を窓口にせず、直接に国と交渉をしたそうだが、あの3.11後の東北の特に福島県では、早急に進めるにはその方が断然良かったと思われる。
背の低い人間は使いにくいだろう釣り戸棚も、こんな跳ね上げ式の建具なら使い易い。
福祉避難所の一部の備蓄倉庫。外部からも入ることが出来る。この他にも多目的室とした避難した際の部屋があった。
第2災害公営住宅側の出口と通路。
こちらは奥州街道方面。多分正面。
これは多分御輿か山車を保管しておく建物。自治会館に敷地あった。
第1災害公営住宅から見る自治会館。
写真に写っている方々へ 肖像権など固い話はどうか許して下さい。これも矢吹町のPRの為と割り切ってお願いします。